表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/293

第21話 エルフのしっぺ返し

「お待ちなさぁいっ!」


 冒険者と山猫亭の店内に甲高い声が響き渡った。


 唐突な間近から大声があがり、さしものギルダーも大きな身体を震わせて何事かと振り向いた。


 見下ろす先に整った眉をつり上げたアイアノアの顔がある。

 ほんのりと顔を上気させて赤くしているのは、激した感情のせいなのか、はたまたアルコールのせいなのか。


「黙って聞いていればぁ、聞くに耐えない無理強いな言葉の数々ぅ……!」


 アイアノアの威勢のいい台詞はろれつが回っていない。

 ふらふらの酩酊状態の一歩手前で、かなりヤケ酒が回ってしまっているようだ。


「借金のカタにお店を乗っ取り、あまつさえ美人の親娘を我が物としようとする絵に描いたような悪漢。到底、見過ごすことはできませぇん!」


 ビシッと右手の人差し指をギルダーの顔に突きつける。

 完全にアイアノアの目は据わっていた。


「な、何だこのエルフの嬢ちゃん……」


 いきなりの部外者の乱入に当惑するギルダーに対し、アイアノアは赤ら顔に不敵な薄い笑みを浮かべている。


「パンドラの異変によってぇ、冒険者の激減した街の経済的危機を背景にぃ、このお宿の借金返済が滞っている弱みに付け込んで、こちらの獣人親娘に不当な要求を突きつけているぅ。……そうですねッ?!」


 手を腰に当て直し、背伸びをして、ずいっと顔を近付け凄んでみせる。

 妙な迫力に押され目を丸くしていたギルダーだったが、事情を知らない外野にそうまで言われて黙ってはいられない。


「まったく、どこの誰とも知らねえ噂のエルフが首を突っ込む話じゃねえぞ?」


 がりがりとたてがみ越しに頭を掻くと、ギルダーも睨み返した。


「弱みに付け込むとか不当な要求とか、部外者が人聞きの悪いことを言うもんじゃねえよ。借りたモンは返さなきゃいけねえ、常識の話だろ? 返すモン返してくれれば、俺だってこんなことはしたくねえんだ。……ただよ、今は懐事情が色々とよろしくねえ……。それだけのことさ」


 鼻息を大きく吹き出すと、大げさに両手を広げる身振りをして見せる。

 それを見たアイアノアもふっ、と鼻で笑った。


「至極単純明快にして、原理たる金銭事情でのいざこざ……。パンドラの地下迷宮の問題を抱えているトリスの街でなくともよく聞くお話です。書物で勉強してきた通りですね」


 大きな胸を抱えて腕を組み、目を閉じて得意げに何度も頷く。

 ぱちんと再び目を開け、緑の瞳が力強く語った。


「確かに貴方の言う通り、借りたものは返さなければなりません。……それならっ、その借金さえ返すことができれば、貴方はこのお店から手をお引きになり、こちらの親娘にもちょっかいを掛けない。そういうことでよろしいですかっ!?」


「……おお、そりゃあそうさ。俺だって不本意なんだ、何度も言わせるんじゃねえ。貸した借りたのわかりやすい金の問題だ、解決方法だって簡単なもんさ。借金さえ耳を揃えて返してくれりゃあ、パメラとキッキの嫌がることなんざもうしねえよ。この商人ギルダーに二言はねえぜ!」


