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第23話 真夜中の訪問者

「熱ッちぃ……!」


 ミヅキは宿の自室でひとり声をあげた。

 あれからややあって、少し後のことである。


 銅製の洗面器になみなみと入ったお湯が思ったよりも熱った。

 反射的に引っ込めた手をぷらぷらと振っている。

 リネン製っぽい布巾を、ちゃぷちゃぷと温水に浸してぎゅうと絞る。


「はぁ、いい気持ちだ……」


 上半身裸になって、ほかほかの布巾で思いつくまま身体を拭いていく。


 この辺りの気候は暖かいほうだが、夜はそれなりに冷えるようでお湯で温めた布巾を身体に当てると何とも心地よかった。

 しかし、ミヅキは物足りなさも感じる。


──やっぱり風呂は無いよなぁ。お湯で濡らした布で身体を拭くのが一般的なのかな? シャンプーは無いにしても、頭は洗わんもんなのかな……。


 中世の世界観に忠実で、このファンタジー世界でも湯に浸かる入浴の概念は薄いのかもしれない。


 古く中世でも入浴は主に朝に行い、温水ではなく冷水を用いていたそうだ。

 しかも水浴びとはいっても、洗顔と洗髪だけで済ますのが通例だったとか。


 そんなことを思い出しつつ、ミヅキは温かい布を首に巻いて一息をついた。


「……ふぅ」


 自室に戻る前、パメラに呼び止められたのを思い出す。

 その時の彼女の顔には、気まずそうに恥じ入る感情が表れていた。

 借金やギルダーとのことは、あまり知られたくない事柄だったのかもしれない。


「ミヅキ、さっきのことは気にしなくていいからね。後でギルダーにはちゃんと言っておくから、真に受けちゃ駄目よ?」


 しっかりと手を握られ、パメラは言い聞かせる口調で言った。

 ミヅキに借金の肩代わりをしてもらおうとも、させようとも思っていない。

 最初からこれは自分たちの問題で、無関係な居候は付き合う必要などない。


「ミヅキは配達とかのお仕事を手伝ってもらうだけで十分よ。だから、借金のことは忘れて──」


「大丈夫、任せて下さいよ、パメラさん!」


 しかし、パメラの気遣いを遮り、ミヅキは努めて明るい声をあげた。


「俺、こう見えて選ばれし勇者らしいんで。ちょっくらダンジョンに潜って、小金を稼いで借金返すことくらい余裕ですよ、多分!」


 ちらりと後ろを振り向く。

 キッキに案内され、部屋に向かうアイアノアとエルトゥリンに視線を投げる。


「エルフのお姉様方も一緒に行ってくれるそうなんで心配は要りません。まあ、どうにかしてみせますって!」


 ミヅキの目配せを受け、アイアノアはにこやかな笑顔で応え、エルトゥリンは怪訝そうに眉をひそめていた。


「それに……」


 目線を戻し、パメラの物憂げな琥珀色の瞳を真っ直ぐと見つめた。


「覚えてなく申し訳ないですけど、パメラさんには俺を拾ってからの長い間、世話をしてもらった恩もあるし、ライオンの旦那にも威勢よく約束しちゃったんで」


「ミヅキ……」


 口を挟まず聞いているパメラに、ミヅキはふんと鼻を鳴らした。


「どたばたの成り行きだったけど、こうなったらもう引き下がれない! パメラさんさえ迷惑でなければ、ちょっと俺にやらせてみてはもらえませんかね?」


 不敵に笑うミヅキを見て、パメラは複雑な表情でため息をついた。


