第247話 プレゼント1
「……ふぁぁぁん、いい気持ち……。何だか私、ふわふわしますぅ……」
「ア、アイアノア、雑念は捨てよう……。皆が変な目で見てるぞ……」
二人は加護の力を発動させていた。
自室から戻ってきたアイアノアは、まだとろんとした顔で変な声をあげている。
ミヅキは冷めた目の見物人たちに見守られながら、地平の加護の権能を使う。
『三次元印刷機能実行・素材を選択・《破損した店内と家具類》』
『《元通りの店内と家具類》・印刷開始』
「おおっ、やった! アイアノアと手を繋がなくても加護の力を使えたぞ!」
ミヅキには目の前で起こる奇跡が、自分の手によるものだと実感できていた。
度重なるエルフ姉妹からの暴行や、魔法の暴走でもたらされた店内の破損箇所が元通りに直っていく。
折れた椅子の脚やひび割れたテーブル天板、一部割れてしまった窓ガラスは何事もなかったみたいに、これまでと同じ姿に作り替えられていた。
「まだまだ魔力は充実してる。よし、それじゃあまずは──」
次にミヅキはちらりと脇のテーブルに置かれている物体に目をやった。
そこにあったのは、薄いエメラルド色ののっぺりとした鉱石の塊。
雪男こと、ミスリルゴーレムから採取したミスリル鉱の一部である。
亡きアシュレイの記憶を映し出したのにも使用したものだ。
「アイアノア、君に渡したいものがあるんだ」
「えっ、私に? はい、なんでしょう?」
アイアノアの前に手の平を差し出し、その上からもう一方の手の平を被せた。
手の中にできた空洞に、ミヅキは地平の加護の権能を発動させる。
「使命を果たすため、アイアノアには太陽の加護を使ってもらっていつもお世話になりっ放しだからね。これは俺からの気持ちだよ」
『三次元印刷機能実行・素材を選択・《ミスリル鉱石》』
『《エルフ、アイアノアへの贈り物》・印刷開始』
ミヅキの顔に光の回路が浮かび、アイアノアと触れ合わずとも魔法が使えた。
二人が視線を注ぐ手の中から、ミスリル色の薄青い光が漏れ出している。
ミスリル鉱石を材料にして、アイアノアへのプレゼントをつくり出すのである。
「はい、どうぞ。……喜んでくれるといいんだけど」
「まぁっ、嬉しいですっ! そのような労いを掛けて頂けるだなんて! ミヅキ様、ありがとうございますっ!」
ミヅキは照れながら被せていた手の平を外し、出来上がった小さな贈り物をアイアノアへ渡す。
ぱぁっと表情を明るくほころばせた彼女は、意識せずそれを受け取った。
ミヅキからの贈り物を素直に嬉しく思う。
しかして、渡されたものが何かを知って大いに驚くことになる。
「ですが、これは……! ゆっ、指輪ではありませんかっ!」
自分の手の平にちょこんと乗るのは、淡いエメラルド色に輝くシンプルな指輪。
アイアノアは目を大きく見開き、贈られたプレゼントに激しく色めき立った。
「アイアノアのためを思って特別に用意したものなんだ。今の俺の精一杯、是非ともアイアノアに受け取ってほしい」
「ふ、ふわぁぁん……。そんなぁ……」
ミヅキの言葉を聞き、その顔と指輪を見比べる。
神交法とは関係無くアイアノアの胸は高鳴り、顔は真っ赤に染まってしまった。
きっとまた、アイアノアはそういう意味での指輪の贈り物だと思っている。
ミヅキの意図は別のところにあるとは思い違いをして。
「地平の加護の魔法は消耗が激しいからさ。アイアノアの苦労を少しでもやわらげられる方法を考えてたんだ。その答えがこれだ、──って、話聞いてる……?」
案の定、これからミスリルの魔法アイテムの説明を始めようとするミヅキの声はもうアイアノアには届いていない。
男女間の恋愛あれこれに疎く、やや妄想癖のある彼女は一人盛り上がる。
──待って待って! 人間の男性は女性に求愛するときに指輪を贈るのよね……? さっきはそんなつもりはないって否定されていたのに、やっぱりミヅキ様は私のことを見初めてしまっていたんだわ……!
やはりどうあってもアイアノアの思考はそっちの方向へ行ってしまう。
自意識過剰といえばそれまでだが、エルフ特有の長寿な彼女が年齢の割に少女の幼さを残している証拠だろう。
──ふぁぁん、駄目ぇ! こんな皆が見てる前だっていうのに、婚姻の証を渡してくるだなんてぇーっ! 私の心の準備はまだできてないって言ったばかりなのに、ミヅキ様ったら全然待ってくれないじゃないですかぁーっ!
