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第208話 夕緋の身に起きたこと

 10年振りの里帰りをする途中で立ち寄った仮設住宅街。

 三月はそこでかつての旧友である、鍔木宗司つばきそうしと再会した。

 招かれるまま、三月は宗司の仮住まいへと立ち寄ったのだった。


「そんなに広くないけど、その辺に座ってくつろいでてくれ」


「ああ、お構いなく。ちょっと失礼させてもらうよ」


 玄関を上がったすぐのダイニングキッチンで、三月はテーブルの椅子に座った。

 一息つきながら、背中の大きなリュックを床にどさりと降ろす。

 招待された家は縦長の一戸建てで、玄関を開けるとダイニングキッチンとなっていて、奥の引き戸の向こうには大きめの和室が一間ひとまという1DKである。


「大っきな荷物だな。こっちには長居していく予定なのか?」


「いいや、遅くても明日には帰るよ。ちょっとした野暮用で来ただけなんだ」


 薄黄金色うすこがねいろのやかんでお湯を沸かしつつ、宗司はふーんと相槌あいづちを打った。

 また微妙な沈黙が生まれ、所在なさげな三月は部屋の中を見渡してみる。

 すると、部屋の隅にあるテレビ台の上にある置物に目が止まった。


「あっ、宗司、ちょっとそれ見せてもらっていいか?」


 返事を待たず、三月は立ち上がってテレビ台に近付いていく。

 そこにあったのはカラフルな色合いの造形物、人形だった。


 ファンタジー色の濃い服装で、銀色の長い髪とぴんと尖った長い耳。

 意匠の凝った弓を勇ましく構えたポーズを取っている女の子の姿をしている。


 高さ20センチくらいの、所謂いわゆるところのエルフのフィギュアである。

 腰を屈めて、細かい造形の凜々しい顔を覗き込む。

 何となく、アイアノアとエルトゥリンの中間のような容姿だと思った。


「……それだけが無事だったんだ。いつか壊れた家を見に行った時に、外に放り出されてるのを見つけてさ。それを見てると、あの時のことを思い出して嫌な気持ちにもなるけど、何か捨てられなくてさ」


 宗司はお茶を淹れた湯飲みをテーブルに並べて、自分も椅子に座った。

 三月の見ているフィギュアに視線を移して感慨深そうな顔をする。


「三月と遊んだ時の思い出も詰まってるからな。まぁ、ちょっとしたお守りみたいに思うことにしてるよ」


 寂しい雰囲気の笑みを浮かべ、子供の頃の記憶を思い描く。

 過去といえば真っ先に災害の辛さを思い出すが、友人と過ごした楽しい思い出も同じように頭によぎった。


「そっか……」


 宗司に振り返っていた三月はもう一度エルフのフィギュアに視線を戻した。


 特にこれといった趣味を持っていない三月だったものの、この宗司と交遊を深めていく内にそういったサブカルチャーに対する興味を持つようになっていった。

 三月がファンタジー世界のダンジョンやらドラゴンやらの空想知識に詳しいのは何を隠そうこの宗司のお陰なのである。


 特にエルフという種族を気に入り、いつか本物のエルフに会えたらいいな、などと夢を見ていたものだった。

 だからこそ、アイアノアやエルトゥリンに出会えたときの三月の感動ときたら、それはもうひとしおのものであったのだ。


「──ともかく、元気にしてたか三月? 久し振りに会えて嬉しいよ」


「とりあえずは元気だよ。……こっちはあの時とあんまり変わってないんだな」


 テーブルに戻った三月が言うと、宗司は表情を曇らせた。

 ここに来る途中、高速バスの窓から見た光景は当時の惨状そのままだった。


神巫女町かみみこちょうは相変わらずだよ。ほとんど復興は進んでいない」


 小さく頭を振り、宗司は重苦しく故郷の現在の様子を語った。


「未だに強めの余震が頻繁に起こるし、地面に開いた穴から火山性の毒ガスが噴き出すことがあるんだ。それで実際に工事に当たった人が事故に遭ったりもしてる。まるで町の復興を何かが邪魔でもしてるみたいだよ」


