天神回戦外伝 みづきと日和のお菓子夜会1
「……神様の世界って不思議なことだらけだけど、ここの納戸もいい加減に不思議だよなぁ。母家の建物の間取りを完全に無視してるし……」
シキのみづきは広い納戸の真ん中に立って独り言を呟いた。
ここは日和の神社裏の母家、その内部にある「供物の納戸」である。
現世で供えられた食べ物や調味料などが、すべて収められている。
瓶や袋に詰められたお供え物が所狭しと並び、天井高くまである複数段の棚にも同様に多彩な品々が貯蔵されている。
窓も無いのにやけに明るく、明らかに建物の外観からあり得ないほどの広大さで存在していた。
いわゆる、不思議空間である。
「貯蔵してるものが腐らず、どれだけたくさんの量でも無制限に詰め放題。瞬転の鳥居みたいに別の世界でも再現してみたいけど、必要なエネルギーが膨大になるだろうから難しそうだな……」
この便利すぎる設備を地平の加護に洞察させ、迷宮の異世界や現実世界で使えるようにできるかもしれないが、再現には莫大な代償が必要であろう。
神々の異世界の奔放な環境と摂理だからこそ実現できるているに違いない。
「いくら食べても減らぬから、好きなだけ使ってくれて構わぬぞ」
納戸の中で唸っていると、入り口から歩いてきたのは小さな女神、日和。
またぞろ力を使い果たし、元の美しい姿から幼女の姿へと縮んでしまっていた。
これは二巡目の神々の異世界での出来事。
化け狸の神、まみおとの試合を終え、そのまみおが天眼多々良のシキである冥子に敗れ、敗北の眠りに付きそうだったところを救った後である。
多々良の神社での一悶着を経て、ようやくと帰ってきたところだった。
「日和、食べたいものないか? 今日は色々わがまま聞いてもらったから、お礼に何か美味しいものつくるよ」
日和の奥義、創造の秘術を使わせ、多々良への申し開きに付いてきてもらった。
主である神をこき使い、みづきなりに気にしていたところだった。
だから、ほんの恩返しに美味い料理でも振る舞おうというのである。
「おお、それはいい。美味しいものを食べれば神通力が上がるというものじゃっ。神が飢えることはないが、健全なる魂に良き氣も宿るのじゃからな」
「そういうもんなのか」
「そういうもんなのじゃ」
満面の笑みで軽く答える日和に、みづきは気を良くして吹きだした。
では何をつくろうかと日和の好物が何か、天神回戦の試合会場で貪り食っていたものを思い出す。
「日和、甘いもの好きだよな。和菓子だけじゃなくて、洋菓子もいけるクチか?」
「異国のお菓子かぁ。憧れはあるんじゃがなぁ。神事の掟があるゆえ、お供え物に並ぶことはほぼ無いからのう」
みづきが提案するのは和菓子とは対照的な洋菓子である。
正式な儀式には外国文化のお供え物は用いないため、日和もお目に掛かったことはほとんどない。
「じゃあ、つくっちまおうぜ! 日和も興味あるみたいだしな」
「これ、みづき。気持ちは嬉しいが、神には嫌いな食べ物もあるのじゃ。美味しいからとて何でも受け取れる訳ではないぞよっ」
乗り気なみづきに慌てる日和。
神を敬っているからといっても、何でもかんでもお供えしていい訳ではない。
「おっ! 卵があるじゃないか! これは料理の幅が広がるぞ!」
不安そうな日和に背を向け、そっちのけで棚の戸を開けているみづき。
棚の中から現れたのはざるに山積みになった白い生卵である。
