第243話 自分からの伝言
三巡目の異世界転移で再会したエルフ姉妹は、魔境と化した神巫女町でミヅキを助けてくれた事実を知らないと言った。
──これは、どういうことなんだ……? アイアノアは嘘を言ってるようには見えないし、エルトゥリンのあのしらけた感じは何か隠してる感じじゃない……。
弱り顔でベッドに座り込んだミヅキは、二人を見上げていた。
身の上をすべて打ち明け、感涙していたアイアノア。
嘘や隠し事が苦手で、根は素直なエルトゥリン。
もう二人の人となりを理解しているミヅキにとって、彼女たちの態度に不審な点は見当たらない。
この頃になり、ようやく二人が何かを隠していたり、嘘を言ったりしているのではないと、ミヅキは感じ始めた。
ならばと、いつまでもうろたえている訳にはいかない。
理解が及ばない不可思議には、いい加減慣れっこのはずなのだから。
「ミヅキ様、やはりもう少しお休みになられたほうがいいです。まだお身体の調子がよろしくないのかも……」
心配そうな顔をしたアイアノアが、両膝に手を付いて覗き込んでくる。
ミヅキは視線を返し、緑の瞳をじっと見つめた。
純真で無垢な色の目は、やはり何かを秘密にしているとは思えない。
「……なあ、アイアノア、ちょっといい?」
「あっ、はい。なんでしょうか、ミヅキ様」
わからないなら確認してみればいい。
ミヅキはとうとう踏み込んだ質問を投げ掛けてみることにした。
「──天神回戦って、何のことかわかる?」
「え? テンジン……? 何ですか、それは……?」
「じゃあ、月の加護、って知ってるかな?」
「月、ですか? ……いいえ、知りません。私たちの加護は太陽と星、ミヅキ様の地平線だけですよね……?」
「次が最後だよ。アイアノアって、俺の両親のことを知ってたりする? 俺が今、こうなってる事情みたいなもんだけど」
「い、いえ……。ミヅキ様ご自身が失われている記憶です……。私などが知り得ている道理はございません……」
「……」
再三の質問の後、ミヅキは押し黙る。
「ミヅキ、訳のわからないことを言って、姉様を困らせないで」
「いいのよ、エルトゥリン。ミヅキ様には何かお考えがあるのよ、きっと──」
ますます姉を困惑させるミヅキにエルトゥリンはふくれっ面をして、アイアノアはそんな妹をなだめて微笑んだ。
二人の声がやけに遠く聞こえる気がした。
ミヅキはうつむき加減に、深く思索にふける。
──今のは核心を突く質問ばかりのはず。アイアノア自身が知っていて、それを俺に話してくれたことだ。なのに、目の前に居るアイアノアは知らないと言う。
世界をまたがった秘密をアイアノアが知っていた理由、知らない理由は不明だ。
エルトゥリンにしてもそれは同様だろう。
ただ、それ自体が答えである気がした。
──アイアノアとエルトゥリンは、神巫女町で起こったあの出来事を覚えていない。……いや、多分知らないんじゃないだろうか。
そして、一つの仮説に至った。
その推測は神巫女町に訪れたアイアノアが言っていたことに起因している。
言葉を思い出すよう、地平の加護は記憶を引き出してきた。
『お聞き下さいまし、ミヅキ様。物事には語るべき時期というものがございます。充分な知識と経験を備え、満を持した心構えが無ければいくら言葉で聞かされても本当には理解できず、真意に気付けるものではないのです』
巫女装束にポニーテールなアイアノアは、あのときにそう言っていた。
あれはミヅキにも言える内容だったが、今の二人にも言えることだ。
真実を語ったとしても、現実世界でのあの出来事を知っていて、そこに至るまでの経緯をたどっていなければ、今のミヅキの話を理解できるはずはない。
──アイアノアが言っていたあの言葉の意味は、もしかして……。
『……ミヅキ様、私は覚醒した太陽の加護を扱うのが上手じゃありませんよね』
『またこちらの世界に戻られましたら、まだまだ未熟な私のことをどうかよろしくお願い致します』
どこか儚く感じた彼女の言葉の意味に思いを馳せる。
こうして再会することができたが、それは言葉通りの意味だったのだろうか。
『──そして、私に何があったとしても……。いいえ、何でもありません』
アイアノアが何故あんなことを言ったのかをミヅキは勘付いた。
彼女の言葉の意味はわからずとも、どうして話が食い違うのかはわかった。
それは随分と突飛な思いつきであったに違いない。
──そうか、そういうことなのか……! だから「あのアイアノア」はあんなことを言ったんだ……! わかった、わかったぞ……!
