第190話 対決、牛頭鬼の冥子2
「凄い歓声ですね。みづき様の勇姿に、神々や列席の皆様が関心を示されておいでです。今やもうみづき様は、天神回戦の注目の的でございますね」
姜晶はもう一度改めてお辞儀をして言った。
そう言われて、いつもよりひときわ大きいこれらの声援が自分に向けてのものだと気付き、みづきは驚いて目を丸くしてしまう。
試合はまだ始まっていないのに大変な賑わいであった。
「……色々と目立ってしまってるみたいだなぁ、俺。だんだんと日和のシキだっていうことがどういうことなのか、わかってきた気がするよ……」
「ふふふっ……。僕は審判の立場ですので肩入れなどはできませんが、個人的にはみづき様を応援させて頂いております。どうかご武運を」
苦笑いするみづきに笑顔を送ると、姜晶は踵を返して定位置へと戻っていく。
そんな後ろ姿を見送りつつ、みづきは神々の観覧席のほうを向いた。
「……」
眉根を上げて無言で見つめるのは、微笑む多々良といかめしい慈乃の顔だ。
今日の試合相手たる冥子の主へと、挑戦的な視線を投げる。
天眼多々良陣営との二度目の対決である。
「──んっ?」
ふと、今度は神々の席とは別の方向、南側の一般客のほうに気を取られた。
頭の中で地平の加護が信号を打ち、その反応をみづきにしっかりと告げていた。
ちらりと振り向くその先に、視界が拡大するように意識が集中する。
大勢がひしめく観客席に目立たないようにこっそりと。
そこに居たのは人の姿に変化している、ほっかむりをしたまみおであった。
「まみお、あれで変装したつもりかよ。丸わかりだ……」
やれやれといった顔で、くっくっくっと笑う。
洞察済み対象のことなら、変装していようがいまいが関係はない。
みづきの知覚範囲に居れば、どんな方法で隠れても気配を消してもたちどころに全部がわかってしまうのである。
地平の加護の索敵からは絶対に逃れられない。
「ありがとな、来てくれて。──じゃあ、しっかりと見ててくれよな」
ただ、今はそんな隙の無い権能に感謝である。
こうして、まみおがちゃんと観に来てくれているのがわかるのだから。
『まみおの仇はきっと俺が取ってやるからなーっ! 約束だーっ!』
それは図らずも交わしたまみおとの、神との約束である。
決して違えることは許されず、絶対に履行されなければならない定めだ。
弱かろうがまみおとて神。
結ばれた約束を見届ける義務がある。
気のせいか、遠く離れた試合会場のみづきがこちらを見ているような気がする。
まみおはごくりと唾を飲み込み、誰にも聞こえない声で言うのだった。
「……あれはおいらとの約束、なんだよな。だったらみづき、おいらは見てるぞ。……だから、頑張れよ。絶対に負けんなっ」
まみおの言葉がみづきに届いたかどうかは定かではない。
しかし、確実に気持ちは伝わっている。
みづきは笑みを浮かべたまま歩を進めた。
そして、目線を上へとぐいっと上げた。
目の前にそびえ立つのは、恐ろしき人外の化け物、地獄の鬼の巨躯である。
みづきの対戦相手、冥子との対峙だった。
「悪いな、冥子。俺の八つ当たりに付き合わせたみたいに試合させてさ」
いたって軽い感じのまま、みづきは冥子を見上げて言った。
対し、赤い目をぎょろりと動かし、鼻息の荒い冥子の凄みある声が降ってくる。
「気にしないで頂戴。どんな形であれ、みづきと試合ができるのなら大歓迎よ」
試合をすればほぼ無敗の多々良陣営についた稀な黒星。
それをつけたみづきの打倒は、冥子にとって是非とも成し遂げたい使命である。
「そっか。ようし、じゃあ、遠慮無く胸を貸してもらうとするよ」
