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第22話 勇者ミヅキ、借金を背負う

 冒険者と山猫亭が背負う借金にかこつけて、エルフのアイアノアは勇者ミヅキが大いなる使命に当然臨むであろうと主張する。


「……よろしくお願い致しますね」


 視界いっぱいに近付けられた美人のアイアノアの顔。

 両瞳を閉じた無邪気な微笑を浮かべ、ほんのりと香る酒の匂いと共に囁いた。


 ミヅキは唖然となってぽかーんと口を開けていたが、すべてを理解するとそのまま卒倒しそうになった。


──ちくしょう、やられた! 塞ぎ込んでぶつぶつ言ってる時に、俺にダンジョンに行って欲しくて色々と思索を巡らせてたって訳かよ。今の話の感じだと、使命を断られたこと自体、何かの間違いだったと決めつけてたんじゃないか?


 ミヅキの連れない態度への報復か、混乱して暴走の果ての強硬手段か。

 それとも、一途に思い詰めた必死の覚悟の表れか。


 答えはそのいずれでもない。

 アイアノアの赤い顔の微笑みに、ミヅキは色々な意味で頭がくらくらする。


──悪気の無い凄くいい顔してるなぁ! 使命のためなら手段は選ばないってか? このエルフの姉さん、とんだ食わせ者だぞ。──いや、違うか。


 ミヅキはエルフという種族を、アイアノアを甘く見ていたのかもしれない。

 この純真無垢そうな美しいエルフの女性が何を考え、どうしてそう思い至ったのかを推察する。


──神託通りに俺が使命を全うするものだと思っていたのに、それをけんもほろろに拒絶されたことがどうしても信じられなかった。だけど、渡りに船とばかりに、このライオンおっさん、ギルダーを通じて俺の命の恩人であるパメラさんとキッキに借金があることを知った。


 ミヅキにはもうアイアノアが何を考えているのかがわかった。

 猪突猛進が過ぎるひたむきさが、わかりやすく答えを教えてくれていた。


──このトリスの街はパンドラの地下迷宮によって潤った街だ。助けてもらった俺の恩返し。パンドラに挑む大いなる使命。それがもたらすダンジョンからの恩恵。借金が返せて後顧の憂いが無くなり、改めて使命を果たせる。そういう寸法か。


 アイアノアの中でそれらばらばらだった要素は、歯車が音を立てて噛み合うみたいに繋がり、奇跡の運命として動き出したのだ。

 選ばれし勇者ならば、そうした善行は当然行われるべきだと信じている。

 このストーリーは小賢しく思い浮かべたものではない。


──純粋にこの状況が神様の起こした奇跡だと思ってるんだな……。エルフは頑固で保守的だっていうけれど、盲目的に神様とかそのお告げを信じてる感じかな……? まぁ、このエルフの姉さん、あんまり策を巡らすタイプには見えないしな……。


 ミヅキは自分の横で鼻息荒く目を輝かせているアイアノアに苦笑する。


 この事態に一役買った無関心を装うエルトゥリンも同様だ。

 我関せずと食事をもくもくと続けているが、保守的で盲目的な姉に賛同する思惑であるのは想像に難くない。


──使命だの勇者だの、お決まりな常套句の勧誘を断られて、おろおろするエルフの姉さんの反応を楽しんでたけど……。これは、エルフの保守性に思わぬしっぺ返しをくらった格好になっちまったなぁ……。


