第237話 雛月の夢
心象の天神回戦試合会場にて、未だに続く三月と雛月の戦い。
弱い弱いと軽んじてきた闇の精霊たちは三月と雛月を包囲し、規則正しく等間隔で並んだ陣形を作り成している。
上に下に幾重にも渡って、黒い星々がずらりと整列していた。
取り囲んだ真ん中の敵に対し、足並みを揃えた一斉攻撃を仕掛ける算段だろう。
「ここは半ば夢で心象の空間だ。三月は息をしたり、手足を動かしたり、ある程度の自由が与えられている。ぼくと仲良しこよしする自由とかねっ?」
「ひ、雛月、お喋りはその辺にしとけって……。敵が仕掛けてくるぞ」
今にも敵の総攻撃が開始されようというのに、雛月は歯を見せてにかっと笑う。
こんな状況でも、まだのん気にお喋りをやめるつもりはないらしい。
「現実世界の三月は空を飛んだり、水の中で息をしたりできるかな? へそで茶を沸かせるかい? 背中とお腹を入れ替えられるかい?」
「……途中から意味変わってなくないか?」
思わず合いの手を入れてしまう自分も相当のん気なことだと思う。
「潜在的に思い込んでる常識はそう簡単に覆せない。現実でできないことは夢の中でも案外できなかったりするもんさ。逆に、当たり前にできることは無意識の内に考えずにできてしまう。例えば、どうやって息をするのを覚えたか、もう思い出せないみたいにね」
と、静かにそう話す雛月の様子がにわかに変わった。
急に手の不滅の太刀をふっと消して手放すと、両手を合わせて合掌する。
雛月が目を閉じると、風も無いのに髪の毛や制服とスカートの裾が揺らめく。
この心象空間の全ての力を結集し、雛月はその中心となる。
「三月、ここは君の夢の世界だ。夢の無い話なんてしても仕方がない。だから少しは夢を叶えてみようじゃないか!」
言うと同時に雛月は閉じていた目を、カッと見開いた。
その瞳は朝陽の黒い瞳孔ではない。
赤、青、緑の光が入り交じった宇宙の星雲を思わせる色。
銀河色の瞳であった。
雛月の変化の直後、闇の精霊たちの総攻撃が始まった。
これまでの単調な体当たりの繰り返しではなく、虚ろな目とおぼしき部分に魔力を集め、これを黒い光線として発射する。
全方位から標的を集中射撃し、蜂の巣にするどころか消滅させるのである。
ピュンピュンピュンッ……!
断続的なレーザー光線発射音が鳴り、おびただしい数の光の筋が三月と雛月に一度に襲い掛かった。
発射と着弾はほぼ同時で、円陣の中心は黒煙を巻き上げて爆発を繰り返す。
もう三月と雛月の姿は見えない。
「これは、まさかっ!」
但し、視界を覆う黒い爆発の中、三月は無傷でいて、目前の状況に驚いていた。
無数の黒い光線は三月に届いていない。
直前に発生している障壁に防がれている。
それはゆらゆらと揺れる光のカーテンで、たな引くオーロラを連想させた。
虹色に輝く柔らかな気流が渦巻き、鉄壁の防御で守ってくれている。
この光のシールドを三月は見たことがあった。
「慣らし運転も兼ねて敵を一掃するよ! まだまだ洞察途中で未完成だけど、ぼくが羨んで止まないあの力を今こそ使うっ!」
オーロラのバリアを発生させたのは、もちろんそう叫ぶ雛月である。
色とりどりのガス雲さながらに、光る目をめらめらと燃やした。
一刻も早く手に入れたいと願う、かの加護の権能を完成途上ながらに使用する。
「対象選択・《ぼくと三月》・効験付与・《洞察途中の星の加護》!」
ここが夢の世界なら、想像が及ぶ事象は概ね実現可能である。
地平の加護がいつか洞察を完了させ、その地平線の上に掲げねばならない力。
その名は、星の加護。
迷宮の異世界の仲間、エルフのエルトゥリンが宿すけた違いの能力だ。
「疑似再現! 星形成、光輝天体っ!」
それは復唱ではなく、雛月自身の咆哮であった。
内側から外側に向けて、凄まじい波動を衝撃と共に一気に拡大させる。
ぶわぁっ、と眩しい光が広がり、闇の精霊たちの光線を全て弾き散らした。
「あははははははっ! なんて出鱈目な力なんだいっ! 流石は星の加護だっ!」
「うおおおっ!? 相変わらずエルトゥリンの力は凄えっ!!」
擬似的に再現された星の加護の光が包むのは雛月だけではない。
地平の加護により、当然のように三月にも同様に星の加護は付与されている。
心身の内からとんでもない力が無尽蔵に湧き上がってくる。
このうえもなく全能感に満たされ、二人は高揚して血湧き肉おどった。
「さあ、ボーナスタイムだよ! 星の加護があれば、ぼくたちだってエルトゥリンみたいなスーパーヒーローになれるんだっ!」
こちらも疑似の天神回戦試合会場の土と砂の地面を蹴り、雛月はロケットが発射されるほどの勢いで飛び出した。
武器は持たず、突進の最中に両の拳を力いっぱい握り込む。
星の加護の破壊力を乗せた、渾身のパンチが炸裂するのである。
ドゴォンッ……! ぱぁぁんッ!
