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第19話 大いなる使命にごめんなさい

 それからややあって。

 料理が出来上がるまで、キッキの運んできてくれたホットミルクのマグカップに口を付けながら一息をつく。


「──でも、驚いたなぁ。まさかミヅキがねぇ……」


 トレイを胸に抱き、キッキはミヅキをまじまじと見つめた。

 思い出しているのは自分やガストンら兵士を守った、あの凄まじい付与魔法だ。

 ドラゴンの炎を防いだだけでなく、それをそっくり真似してみせた。


「あんな凄いことができるんなら、もう記憶は戻ったってことなんだよな?」


 キッキの質問は真っ当であるが、ミヅキにはそれに関する自覚は無い。

 あの付与魔法、──地平の加護の使い方は唐突に頭に思い浮かび、自然に当然として実行できてしまったのだ。


「いやあ、やっぱり今朝から前のことは覚えてないし、どうして俺なんかにあんな大それたことができたのかはよくわからんままだよ」


「え? なーんだ、そっかぁ」


 ミヅキの答えに拍子抜けしたキッキだが、前の席に着いていたアイアノアがすかさず口を挟んだ。


「ミヅキ様があのような途方もない魔法を発揮された理由、それはもちろん──」


 手の平を上向きにぴんと伸ばし、ミヅキのほうを指し示して。


「ミヅキ様が神託に選ばれし勇者様だからに相違ありません。すべからくミヅキ様は伝説のダンジョン、パンドラに挑み、踏破を成し遂げられる運命の星を背負ってお生まれになったのです」


 多少の大げさ感を醸し出しつつ、アイアノアは雄弁に語るのであった。

 真面目な顔で真っ直ぐな目をしてミヅキを見つめている。


「ふーん、記憶喪失は治ってないけど、やっぱりミヅキが勇者なのかー。へーえ」


 実際に凄まじい魔法を目の当たりにしたキッキは、もうその事実を疑わない。

 まんまるの目をぱちぱち瞬かせてミヅキを覗き込んだ。

 と、少し残念そうな顔にもなった。


「でも、そしたらミヅキ、パンドラの攻略に旅立っちゃうんだよな? 今、ミヅキがいなくなるのは厳しいなぁ……。せっかく配達とか仕事も覚えてきたのに……」


 しゅんとしたキッキの猫耳は後ろに倒れ、尻尾は元気なく下がっていた。


 パンドラに挑む使命に当然臨むものだと思っているらしい。

 ミヅキにとってそれはとても心外だったが、労働力として頼りにしてくれていることには安堵を感じた。

 さて置き、今後の身の振り方についてはミヅキにも思うところがある。


「まぁ待てって。まだダンジョンに挑むかどうか決まった訳じゃないぞ。俺にだって都合ってもんがあるし、それに……」


 テーブルの横で目をぱちくりしているキッキと、厨房のパメラに視線をやる。

 そして、またも不安そうな顔のアイアノアと、冷めた感じのエルトゥリンの顔とを見比べた。


──危険なダンジョンに行くのが単純に嫌だってのはもちろんだけど、それ以前に俺はこの宿に拾われて世話になった恩があるみたいだ。ここの手伝いをする先約があるのに、他の約束を取り付けるのはどうにも性に合わないな。


 それはミヅキの生来の性格であり、世渡りの考え方であった。

 いくら勇者の使命が大事だったとしても、パメラとキッキとのことを放り出してそちらを優先させるのは違う気がした。


「──大事な使命だからって、急にこの店のことを投げ出すのはやっぱり駄目だ」


 だから、自然とそんな言葉が出ていた。

 信念に従うというのか、そうした行動理念は自分にとって正しいと感じる。

 これが夢物語だとしてもそれは変わらない。


「ミヅキ、お前……」


「ミ、ミヅキ様っ……?!」


 予想外のミヅキの言葉にキッキは意外そうな顔で驚いていた。

 アイアノアはわかりやすくガーンとショックを受けた顔をしてしょげてしまう。

 今にも泣きそうな顔で、上目遣いにもじもじしながら。


「……あのぅ、まさか、ミヅキ様……」


 消え入りそうな声で、とうとう尋ねにくい質問を投げ掛けてきた。

 