「あらいやだ、みづきはとんだ助平ね。胸を貸して欲しいだなんて、殊勝が過ぎるわよ。私はみづきを軽く見たりなんかしてないんだから」
立派過ぎる胸を張り、冥子の牛の口許がにやりとつり上がる。
胸を貸すとは、実力が上の者が下の者との練習に付き合ってやる、という意味を持っている。
しかし、冥子はみづきが自分より格下だなんて思っていない。
それはみづきも然りであり、化け物相手と試合をするのはもう慣れたものだ。
自分よりも遙かに大きい冥子を前にしても物怖じをしない。
いや、シキの戦士としての戦意が恐怖や迷いなどの感情を抑え込んでいる。
目をぎらつかせ、軽口を叩く余裕すらあった。
「……それにしても冥子。できれば人間の姿で試合をお願いできないもんかな? せっかくの美人が台無しだ」
「あーら、みづきったら! 人間の姿の私を気にいってくれたのね。美人だなんて嬉しいわ。褒めてくれてありがとうね」
それは確かにその通りで、みづきの美的感覚で物を言うのなら、人間の姿の冥子は大柄な筋肉美女だが、今の牛頭の巨体からは物恐ろしさしか感じられない。
人の形態は仮の姿で正体ではない。
とはいえ、その容姿を褒められるのは冥子も悪い気はしないようだ。
強面の鬼の顔が、目を細めて柔らかい笑みを浮かべた。
しかし、今の冥子はそんな生易しい相手ではない。
人間を苛む地獄の鬼なのだ。
「でも、駄ぁ目ッ! この姿こそ私の真の力を発揮できる本当の姿っ! 多々良様のために全力でいかせてもらうわ! さっきも言った通りよ、私はみづきを決して侮ったりはしない!」
打って変わり、歯を剥き出しにした険しい形相をして、荒い鼻息と一緒に大声で叫んだ。
金砕棒をぐるんと回して、先端をみづきに突きつける。
「この試合でいいところを見せて、多々良様に強い私をお褒めになって頂くの! みづき、悪いけど手は抜かないわよ!」
冥子の振るった極太の得物が、風を起こしてみづきの前髪を揺らした。
依然、怯むことのないみづきは姿勢を低く、抜刀の構えを取る。
「手を抜けないのはこっちも同じだっ! 負けられないのは元より、冥子に勝ってまみおの仇を取らなきゃいけないからな!」
戦いの気合いは端から充分であった。
三度目の天神回戦に至り、みづきはとうとう迷いを捨て去った。
「それにこれは、俺のけじめのためでもある! こっちも本気で行くぞっ!」
雄々しく叫ぶと、何も無い腰の辺りの空間から刀を一気に抜き払う。
『《女神日和の拵え・不滅の太刀》・洞察済み記憶格納領域より召喚完了』
白い輝きを放つ、一振りの美しい刀がみづきの手にあった。
日和が授けた創造の神剣、決して朽ちないその名の通りの、不滅の太刀。
正眼に構え、圧倒的な体格差も何のそので冥子を堂々と相手取る。
「それでは双方とも、互いに油断無く構えて!」
殺気立つ二人から距離を取り、姜晶は木笏を高々と振り上げた。
場内が一瞬しんと静まった。
機は熟し、試合が始まる。
「いざ、尋常に勝負、──はじめッ!!」
姜晶が叫び、その手の笏が振るわれ、戦いの火蓋は切って落とされた。
玉砂利のシキ、みづき対牛頭鬼のシキ、冥子。
「グモォオオオオオオオオゥーッ!!」
試合開始早々、冥子は地を蹴り、雄叫びをあげながら突撃をしてきた。
軽々と振り上げた黒鉄の金砕棒を正確にみづき目掛けて叩きつけてくる。
みづきは素早く後ろに飛び下がってかわすが、金砕棒が激突した地面の土は抉れ、信じられないほどの威力が込められているのが一目にわかった。
「逃がさなぁいっ! みづきぃっ、待ちなさいなぁっ!」
「けっ、やなこった!」
大振りの一撃なのに、二撃目三撃目と連続して縦横無尽に金砕棒が乱舞する。
