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二重異世界行ったり来たりの付与魔術師 ~不幸な過去を変えるため、伝説のダンジョンを攻略して神様の武芸試合で成り上がる~  作者: けろ壱
第6章 現実の世界 ~カミナギ ふたつ~

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第221話 地平の加護の暴走

 三月の決死の逃走劇は道半ばである。

 落ちた橋のたもとで身体を仰向けに投げ出し、体力の限界を迎えていた。

 せめてまた走り出せる気力が回復するのを信じて。


「はぁ、はぁ……。はぁ、はぁ……」


 息を吸ったり吐いたりするだけで苦しい。

 そうしてしばらくの間、幻聴の如き喧噪を聞きながら、筋肉の硬直が解け、息が元に戻るのをじっと待っていた。


 と、そんなときであった。


「ぅあッ!?」


 三月は短い悲鳴をあげた。


 それは突然のことだ。

 三月が偶然に身を隠している橋の下。


 その直上、中程で落ちた橋板から。

 真下に寝転んでいる三月の顔を目掛けて。

 何か粘着性の高い、半透明などろりとした塊がまともに降ってきた。


「……ごぼッ! ……ごぼぼッ!?」


 べしゃっとバケツの泥水でも被せられたかと思った。

 声をあげる間もなく、鼻と口をヘドロめいたどろどろで塞がれ、呼吸がまったくできなくなる。


 ぬるま湯の水飴にでも捕まったかのような感触が顔を包み、過去に川で溺れた時のトラウマが甦る。

 息が出来ないうえ、視界も奪われてパニックに陥った。

 何が起こったのか三月にはわからなかったが、これはまたしても魔物の襲撃だ。


 粘性の高い不定形の身体を持つ液状軟体怪物、スライムの襲来である。

 物理攻撃に強い耐性があり、大量の炎や強い電流でなければ効果は薄く、単細胞なのか群体なのか生物としての区別もあやふやで始末に悪い。

 湿地や暗所を好んで潜み、気付かれないように頭上などから獲物に覆い被さって窒息させる。

 後は酸性の体液でゆっくりと溶かして食事をするのである。


「……ぐぶっ……! ……っ!」


 三月はまさに今、スライムに捕食されている真っ最中であった。

 必死に顔にまとわりついた粘体を引き剥がそうとしたり、引っ掻いて傷つけようとしたりするが、まるでスライムが取れる気配がない。


 それどころか、口を無理やりこじ開けられて喉の奥に粘液を押し込まれる。

 周りに助けてくれる仲間がいない状況で、スライムにこうも取り付かれては詰みである。

 窒息させられるのは避けられない危機的状況であった。


「……」


 もがく手に力が入らなくなってきた。


 世界を救おうと勇む気持ちは一丁前だが、戦う力は半人前以下である。

 人間の三月は弱い。

 何の力も持たない、ただの人間の三月は弱いのだ。

 今際いまわきわに思うのは、さっき自分が口にした弱音であった。


──地平の加護が無いと……。仲間がいないと、俺は無力だ……。誰か……。


 誰かに助けてもらいたかった。

 しかし、助けを求める声は魔物に口を塞がれて出ない。


 朽ちた橋の下、草むらの片隅で三月は一人で死んでいく。

 重大事の使命を受け、仲間の犠牲に生かされながらも、こんなところで志半ばにみじめな最期を迎えてしまう。


──こんなことになるんなら、夕緋の言いつけをちゃんと守って、もう無くなっちまった故郷になんか帰らないで、家でおとなしくしてたほうが良かったのか……。不幸な運命には目を瞑って、全部忘れて夕緋と二人で身を寄せ合って、そうやって二人で生きていく人生だって充分魅力的だったんじゃないのかな……。


 思えば思うほど、後悔ばかりが募った。

 弱い自分の勇み足では何もできはしないのか。


 脆弱な人間である以上、弱いなりの臆病な生き方で満足すればよかったのか。

 今も昔もこれからも、献身的な夕緋に世話を焼いてもらって、日々安寧(あんねい)と暮らしていければ幸せだったのだろうか。


──いいや、今の俺は知ってしまった。異世界を渡り、使命を果たして過去を改変する。そうすれば故郷を、親父やお袋、朝陽を救うことができるんだ。だからもう何もせずに諦めるなんてのは、無理な相談なんだっ!


 三月は潰れそうになる心と、今にも消えそうな自らの命に克己こっきする。

 願いを叶えたい。

 失われた世界を、家族を、恋人を元通りにする願いを。


 駄目元で願う。

 ただの人間に過ぎない自らを忘れて願う。

 異世界では当たり前のようにできていたことを願う。


 命も魂も捧げる決死の覚悟で、この身はどうなっても構わないと全霊で願った。

 応えてくれるのは神か、それとも或いは──。


『対象選択・《人間の三月》』

『効験付与・《レッドドラゴン・ファイアーブレス》』


 馴染み深い、聞き覚えのあるその声がどこからともなく聞こえてきた。

 ──その刹那。


「……がッ!?」


 頭にこれまで感じたことのない痛みと高熱が走り抜ける。

 脳みそをハンマーで思い切り殴られ、脳髄のうずいに焼きごてでも押し当てられたのかと思ったほどであった。


 そんなあり得ない錯覚を覚えるくらい頭の芯が揺さぶられ、熱くなる。

 尋常ならならい痛苦に気絶しそうになり、心臓が止まったかと感じるほどの衝撃に全身が痙攣けいれんしてびくんびくんと震えた。

 即座に喉の奥がカッと熱くなった、次の瞬間。


 ゴオオオオオッ……!


