第194話 天神回戦に新星現る!
勝敗は決まったも同然なのに、負けを認めない冥子にみづきは心を鬼にする。
神鎮めの花嵐の花びらを舞い散らせて地獄の獄卒鬼を逆に苛んだ。
「冥子がどうしても最後までやりたいってんなら、不本意だけど付き合ってやるよ。だけど、俺にだって考えがあるぞ。俺は、俺のやり方で冥子の覚悟を打ち負かしてやるからな! 言うなりゃ、それが俺の覚悟だ!」
一旦、退魔の花弁を降らすのを止めてみづきは言い放った。
もう立ち上がれない冥子に動かない敗北を突きつけ、情を忘れた振りでつれなくして言った。
本物の鬼を相手に心を鬼にするとは妙だと、内心で苦笑いながら。
「勝ち目の無い試合で惨めにのたうち回って、それでも負けを認めないなら仕方がない。そうやって、格好悪いところを多々良さんや他の神様たちに晒し続けてるがいいさ。こんな悪あがきが冥子の覚悟だなんて俺はがっかりだけどな」
冥子は赤い目を見張り、焦燥感にまみれた顔をしていた。
多分、みづきにこんな勢いで罵られるなんて思いもしなかったのだろう。
「何なら今から多々良さんに、冥子が負けを認められるよう頼んできてやろうか? 優しい多々良さんのことだ、きっとよく頑張ったって許してくれるさ」
神々の観覧席を後ろ手に指し、畳み掛けるように言った。
「それとも俺にこてんぱんにされた後、まみおのときみたいに日和に頼んで冥子を蘇らせてもらおうか? 願いを叶えてもらえるように責任を持って話を付けるから心配すんなよ」
自分たちの主の名をダシにしてまで、なおも冥子に迫った。
事は自分たちの都合だけでは済まないのだと、社会の仕組みを思い知らせる。
自他を繋ぐ世の構造は神々の世界でも変わらない。
各々が本当に成すべき使命を見据えて、これからも続く未来を放棄する無責任を容認しない。
「冥子、選べよ!」
みづきは叫び、泡を食っている冥子に選択肢を与えた。
「多々良さんの前で、このまま痛めつけられる無様を続けるのか。俺に完膚なきまでにやられた後、日和に迷惑を掛けて復活させてもらうか」
冥子に求めるのは試合の結果に対し、貫きたい覚悟とやらの代償だ。
「──或いは、潔く負けを認めて次の機会まで雌伏の時を過ごすかだ!」
それが払えないのなら、用意した逃げ道をおとなしく進んでもらう。
そこまで言うと、みづきは静かに冥子の応答を待った。
「……っ! ……ッ!!」
冥子は何かを言いたげに口をぱくぱくしているが、言葉は出てこない。
冷や汗びっしょりに歪めた牛の顔面から、大変に逡巡しているのが見て取れた。
みづきらシキにとって、自分の命は自分のものというだけでは済まされない。
奇しくも、多々良に散々と日和を困らせては駄目だと諭された。
主に尽くし、主のために精一杯生きることがシキの本懐であろう。
それは冥子だってよくわかっている。
みづきも察したから、潔くなれるように背中を押すことにした。
『記憶投影・《シキみづきの恐怖の記憶》』
『対象選択・《牛頭鬼の冥子》・効験付与・《感覚共有》』
いつの間にかみづきの隣に、概念体のまみおが立っていて印を結び、幻術を展開させている。
まみおだけでなく、みづきの後ろにはアイアノア、清楽、牢太も立ち並んでいた。
いずれも倒れた冥子をじっと見つめている。
さらにその後ろ、巨体の牢太が霞むほどにもっと大きな存在が立っていた。
冥子がそれを他と見間違える訳もない。
山ほどに見上げる高さから、神の本性を現した多々良の顔が見下ろしていた。
その表情は憤怒である。
無論、それはみづきが先日に味わった多々良の恐ろしさの記憶に過ぎない。
しかし、地平の加護の感応力が伝える畏怖の念は本物と変わりがなかった。
『善き美鋼たるか、はたまた悪しき屑鉄たるか、汝はどちらか? ──冥子よ!』
またも呼び出した幻影の言葉を加工して喋らせる。
地平の加護とまみおの幻術が合わさってこそ実現できた外連味のある見世物だ。
まさにみづきは、多々良の威を借る狐──。
いや、狸であった。
「二位?! 二位ぃー!? あわわわ……!」
当の本物のまみおは、天眼多々良の恐るべき真の姿を初めて目の当たりにして、夜宵の幻影を見せられたときと同じくあたふたしていた。
「た、た……! 多々良様ぁぁ……!」
但し、今の冥子には幻でもそれで充分であった。
口許に泡を吹くほど見下ろす男神の威光に震え上がっている。
まるで多々良に本当に怒られているようで、あっけなくも心が折れてしまう。
「うっ、うぅ……! うぐぅっ!」
