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第234話 標的は地平の加護


「……三月が意識を失ったら、部屋に居た何かがいなくなった?」


 神水流夕緋かみづるゆうひは、油断なく目を左右にやりつつ呟いた。


「フィニス、来て」

「あいよ」


 三月のアパートの部屋、時刻は午後8時過ぎ。

 何も無い空間に向かって夕緋が呼び掛けると、気安い返事が返ってきた。


 すぅっと実体を現すのは、耳が異様に長く、銀色の長い髪の長身の女。

 胸の大きく開いた黒衣と、同色のレギンスを身に付け、土足で立っている。


「見てたよ。大した演技だったな、涙は女の最強の武器だ」


 くっくっくっと含み笑う、ダークエルフ、フィニスである。


「演技じゃないわよ。この涙だって本当なんだから」


 目元に指をやり、涙を拭う夕緋はじろっとフィニスを睨んだ。

 流した涙は偽物ではなく、思い出した辛さ悲しさが流させた本物の涙だ。


「悪い悪い。で、どうするんだ、夕緋?」


 軽い感じで悪びれると、フィニスは視線を落とす。

 見ている先は夕緋の両膝の上、気を失った三月の苦しげな顔だ。

 どうする、とは夕緋に眠らされた三月の対応についてである。


「三月の魂にくっついてる()()を取り除いて」


 迷い無く夕緋は言い放った。


 夕緋はもう地平の加護、及び雛月の存在に気付いている。

 異物と称するこの何かの詳細はわからず、正体も不明だがそんなこと関係無い。


「フィニスにしか頼めないの。八咫やただと魂ごと壊してしまうから」


 余計で不要なものは早い内に除去しておくに限る。

 そうすれば、三月だって下手な考えを起こしはしないだろう。

 夕緋はそう考え、その道の専門家に迅速かつ安全な処置を依頼する。


「確かにな。坊やの精神を傷つけずに、取り憑いた何かを取り除くには繊細な術が必要だ。はっ、八咫にはそんな細かい芸当はできねえな。あいつは物を壊すくらいしか取り柄がねえ」


 視線だけを横に動かし、何も無い空間を見やってせせら笑う。


「聞こえているぞ、愚か者めが」


 すれば、部屋に聞き苦しい重い声が響き、ぐにゃりと空間が歪んだ。


 きっと初めからそこに居たのだろう、青白い肌のひょろ長い男が姿を現す。

 白い蜘蛛の巣の柄の着物から覗く裸足の爪先が、フローリングの床を掻き掴んで立っていた。

 蜘蛛の禍津日ノ神(まがつひのかみ)、八咫であった。


「聞こえるように言ったんだよ。悔しかったら、夕緋に頼られるような特技の一つでも身に付けておくこった」


 フィニスは薄く笑い、遠慮無しの嫌味を八咫に言う。

 異世界からの来訪者同士とはいえ、二人の仲は犬猿であるようだ。


「ふん、そのような面倒をせずとも殺してしまえばいい。黄泉よみがえりの小僧からは日和と夜宵の気配を感じる」


 ただ、八咫はそんなフィニスを相手にせず、意識の無い三月の顔を殺気を込めた目で見下ろしている。

 神巫女町から三月が脱出する際、八咫は敵対する女神の存在を感じ取っていた。


忌翔きしょう怨球おんきゅうを退けたときの魂はシキによく似ていた。もし、彼奴きゃつら女神のシキならば、生かしておく理由は無い」


 神々の世界と馴染み深い八咫にとって、それは未来永劫変わらないことわりである。

 シキは神の眷属であり、日和や夜宵に属するシキならば八咫の敵でしかない。

 不倶戴天ふぐたいてんの敵同士の間柄は、三月にも当てはまるのである。


「駄目よ! 八咫、三月を殺すのだけは絶対に駄目!」


 夕緋は声をあげた。


 部屋を満たした八咫の殺気を吹き飛ばす。

 この場において、三月の命を守れるのは夕緋だけだ。


「三月の中にある力の源を除去すればもう何もできなくなる。それで充分よ」


 両腕の中に三月の頭を抱え込んで庇い、八咫を強い視線で睨み返す。


 無理やり眠らせてまで標的にしたのは、あくまで三月の中の不可解な何か。

 それさえ取り除いてしまえば、或いは女神様の試練から解放してあげられるかもしれない。

 思い通りにしてくれない三月が、素直で従順になってくれるかもしれない。


「──神巫女町から逃げ出す三月は誰かと何か話してた。周りに誰かが居た気配は無い。だけどあれは独り言じゃないわね」


 再び手元の三月の顔に視線を落とし、あのときのことを思い出している。

 黒龍の眼を通して、逃亡劇を繰り広げる三月の様子をつぶさに窺っていた。


 当時、極限状態にあった三月が正常に思考できていたかは定かではないが、独り言を喋り続けていたとは考えにくい。


「あの耳長の巫女二人と日和様以外に、三月に協力してる存在が居る。それがこの心に取り付いているもので間違いないわ。だからフィニス、お願い」


 夕緋は第三の協力者が居ると断定した。

 それは三月の中、精神の中、脳の中に寄生している何かである、と。


 夕緋の訴える目を見下ろし、フィニスは鼻を鳴らす。


「多少は使えるようだけど、こんな冴えない奴が夕緋の男とはね。こいつに夕緋がそこまで尽くす価値はあんのかい? なんせ、嘘をついたり、隠し事をしたりするろくでもねえ野郎だからな」