脳天に稲妻が落ちたみたいに、ミヅキは理解をした。
これまで経験してきた不思議体験が、発想を柔軟に飛躍させていた。
平凡に暮らしていたらとてもこんな考えはできなかったろう。
「ミヅキ様……? それらは重要な事柄なのですか……? でしたら、お役に立てなかったようで申し訳ありません……」
ミヅキが険しい顔をしていると、期待に応えられなかったとアイアノアは長い耳をしょんぼりとしおれさせていた。
彼女には、本当に身に覚えのないことばかりだったであろうから。
「あっ、ごめんっ……。アイアノアの言う通り、夢の中の話だったよ。訳わからんこと言って混乱させちゃって悪かったね。今のは俺の妄想みたいなもんだから、気にしないでいいよっ……!」
慌てた愛想笑いを浮かべ、ミヅキはお茶をにごすことにした。
生憎と「このアイアノア」は、現実世界でのミヅキとのやり取りを知らない。
だから、追求をしてもあまり意味は無い。
ミヅキはそう結論づけた。
「あっ、そうだっ! いけない、私ったらうっかりして忘れておりましたっ」
と、何かを思い出したようで、アイアノアは一度はしおれた耳をぴんと立てる。
ぽんと手の平同士を合わせ、少しの微笑みを取り戻して言った。
「ミヅキ様が倒れられてから、夢見心地に仰られていたことがあります。ミヅキ様がお話できるようになるまで回復されたら伝えて欲しいと、ミヅキ様本人から伝言を預かっております」
「えっ? 俺から、伝言……?」
思い掛けない相手からの接触にミヅキは驚いた。
何と、意識を通わせていない異世界の自分からの言伝があるという。
「自分宛に伝言だなんておかしなミヅキね」
「──聞かせてくれっ、アイアノア!」
呆れてため息をつくエルトゥリンをよそに、ミヅキは食い気味に前のめりだ。
真剣な顔で見つめると、アイアノアは大きく頷いた。
「誤解無きよう一言一句違えずお伝えします。失礼な話し方をご容赦下さいまし」
この迷宮の異世界の自分にはまだ謎の部分がある。
現実世界のミヅキが宿るまでの空白の時間、何度も記憶障害に陥りながらパメラとキッキの世話になっていた。
パンドラの地下迷宮近傍の森に、一糸まとわぬ姿で倒れていたとのことだ。
──俺じゃない俺、この身体の元の持ち主からの伝言か……。今まで何にも言ってこなかったのに、俺が帰ってきたのを見計らってたみたいだな。さあて、記憶喪失だった俺は何者で、いったい何の用なんだ……?