 この10年来、当時のような大規模な災害は再発していないが、決して小さくはない余震や火山性ガスの噴出は続いており、復興の工事を阻んでいる。

 突然、地盤沈下じばんちんか陥没かんぼつが起こることもあり、今でもクレーターは増え続けている。

 最早、神巫女町は人の住める場所では無くなっているのかもしれなかった。


「ただでさえそんな危険な状態だっていうのに、施工を請け負ってもらえない理由は他にもあって……。あぁ、いや、何でもない……」


 まだ何かを言おうとして宗司は口をつぐんだ。


 三月は不思議に思うものの、宗司が理由を話すことはなかった。

 それについて三月が知るのはもう少し後のことである。

 宗司は一口お茶を啜り、気を取り直して言った。


「長い時間が掛かるだろうけど、僕は町が直るまでここに残ることにするよ」


 困り顔でため息をつき、宗司は三月を見つめる。


「三月は無理に戻ってこなくていいからな。僕にはまだ爺ちゃんがいるけど、三月は全部無くしてしまったんだからな……」


 久しく再会できたのを喜ぶ一方、三月がどうして出て行ってしまったのかを思いやる。

 ここに残り、日々を過ごすのは辛いことばかりを思い返してしまう。

 三月も宗司も災害から生き延びた。

 その後の人生にどう向き合い、どう送るのかは各々が決めることである。


 と、また二人が重い沈黙に口を閉ざしていたそんなとき。

 不意に奥の引き戸の向こうに人の気配を感じた。

 布団が動く布の音と、畳の上を擦る音が聞こえてきた。


「……祟りじゃあ……。大地の女神様の、祟りじゃあ……」


 そして、くぐもった呻き声が扉越しに漏れてくる。

 思わずドキッとして、三月は奥の引き戸に振り向いた。

 宗司は黙って立ち上がると、扉を開けて奥の部屋に入っていった。


「爺ちゃん、大丈夫だよ。もう恐ろしいことは全部終わったから安心して」


 奥の和室には布団が敷かれていて、寝間着姿の年老いた男性が横になっていた。

 宗司はその傍らに座り、優しい声を掛けながら乱れた布団を整えている。

 しばらく苦しげに唸っていた老人は落ち着き、宗司がこちらに顔を向けた。


「見ての通り、爺ちゃんがこんなだからさ。町のこともあるけど、僕はここを離れられないんだ。もう僕しか面倒を見てあげられないからね」


恭蔵きょうぞうさんか……。具合、悪いのか……?」


 三月が声を掛けると、宗司は沈痛そうに笑った。


「10年前の災害で気を病んでしまってね……。痴呆も進んできてるし、もう大体はこうして寝たきりなんだ。たまに意識が戻ることもあるんだけどね……」


「……」


 痛ましい事実に三月は何も言うことができなかった。

 当然ながら、あの災害で大勢の被害者が出てしまった。

 幸運にも生き延びたとはいえ、刻まれた傷痕は各自それぞれに深い。


 宗司の祖父、鍔木恭蔵は以前は高齢ながら快活な男性で、三月の祖父の剣藤けんどうとも友人関係であり、父の清楽とも付き合いがあった。

 豪放な人物だったと記憶している。


 しかし、今はもう見る影もない。

 本来なら穏やかな余生を送っていただろうに、床に伏せる姿は見ていられない。