 吐き出す言葉は三月を軽んじ、揶揄やゆするものだ。

 取るに足らない人間の男が気に食わないのだろうが、三月を罵れば見上げている夕緋の顔が険を帯びる。


「フィニス、口には気をつけなさい。冴えない奴だとかこいつ呼ばわりは許さないわよ。ろくでもないところがあっても、私の将来の旦那様なんだから」


 じろりと夕緋が睨めば、部屋の空気が凍り付いて重くなった。

 そのあまりの迫力には、調子に乗って軽口を叩いていた魔女も顔を引きつらせてたじろぐ始末であった。


「う、すまねえ、夕緋……。それじゃあ、ミヅキって呼ぶよ……」


「呼び捨て? 馴れ馴れしいわね」


「どうしろってんだよ……?」


「ミヅキでいいわ。特別よ!」


 短くため息をついて、夕緋は目を閉じて首を横に振る。

 異世界のダークエルフとはいえ、女性に三月の名前を直接呼ばれるのには、嫉妬心を駆り立てられるがこの際仕方がない。

 夕緋は鼻息荒く、不機嫌にもう一度フィニスを睨むのであった。


「そ、それにしたってよぉ──」


 厳しい視線から逃れるように話を逸らそうとするフィニス。


「ミヅキの中に居る何かも謎だけど、夕緋の故郷で接触してたエルフの正体も結局わからずじまいだ。夕緋がとにかく速攻でばらばらにしちまうもんだからもう調べようがない」


「うっ、それは……」


 しかし、フィニスが苦し紛れに言い出したことに、逆に今度は夕緋が言葉を詰まらせる。

 思わぬ失態を指摘され、夕緋にしては珍しい狼狽の様子を見せていた。


「まあ、少なくとも次元を越えられるエルフに知り合いはいねえがな。ともあれ、何をそんなに慌ててたんだか……」


「だ、だって仕方がないじゃないっ。三月があんなにも綺麗な女の人と会ってるのを見ちゃったら、いても立ってもいられなくなって、それで……」


 三月を襲撃した当時、真っ先にアイアノアを狙ったのは、冷静に状況を見定めたからではない。

 単に三月が会っていたのが女性だったから、というのが理由だったなんて今更恥ずかしくて言えやしないのであった。


「やれやれ、いつも抜け目ないくせにミヅキが絡むとすぐにこれだよ。まったく、夕緋は可愛いな」


「うるさいな、もう……」


 くくくっ、とせせら笑うというより、からかい気味にフィニスに笑われ、夕緋は顔をぽっと赤らめる。

 三月の眠る顔に視線を落とし、小さい声でもにょもにょと漏らした。


「三月ってエルフとかそういうの好きだったじゃない? しかも、巫女装束みこしょうぞくを着てただなんて、三月の好みど真ん中なのもいいところよ……」


 三月は夕緋と朝陽の巫女装束姿をとても気に入っていた。

 隙あらば巫女の格好を褒めてくる三月に、夕緋も頬を緩めていたものである。


 しかし、思わぬ目移りの対象の出現に戦々恐々としてしまう。


「それに──」


 不安な要素はそれだけではない。


「異世界の人たちって、揃いも揃ってルックスがいいから気が気じゃないの……」


 曇ったまなこで、そばにそびえ立つフィニスの顔を見上げながら呟く。

 夕緋が抱えるのは、いつか三月も感じていた同じ悩み。


「……600歳を越えててその綺麗さは反則よ……」


 思わずぼやいてしまうのは、現実離れした異世界の女性の麗しさが理由だ。


 人間ならとっくの大昔に老衰で亡くなる年齢でも、ダークエルフたるフィニスの美貌は未だに健在であった。

 粗暴そうな雰囲気を漂わせていても、整った顔立ちのクールビューティなうえ、きめの細かく張りのある褐色肌の肉体は鍛え抜かれていて美しい。


 そろそろと三十路みそじを迎えてしまう夕緋にとって、このフィニスは何とも身に染みてこたえる身近な比較対象なのであった。


「なにか言ったか?」


「何でもないわよ! さっさと始めてちょうだい!」


 無頓着なフィニスの顔に、夕緋は噛みつくくらいの剣幕でまくし立てた。

 自覚の無い美しき魔女には、人間の女性の悩みなど理解できるはずもなく。


「お、怒るなって。……じゃあ、始めるぞ」


 眉をひそめるフィニスは股を開いて屈むと、指先を三月の頭に伸ばした。

 鋭く尖った爪で額にちょんと触れ、何事かを小声で呟くみたいに詠唱する。


 すると、フィニスの身体から腕を伝い、黒いモヤモヤが三月の頭の中へと侵入していく。


「本当に大丈夫? くれぐれも慎重にね……」


「わかってるよ。任せとけって」


 膝の上の三月を大事そうに抱える夕緋の顔には心配の色が浮かんだ。

 フィニスはあっけらかんとして、さも簡単そうに答える。


同然の微弱な闇の精霊を頭ん中に入れて、夕緋の言う異物をかじり尽くしといてやるよ。夢魔むまやら悪魔憑あくまつきを払い落とすのと同じ要領だ」


 エルフやダークエルフにとって、精霊はとても身近な存在である。

 仲が良かったり従えていたりと、精霊を扱う精霊使い(シャーマン)としての素養が高い。


 中でもフィニスの力量は段違いで、族長のイニトゥムをも凌いでいたとも。

 魔物の軍団を統制し、イシュタール王国を相手に戦争をしていた戦乱の魔女の名は伊達ではない。


 フィニスは精霊を介して人や魔物の感情、行動を意のままに操る。

 そんな精神操作のエキスパートを夕緋も頼りにしていた。


「三月、大丈夫よ。フィニスに任せておけばあなたを解放してあげられるから」


 かくして、おかしな関係性を垣間見せる夕緋たちの攻撃が始まる。

 狙いは三月の深奥に潜む地平の加護そのもの。


 腕の中の三月の頭を撫でて、夕緋は優しげに微笑みを浮かべるのであった。



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