何気なく卵があれば良いなと思って戸棚を開けると、本当に目の前に現れたような感じだった。
多分、これも神様の世界の不思議設備の一つなので、そういうものだと思うことにしようとみづきは思った。
ともあれ、卵があれば料理を大幅に拡張することができる。
熱で固まり、泡立ち、乳化し、栄養価が高い、と優れた特徴を併せ持つ。
卵料理だけでなく、マヨネーズを代表とするドレッシング類も作れるようになるのは大きい収穫だ。
「だけどなんで鶏の卵があるんだ?」
「最早知っての通りじゃろうが、私の神格の本質は大地の龍じゃ。龍の神には古来より生卵を供えるのがしきたりじゃ」
きょとんとして振り向くみづきに日和は答えた。
卵をお供えする風習は龍神を祀る神社で見られる風習である。
これは龍神を「蛇」だとする考えからきているとされている。
蛇が龍となり、天へ昇るからであるとも。
御神酒とロウソクなどと一緒にして、卵はカラスや野生動物が荒らすので鍵付きの専用ケースに入れてお供えするのである。
「ああ、あったあった! 生卵なんて何に使うんだろうって思ったっけ」
みづきは神水流の神社、女神社の社務所に生卵が置いてあったのを思い出す。
子供心に卵なんて何に使うのだろうと思っていた頃が懐かしい。
「む、何の話じゃ? お供え物をしたことがあるような言い方じゃが……」
「ああいや、何でもない。こっちの話だよ」
思わず人間の三月の思い出が飛び出し、日和は怪訝そうに顔をしかめた。
ただ、敵対する蜘蛛の悪神八咫には過敏に反応したのに、さして興味が無いことはさらりと聞き流してしまうので問題はなかったりする。
「そう言えばそっか……。日和が力を使うとき、金色の龍が現れてたっけ……」
みづきは日和がまみおの魂を救ってくれたときのことも思い出していた。
神通力を行使する日和の背後に神秘的な龍が立ち上がっていた。
あれはきっと大地の神霊、黄龍だったのだろう。
「龍を蛇に見立てて卵を供物として捧げる者たちは多い。まあとはいえじゃ、蛇のように卵を丸呑みするのはちょっとなぁ……。ちゃんと料理してから頂きたいものじゃなぁ」
ただ、当の日和はちょっと苦笑いをしている。
龍神の側面を持つ女神ではあるものの、下界からの多様な信仰に多少の好き嫌いもあるようだ。
数多の神様の性質は各々で異なり、それこそ実際に聞いてみないとわからない。
「よし、とりあえず神通力を使いたいから神交法を頼むよ、日和」
「へっ? ……はふぅーんっ!?」
返事を待たず、みづきは出し抜けに日和の目をじぃっと見つめた。
すると、日和は身も心も熱くなって高揚し、自らの内から湧き上がる活力に気を失いそうになる。
それは、魂が繋がっている相手と氣を巡らせて高め合える秘術。
目を合わせて神通力を込めれば発動させられるように決めた。
日和とするのはもう何度目かになる房中術の奥義、神交法である。
「おっとっと……。平気か、日和?」
「ひぁ……」
よろけてぶっ倒れそうになったところ、すぐにみづきに手を取られるとぐいっと抱き寄せられた。
子供の身体の日和は、みづきの腕の中にすっぽり収まって顔をうずめる。
思い掛けずな抱擁を受け、満更でもなく顔を赤らめてしまった。
みづきの体温を感じながら日和は鼻息を荒げる。
──負ぶさってみて改めて感じたが、やはりみづきはたくましきシキの男……! ああ、この力強さに包まれておる温かさ、正直堪らんっ……!