「……もしかして、神託に従ってパンドラに挑まれ、その使命をお果たしになるのは、お嫌ですか……?」


 アイアノアにとって、神託の通りに使命を全うするのは絶対だったのだろう。

 勇者を助け、困難を共に乗り越えて伝説のダンジョンをいつかきっと踏破する。

 そこに僅かの疑いも無かったというのに。


「うん、ごめんなさい。丁重にお断りさせてもらうよ」


 ミヅキは申し訳なさそうな微苦笑を浮かべ、ぺこりと頭を下げた。


「えええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!?」


 きっぱり即答で断るミヅキに、アイアノアは間髪置かずに大きな悲鳴をあげた。

 驚愕した表情で、羽ばたくばかりの勢いで両耳をぱたぱた上下させると、椅子から立ち上がりミヅキのほうに前のめりになる。

 目の前で彼女の大きな胸がど派手に揺れた。


「そ、そんなぁっ! ひどいですぅっ! ミヅキ様はっ、選ばれし勇者だというのに使命を果たされるのが、お嫌なんですかぁーっ?!」


 弱りきった顔が見る見るうちに真っ青になっていく。

 まさか断られるなんて夢にも思っていなかったに違いない。


「本当にごめん! 色々と助けてもらって悪いんだけど、俺は一緒には行けないよ。そもそも俺が勇者だなんてさ、やっぱり何かの間違いだよ……」


 エルフ美女の切羽詰った顔の急接近に怯みながらも、ミヅキははっきりと意思を伝えた。


 きっとアイアノアにはミヅキがどうして嫌がっているのかがわからない。

 これは何かの間違いだと信じ込もうとしている。


 彼女の震える瞳はそう物語っていた。

 申し訳ないとは思うが、ミヅキに考えを変える気はなかった。


「あぁ……」


 やがて、アイアノアはふらふらよろめいて再び椅子にぺたんと腰を下ろした。

 完全に垂れ下がった長い耳で呆然とした顔をしていたかと思うと、いきなり大声をあげて子供のように泣き出してしまう。


「ふわぁぁぁんっ……! そんなぁ、あんなに私の深いところと繋がって、心を一つに気持ちを確かめ合ったじゃないですかぁ……! 絶対にっ、間違いなんかじゃないのにぃっ……! 私の身と心を、弄ばれになったのですかぁっ……!?」