長い耳を真上にそそり立たせ、あわあわした顔でミヅキを見つめる。
と、慌てると同時にアイアノアは勝手にミヅキのことを思いやった。
──エルフと違って人間は寿命が短いし、焦っておられるのかしら……。本当に、人間とは儚い種族よね……。それにしたってせっかちが過ぎると思いますけどっ。
長命な自分に比べ、短命な人間のミヅキはあっけなく人生に幕を下ろす。
エルフの時間感覚を前提にした物の考え方では、人間のことを理解できないかもしれない。
──だけど、皆の前で求婚を断ってはミヅキ様に恥をかかせてしまう……。それは女としてやってはいけないことだわ。人間の短く儚い一生、その間だけでもお側に居て差し上げて、ミヅキ様に華を持たせてあげなくっちゃ!
脈絡なく唐突に見えたミヅキの求愛も、その実は人間の理にかなった行動の結果であることもあり得る。
何よりも、エルフの自分に向けてくれた人間の気持ちを蔑ろにはしたくない。
と、絶対にそんなことを考えているに違いなかった。
「──わかりましたっ! ミヅキ様のお覚悟、謹んでお受け致しますっ! それで使命を果たせるのなら、ミヅキ様の生涯に連れ添うことを誓いますっ! 死が二人を分かつ最後のその時までッ!」
アイアノアは一大決心し、高らかに宣言する。
数百年の長きをゆうに生きられるのなら、数十年くらいを人間と共に生きるのも悪くはない。
その相手がミヅキならばと、アイアノアは婚姻を受け容れる覚悟をした。
そうして、献身的な自分に酔いしれ、受け取った指輪を無駄に洗練された所作で左手の薬指へと装着するのであった。
「あ、あれ……? すかすか、ですよ……?」
勇ましくはめたはいいが、指輪は薬指の根元まで抵抗なく到達してしまう。
サイズが合っておらず、薬指に付けるには随分とぶかぶかである。
アイアノアは心底意外そうな顔をして、表情を曇らせていた。
「やると思ったよ……。それ、人差し指用だからね」
眉を八の字に苦笑いをして、ミヅキはため息交じりに言った。
もうすでにアイアノアの洞察は完了している。
思い掛けず知ってしまった、彼女の身体情報から指のサイズだってお見通しだ。
「なんだなんだっ!? アイ姉さん、ミヅキと結婚するのかっ?!」
「結婚は使命感でするものではなくてよ? お互いちゃんと話して、気持ちを確かめ合ってから決めたほうがいいわ」
「姉様、また勘違いしてる。見てるこっちが恥ずかしくなるからもうやめて……。ミヅキも紛らわしい言い方ばっかりして姉様を錯乱させないで」
事の成り行きを半ば呆然と見守っていた見物人は、三者三様の感情で言った。
キッキは純粋に驚き、本当にミヅキがアイアノアに求婚したと思っている。
パメラは微苦笑を浮かべ、気の若い二人の性急な決断に困り顔である。
エルトゥリンは相変わらずな姉の痴態と、言葉足らずで誤解を生み続けるミヅキにうんざりな様子であった。
「えっ? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!? そっ、そんなぁーっ!」
アイアノアは真っ赤な顔から一転、真っ青な顔になって絶叫した。
ようやくこの指輪が、そういう目的の物ではないと気付いたようだ。
「わ、私ったら、またとんだ思い違いを……? ふぁぁん、恥ずかしい……」
とも思えば、青かった顔はまた赤みを帯びてきて羞恥に染まる。
恥ずかしがる顔を覆った手の薬指で、サイズの合わない指輪が落ち着かずにぐらぐらと揺れていた。
「ミヅキ様っ、ひどいですっ! 私の気持ちをあんなにたかぶらせた挙げ句、指輪の贈り物をするだなんて! 今度こそ勘違いしてしまうじゃないですかっ!? 人間の女性にとって、男性から贈られる指輪は求愛を意味するものなのでしょうっ!? エルフの私だって、このような贈り物を頂いたらそれはもう舞い上がってしまいますともっ!」
「い、いや、エルフが使う魔法のアイテムの定番って言ったら指輪かなって……。いくら何でも、パンドラに挑む使命を果たそうって言ったすぐそばから結婚を申し込んだりしないってば……」
珍しく怒ったアイアノアが食って掛かってきた。
全く他意の無かったミヅキは、思い掛けない抗議にたじたじである。