 疑いも持たず、結果的にこうなることが運命だったと信じ切っているアイアノアの綺麗な笑顔には閉口せざるを得ない。

 エルフの里の教えや信仰を尊び、受け継がれてきた伝統の掟を曲げない種族独自の土壌が、きっと彼女をそうさせているのだろう。


「ふぅぅ……」


 そして、ため息交じりにもう一つ。

 ミヅキが思ったのはまったく別の事である。


──どうあっても逃がしてはくれないみたいだな……。何をどうやったって、最後にはあのダンジョンに行かなくちゃいけない羽目になりそうだ……。


 一旦は離れたはずなのに、再びあのダンジョンへ赴く流れになっている。

 不気味な気配に背筋が寒くなる。

 運命めいた何かに呼ばれているかのようだ。


 脳裏にパンドラの地下迷宮の門が浮かび上がった。

 この夜の暗い星空の下、今もパンドラは静かに佇み、必ず来るであろうミヅキを今も待ち構えているのかもしれない。

 夜よりも深い闇の、暗黒の大口を開けて。


「ガッハッハッハッハッ……!」


 しばらく話を黙って聞いていたギルダーは、吹き出して大声で笑い出した。

 面白くて笑っている訳ではなく、明らかな嘲りの意味が込められている。


「そうか、そりゃいいっ! お前さんが返してくれんのか! こりゃあ面白ぇ運命もあったもんだな! そうだよなっ、お前さんここで散々世話になってるもんなぁ! それもひとつ筋ってもんだぜ! 精々、パメラとキッキに恩を返すこった! ようしいいぜ、それでいこうじゃねえか!」


 半ばやけくそ気味にギルダーは叫んだ。

 愉快そうに、不愉快そうに大笑いしながら。


 ギルダー自身、どこまで本気でそれを言っているのだろうか。

 選ばれし勇者などと与太を吹聴する胡散臭い輩に、決して安くはない借金を返せる能力や甲斐性があると思っている訳が無い。


 一応筋が通ったアイアノアの弁ではあったが、それを鵜呑みにするほどギルダーはお人好しではない。

 それなのに。


「借金をパメラに代わってお前が返す。……それでいいな?」


 ミヅキの眼前にギルダーの顔が迫る。

 ガルルル、という喉を鳴らす太い唸り声が漏れ聞こえた。

 ライオンそのものなリアルな顔だけに、額面通り野生の肉食動物に睨まれた恐怖に駆られる。


──怖ぇぇ! 喰われそうっ!