巨大な太鼓でも叩いたような、残響を残す大きく重い音がして、雛月の拳が突き刺さった闇の精霊は破裂して跡形も無く消え去った。
流星殴ち──、流れ星そのものに敵を殴つ剛拳である。
「やぁぁッ……!!」
気合いの声を発し、竜巻さえ起こるかと思うくらい激しく回転する雛月。
その速度のまま身体を捻り、後方に浮遊する複数の敵に回し蹴りを放つ。
ゴオオオオオォォッ……!!
本当にうねる旋風を伴い、星が空を駆けるが如くのキックを一閃させた。
実際に蹴りに当たった闇の精霊は瞬時に消し飛び、後方に居た者たちも吹き荒ぶ突風に打たれてひしゃげて落ちた。
スカートの裾がひらりと回って舞い、雛月はにっと口許をつり上げる。
「まだまだッ! 突っ込むよッ!」
今度は両手を顔の前で交差させ、両膝を折って屈み、力を存分に溜めた。
地面を蹴って爆発めいた砂塵をあげ、身体を真横にして飛ぶ。
闇の精霊たちに意趣返しと言うばかりの体当たりを食らわせる。
ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ……!!
闘気の尾を引き、空間を駆け抜ける姿はまさに彗星であった。
進行方向上にいる全ての敵に身体ごとぶちかまし、あまりの衝撃に当たる先から消えたも同然に爆ぜていく。
破壊の流星と化した、ブレザー姿の女子高生は好き放題に戦場を暴れ回った。
「楽しそうだな、雛月……! よぉし、俺だって!」
三月だって負けてはいない。
夢の中とは言え、今の自分はシキの身体になっている。
人間の身で星の加護の欠片を使い、全身ぼろぼろになったあのときとは違う。
「な、なんだこれ! あのときと全然違うじゃないかっ!」
三月は驚愕していた。
軽く敵陣に踏み込もうとしただけなのに、一瞬で距離が詰まっている。
全てがスローモーションに見える。
なのに自分は好きなように動けた。
「身体が軽すぎるッ! 俺がいなくなっちまったみたいだっ……!」
止まっているのと同じな闇の精霊に、一方的に不滅の太刀で斬りつける。
星の加護による強化の加被対象は武器にまで及ぶ。
ただでさえ切れ味の鋭い刀剣は、さらなる殺傷力を生み出していた。
すぱっ、すぱっ、と柔らかな野菜を切っていると錯覚するほど、切れ味良く鮮やかに黒い星々は真っ二つになっていった。
闇の精霊たちには一陣の風が吹いたとしか思えなかっただろう。
それくらい刹那の間に、三月は多数の対象を斬り捨てていた。
黒い敵は自分がやられたと気付かないまま、ぱんぱんと破裂音を立てて消滅したのだった。
「エルトゥリンは星の加護を使うとき、武器を捨てて素手で戦っていたけど、この不滅の太刀なら壊れずに耐えてくれるかもしれないな」
三月は戦いながら手元の神剣に目を落とす。
通常の武器なら、星の加護からの力の伝達が強すぎて壊れてしまう恐れがある。
エルトゥリンも星の加護を覚醒させたとき、愛用のハルバードを手放していた。
ここは現実の世界ではないのだから、この不滅の太刀が壊れることはない。
いつの日かこの力を物にしたとき、一緒に活躍してくれるだろう太刀を思う。
「はあああああああああああああああぁぁぁッ……!!」
三月と雛月の雄叫びが、戦いの喧騒が、無観客の試合会場に轟き続ける。
二人は双つの流れ星になっていた。
闇の精霊が織りなす暗黒星雲を突き破っていく光の双子星である。
最早、黒い敵たちはやられる一方で、主よりの命令を遂行することは叶わない。
「逃がさないぞ! 片っ端から撃ち落としてやる!」
上空を見上げる声は三月のもの。
明らかな劣勢になった闇の精霊たちは、とうとう空へこぞって逃げ出していた。
敵はまだまだ多く残存していて、瞬く間に金色の全天は黒一色に染まった。
三月は上へと逃れる敵たちへ猛烈な追撃を仕掛ける。
「えぇと、この技、名前あるのかな──」
「──星屑撃ちだよ。さぁ、ぶっ放すんだ! 三月っ!」
いつの間にか後ろに来ていた雛月がぽんと肩を叩く。
雛月の助け船と共に、広大な擬似的試合会場の地面表面中に光が溢れ出した。
それは球状の無数なる光の弾体であった。
三月と雛月を中心とし、加護を宿す主に従い──。
容赦無く敵を打ち砕く破壊の弾丸が、ざぁっと地面を埋め尽くし、隙間の無い方円陣を組んでいた。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ……!!
