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第25話 蜜月の夜からの急転

 真夜中の自室に訪れたアイアノアとミヅキは二人きりの時間を過ごしていた。

 但し、ドアの外側では恐ろしい形相のエルトゥリンが目を光らせている。


「うーん……」


 またため息をついて、ミヅキは唸り声をあげた。

 この身体が自分ではない違和感はもちろん、記憶が無い、自覚が無い、というのがこんなにも当事者意識を低くしてしまうのかと改めて悶々としてしまう。


 自分の勇者としての務めと、エルフに告げられた神託を聞いても──。

 上の空で実感が湧かず、要領を得られないことに段々とアイアノアに対して申し訳ない気持ちになってきていた。


「なんか悪いね。大変な仕事でこの街に来たってのに俺がこんなでさ。これだけ説明してもらっても全然ぴんとこない……。正直、がっかりしたでしょ?」


「いいえ、そんなことはありません!」


 即座にミヅキの自嘲を否定するアイアノアの声ははっきりしていた。

 そっと、ミヅキの手に片方の手をかぶせるように触れる。


「わ……!」


 すべすべでほんのり温かい手にドキッとするミヅキ。

 しかし、ドアの向こうで睨むエルトゥリンの眼光がさらに強くなって、別の意味で心臓が大騒ぎしていた。


「あ、あわわわ……!?」


 エルトゥリンの殺気が気になりすぎて、アイアノアの話が頭に入ってこない。

 しかし、彼女は特に気にせず、調子もそのままにさらに近付いてくる。

 色んなドキドキに、ミヅキの感情は飽和寸前であった。


「ミヅキ様のお力に触れたときに感じたのです。ミヅキ様の身体と心を通して、私にもパンドラの大いなる神秘の力が流れ込んできました」


 すっと、アイアノアは自分の胸にもう片方の手を当てる。

 丁度、前胸部の真ん中あたりに触れていた。


「私にもおぼろげながらパンドラの深遠が見えた気がします。だから、ミヅキ様と共に行けば、きっと私たちの使命も果たすことができる」


 潤んだ瞳で、ミヅキの目を訴えかけるように見つめた。

 なおも顔を近づけ、鼻先すれすれに迫る。

 誤って動けば唇同士が触れてしまうほどの間近でアイアノアは懇願した。


「だからどうかお願い致します、ミヅキ様。私たちと一緒にパンドラに挑む使命をお果たし下さいまし。困難な道行きですが、私たちならばきっと……!」


「う、むぐぐ……」


 彼女の目には月明かりが映っていてとても綺麗に見えた。

 その目の光は真剣そのものである。

 真摯で心に訴えかける願いが込められ、偽ろうとする気持ちは無い。


 魔力の巡りの心地よさに酔っていただけではない。

 ミヅキを見込んで、本気で頼み込んできている。


「ちょ、ちょっと、エルフのお姉さん……?」


 ただ、それでもこの距離感は近過ぎた。


 計算尽くの色仕掛けではないにしても、あまりに自分の色気に無自覚だ。

 一度はしなびた邪な理性を抑えるのにも限度がある。


 このアイアノアというエルフは、こうと決まれば思い詰めて周りが全然見えなくなる押しの強い猪突猛進タイプに違いない。


「いいえ、ミヅキ様。お願いがございます」


 ミヅキの自制心などお構いなしに、掠れる声でさらに妖艶に訴えかける。

 自己中心的、という言葉で片付けるにはあまりにも彼女は魅力的過ぎた。

 アイアノアは動揺するミヅキに、ほぼ密着した距離で微笑み、囁いた。


「──私のことは、アイアノアと。そう、お呼び下さい……」


 自分のことを、名前で呼んで欲しいと(こいねが)う。

 それはまるで、愛を確かめ合おうとする無垢な乙女の求愛のようでもあった。


「ア、アイ……。アイアイッ……!」


 ミヅキは金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。

 限界を迎えようとする理性と心拍数に、今にも卒倒しそうである。


 宝石みたいな緑の瞳に、さらさらな金糸のような髪の毛。

 薄く微笑む、ぷっくりとした魅惑の唇。

 押し付けられてむにゅりと潰れた大きな胸。

 

──もう駄目だ、頭がくらくらする。これ以上は、いくら何でも我慢が……!