「わ、わかった……!」


「……よぉし!」


 根源的な恐怖に心臓をドキドキさせつつ、ミヅキは思わず答えてしまっていた。

 それを聞いて、ギルダーはニヤリと黒い唇をつり上げて笑う。

 すぐにパメラはギルダーの腕を取って縋り付き、悲壮に食い下がった。


「やめてギルダー! ミヅキにそんな責任はないわっ!」


「黙ってな、パメラ! こいつ……。いいや、こいつらが言い出したことだ。やってもらおうじゃねえか!」


 言ってねえ、と真っ当な反論が喉まで出掛かった。

 但し、もう何を言っても無駄だろう。


 ミヅキはこのギルダーという男が何を考えていて、そして自分のことをどう思っているのかを思い至る。

 憂鬱なため息が鼻から漏れた。


──俺、良く思われてないんだろうな……。どこの馬の骨ともわからん男を、お気に入りのパメラさんが居候させて、世話してるのが気に入らないんだろう……。


 嫌がらせか焼きもちか、ギルダーは返せるもんなら返してみやがれ、くらいにしか思っていないのかもしれない。


 勇者だのエルフの神託だの、そんなことはどうでもいい。

 事の成り行きを適当に見届け、結局返せなかった、ほら見たことか、と嘲りたいだけなのだろう。

 金目を細め、牙を剥き出しに笑う顔からはそんな感情が読み取れた。


「……二言はねぇよな? 勇者さんよ」


 身をかがめ、顔を近付けてきて念を押すギルダーにミヅキは答える。

 喰われそうで怖い気持ちは一旦引っ込め、真っ直ぐとギルダーを見返した。


「いいよ、やってみる」


 あっさりと、しかしはっきりとそう返したミヅキ。

 ここまで言われたりやられたりして黙ってはいられない。


 胸に去来するのは様々な思いだ。


 行き倒れていた自分を拾って、今まで世話をしてくれたパメラへの謝意。

 店の仕事からダンジョンの冒険までを共にしたキッキへの仲間意識。

 使命に果たしてくれるまで気長に待つと言ったエルトゥリンとのやり取り。

 思い詰めて暴走にも似た大胆な行動で、しっかりばっちりとミヅキを勇者の運命へと導いたアイアノアの多分悪気の無い妄信的な気持ち。


 やる気がないで通すのにも限度があるというものだ。


「だから、借金を返せたら、こっちの言うこともちゃんと聞いてもらうからな!」


 見下ろすギルダーに視線を跳ね返し、ミヅキは強く言い放った。

 強気に返され、ギルダーは一瞬呆気にとられていたが、クククッと含み笑う。

 怒り半分、興味半分、妙な話の流れに興が乗った。


「わかった、いいぜ……! もしも返せたら、その時に話は聞いてやる。特に期日は決めねえが、あんまり長くは待てねえぜ?」


「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか──。借金の返済を待たせてるパメラさんの気持ちを思いながら待っててくれよ、ギルダーの旦那」


「ふん、抜かしやがる! 期待はしねえが、死なねえ程度に頑張ってくれや! ……なァ、勇者さんよっ!」


「おう!」


 ミヅキとギルダーの視線が空中で火花を散らす。

 互いに譲れず男と男の意地の張り合いが加熱し、始まった。

 と、思えば。


「当たり前ですっ!」


 対立する二人の間にまたしてもアイアノアがしゃしゃり出る。

 ギルダーを見上げ、腰に両手を当ててなおも鼻息荒く言い放った。


「どうぞご覧になっていて下さいましっ! これからのミヅキ様の活躍に乞うご期待ですっ!」


「お、おう……」


 終始、謎の迫力のアイアノアを奇異に思い、毒気を抜かれて退散するギルダー。


「じゃあまたな。パメラ、キッキ」


 後ろ手を振り、大きな身体を揺らして窮屈そうに扉から出て行った。

 カランコロンとドアベルの乾いた音が鳴り、沈んだ憂い顔のパメラと、べっと舌を出した悪態のキッキは招かれざる客を見送った。


「……」


 ミヅキとエルトゥリンは、勝ち誇る余韻に浸るみたいに仁王立ちしたアイアノアを眺めていた。


 くるっと振り向いた彼女が二人に向ける笑顔はとても得意げだ。

 ミヅキは盛大にため息をついて疲れた笑みを浮かべる。

 じと目で姉を見つめるエルトゥリンの顔は呆れているようにも見えた。


「姉様、後で話があるから」


「え、なぁに、エルトゥリン?」


 くいっと葡萄酒をあおるエルトゥリンの目に少々剣呑な光があった。

 目をぱちぱちと瞬かせるアイアノアは何のことかわからずきょとんとしている。


 ミヅキはそんなエルフの姉妹を見ながら思う。


──やり切ったなぁ、エルフの姉さん……。そうまでして、俺をダンジョンに連れて行きたいのか……。いやはや、正直その執念には恐れ入ったよ……。


「ママ、大丈夫……?」


「平気よ、キッキ。心配しなくていいわ」


 パメラとキッキを振り向いて見やる。

 そこには心配をして母を見上げる娘と、心配を掛けまいと疲弊した笑顔で気丈に振る舞う母の姿がある。


 獣人親娘二人の事情はもう理解した。

 だからもう、ミヅキの意思は決まっていた。


 成り行き任せに、なし崩し的に、それでも腹を括る覚悟をした。

 是非も無く、諦めの気持ちも織り交ぜ、ミヅキの心はやってやろうと決まった。


──まぁ方法はともかく、どうにかパメラさんとキッキには何か恩返しできないかって思ってたしな! こうなったら後はどうにでもなれだ! 何かもう色々とよくわからんけど、頭を切り替えてとにかくやれるだけやってみるか!


 すっかり冷めてしまった竜の肉にかぶりつく。

 口中に広がる味の感覚に、もうこれは夢じゃないと言い聞かせる。


 ここまで関わり合ってしまった以上、ミヅキはもう自分の手の届く範囲の人たちを放ってはおけない。

 ミヅキと言う人間は、そういう性分の持ち主だった。


「やっぱり、ドラゴン美味ぇ!」



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