 宗司は災害で両親と祖母、妹を亡くしていて、和室の片隅には小さな仏壇が置かれている。

 ほのかに漂う線香の香りが寂寥せきりょうの思いをかき立てた。

 尚のこと、こんな悲惨な現状を許す訳にはいかなかった。


「み、巫女様ぁ、お許しをぉっ……! どうか、お怒りをお鎮めくだされぇ……」


 と、落ち着いて再び眠ったかと思った恭蔵が、またうわごとを漏らした。

 朦朧とする意識の中で口走った、許しを請う言葉は神に向けてではない。


 それを聞いた三月は眉をひそめる。

 宗司の瞼がぴくりと動いた気がした。

 何度目かにもなる沈黙を破り、三月は思い切って問い掛ける。


「巫女様って、神水流かみづるの巫女の、朝陽と夕緋、……ちゃんのことかな……?」


「……」


 一瞬、押し黙った宗司は、すぐに笑顔を取り繕って答えた。


「ああ、きっとそうだろうね。爺ちゃん、神水流の巫女様の熱心な信者だからさ」


 今度こそ落ち着いて眠った恭蔵を部屋に残し、引き戸を静かに閉める。

 宗司はテーブルに戻ってくると、一層暗い顔になって大きなため息をついた。

 言うか言うまいか逡巡する様子が宗司の顔に表れていた。


「……なぁ、三月。災害があった後の夕緋さんに何があったか、知ってるか?」


「……い、いや、知らないな……」


 たまりかねた宗司の問い掛けに、三月はしどろもどろに答える。


 言われてみれば、当時の夕緋のことは何も知らない。

 雛月にも言った通りだが、今更聞くのは野暮だと憚られたからである。

 宗司も夕緋を知る同級生であり、この地に留まっていたのだから顛末の程はよく知っている。


「夕緋さん、しばらくは体調を崩して入院してたんだけど、退院後はここに帰ってきてたんだよ。それで、少しの間だったけど、この仮設住宅地で住んでたんだ」


「ここに……」


 どこかの病院に入院したというのは当時の宗司に聞いた通りだった。

 療養後、どこでどうしていたのかは知らなかった。

 夕緋はこの仮設住宅地に帰ってきて、避難生活をしていたという。


「でも、夕緋さんを良く思わない人も少なくなくてさ……」


 そして、宗司の言葉に三月は信じられないといった顔で驚いた。

 夕緋は神水流の巫女で、あんなにも皆から慕われていたのに。


「巫女の務めを果たせなかったからあんな災害が起こったんだって。もっと祈りを捧げていればみんな死なずに済んだって……。そう、責められたんだよ……」


「そんな……。何で……?!」


 宗司が何を言っているのかわからない。

 三月の理解が追いつかないまま、宗司は先を続ける。


「本当のことさ。まったく、勝手なもんだよな。何事も無かった頃はあんなに巫女様巫女様って祭り上げてたのに、災害があった途端に手の平を返してさ」


 その言い方は吐き捨てる風であった。

 宗司自身も嫌悪感を露わにしている。

 命拾いして皆の元に戻ると、夕緋を待っていたのは心ない誹謗中傷であった。


「夕緋さんは、生き残った人たちみんなから仲間はずれにされてた……。それだけじゃなくて悪口を言われたり、石を投げられたりして、辛く当たられていた……。その時の夕緋さんは、とても悲しそうにしていたよ」