 目の前の魅惑の女性を抱きしめたい衝動に理性が利かなくなりそうだ。

 それが、ずっと昔から憧れていたエルフの美女ともなれば尚更でもある。

 そうしてミヅキが限界を迎えようとしたそんなとき。


 ふっと、目の前を影が覆い、月明かりが遮られた。

 とも思えば、ミヅキとアイアノアの間に、何かが強引に押し割って入ってきた。

 それは、堪りかねたエルトゥリンの引き締まったお尻だった。


「うわ?!」


「きゃっ!」


 同時に声をあげる二人の間に、無理矢理エルトゥリンはどすんと座り込んだ。

 腕組みをしながら、ミヅキとアイアノアをじと目で交互に見やる。


「二人とも離れて、近すぎ! 姉様もそんなに近づいたら駄目! 男はケダモノよ、何をされるかわかったものじゃないんだから!」


「まあ、エルトゥリンたら……! ミヅキ様はそんな不埒(ふらち)な御方ではないわ。清く正しい誠実な心の持ち主よ。だって選ばれし勇者様なんだからっ」


 エルトゥリンは不機嫌に迂闊な姉の無自覚な誘惑をたしなめる。

 しかし、姉を思う気持ちはひたむきさが過ぎるアイアノアには届かない。

 理性が吹き飛ぶ寸前だったミヅキには、彼女らのやり取りは耳が痛かった。


「た、助かったよ、妹エルフさん……」


 過ちを犯す危機が去り、ミヅキはエルトゥリンの乱入に安堵を漏らす。

 高まった胸の鼓動を落ち着かせ、アイアノアに代わって目の前に座するエルトゥリンの横顔に言った。

 但し、青い瞳にじろりと睨まれてしまう。


「エルトゥリンって、名前で呼んで!」


 すると、仏頂面のエルトゥリンはぶっきら棒に言い放った。

 どうやら、アイアノアと同じく呼ばれ方がお気に召さなかった様子だ。


 エルフはちゃんと名前で呼ばれないと気が済まない性質でもあるのか、とミヅキはたじろいだ。

 そして、とどめとばかりに。


「わがままで悪いエルフで悪かったね。お仕置きなんて冗談じゃないけれど、色々とこき使われてあげるから、きっと一緒に使命を果たしてね。ミヅキ」


 言われてミヅキは座ったまま飛び上がった。


「……き、聞こえてたのかよ。地獄耳だな、エルフの耳は……」


 やっぱり、ミヅキの独り言は筒抜けだったようだ。

 エルフの耳の長さは伊達ではなく、優れた聴力を備えている。


 まんまとはめられ、ダンジョンに挑む使命を帯びる羽目になった。

 そのうえこうして念押しで詰められている。


 つくづくこのエルフ姉妹には敵わない──。

 と、ミヅキは顔を青白くさせながらそう思ったのであった。


「わ、わかったよ。──アイアノア、エルトゥリン!」


 ようやくまともに二人の名前を呼んだ。

 慣れない異邦の名だが、いざ声に出してみるとすんなりと抵抗は無かった。

 アイアノアは目を細めて微笑み、エルトゥリンは耳をぴくっと動かす。


「ちょっとまだ、正直色々と飲み込めてないことばっかりだけど、俺にできることはやってみるよ。だからまあ、あんまり期待はしないでくれよな」


 とうとうミヅキは降参して、弱々しくも新たにした決意を二人に表明した。


 すると、相変わらずむすっとしたエルトゥリンの向こうで、アイアノアはぱぁっと明るい笑顔になった。

 歓声をあげ、エルトゥリンに後ろから抱きついて大喜びする。


「やったぁっ! ミヅキ様、ありがとうございますっ! エルトゥリン、ミヅキ様が一緒に来てくれるってぇ!」


「ちょっと、姉様……!?」


「良かったぁ、一時はどうなることかと……。うぅ、ぐす、ふわぁーんっ!」


「もう、姉様ったら……」


 エルトゥリンは嬉しさに泣き出してしまう姉の顔を肩越しに見ている。

 困った風の顔は何故かまた赤くなっていた。


 再びの麗しいエルフ美女二人の抱擁を見せつけられ、もうミヅキは諦めて苦笑するしかなかった。


──エルフっていうくらいだから、俺よりずっと年上の人たちなんだろうけど……。何でか、俺よりも随分年下の女の子たちの無邪気なじゃれ合いを見てるみたいな気分になるな。