迷宮の異世界に転移するための身体は、まさにブラックボックスだ。
失われたとされる記憶の中身は、依然として謎のままである。
その一端がアイアノアの口から語られる。
唐突に、彼女らしからぬ口調で正体は明らかとなった。
「──俺は創造主。情報は受け取ったな。お前の願いを叶えるための行動を直ちに開始しろ」
「……やっぱりか!」
ミヅキは思わず舌打ち混じりに言った。
「敵よりも早くパンドラに秘された隠し部屋にたどり着け。迎えの者はもう遣わしている。そして、地平線に月を掲げろ。そうすれば、果たすべき使命を本当の意味で理解できる。今のお前にならこの意味がわかるだろう──、と」
伝言は語られた。
ミヅキが意識を失い、別の世界に行っている間に、他でもない自分から。
そして、記憶喪失の身体の正体は、半ば予想の通りだったが結局は驚いた。
当のミヅキ以上にアイアノアは怪訝そうだった。
「……創造主とはいったい……? 迎えの者とは、もしや私とエルトゥリンのことなのでしょうか? ですが、隠し部屋の場所などは存じ上げません……。先ほど、ミヅキ様がお尋ねになった月の加護とは、この伝言を指しているのですか?」
「多分としか言いようがないけど、十中八九そうだと思う。地平の加護をつくった奴が居るんだ。どうやらそいつが創造主を名乗る野郎に違いない」
「ミヅキ様からのお言葉でしたけれど、喋り方や雰囲気が全然違っていて、まるで別人のような印象を受けました。物静かで落ち着き払っていて、ミヅキ様をもっともっと大人びた感じにしたご様子だったと思います」
「エルフのアイアノアたちからしたら、俺は赤ん坊みたいなもんだからなぁ……。そんな俺が大人っぽく見えたってことは、伝言をくれた創造主は随分と年寄りなのかもしれないな」
神巫女町で出会ったアイアノアに、可愛い盛りの赤子呼ばわりされたのを思い出して苦笑いする。
失言したとばかりに慌てるアイアノアをさて置き、ミヅキは創造主の伝言の意図について考えを巡らせた。
──鍵はもう持っている。隠し部屋ってところに行けば、月の加護は手に入るんだろう。敵はおそらく異界の神獣たちだ。アシュレイさんが言った通り、雪男は何かを探してダンジョンを徘徊してたそうだからな。迎えの者がアイアノアとエルトゥリンかどうかはまだわからない。俺の世界まで会いに来てくれた二人はそんな感じだったけどな……。
話の内容は、ほぼ聞いている通りのおさらいである。
なのに、わざわざ伝言を伝えてきたことということは──。
おそらくは、この行為自体にメッセージが込められている。
ミヅキはそう踏んだ。
──記憶喪失の俺、つまり創造主は俺の状況を理解しているんだ。だから、これではっきりした。俺は監視されているんだ、雛月に見られてるのと同じに。
重複する情報なら、あえて伝える必要は無い。
正体を明かし、メッセージを送る。
それをこのタイミングで行う理由とは。
見ているぞ──。
そう暗に伝えるためである。
──そうやって俺に意識させることが目的か。やっぱり信用ならねえな、創造主って奴は……。地平の加護の雛月はともかく、創造主が俺に願いを叶えさせようとしてる目的は何なんだ……?
加護として、システムとして、ミヅキをサポートする雛月とは違う。
創造主は確固たる意思を持ち、ミヅキを希望の未来に導こうとしている。
その目的は未だ不明なままだ。
──もう進む未来が決まって、バタフライエフェクトが起こるのを回避できたはずじゃなかったのか? このうえ、俺に何を伝えようとしてる……?
異世界を攻略する情報は全て開示され、ミヅキの進む未来は確定した。
もう迷わず疑わず、使命の完遂を目指すことに躊躇は無いというのに。
もしかしたら、現実世界にアイアノアとエルトゥリンを遣わしたのも、創造主の差し金かもしれない。
二人がメッセンジャーなら、ミヅキは情報を素直に受け取りやすい。
正体不明な何かからだと同じ結果にはならなかっただろう。
気遣いや根回しに、作為的な意思があったのは明白だ。
──まあとはいえ、雛月に免じて信じてやるよ。目的を果たせるように精々正しく導いてくれよ。結局俺は、雛月と創造主に頼るしかないんだからな。
但し、実のところはもう創造主の意思なんて関係なかった。
雛月の人となりを信頼し、自分で決めた未来へ突き進もうとする気持ちに嘘偽りは全くない。
地平の加護の力を借り、仲間に助けてもらい、願いを叶えるだけである。
──だけどな、俺の意思とはいえ、操られてるだけってのはいけすかねえ! 言う通りにする代わりに、一つだけそっちの秘密を見破ってやるよ!
不満も文句も無く、感謝をしてもし切れないほどだ。
それでもミヅキの反骨心には火がつき、鎌首をもたげた。
従うだけではなく、しっかりと自分の意思を示したい。
雛月と創造主、それら超常の存在とも肩を並べられるようになるために。