次々打ち込まれる猛撃に、みづきは飛んだり跳ねたりと身軽な回避を披露し続け、冥子も執拗にその後を追い掛けてきた。
試合会場の地面を牛頭鬼の重い攻撃が滅多打ちにし、激しい音が響き渡る。
「昨日の今日でまみおとの連戦のはずなのに、滅茶苦茶元気だな冥子はっ! 無理させて悪いかなって、思ってたんだけどなっ!」
暴風のように振り回される金砕棒を避けながら、目まぐるしく回る視界の中心に冥子を捉え続けてみづきは叫ぶ。
こんな状況でも昨日から連戦を重ねている冥子の心配をする程度には戦いに順応できている。
「お気遣い痛み入るわねっ! だけど、心配は無用ッ! まみお様には悪いけど、あの程度の戦いならあと何戦だっていけちゃうわよッ! アッハッハッハ!」
「──そうかよ!」
地獄の獄卒にそんな心配など要らぬ世話である。
徐々に冥子の動きに慣れてきたみづきは、振り下ろされる金砕棒を紙一重にかいくぐると、一転して反撃に出た。
不滅の太刀の刃を冥子の脇腹に走らせる。
相手の動きに合わせた、完全な拍子の返し技であった。
しかし。
「軽い軽い! そんなんじゃ私を痺れさせるどころか、毛ほどの傷も付けられないわよ! もっと刺激の強いのを頂戴なっ!」
元より鋼の肉体を持つ冥子には、ただ鋭いだけの刀の一閃など通用しない。
表面がざらついた金属に切りつけたような振動が手に伝わってきた。
こんなものではダメージは与えられない。
「ちっ! 牢太と一緒で、頑丈なお肌してんだなっ! ──おっと!」
不敵に笑ってみせるみづきに対して、冥子は振り向きざまに金砕棒の先端を鋭く突き出して追撃を掛ける。
巨体からは想像できないほどの速度で何度も何度も鋼鉄の突きを繰り出した。
得物を振るだけでなく、その棒術は多彩である。
「そらそらそらぁっ! これならどうおっ!?」
「お、おおっ! 俺、凄え動けてるぞっ! 本当、シキの身体は最高だなっ!」
しかし、それらのいずれの一撃もみづきを捉えることは叶わない。
みづきのシキの戦闘能力と地平の加護の権能が、そろそろと一体化しつつある。
地獄の獄卒との戦いは二度目で、前回の経験は今回に生かされている。
着実に冥子への洞察干渉は進行していた。
「ふふん! 流石ね、私の金棒捌きをいなすとは。でも、まだまだこれからよ!」
自分のすべてがみづきに見切られていくのを知らず、冥子は戦いの熱に心を高揚させる。
期待以上のみづきの身ごなしに感服し、試合に夢中になっていた。
「続けて行くわ! ──来たれ、衆合地獄! 出でよ、剣山刀樹ッ!」
武器を持つ手と逆の空いた手で刀印を組む。
にわかに冥子の身体から、煙のようなどす黒い気体が噴き出した。
それは暗黒の妖気で、冥子が引き連れてくる地獄の世界を呼び寄せる。
地獄の獄卒鬼は自らの領域を戦いの場に召喚することが可能なのだ。
「剣の森の葉の刃! 無数の切り裂きでずたずたのばらばらになるがいいっ!」
黒の妖気に紛れ、冥子の巨体が消えていく。
代わりに会場全体を揺るがす地震が発生し、地鳴りが長く轟いた。
地面から次々と生えてくるのは鉛色の巨木の数々だ。
多くの枝葉は全てが鋭い剣の刃となっていて、近付く者、触れる者を容赦無く傷つける。
それらの木が折り重なり、見上げるほど高く盛り上がって、山そのものへと変貌してしまった。
そして、剣の枝葉が作り成した森の高所、その頂天に。
「ほぉら、上がっておいで、みづき。お望み通り、人間の姿になってあげたわよ。冥土の土産に私の美しさを目に焼き付けておきなさいな」
一度は消えた冥子が黒いもやと共に現れた。その姿は牛頭鬼の異形ではなく人間の形態である。