 空気の振動する音が鳴り、目の前が真っ赤に光り輝く。

 顔に火が付いたと思うくらいの高熱が眼前で爆発する。

 仰向けの三月の口からいきなり炎が噴き出した。


 灼熱した竜の火炎だ。

 人間の三月からは絶対に出るはずのないものであるのは言うまでもない。


 ゴボゴボゴボッ……! ビシャアッ!


 炎の直撃を超至近距離の内側から食らい、顔中にまとわりついていたスライムの粘液が、沸騰ふっとうした熱湯のようになって溶け出した。

 それで済まず、スライム自体も三月の顔から剥がされてばらばらに飛び散りながら空中で蒸発していく。


 今のは間違いなく、異世界の三月が多用している火竜の炎ブレスである。

 地平の加護を介した、強力な付与魔法の一端だった。


 スライムを撃退し、命の危機を脱した三月。

 しかし──。


「ぐっ、がはっ! あがっ……! ぁあっ……!」


 三月は耐えがたい苦しみを味わい、その場にのたうち回ることになった。


 喉や鼻、呼吸器官が文字通りに焼けるほど熱く、痛い。

 口腔内、咽頭部いんとうぶ、気管支、食道が火傷して酷いダメージを受けている。

 わずかに感じる味覚が、口の中に広がっていく血液を味わう。


 粘膜という粘膜が破れて出血しているのである。

 自由に息もできない。


 当然だろう。

 人間の身体は火を噴けるようにはできていない。


 竜の炎を噴くには、肉体も竜へと変えてからでなければならない。

 しかし、三月の身体はほとんど人間のまま、竜化は不完全も不完全だった。

 鉄さえ溶かす熱量の炎を吐き出せば、肉体へ与える損傷は計り知れない。


「ごぼっ、げぼっ……! あ、あづいっ……! み、みずぅっ……!」


 熱さと痛さに転がりながら、三月はここが川だったと思い出す。

 口内のあまりの熱さに、少しでも口や喉を冷やしたい衝動に駆られる。

 芋虫みたいに必死に這いずって水場へ向かうが、さらなる絶望が待っていた。


 川に流れているはずの水はれていた。

 10年前の災害時に地形が変動してしまい、とっくの昔にただの岩場に成り果てていたのだ。

 水はただの一滴さえも残ってはいなかった。


「あ、あぁ……」


 口からぼたぼたと血を垂らし、三月は顔面蒼白で再び仰向けに転がった。


 星空を見上げる視界が明滅し、脳の血管が収縮する頭痛に断続的に襲われた。

 暴発にも似た不可思議な力の発現で、絶体絶命の危機を脱したのは良かったが、このままでは喉奥のどおくや気管の火傷による呼吸困難でまたも命が危ない。


 星の加護で肉体を強化してこれなのだから、そうでなかったら三月の頭部は燃え上がるか、炎の噴射の反動で吹っ飛んでしまっていたかもしれない。

 額面通りな、人の手には余りあるぎょしきれない力であった。


 そんな瀕死な三月の元へと。


「──三月、動かないで。じっとしてて」


 またも声が聞こえた。

 忘れられる訳のない声だ。


 しかし、命の危機に瀕していてそれが誰のものなのかすぐに判別できない。

 今度の声は頭の中からではなく、人が立っている高さほどで聞こえた。

 倒れる三月の傍らに、いつの間にか誰かが居るようだ。


 理解できない事態はまだ続いた。

 不意に手が勝手に動く。

 力無くだらんと投げ出していた自分の両手。

 その手の平が喉元へと当てられた。


 自分の意思ではなく、反射の動きでもなく、独りでに手が動いたのである。

 喉に手がいった動作を確認してか、復唱の声が夜の冷風に乗って耳に届く。


「対象選択・《三月》・効験付与・《アイアノアの回復魔法・エアヒール》」


 背に伝わる僅かな振動は、三月が震えているのか大地が揺れているのか。

 強制的に喉にかざした両手から、優しい風が吹き始める。


 緑色に視認できる風の光は、三月の傷ついた頭部にゆっくりと浸透していく。

 すると、じわじわと確実に、生命を脅かしていた火傷や怪我が治っていく。

 焼ける熱さが引いていき、死を直感させる苦痛は和らいでいった。


 不可思議な奇跡の霊妙、魔法による身体の回復。

 それは、アイアノアの得意とする癒やしの風魔法、エアヒールであった。


 三月自身が再現し、実際の効能を持って傷を治すのである。

 しかし、それは地平の加護を通さなければ不可能な芸当であった。


「げほッ、ごほォっ……! いっ、いったい、何が……!?」


 気管にまだ血が残っている気がして激しく咳き込んだ。

 ようやく思考が回るようになってきて、三月は何が起こっているのかを知る。

 さっきの声が誰のもので、自分が今何をしたのかを理解した。


「……まさかっ……!?」


 声の主を探して視線を泳がせる。

 三月のすぐ傍ら、見上げればそこに確かな存在を感じた。