声が詰まり、嗚咽が漏れ始めた。
赤い目に大粒の涙が浮かぶ。
冥子は美鋼でありたかった。
屑鉄などにはなりたくない。
ここで討たれれば屑鉄と成り果てるのみだが、今は耐えて鍛錬に励めばいずれはみづきに勝てるほどの美鋼となれるかもしれない。
雌伏の時を甘んじて耐える、確かにみづきの言う通りだった。
「……わ、わかったわよぉ! 私の負けよぉっ! うわぁぁーんっ!」
冥子はとうとう大声をあげて泣き出してしまう。
そして、はっきりと負けを認める言葉を口にした。
試合の勝敗は決したのである。
「東ノ神、天眼多々良様のシキ、牛頭鬼の冥子殿の降参宣言につき! 勝者、西ノ神、合歓木日和ノ神様のシキ、みづき殿!」
高らかに声を響かせ、審判官の姜晶の木笏が振られた。
その判定を聞き、堰を切ったみたいにどっと歓声があがる。
それはみづきへの声援であり、冥子の健闘を讃える声でもあった。
「冥子、ひどいこと言ってごめんな。いい勝負だったよ、またやろうな!」
「本当よぉ、絶対にまた勝負しなさいよねぇっ……! 私っ、もっと強くなって、いつの日かきっとみづきをぶちのめしてやるんだからぁっ……!」
負けを認めてもらえてほっとするみづきは、冥子の頭を優しくさすった。
冥子は滝の涙をばしゃばしゃと流しておんおん泣いていた。
これが本当の鬼の目にも涙なのだろうか。
二人のそんな様子を見届け、みづきの呼び出した概念体たちは消えていく。
アイアノアと清楽は静かに微笑み、牢太は腕組みをしてにやりと笑い、多々良の幻影も満足げに笑みを浮かべていた。
そして、まみおは得意げに鼻をごしごしと掻き、空気に溶けて見えなくなった。
「むむぅ……」
と、難しい顔で唸っているのは特別観覧席の日和だ。
試合の勝者に与えられる太極天の恩寵を授かったばかりではあるが。
「今回は元の姿には戻れなんだか……。創造の秘術を使ってしまったからのう……。みづきが無茶をさせるからじゃぞ、まったく……」
心なしか力が戻ったような気はするが、その身体は縮んだ幼子のまま。
思い当たるのは日和の神威、創造の秘術を使ってしまったからに他ならない。
消耗が未だに激しく、一度勝利したくらいでは元の姿に戻れなかった。
なので、せっかくの勝ち星ではあったものの、末席の順位は変わらない。
「──まぁ、今回のところはこれで良い。よろず円満、事も無しじゃ」
眉尻を下げ、試合会場のみづきを見つめる日和の顔は笑っていた。
その隣、苦手な怒りの本性を再現され、少しばかり照れている多々良。
「ふふふっ、何とも複雑な気持ちだよ。それにしても、みづきは大したシキだね。出会い、戦った相手の力を着実に我が物としていくようだ。戦えば戦うほどに強くなるシキ。これは油断がならない。──慈乃、次からは気をつけようね」
「……はい、精進致します……」
さらに隣に多々良が目線をやると、顔を伏せた慈乃がか細い声で答えた。
優秀な慈乃を思ってこその注意だったが、随分と応えてしまったようである。
多々良は困り顔に苦笑を浮かべ、そして、みづきのことを思う。
──間違いない、あれは蜘蛛切りの剣。随分と懐かしいものだ。日和殿を救うのはまたしても蜘蛛切りの剣士──、それを宿すシキとは……。
それはみづきが果たした約束の一つ。
神鎮ノ花嵐を放ったことの結果である。
多々良の顔からして、納得のいく答えは得られた様子だった。
「みづきには益々と運命を感じるね。何か重大事の起きる兆しやもしれない」
そう呟くと、淀みない動きで立ち上がる。
試合には負けたが、多々良の気分は晴れやかであった。
「さて、敗者は去るとしよう。日和殿、それではまたの機会に」
「うむ、またなのじゃ。多々良殿」
言い残し、多々良は終わりなき歓声を聞きながら、ゆったりとその場を去った。
と、その背中を見送った日和は後ろをくるりと振り返る。
そこにはお付きの慈乃がまだ座り込んで動かず、しゅんとしている姿があった。
「ほれ、慈乃姫殿。おぬしの主は帰ってしまったぞ。行かなくてよいのか?」
日和がそう言うと慈乃は幽霊みたいにゆらりと立ち上がった。
そのまま何も言葉を発さず、ただならぬ気配ですぅっと去り行く。
敗れた陣営の腹心、慈乃の胸中はいかなるものだろう。
──牢太に続き、冥子までも……! あれほど言いつけておいたのに敗北を喫するなど……! 覚悟をしておきなさい、私が直々に鍛え直してあげます! 多々良様の顔に泥を塗った責、身を以て思い知りなさいッ……!