「もの凄く真剣にミヅキ様との将来を悩んだのにぃ……! 私の乙女心は弄ばれてしまいましたっ! こうなったらもう仕方がありません! ちゃんと責任を取ってもらいますからねっ!」
「な、何の責任を取るっていうんだよ……。さっきの神交法だって、魔力の問題を解決するためだって言っただろう……。その指輪だって、アイアノアの消耗を軽くさせるためのものなんだよ……」
興奮冷めやらぬアイアノアの顔面が、鼻息が掛かるくらい近付いてきている。
普段は美しくも可愛らしい彼女の顔は真っ赤っかだ。
怒りと恥ずかしさで、めらめらと炎をあげているかのようである。
「……ど、どっちの手にはめてくれてもいいけど、右手なら集中力を高める、左手なら精神力を高める意味合いがあるんだ。アイアノアに任せるよ」
逆上の乙女心に尻込みしつつ、ミヅキは背を向けるとテーブル上のミスリル鉱石に目を落とした。
丸めた背中にアイアノアの突き刺さる視線を感じてひやひやする。
「その指輪はミスリルの凝縮体だ。しかも、たった今アイアノアと高め合った魔力をありったけ込めてある。それをはめていれば、アイアノアの魔力消費を抑えられるし、不足分を補うことだってできるはずさ」
ミスリルという現実には存在しない鉱物ながら、ミヅキにはそれがどういう特性を持っているかが理解できていた。
魔力や魔法といった非現実と相性が良く、思い描いた通りのアイテムを形にするに打って付けの材料と言える。
「ダンジョンの麓だけあって、この街にも微弱な魔素が流れ着いてるからいつも恩恵に授かれるはずだ。元々の魔力を増やすのも目的だけど、その指輪はパンドラの魔素を吸収して魔力に変換することができる。俺の加護と似たような能力だよ、何せそういう風につくったからさ」
指輪の性質のモデルは自分の地平の加護である。
パンドラの地下迷宮から発生する魔素を取り込み、魔力に変えられる仕組みが施されている特別な指輪であった。
アイアノア自身の魔力問題にさらなる解決をもたらすアプローチである。
「はぁい、ありがとうございますぅ……。もうっ、お気遣い痛み入りますっ」
もちろん、ミヅキの思いやりをわかっている彼女はそろそろと怒りを収める。
不機嫌そうな渋々感が残っているのはさて置き、指輪を右人差し指に装着し直して顔の前で眺めてみていた。
「……くすくす。本当、ぴったり……」
そうして、結局はにっこりと微笑みを浮かべるアイアノアなのであった。
「アイ姉さん、怒ってるのか、喜んでるのかどっちなんだろ?」
「うふふ、乙女心は複雑なのよ」
さっきまでの激情はどこへいったのかとキッキは小首を傾げ、そんな娘にパメラは朗らかに笑っていた。
アイアノアの笑顔と何となしな和んだ雰囲気を感じ、ミヅキはほっと一安心してミスリルと魔石について考えていた。
──魔石って本当に便利だ。それそのものにエネルギーを込められるし、指輪みたいに身に付けて持ち運べるアクセサリーにすることもできる。魔力を動力源にするものならバッテリー代わりに使うことが可能だろう。まあ、今なら雛月がどうして魔石の洞察にこだわってたのかよくわかるな。
初めてアイアノアが魔石を見せてくれたときのことを思い出す。
情報収集に躍起になる、地平の加護に急かされていたのが今は懐かしい。
「よし、じゃあ次はエルトゥリンに──」
『三次元印刷機能実行・素材を選択・《ミスリル鉱石》』
『《エルフ、エルトゥリンへの贈り物》・印刷開始』
出し抜けに、ミヅキは引き続き地平の加護を発動させた。
顔に回路模様の光を浮かばせ、エルトゥリンのほうへ向き直る。
「……えっ? 私にもっ?」
繰り返される茶番劇に辟易していたのだろう。
油断をしていたエルトゥリンの驚いた目と視線が合った。
ミヅキは当然エルトゥリンへの贈り物も用意するつもりだったが、受け取る側はまったく予想していなかったようである。
「えぇっ!? 贈り物は私にだけじゃないんですかぁ……?」
てっきり、贈り物は自分にだけだと思い込んでいたのに──。
アイアノアは悲鳴みたいな声をあげた。
指輪が結婚指輪ではなかったのだから、別の誰かにも贈り物があっても不思議はないのだが。
神交法で気持ちが盛り上がっている今、ミヅキとエルトゥリンのやり取りがショックでならなかったようだ。