「馬鹿な……」


 三月は愕然となった。

 そして、気付いていなかった。


 毎日ご飯をつくりに来てくれて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる夕緋の笑顔を思い出す。

 あの微笑みの裏には押し隠した感情があった。

 やり切れない気持ちが込み上げる。


 夕緋の務めは巫女として大地の鎮守を祈ることだった。

 しかし、それはあくまで神事の範疇の話で、占いやまじないと同様、心の拠り所として何らかの救いとなるのが関の山であるはずだ。

 神水流の巫女の祈りと存在が、人々の未来永劫の幸福を保証するものではない。


 まして、災害を超自然がもたらすのなら、いち人間の少女がお祈りを捧げた程度で、圧倒的過ぎる「現象」を物理的に止める手段になどなろうはずがない。

 夕緋に当たるのはお門違いもいいところだ。


 それなのに、生き残った人々は大真面目に災害が起きたのは巫女の祈りが不十分だったせいだと、信じて疑わなかったのである。

 三月は神巫女町という特殊な町の、ある種異常とも言える信仰の強さを甘くみていたのかもしれなかった。


「僕は、そんな可哀相な夕緋さんを何もできずに、ただ見ていた……。本当に申し訳なく思う……」


 懺悔ざんげの言葉を吐露とろする宗司の手は震えていた。

 手を添えていた湯飲みのお茶が揺れている。

 忌まわしい出来事を思い出し、蒼白の顔色で言葉を吐き出した。


「……もしかしたら、僕が知らないだけで、もっと言えないような嫌がらせを受けていたのかもしれない……。そうでなきゃ、あんな……。あんなひどい……」


 そこまで宗司が言った瞬間、三月の頭の奥がちりっと熱くなった。

 電気が走り抜けたかのように目の前が白く光る。


 それは現実世界では効能が不明な、地平の加護の権能なのだろう。

 陰鬱なイメージが頭に流れ込んできて、断片的な記憶が垣間見える。

 それは宗司の記憶だったのだろうか。


『な、何ですかっ、貴方たちっ?! 人を呼びますよ……!?』


 どこかから聞こえてくる切羽詰まった声は夕緋のもので、険悪な雰囲気の人垣が後ろから見えた。

 暗い夜、一軒の仮設住宅が大勢に囲まれている。

 性別、年格好は様々な老若男女ろうなくなんにょの群衆が夕緋の家を押しかけていた。


『いっ、イヤッ……! みんな、やめっ、やめてぇぇッ……!』


 騒々しい物音が何度か聞こえてきて、夕緋の金切り声があがった。

 その身に危険が迫り、衝撃を感じさせる悲痛な声が混沌の場に響き渡った。


 何が起こっているのかはそれだけではわからない。

 ただ、収まらない夕緋の悲鳴が事の深刻さを切実に訴えかけてきていた。


「夕緋……!」


 三月は頭を鈍器で殴りつけられたようなショックを受け、呼吸をすることも忘れて激しい焦燥感に駆られた。

 胸の奥にずきんずきんと痛みが走り抜ける。

 これは見てはならない禁忌きんきの記憶である。


「──そ、宗司っ、もういいっ! よくわかった……!」


 思わず声を荒げてしまう。

 大声を出すと、脳裏の悪夢のイメージは消えた。


 言われるまでもなく宗司は口をつぐみ、暗澹(あんたん)と俯いている。

 三月は言い知れない不穏さに、肩を揺らすほど息を乱れさせていた。


『……神巫女町あのまちにはもう、私の居場所はありませんでしたから』


 再会した後、夕緋は沈痛な面持ちでそう言っていた。

 居場所が無いどころではなかった。


 夕緋は謂れもなく恨まれ、被災した人々の憎悪の対象になっていたのだ。

 心身共に痛めつけられ、半ば追放される形で住宅地を出ることになったのだ。


「はぁ、はぁっ、はぁ……。くそッ……」


 三月は言葉に出来ない怒りの感情に、歯を強く食いしばる。


 あのとき、力になれずに自分だけ逃げ出したのを今更になって後悔した。

 夕緋がここに戻ってきた時、三月がいなくなっていることに気付いてどう思ったろうか。

 きっとひどく悲しみ、落胆してしまったのは想像に易い。


 今までずっと面倒を見てもらうだけだったが、出奔せず夕緋の側に留まり、自分には出来たことがまだあったのではないかと思い、さらにまた胸が痛んだ。

 目の前で夕緋に危険が迫っていたなら、身を挺して守ることもできたろうか。


 肝心なその時に自分はそこに居なかった。

 何を言っても言い訳にしかならない。


「夕緋、ごめん……」


 かすれるほどの小さな声で謝罪を呟く。

 嘘までついて行き先を隠し、置いてきてしまった夕緋に申し訳なさを感じた。



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