 仲の良い姉妹二人を見ていると、ミヅキには決まって思い出す記憶がある。


 こんな光景をいつも見ていた気がする。

 遠い記憶の彼方、天真爛漫な姉としっかり者の妹の思い出の姿。

 それが目の前のエルフの姉妹と重なって見えた。


 ともかくも、お近づきになれたエルフの姉妹、彼女ら二人。

 向こう見ずな直球ゆるふわ、危うい子供っぽいさがある使命至上主義の猪突猛進ワーカーホリック、アイアノア。

 姉のことが何より一番、蛮族の風格で食いしん坊、口よりも先に手が出そうなクールなパワフル系女子、エルトゥリン。


──ちょっと暴走しがちで危なっかしいとこもあるけど、使命に向かって一生懸命で、目的遂行のためなら多少強引でも押し通る、形振り構わないその気概……。


「こういう子たち、俺、なんか好きだ……」


 思わず漏れてしまったミヅキの小さい声。

 その言葉にアイアノアとエルトゥリンは、二人同時に耳をぴくんと動かした。


 失言したと思って、すぐに知らん振りするミヅキだが、耳ざとい彼女らにはきっとしっかり聞かれてしまったことだろう。

 エルトゥリンは何も言わなかったが、アイアノアは楽しげにくすくす笑っていた。


「さあ、そうと決まったら今日は直ちに就寝しましょう!」


 妹の手を引いて勢い良く立ち上がるアイアノアは意気揚々だ。

 ミヅキとエルトゥリンの顔を、本当に嬉しそうに見て。


「そしてっ! 明日はうんと早起きして、早速とパンドラ攻略を始めましょうっ! 手始めはこのお店の借金返済からですっ! 私、張り切っちゃいますっ!」


 もう片方の手の握った拳を天井に突き掲げ、満面の笑顔を弾けさせていた。

 表情を変えないエルトゥリンはため息を一つ。

 ミヅキもやれやれ感全開で、それに負けないくらい大きなため息をついた。


 そうして、あわや蜜月の夜会は終わりを告げた。

 アイアノアとエルトゥリンは部屋を出て行く前に並んで立つと、手を繋いでミヅキに振り返る。


「おやすみなさいませ、ミヅキ様。不束ふつつかな姉妹ではありますが、どうか今後とも末永くよろしくお願いいたします」


「ミヅキ、おやすみ」


 アイアノアは仰々しいほど深々と頭を下げ、エルトゥリンはそっけない感じの挨拶を残して部屋を出て行った。

 静かにドアが閉まった向こうで、二人の声が聞こえて遠ざかっていく。


「エルトゥリン、やったね! 私、嬉しいっ!」


「姉様、声大きい……」


 やがて声は聞こえなくなって、彼女たちの部屋のドアが閉まる音を最後に、部屋は静まり返り、ミヅキは再び一人になった。


「……ふぅ」


 無言で座った姿勢からベッドに横倒しになり、毛布の匂いを嗅ぎつつもう何度目になるかわからない大きなため息をついた。


──長生きのエルフの言う末永くって、いったいどれくらいの長さなんだ……?


 などと、どうでもいいことを考えながら。

 ミヅキはぼやくように一人ごちた。


「はあ、何だかもう……。しょうがないなあほんとに……。どうせやるんだったら、やるだけやってみるかあ……。はぁーあ……」


 誰も答えることの無い呟きが、個室の静寂に霧散していく。

 ふと、不意に眠気がやってきた。


 朝から刺激的な出来事が立て続けに起こって、ミヅキの精神は疲れていた。

 これが本当の異世界転移なら無理はないだろう。


「……こういうとき、あの言葉を思い出すな……」


 部屋の暗闇を見つめ、感慨深く呟く。

 ぼやける意識の中、甦る記憶の声があったから。


『困っている人がいたら、手の届く範囲でいいから全力で助けてあげなさい。三月の思う通り、力になりたいと思う人たちのために後悔が無いよう動きなさい。それはきっと、最後には三月のためにもなる大事なことだ』


 それは誰から聞かされた声だったのだろうか。

 ミヅキの人生に於いて、大きな意味と影響を及ぼす格言だったと記憶している。


 アイアノア、エルトゥリンと使命を共に果たすこと。

 店の経営に喘ぐパメラ、キッキの借金を肩代わりすること。


 ミヅキの脳裏によぎった声と、これからやろうとしているそれらは自然とリンクしていると思った。


「ふわぁ……」


 大きな欠伸が出た。

 そして、ミヅキは半ば観念して全てを受け容れる覚悟をした。


──まだどうにもむず痒い気持ちは捨てきれないけど、絵に描いたみたいな異世界転移なこのストーリー展開にちょっとは胸が熱くなる。


 ゆっくりと瞼を閉じると、真っ暗な視界に魅力的な登場人物たちが浮かんだ。

 これから始まる異世界生活に思いを馳せると、全然わくわくしないというのは嘘になる。


──タイプが違う綺麗で可愛いエルフの女の子、アイアノアとエルトゥリンの二人と挑むダンジョン通いの毎日。親娘揃って美人のパメラさんとキッキのため、宿の借金を肩代わりして経営を安定させるのが大いなる使命の第一歩だ。不思議な加護の力で、曰く付きのダンジョンを攻略してやる。


 これが現実なら、未だにまとわりつく非現実感は徐々に消えていくだろう。

 はたまたこれが夢なら、肩透かし感は半端ないが後腐れも無くなる。


 顔にあたる、毛羽けばだった毛布が心地よい。

 そんなことを考えていると、ふわふわと眠りの世界へ誘われた。


「……よぉし、やってやる、ぞ……」


 ミヅキは次に目覚めたときを考えながら、そうして意識を途切れさせた。


 束の間の眠りの後に意識を取り戻したのなら。

 異世界のダンジョン挑戦生活が待っているのか。

 それとも現実世界のいつもの朝が待っているのか。


 ただ、ミヅキを待っていたのはそのどちらでもなかった。


『神々の異世界への接続完了・同期開始』



第1章完結です。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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