「もう、急に男の子の顔しちゃって。本当、記憶喪失だったときが嘘みたいね」


 そうして、困った風に眉根を下げ、顔をほころばせるのだった。


「──ふふっ、わかったわ。好きにして頂戴。どうせ言っても聞かないんでしょ? でも、駄目そうなら駄目でいいからね? 絶対に無理はしちゃ駄目よ?」


 半ば諦めた風でパメラは言った。

 男の子のやんちゃを微笑ましく見守る眼差しは母親ならでは。

 しっかりと自分の意思と考えを主張するミヅキを否定しなかった。


「任せて下さい! パメラさんのお悩みは、不肖勇者のこの俺がきっちりと解決してみせましょう! 借金返済どころか、大金持ちの左うちわな毎日を約束します!」


 気を良くしたミヅキは胸をどーんと叩き、高らかに宣言するのであった。

 と、それがさっきまでの事の顛末である。


「……我ながら調子よく大きく出たもんだ」


 薄暗い部屋のランタンの光に照らされ、洗面器の湯に自分の顔が映っていた。


 懐かしい幼少の時分を思い出し、ミヅキの口角は少しだけ上がっている。

 異世界の他人ながら、パメラの中に母親の面影を感じた。

 故郷を出て都会で一人暮らすミヅキには、何か思うところがあったのだろう。


「ふぅぅー……!」


 もう一度、今度は長めのため息をつき、ミヅキは思い返していた。


──込み入った事情に首を突っ込むお許しを得て、パメラさんから借金の内訳をかいつまんで教えて貰った。流石に正確な金額までは聞けなかったし、そもそもこの世界の金銭感覚がよくわからなかったけど……。大まかにはこの宿の店舗の修繕費と家具代で、後は客足が遠のいたパンドラ異変後の売り上げの補填だった。


 具体的な金額を聞いても、この世界の経済事情がからっきしなのだから、ミヅキにはどのくらい重い借金なのかはわからない。

 それに加えて──。


──ありがちな高利が付いているのかと思いきや、それはそんなでもないとパメラさんの口ぶりが語っていたな。その辺りの金回りの事情は、ギルダーのというより商工会としての思いやりかポリシーかな。兎も角、パンドラ異変時に多額の借金を背負う事態に陥ったって話だ。


 パメラははっきりとは語らなかったが、借金の利子の返済で商売が回らないとはならなかったようだ。

 ならばと、借金をしなければいけない事態になった原因について考える。


──どうしてダンジョンがおかしくなったときに、借金しないといけないような大金が必要になったんだ? 多分、何か大変なことがあったんだろうな……。


 何があったのか未だ不明なパンドラの異変。

 ダンジョンの様子がおかしくなったとされるそのとき、どうやら何かが起こった。

 その何かが原因で冒険者と山猫亭に被害が出たとするなら、その損失を生んだ事態とはいったい何だったのだろうか。


──あのドラゴンみたいなやばいモンスターが溢れ出て、街が被害を受けたってことか? その頃からやけにモンスターが強くなったそうだし……。


 最初に思いついたのは今日遭遇したあの強大な怪物、レッドドラゴンのような魔物の襲撃だ。


 しかし、キッキの話によれば、客足が遠のいたのはモンスターが浅い層でも強力になった後の話だったし、あんなドラゴンのようなモンスターたちが街中を蹂躙したのなら、被害はもっと甚大なものになりそうだ。