「もうっ、みづきめ……。む、無用にときめかせるでないのじゃ……。私はそんな安っぽい女ではないのじゃからなっ……?」
精強な腕の中から解放され、日和は両頬を手で押さえてもじもじくねくね。
うっとりした表情に表れるのは、実は男好きなむっつりスケベな女神の本性だ。
「あ……」
と、ちらりとみづきを横目をやるもその表情は固まる。
日和の期待などそっちのけで、みづきは自分のしたいことを着々と進めていた。
「アイアノア、太陽の加護をよろしく」
『対象選択・《シキみづき》・記憶領域より特質概念を召還』
『《エルフ・アイアノア》・キャラクタースロットへの挿入完了』
日和と高め合った神通力を用いて、特質概念と化したアイアノアを召喚した。
シキのみづきは人間の三月よりも身長が低いため、アイアノアのほうが三寸少し(10センチ程度)背が高い。
そして、小さな太陽のような光の球、太陽の加護を呼び出して頭上へと浮かび上がらせた。
地平の加護の完成度と成功率を高め、みづきは何かを始めるみたいである。
日和はそれがとっても面白くない。
「みづきっ、私と神交法で盛り上がったすぐそばから何を他のおなごを呼び出しておるんじゃっ!? 節操無しにも程があろうというものじゃろうがっ!」
「何で怒ってるんだよ? 俺の神通力を完成させるためにこの光の球、太陽の加護が必要不可欠なんだ。──そうだよなっ?」
がなり立てる日和を怪訝に見つつ、みづきが視線を送ると概念体のアイアノアもそれに応えて見つめ返していた。
本物と同じくにっこりと笑みを浮かべる。
「むむむ……! このおなごは……」
日和はみづきに微笑むアイアノアの概念体をしげしげと見上げていた。
──確かに天女と見紛うばかりの器量良し……。長い耳は福耳の一種かのう……。日輪の光を後光の如く携える姿は神々しくさえある……。
エルフの美女は見たことがなく、福耳は耳たぶが大きいものだが耳介が長い耳もそうした趣を感じられる。
太陽の加護の輝きは後光さす神通力であると言えなくもない。
──それにしても、なんたる、なんたるけしからん身体をしておるおなごじゃ!? その乳房の大きさは反則じゃろうっ! 元の姿の私や夜宵より大きいのではないかっ!? おそらく、子授けやら安産祈願の神の類いに相違ないのじゃっ!
そんなことよりも日和が度肝を抜かれたのが、豊満が過ぎる胸が際立ったアイアノアの迫力満点な肢体だ。
思わず女性向けな御利益を授けてくれる何らかの神ではと勘違いするほど。
「それに比べて、今の私は……。とほほ……」
がっくりしながら自分の胸を衣服越しにぺたぺたと触る日和。
今の縮んだ身体では何の膨らみも感じられず、惨めな気持ちで落ち込んだ。
「ん? なにしょげてんだ、日和?」
「何でもないわいっ! それで、この西洋のおなごは何者なのじゃ? 試合のときにも呼び出しておったが……」
日和はアイアノアをじろじろ見て眉を八の字にしている。
見慣れない金髪や長い耳も気になるものの、どうしても視線は大きな胸にいってしまう。
「相棒のアイアノアだよ。俺に加護の力を与えてくれる、勝利の女神さ」
あっけらかんとみづきが答えると、隣のアイアノアはぺこりとお辞儀をした。
但し、それを聞いて日和は大声をあげる。
相棒はまだ許せても、女神の名を出されては黙っていられない。
「な、なぁっ!? おぬしの女神は私じゃろうがっ! 浮気は絶対許さんぞー!」
「何だよ浮気って。日和は日和、アイアノアはアイアノアで役割が違うってだけの話だろ。つまらないヤキモチ焼くなよな」
また憤慨している日和を尻目に、みづきが目配せをするとアイアノアの概念体はすぅっと姿を消した。
後には太陽の加護だけが寄り添うように残った。
「や、ヤキモチなぞ焼いとらんわっ! ……まったく、支度ができたら呼んでおくれなのじゃ。それまで部屋で休んでおるゆえ……」
「おう、楽しみにしててくれ」
顔を真っ赤にしつつ、急にいなくなったアイアノアを探してきょろきょろしながら日和は供物の納戸から大股で出て行った。
「そんじゃ、つくるかっ!」
日和が土間を上がり、障子の向こうの部屋に消えたのを見送ると、みづきは手をぱんと叩いて納戸のほうへと振り返った。
世話になった日和のため、地平の加護と太陽の加護を駆使して、神々の異世界ではまだ見ぬお菓子を作り上げるのだ。