圧倒的なまでの一斉攻撃が開始された。
数え切れない光の弾丸が空に向かって解き放たれ、逃げていく敵の背を無慈悲に貫いていく。
後から後から止めどなく、撃滅の星屑群が打ち上がり続ける。
心象空間に満天の星空が広がり、ど派手な天体爆発ショウを繰り広げた。
「ふん! 苦しまぎれの悪あがきか!」
まばゆい光を受けながら雛月は鼻を鳴らす。
連続した爆発が起こる空で、闇の精霊は最後の反撃を試みようとしていた。
身を引きちぎる爆発を避けて、生き残りたちが集まり、合体し、一つの巨大な塊に変じている。
見上げる上空を大きな闇が覆い、三月と雛月の居る地表に影を落とした。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
質量を大幅に増し、星屑の弾丸を食らいながら、黒く巨大な塊は轟音を響かせて下降を開始した。
真下に居る標的を押し潰し、せめて道連れとするために。
雛月は三月のすぐ隣に立ち、その腰に手を回して身体を密着させた。
「三月、一緒に撃とう! これこそ、星の加護の真骨頂だっ!」
「マジかよっ!? これって、目から撃つ、あれだよな……!?」
そして、雛月はそう言い放ち、顔をぐいっと上に向けた。
右目を閉じて、左目を見開く。
三月もそれに習い、左目を瞑って震える瞳の右目で空を仰いだ。
「対象選択・《ぼくと三月》・星の加護より技能再現・《星芒閃、星明かり》!」
体内に充足している星の加護の力が、瞬時に頭部に集中してくるのがわかる。
熱い光が発射口を求めて開けた目へと流れていく。
眼球が乾くほど熱い。
もう留めてはおけない。
ビカッ……!!
心象空間を真っ白に染め上げる、二筋の光が発生した。
光は極太の奔流であり、三月と雛月の目から発射されたものだ。
超高エネルギーを束ね、瞳をレンズ代わりに極大出力で撃ち出す閃光。
星の加護必殺の生体レーザー砲である。
大出力の光線は二柱の柱のように立ち上がり、黒い空に二つの大穴を開けた。
合体した闇の精霊はいとも簡単に貫通され、開けられた穴から全体に渡って尋常ならない高熱が伝わっていく。
ボコボコボコッ、と黒い全身に、黒い泡が湧いて見えた。
次の瞬間、伝播した高エネルギーに耐えきれず、闇の精霊の集合体は内側から大爆発を起こしてばらばらに四散するのであった。
ドバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァンッ……!!
破れた布の切れ端にも似た破片と化した闇の精霊がひらひらと舞い落ちる。
もうそれらは動くことはなく、やがて霧散して全部消えてしまった。
あれだけ居た襲撃者たちは、今やただの一体も残っていない。
三月と雛月の勝利であった。
「……どうだい、星の加護を使いたくなったろう? これこそが地平の加護の最高戦力、切り札となる力だ。本当に、なるべく早く洞察を完了させようね」
「確かにな……。この力さえ使いこなせれば、異世界渡りとタイムリープをするに当たっての決定打に成り得るな……! 次にエルトゥリンに会ったとき、どうにかできないか頑張ってみるか」
敵の撃破を確認し、二人の星の加護による覚醒状態は解除された。
銀河色から普通の黒の目に戻った雛月は、三月の前のめりな姿勢にうんうん、その意気だと満足そうにしていた。
と、雛月はちらりと金の空を見やった。
外敵を撃退したが、この敵たちを送り込んできた親玉は未だ健在である。
いや、健在どころか、本気を出していないうえ、まだまだと余力を残している。
三月に聞こえないくらいの小声で、ぽつりと呟くのであった。
「さて、とりあえず危機は去ったけれど、お次はどう出るつもりだ。……夕緋め」