 それこそ、この街が滅亡の危機に瀕するほどの被害を被るだろう。

 ガストンら兵士たちの警備能力や被害の受け方からすると、今回のようにミヅキたちがレッドドラゴンを撃退できたのは稀有な例だったに違いない。


 となれば、パンドラの異変はもっと単純なことに思えた。


──ダンジョンで異変が起こったってことは、地下で何かがあったんだ。地面の下で起こって、街に被害が出るような異変って言ったら……。それは多分──。


 ダンジョンがもたらした被害といっても、害意ある攻撃だったとは限らない。

 パンドラの異変とは、意思無き自然災害であった可能性がある。

 それは、地震や火山活動といった地殻変動の類の広域災害だ。


 災害に見舞われるトリスの街を想像し、ミヅキは陰鬱な気持ちになった。

 酸っぱいものが込み上げてくるほど胸焼けを感じる。


「はぁぁぁぁー……」


 今までで最も長いため息をついて、頭をぶんぶんと振った。

 気を取り直し、今度は先ほどこの銅製の洗面器にお湯を運んできてくれたキッキとの話を思い出す。


「お湯、ここ置いとくな。今日もいっぱい汗かいたろ? 身体、拭いとけよー」


「ああ、ありがと」


 ベッド脇のナイトテーブルにお湯一杯の洗面器を軽々と置く。

 と、キッキはそのまま立ち去ろうとせず、何かを言いたげにベッドに座るミヅキをじっと見つめていた。


「なぁ、ミヅキ。さっきの話なんだけど……」

 両の猫耳を横に立てて、もじもじしながら手を後ろに組んでいる。


「本気なのかよ? ママやあたしに代わってうちの借金を返すだなんてさ……。居候してる恩があるからって、いくら何でもそこまでしなくたって……」


 キッキの上目遣いの顔にあるのは、期待半分不安半分の感情。


「本気だよ。さっきパメラさんに言った通りさ。──キッキは迷惑か?」


「め、迷惑なんかじゃないよっ! ミヅキがギルダーにあんな風に言ってくれて、その、嬉しかったし……」


 即答するミヅキにキッキは尻尾をぴんと立てた。

 両の猫耳をぺたんと横に寝かせ、本当の猫みたいに喜んでいる。


「んん、だけどそんなに甘えちゃっていいのかなぁって……。ミヅキは本当は勇者で大事な使命があって、借金返済なんてしてる場合じゃないだろ……」


 地平の加護の凄い能力を目の当たりにし、ドラゴンから命を助けてもらったことで、キッキはもうすっかりミヅキを勇者だと信じているようだ。

 おとぎ話の中の存在でしかない勇者に、自分の家の事情を押し付けていいものかと抵抗を感じている様子でもあった。


「いいのいいの! あ、そうだ、そんなことより──」


 ミヅキは大げさに頷くと話題を変えた。


 勇者の使命とやらは一旦置いておいて、今はこちらの問題のほうが大事だ。

 やると決まった以上、まずは情報を収集して現状の把握を始めていく。


「朝からずっと気になってたけど、パンドラの異変って具体的にどんな感じだったんだ? 魔物が凶暴化したって言ってたけど、他にも何かあったんじゃないか? 街が被害を受けるような大変な事とかさ」


 その質問にキッキは明らかに驚いた様子だった。

 そして、渋い顔をして目を伏せ、あらぬ方向を向いた。


「あー、その話ねー……。そっか、借金のこと考えたらそこ気になるよな……」


 夜の窓を眺めるキッキの目は遠く、隠しようのない憂いを帯びていた。


「あのときのことはあんまり思い出したくないんだよな……。あたしも今よりもっと小さかったし、悲しいこともあったしさ……」


 曇った顔でぽつぽつと話すキッキを見て、ミヅキも思い出していた。

 パメラに迫るギルダーに、キッキがぶつけた必死な叫びの声を。


『出てけよっ! お前の助けなんか要らないっ! ──ここはっ、ママとあたしと、パパの店なんだっ……! 絶対に、絶対に誰にも渡さないんだからなっ!!』


 キッキのパパ。

 当然居るはずの彼女の父親。

 十中八九、その存在は10年前に起きたパンドラの異変に関係している。


「聞いていいかどうかわからんけど……。それってもしかして、キッキの親父さんに関係ある話か? 話せる範囲でいいから聞かせてもらってもいいか……?」


 本来は部外者が立ち入るべきではない繊細な話題だと思うものの、ミヅキは慎重に切り出した。

 一瞬の沈黙の後、顔を上げたキッキの顔は力無くも笑っていた。


「そんな気ぃ遣わなくていいってば。うん、パンドラの異変はあたしのパパに関係ある話だよ。そりゃあもう大変だったんだからなっ」


 その声と態度は気丈にも明るい。

 もうそれは、ある程度にキッキが乗り越えた過去の出来事である証拠だった。


「でもさ、その話、話すと結構長くなるんだ……。だから、今日はもう勘弁してよ。また今度話すから」


「あ、ああ、うん、ごめんよ。キッキが話せるときでいいからさ」


「謝んなって! 別に、もうそんなんじゃねーんだからっ。ミヅキのばーか!」


「そっか……」


 舌を出して可愛らしく悪態をつき、身を翻してキッキは部屋から出て行った。

 ミヅキもそれ以上を追求しようとは思わなかった。


「あ、お湯は使ったら、そのままでいいから廊下に出しておいて」


 思い出したように、キッキがもう一度ドアの陰から顔を覗かせる。

 言い残して今度こそ本当に部屋から立ち去っていった。


「うーん……」


 再び静寂の部屋でミヅキは一人になった。


 また布をお湯に浸して絞り、身体をぐいぐいと拭き直す。

 さっきより若干ぬるま湯になっていて、空気が肌にひんやりと涼しく感じた。


 次に思い浮かんだのは、アイアノアとエルトゥリンの顔。


──あのエルフの姉さんたち。目立ちたくないって言ってたくせに、自分たちから俺が勇者だの神託の使命だのひけらかしてたな。まったく隠す気無いじゃないか。


 兵士のガストンに、自分たちとミヅキのことは秘密にしておいて欲しい、と言い含めていた矢先のこれである。

 かなり行き当たりばったりな印象だ。


──どうあがいたって俺をダンジョンに引っ張り込みたいようだけど、借金のことはどう思ってるんだ? 一緒に返してくれるのか?