高いところから、上から目線でみづきを見下ろしている。
鋭利な葉の巨木上に立ち、腰をくねらせ、妖艶な笑みを浮かべた。
両手を上向きに差し出して、挑発的に抱擁の仕草をみづきに向ける。
豊満過ぎるほどの両乳房を、薄い胸当て越しにど派手に揺らしていた。
「こりゃ、衆合地獄の刀葉林か。牢太と同じで冥子も呼び出せるんだな……!」
みづきは金属質にきらめく森を見上げて呟いた。
衆合地獄では殺生や盗み、邪淫を犯した罪人が落ちる地獄とされている。
剣の葉の木々の向こうには美しい女や男が居て、罪人たちにおいでおいでと手を振って招き寄せようとする。
妖しくも誘われ、剣の枝葉で切り刻まれながら美男美女の所へと辿り着こうともその姿はどこにもなく、傷だらけで辺りを探すと再び遠く離れた場所に現れる。
さながら冥子自身が地獄へ誘う美しい女となり、みづきをまんまと惑わし細切れにしてやろうという目論みであろう。
「……ほんとなら、そんなとこまで登っていってやる義理はないんだけどな」
みづきは高々とした場所で色香を振りまいている冥子を見て苦笑した。
あんな見るからに危ない場所へと、地獄に落とされた訳でもないのにわざわざと踏み込んでいくような理由は本来なら無い。
しかし、そうは問屋がおろさないのが天神回戦だ。
「多々良様や日和様、他の神々の御方様がご照覧になっておられるわよ。私の地獄の見世物にみづきはどう応えてくれるのかしら? ウッフッフッフ!」
冥子が得意げに木々の上で嗤っている。
発現させた地獄の様子に、観客からは大きな歓声があがっていた。
これはただの戦いではない。
天神回戦の奉納試合なのだ。
際立つ有様の大技を披露され、これに真っ向から挑んで応え、見事に打ち勝たなければならない。
天晴れな戦いを双方の主へ。
何よりこの地を統べる太極天に捧げなくてはならないのだ。
奇しくもそれを教えてくれたのは、他ならぬ冥子であった。
このまま遮二無二突っ込めば、いくらシキの肉体だとてただでは済まない。
しかし、みづきには怖じ気づいて逃げるつもりも、剣の山で無様に踊るつもりもさらさらなかった。
「それじゃ、本格的に行くぜ! ──雛月、宜しく頼んだ!」
『《太極天の恩寵》・黄龍氣へ変換』
みづきの声と思いに、即座に地平の加護が応えた。
頭の中に感情の無い雛月の声が鳴り、備えた力の本領を発揮させていく。
何せここは、地平の加護の動力の源泉、太極の山の直上なのだから。
みづきの足下から金色の光が立ち上がり、全身を眩く包み込んだ。
神々の観覧席の後ろ、太極天の社が輝き、試合会場全体が微動する。
観覧する神も客たちも、いよいよとお目見えする太極天の神通力に湧いた。
「こっちもお望み通りにしてやるよ。ご自慢の地獄も今の俺には通用しないっ!」
正眼の構えのまま、みづきは目を閉じる。
頭に思い描くのは、記憶の彼方から来たる救いの仲間のありありとした姿。
『対象選択・《シキみづき》・記憶領域より特質概念を召還』
『《エルフ・アイアノア》・キャラクタースロットへの挿入完了』
地平の加護の真の使い方、洞察済み対象を丸ごと自身へ付与をする。
みづきの考えた名の言葉、特質概念とキャラクタースロット。
早速とそれを採用してくれている地平の加護に、雛月の確かな意思を感じた。
みづきの精神の余剰域に、異世界の相棒であるエルフの彼女が差し込まれる。
すると、すぐ隣に概念体として構築されたアイアノアの美しい姿が現れた。
長いまつげの緑色の瞳をぱちりと開け、みづきを見るとにっこり微笑む。
二人は目線を合わせ、無言で頷き合った。