 ガルルル、と唸ってにやりとするギルダーにアイアノアはもう一度頷いた。

 得心を得たり、と妙に納得した顔をしている。


 そして、満を持してミヅキを振り向き見た。

 目が合ったアイアノアの表情には迷いや躊躇が無くなっていた。


 吹っ切れたような笑みさえ赤らんだ顔に浮かんでいる。

 それは短い間の目配せだったが、ミヅキは何だか嫌な予感がした。


「うふふふふ……」


 すると、アイアノアは急に笑い出す。

 勝利を確信したとばかりの怖いもの知らずの笑みであった。


「貴方も不運でしたね、ギルダー様。──いいえ、幸運だったと言うべきでしょう。こちらにいらっしゃる御方をどなたとお心得ですか?」


 アイアノアが後ろ向きのまま、手の平をミヅキのほうへさっと向ける。

 ミヅキは出し抜けに向けられた白い手の平を見てぎょっとした。


 そして、この後の展開を察して身体中の血の気が引いていくのを感じた。

 嫌な予感は的中する。


「この御方こそっ、前人未到の大ダンジョン、パンドラを踏破される、神に選ばれし希望の勇者──、ミヅキ様、その人でございますッ!!」


 声高らかにアイアノアは大いなる使命の下、ミヅキの名と存在を明らかにした。


 よく通る声の大仰な紹介に、場は刹那の沈黙が支配した。

 ミヅキの、うげぇ、という情けない悲鳴だけが浮いて聞こえた。

 ギルダーの怪訝な視線がじろりとミヅキを見やる。


「……ゆ、勇者だあ? おめえは確か、パンドラの近くで素っ裸で行き倒れてたのをパメラとキッキに拾われた……」


 あからさまに怪しいものを見る目のギルダーに構わず、またも全裸であったことを思い返させられて頭を抱えるミヅキを無視し、何が何でも暴走気味に先を続けるアイアノア。


 こうなったら彼女はもう止まらない。

 正気なのか酔っているのか、使命に向かって盲目的に猛進するのみである。


「今はまだお力に目覚めたばかりですが、いずれは大いなる災いからこの街を救い、パンドラの果てまで攻略されてしまうミヅキ様のことですものっ! 勇者の御力と、もたらされるパンドラの恩恵を合わせれば、皆様方のお悩みは果物の皮を剥くよりも簡単に解決するでしょうっ! 金銀財宝の富や、古代遺産の見返りが、お店の借金なんてあっという間に返済してしまうに違いありませんっ!」


 一気にまくしたてるアイアノアが高揚しているのは、何も酒のせいだけではないだろう。

 大いなる使命と神託の勇者に、文字通りに心酔しているのだから。


「ちょ、ちょっと、待っ──!」


 問答無用で自分が矢面へと駆り出されていく流れになっている。

 堪らずミヅキは抗議の声をあげようとした。

 両手をテーブルにつき、勢いに任せて立ち上がった。


 そのつもりだった。


「ミヅキ、待って」


 エルトゥリンの声が静かに耳に届いた。


 ミヅキは立ち上がれていない。

 いつの間にか隣の席からエルトゥリンの手が伸びてきていて、ミヅキの肩に触れている。


「え……」


 ミヅキは唖然としつつ、背筋が凍る思いに駆られた。


 まったく身体が動かない。

 エルトゥリンの手が肩に置かれているだけなのに微動だにできない。

 おまけに振り向く先の彼女の目を見ると、うまく喋ることさえ叶わなかった。


 力任せの押さえ付けでも単なる威圧でもない。

 生物としての圧倒的な格の違いが、ミヅキに動くことも喋ることも許可しない。


 何もしないで──。

 と、エルトゥリンの目は機械のように冷たく命令していた。


「ふんっ!」


 ミヅキが恐るべき力で封殺されている間も事態は進行中だ。

 いきり立つアイアノアに対し、ギルダーは吹き出すほどの勢いで鼻を鳴らした。

 何をつまらない絵空事を言っているのかと呆れている様子である。


「へっ、そうは言ってもなあ、エルフの嬢ちゃんよぉ……。今のパンドラの状況はわかってるのか? 10年前の異変以降、これまでにねえくらいに物騒になっちまってるんだ。世界中の名うての冒険者たちが束になって挑んでも、お宝や古代遺産を持ち帰るどころか、まったく歯が立たずに逃げ帰ってくのが関の山なんだぜ? 勇者サマか何だか知らねえが、パンドラ舐めてっと、お嬢ちゃんたちも痛い目見るどころじゃ済まねえぜ? だからそんな与太話に付き合う気はねえよ」


 街とダンジョンの現状の閉塞感に、ギルダーは何とも言えないため息をつく。

 言った内容に誇張や誤りは無い。

 強い言葉で話していても、ギルダーにも今のパンドラはどうしようもない。


「いいえ、ご心配なく!」


 ただ、アイアノアは強気な態度を崩さず、さらにギルダーに詰め寄るとその金目を真下から見つめた。

 赤ら顔で満面の笑みはそのままに。


「ギルダー様は知らないのです。ミヅキ様の比肩する者の無い凄まじきお力をっ! 私はこの目ではっきりと見ました! 兵士様たちがまったく敵わなかったドラゴンの炎から皆様を魔法の壁で守り、扱える術士が少ない強力な付与魔法を次々に繰り出してこれを見事撃退したのです!」