 神託だかで使命を果たすのが至上目的のようだが、そちらを優先されてこの宿屋のことを蔑ろにされても困る。


──見事にしてやられた訳だけど、あんな上等を決めてくれたんだ。こうなったら、借金返済もついでに手伝わせてやるぞ……!


「いっひっひっひ……。散々こき使ってやるから覚悟しとけよ……。わがままで悪いエルフにはお仕置きが必要だ。ついでにあんなことやこんなことを──」


 こうなったら一緒に債務者として頑張ってもらおうと画策する。

 言うことを聞かなければ、使命を盾にしてどうしてやろうかと妄想も捗った。


「どうしても使命を果たして欲しいなら、俺の言う通りにするんだなぁ!」


「ふわぁん、ミヅキ様ぁ。どうかどうか、それだけは堪忍して下さいましぃ……」


「くっ、ゲスな人間め……! でも、仕方がない。使命は絶対だもの……」


 悪い顔で笑うミヅキが見下ろすのは、ベッドに仰向けに寝そべるアイアノアとエルトゥリンの無防備な肢体。

 何故か二人とも、縛られて拘束されている訳でもないのに無抵抗になっていた。


「二人とも、形の良い立派なモノを二つも持ってるじゃないか。じっくりたっぷりと楽しませてもらおうか。くっくっくっ……」


 色っぽく身をよじる二人の傍らに迫り、ミヅキは手指をわきわき蠢かせる。

 姉妹揃って豊満に張った胸でも見ているのかと思いきや。

 カッと目を見開き、邪な欲望を勢いよく口に出した。


「──その可愛らしいエルフの耳を触らせてくれぇッ!」


「イヤー! おやめになってぇー! 耳だけにー!」


 エルフに出会えた興奮と、してやられて情緒不安定になった精神状態。

 それらはおかしな妄想と願望をミヅキに抱かせていた模様であった。

 と、そんなとき。


「──あのう、ごめん下さいましぃ」


 コンコン、と突然ドアがノックされ、ミヅキは飛び上がって驚いた。

 うひぃー、と情けない声をあげて振り向いたドアの向こうに居るのは妄想の被害者その人である。


「ミヅキ様ぁ、まだ起きてらっしゃいますかぁ……?」


 おずおずとした様子の、くぐもった声の主はアイアノアだった。

 妄想はともかく、良からぬ独り言を聞かれてはいないだろうかと、ミヅキの心臓はばくばく脈打っていた。


「あ、ああー、起きてるよ……。な、何か用……?」


 答えながら、脱いでいたシャツを慌てて着直した。


「少し、お話をさせて頂いてもよろしいでしょうか……?」


「ど、どうぞ……。鍵は掛かってないから」


 ミヅキの返事を待ってから、ほどなく遠慮がちにドアが開く。

 部屋の外に立っているアイアノアは、とても緊張した顔をしていた。


 ゆっくり一歩を踏み出して部屋の中へ入ってくると、ミヅキが腰掛けているベッドの近くまでやって来る。

 アイアノアは異邦の女性を思わせ、見上げる長身の顔の位置は高い。


「あ、あのぅ……」


 さっきとは打って変わり、おどおどしてミヅキと視線を合わせられず、身の置き所が無さそうに下を向いている。


 茶褐色の外套を脱いでおり、ノースリーブの衣服から白い両肩と二の腕が丸見えになっていて、豊満な女性的ラインがくっきりと見て取れた。

 膝下までの編み上げブーツも脱いでいて、宿屋の楽な部屋履きに履き替えており、すらっとした脚線美が露になっている。

 何ともはや、いちいち美しく目を奪われてしまう。


 しばらくそのまま黙っていたアイアノアだったが、意を決して口を開いた。

 ぐっと瞳を閉じた後、思い切ったように大声で言った。


「ミヅキ様っ! もっ、申し訳ありませぇん!」


 それは、頭突きをするくらいの勢いで頭を下げる謝罪の言葉だった。



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