 肩を落として立ち尽くしていて、俯いた顔の表情は暗くて見えない。

 いつもの学生服姿で、紺色のブレザーとプリーツスカート、白のハイソックスに茶褐色のローファーを着用している。


「ひ、雛月……!?」


 見紛う訳もない。

 三月の近くに立っていたのは、雛月であった。


「……何で、現実の世界で雛月の姿が見えるんだ……? さっき、声だって聞こえたよな……?」


 喉元を魔法で癒やす一方で、三月は佇んでいる雛月を呆然と見つめていた。

 雛月は何も言わない。

 きゅっと結んだ唇を噛んで閉じている。


「……」


 淡い月明かりに照らされて、居ないはずの雛月が神巫女町かみみこちょうの地に立っている。

 精神の中の、心象空間にしか存在できないはずだ。


 その事実とは裏腹に。

 三月は驚き半分、心に湧き立つ喜び半分で半笑いで言った。


「なんだよ、雛月……。地平の加護を使えないから協力できないって、そう言ってたじゃないかよ……。助けてもらえないって、俺、そう思ってて──」


「──ああ、できないよ! こんな真似、したくなかった……!」


 雛月は三月の言葉を遮り、強い口調で言った。

 確かな肉声が現実世界の空気を震わせ、ちゃんとした声音こわねとして三月に届いた。

 少なくとも、三月の意識、感覚、脳にはそう伝わった。


「ごめん。本当に助けるつもりはなかった。でも、もう見ていられなくって……」


 その頃になって、やっと雛月がどういう顔をしているのかがわかった。

 やむを得られずに追い詰められた結果、苦渋の選択をしてしまったと呻吟しんぎんの色がありありと浮かんでいる。

 そんな悔しげな顔をしていた。


「……三月、今のぼくの状態を話すね」


 雛月は淡々と語り出す。


 夢でもうつつでもなければ、幻でもない。

 今の自分がどんな存在なのかを、正しく三月にわかってもらう必要があった。


「三月の脳にぼくの居場所をつくった。今のぼくは三月の五感に焼き付いた残像のようなものだ。三月にしか見えないし、三月にしか感じられない」


 雛月は存在しない。

 三月の精神の中だけに居る疑似人格である。

 だから、存在を感じられるように三月の感覚、脳に改造を施した。

 知覚を司る大脳新皮質だいのうしんひしつに雛月の存在を刻みつけ、五感に認識させる。


 こうすれば、あたかも雛月が本当に居ると感じられるのである。

 他の者からは感知できず、三月の感覚の中にだけ居られるようになった。

 但し、それは危険を伴う苦肉の策でもあったのだ。


「脳にダメージを与えないよう配慮したけれど、認知機能に常に負荷を掛けている状態だ。だから、この先どんな障害を引き起こすかわからない。さっきの火炎放射もそうさ。危うく三月を殺してしまうところだった……」


 それは相当に不本意な決断だったのだろう。

 人間の肉体強度を鑑み、脳の負担を考慮すれば、雛月は表層意識に現れることはできなかった。

 まして、地平の加護の常軌を逸した力を使うなど以ての外だ。


 三月の身を案じればこそ、雛月はどれだけの危機が訪れようとも助けの手を差し伸べられない。

 できれば、可能な限り、三月への介入を自制していた。

 神巫女町へ帰った三月が何の手掛かりも見つけられず、一人ぼっちで泣きそうになっていても力を貸すのを必死に我慢していたというのに。


 状況は切羽詰まった。

 三月の生命が失われれば雛月も共に消えてしまい、存在意義を失う。

 宿主を傷つける危険を冒し、仕方なくも助け船を出した。

 いや、そんな事務的な理由からではなく、地平の加護は感情を優先させたのだ。


「だけど、三月が助けを求めたから……。ぼくは三月に負担を強いるのをいとわず、助けてあげたくなってしまった……。勝手な能力使用、三月への安全配慮の欠如、これらは完全な暴走行為だ……。これじゃあ、地平の加護の案内人として失格だ。本当にごめんなさい……」


 目を閉じ込み、眉を震わせ、垂れた両手の拳を握りしめている。

 己の責務を全うできず、指針に反し、忸怩じくじたる思いで謝罪を口にした。

 擬似的とはいえ、人格を持った地平の加護は思考する感情の機械となっていた。


 心を持たないシステムなら命令違反など絶対にしない。

 宿主に気を利かせたり、危機を助けたりの独断行動もしない。


 しかし、記憶から再現された朝陽の人格が基になり、三月を大事に想う気持ちがある種の暴走行為を引き起こした。


 脳を改ざんし、危険を顧みずに能力を強制的に行使させたのだ。

 行動アルゴリズムを無視した身勝手は、確かに機械としては失格かもしれない。



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