 そして、ミヅキたちの夕食と化したドラゴンの料理を手の平で示した。


「ご覧下さいまし、この豪華な晩餐を。そちらの店主様に調理して頂いた、まごう事無きレッドドラゴンの大変美味なお料理ですよ! これなるは、ミヅキ様の偉大なる勇者の御力あってこその狩りの成果! これらをご覧になられてもまだ与太話などとお笑いになるのですか? 商人を名乗られるギルダー様の目は節穴ではないと、私は信じておりますっ」


 アイアノアの熱弁に促され、ギルダーはテーブルの上に視線を向けた。

 肉厚で肉汁ジューシーなステーキや、葡萄酒の香り漂う煮込み料理の奢侈しゃしな品々は確かに絶品そのものに見える。


 ギルダーはちらりとパメラの顔を見た。

 すると彼女はゆっくりと頷く。


 厨房にはまだ大きな肉塊が残っていたり、普段は使わないはずのミスリルの包丁が置いてあったり。

 パメラが嘘を言っていないのはわかるし、状況証拠も充分と揃っていた。


「へえぇ……」


 感心したようにギルダーは目を細めた。


 昼間、パンドラに強大なレッドドラゴンが出没し、駐屯所の兵士たちが全滅の一歩手前な痛手を負ったという話が夕方には聞こえてきた。

 しかも、昼食の配達に来ていたキッキたちが巻き込まれたと聞きつけ、ギルダーはパメラの宿に慌ててやって来たのだ。


 キッキは無事で、噂のエルフ姉妹がいて、ドラゴンを撃退したのはこれまた噂の行き倒れの男だという。

 しかも、その正体は勇者だなどとうそぶく。


 話は筋が通っていて、どうにかドラゴンの危難を乗り越え、その幸を持ち帰ったという成果に偽りは無いようだ。

 自信満々のアイアノアの顔、パメラとキッキの複雑そうな顔、そしてミヅキの青白い顔を見回す。


「──いいぜ、続けな。お嬢ちゃん」


 先を促すギルダーは興味が湧いたのか、好奇と疑惑の入り交じった怜悧な色を瞳に映した。

 アイアノアは誇らしげに微笑んで頷く。


「ミヅキ様は数奇な運命に導かれ、このお宿の方々にお命を救われ、今日に至るまで健やかに過ごされておいででした。ですが、パンドラの異変が災いして、そのお宿は借金を抱えてしまっていました……。ミヅキ様も、さぞお心を痛めておりましたことでしょう……」


 踵を返し、アイアノアはつかつかとミヅキの席のほうへ近づいてくる。


「う、あっ……?」


 ミヅキは急に身体中が解放されたのを感じて声を漏らした。


 いつの間にかエルトゥリンはミヅキから手を離して食事に戻っている。

 何食わぬ顔だが、ドラゴンの肉をもぐもぐ食べていた。

 アイアノアはエルトゥリンの裏工作に気付かず、慌てふためくミヅキの目を綺麗な笑顔で見ていた。


「そして、私たち姉妹はエルフの里より神託を受けて、選ばれし勇者様を探し出し、パンドラを踏破するという使命を帯びて参りました。その勇者こそがこのミヅキ様であり、勇者たるミヅキ様もまた、パンドラの彼方に挑む使命を与えられて今日を迎えたのです」


 ミヅキの席の横に立ち、皆の前で両手を組んで祈りの所作。

 酒に酔った赤ら顔ではあるものの、それでもなおアイアノアの佇まいは神秘的なエルフの雰囲気を醸し出していた。


「時は満ち、勇者として目覚められたミヅキ様はパンドラにいざ臨み、大いなる恵みをもって、今度はご恩返しに皆様をお救いになられるのです。これこそはまさにっ、神の思し召しに相違ありませんっ!」


 凛として、その心に一片の疑いも無いアイアノアの綺麗な声色。

 手を胸の前で組んだまま、ギルダーだけでなく、パメラ、キッキ、そしてミヅキに、穢れ無き微笑みでにっこりと笑った。


 椅子に座るミヅキの肩にそっと手を触れ、美しい顔を寄せて言ってのけた。

 二人の視線が至近距離で交わる。


「この天の配剤は奇跡そのもの。──そうですよね、ミヅキ様っ?」


「……うぐ?!」


 思わず呻き声を漏らすミヅキは、この時点になってようやく気付いた。

 してやられた、と。


 しかし、今更気付いてももう遅い。

 この麗しい笑顔のエルフの彼女と、涼しい顔のその妹に。

 いいように、まんまと嵌められてしまったのである。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