「……私は認めはしない。牢太や冥子を打ち破ろうと、私は絶対に負けはしない。必ずや次なる試合でみづきを消し去り、多々良様にお間違いを気付かせて差し上げなければ……!」
もう見えない多々良の背を追いながら、慈乃は怒りに我を忘れていた。
何よりも信を置かなければならない多々良を信じられなくなっている。
なのに、自分でそれに気づけていない。
すべてはみづきを憎み、多々良の心を独り占めしたいがために。
みづきの登場に心を乱されて以来、冷静沈着な夜叉姫は形を潜めて久しかった。
「まみお、やったぜ! 約束通り、仇は取ったぞ!」
みづきが言うのは、勝手に結んだ約束の結果である。
まみおは一般の客席に紛れて隠れているつもりだが、地平の加護の力で居場所はきっかりと割れていた。
そちらに向かってにっと笑い、右手を高く挙げて人差し指と中指を離して立てる仕草をして見せた。
曰く、勝利のVサインである。
「み、みづきっ……!?」
それを見たまみおは驚いて飛び上がった。
そんな気はしていたが、やはりみづきは自分がここに居るのを知っていた。
だから試合の最中、こちらを意識したような戦い方をしていたのだ。
受けなくてもいい冥子の大技を、わざわざと受けて見せた。
あれには、まみおが倒された技を跳ね返してやったぞ、という意味が込められていたのだろう。
自分を模した幻影の力を前面に押し出していたのもきっと同じ理由だ。
「うぅー……」
頭を抱えて俯くまみおの顔は真っ赤になっていた。
居心地悪そうにもじもじして、ほっかむり越しに頭を掻き、頬を両手でぱんぱんと打つ。
どうにも顔の筋肉が緩むのを止められない。
と、がばっと顔を上げる。
「ふんっ……! こっ、こんなことされたってなぁ、うぅ、嬉しくも何ともないんだからなっ……! ちくしょうめっ、こんにゃろうめっ……!」
独りごちると、ぼわんっと白い煙に包まれた。
人間の姿から元の狸の姿に戻り、周りを驚かせてそそくさと会場を走り去る。
ひらりと舞い落ちる、唐草模様の手拭いだけが客席に残った。
「──あの子供、本物のまみお様だったの?」
まみおの敗北の眠りを心配していた神族の観客は、それはもう驚いていた。
太極天の社を飛び出し、自分の神域に帰ろうと天に向かって走っていくまみおの横顔には笑みが浮かぶ。
みづきが守った約束と、まみおへの手向けはこれからの縁にどういった影響を及ぼすのやら。
「それじゃ、姜晶君。気持ちよく勝てたところで、そろそろ俺行くよ。今日も審判お疲れ様っ! またよろしくなっ!」
鳴り止まぬ拍手喝采を受けながら、みづきは姜晶に一時の別れを告げる。
その後ろでは、多々良が遣わした小鬼の群れが動けない冥子を回収している最中だった。
冥子はまだ泣き止んでおらず、今はそっとしておいたほうがいいだろう。
「はいっ。ご勝利おめでとうございます。本日も素晴らしい取り組みをありがとうございました。みづき様のさらなるご活躍をお祈り致します」
深々とお辞儀をして頭を上げる姜晶の目に映るのは、手を振りながら颯爽と去り行くみづきの背姿。
今回は笑顔で見送ることができた。
美男子というには可愛らしさが際立つ、少女のような微笑みを姜晶は浮かべる。
──順列第二位の多々良様を相手に二度もの勝利を収められるなんて……。みづき様の実力は間違いなく本物です。敗北の眠りの瀬戸際で、日和様は本当に凄いシキを生み出されました。──いいえ、ただ凄いだけじゃありませんっ。
そして、試合が終わっても興奮冷めやらぬ会場の盛り上がりを見渡した。
思わず口に出た言葉は、今後の天神回戦の先行きに期待を寄せる姜晶の個人的な気持ちであった。
「こんなにも天神回戦が晴れ晴れしく盛況の様子を見せるのは久方振りのことです。もしかしてみづき様ならば成してくれるでしょうか? 夜宵様一強の不動なるこの形勢に楔を打ち込み、嵐の中心と成り得ることができるでしょうか?」
黄金色の空を見上げ、誰に言うでもない姜晶の問い掛け。
いや、年若い新任とはいえ、神聖なる天神回戦の審判を任されるほどの姜晶には意思を疎通できる大いなる主が存在した。
それはこの大祭に携わる信徒たちの長であり、太極天の意思の代行者は姜晶らと願いを共にしている。
多々良も憂いていた神々の世界の偏りに、変革が訪れるのを望んでいた。
「──太印様、貴方が渇望されておられた御方がついにご登場されたのではないでしょうか。天神回戦に旋風を巻き起こし、輝かしき新星となられる御方が……!」
神々の武の祭典に突如現れた、これまでに類を見ない一人のシキ。
聞けば、彼の創造の女神、日和のシキだという。
摩訶不思議な術を操り、あろうことか太極天の恩寵を授かる自在術の持ち主。
そのシキは、順列第二位の天眼多々良との戦いを二度も勝利して見せた。
長く形勢が動かず、停滞した天神回戦に揺らぎが起こっていた。
皆は期待する。
絶対王者たる破壊の女神、睡蓮花夜宵ノ神に迫る強者の登場に期待する。
誰かが言った。
そうして、それは伝聞されていった。
天神回戦に新星現る、と──。