 この世の終わりと言うほどに、アイアノアのわんわん泣く声が店に響く。

 あまりに激しい悲しみの爆発に、キッキとミヅキは唖然となっていた。


「ミヅキ、お前、パンドラの中でいったい何してたんだよ……」


「言い方に問題があり過ぎる……。誤解しか生まれねえ……」


「あぁもう、どうしよう……」


 ひとしきり大声をあげていたアイアノアはテーブルに突っ伏し、何事かうわごとを言い出す始末である。


 と、姉の大騒ぎにも黙ったままで、静かにミルクをすすっていたエルトゥリンが手をアイアノアに伸ばす。

 ひっくひっくと嗚咽する度、長い耳が跳ねる姉の頭をよしよし撫で始めた。

 アイアノアと違って取り乱さず、落ち着いた調子でエルトゥリンは言った。


「ミヅキにも事情があるだろうし、返事はすぐでなくていい。気長に待つから」


 使命を断ったが、特に怒った様子も落胆した様子も無い。

 多くを語らない青い眼から感情は読み取れなかったが、ミヅキの意思を尊重してくれる気持ちは汲み取れた。


 エルフの言う、気長に待つとはいったいどれくらいの期間を指すのか。

 但し、考える間もなく、エルトゥリンは不機嫌そうなじと目でぴしゃりと言った。


「──でも。姉様をいじめるのは駄目ッ!」


 鋭い声と共に空気がぴしっと張り詰めた。

 その声にははっきりとした怒りと不満の感情が込められていた。


 使命を断られたことよりも、姉を泣かされたことが彼女にとっては重要らしい。

 使命を至上とする姉に対して、妹の行動原理はまたどこか違う。


「ご、ごめん。そんなつもりはないんだ……」


「まぁまぁ、エル姉さん、ちょっと落ち着いてよ……」


 あまりの剣幕にミヅキとキッキは戦々恐々である。


 街のごろつきを瞬時にのしたり、ミヅキの魔法がなくともドラゴンと互角に渡り合ったりと、エルトゥリンを怒らせるのは非常にまずい。

 ミヅキとキッキは困惑した顔を見合わせ、二人のエルフをどうしたものかとため息をついた。


「あらあら、駄目じゃないミヅキ。女の子を泣かせちゃ……」


 そうこうしている内に、出来た料理を運んできたパメラの声に振り返る。

 心なしかその笑顔も少し困った風に見えた。

 話は聞こえていたが、パメラはミヅキの決断に口を挟まなかった。


 キッキと同様、ミヅキがいなくなるのを寂しく思ったのか。

 それとも、使命がパンドラ絡みの危険なことだったからなのか。

 アイアノアとエルトゥリンを見た後、ミヅキに視線を戻すパメラの表情には言葉にできない憂いが浮かんでいた。


「お待ちどおさま、これでも食べて元気を出してね。お肉の柔らかいところを簡単にステーキにしてみました」


 机に並べられた大き目の皿には、適度な大きさのドラゴンのテール肉のステーキが、彩の野菜とともに存在を表していた。

 熱を帯びた肉は湯気立ち、肉汁とパメラ特製のソースの香りが鼻腔をくすぐる。


 おお、と声を漏らすミヅキはこれが架空の生物ドラゴンの肉なのかと驚嘆した。

 目の前に存在するそれは紛れもなく本物である。


 見た目は牛肉のそれにしか見えず、獣臭さは感じない。

 どちらかといえば爬虫類寄りの肉ではないかと思っていただけに、その美味そうな絵面には大いに食欲をかき立てられた。

 昼食を抜いていた空腹感から、もうかぶり付くのを我慢できなかった。


「美味い!」


 世界背景的にフォークはまだ無いため、ナイフで押さえてもう一方のナイフで肉を切り、ミヅキは早速ドラゴンを頬張った。


 口中に広がる肉汁の味と、葡萄酒ベースのソースの味付けが後押しし、ものすごく高級な肉を食べている幸福感が得られた。

 鶏肉のような硬さと弾力はやはり爬虫類の性質のものか、味は牛肉と馬肉の中間のようでもあった。

 魔力による炎で火力を自由に操れることが、特別な設備の無い厨房でも絶妙な焼き加減と柔らかさを実現している。

 

「んんっ!」


 大口で豪快に肉を噛み千切るエルトゥリンは、鼻息混じりに感嘆の声を発した。

 白い喉元がごくりとご馳走を飲み込んでいく。


「おかみさん、お酒ちょうだい!」


 表情こそ変わらないが、即座に酒を注文するじと目の奥はキラキラ輝いている。

 エルトゥリンはパンドラ産のドラゴンの味に大変満足した様子だ。


「ご注文、ありがとうございます。お肉に合う葡萄酒などいかが?」


「じゃ、それで!」


 と、凄い勢いで頷くエルトゥリンにニコッと応えてパメラは厨房に戻っていく。


「後の硬い部分はまだしばらく煮込むから、先にステーキで楽しんでいてね」


 すでに厨房の寸胴鍋では残りの尻尾肉が絶賛煮込まれ中で、さらなる食欲をかき立てる香りが屋内に漂っている。

 パメラの言葉に、テール肉の煮込み料理が出てくるとミヅキはわくわくした。


「──うん、聞いたことがある」


 皿の分厚いステーキを見つめながら、エルトゥリンが真剣な表情で言い始めた。


「10年ちょっと前くらいにこのあたりで活躍していたっていう、ミスリルの包丁を持つ、腕利きの獣人の冒険者の話……」


 視線だけを動かして、カウンター向こうのパメラの朗らかな顔を見やる。


「火の魔力の使い手で、戦いには決して使わないミスリル包丁を振るうときの料理の腕は超一流──!」


 敬意ある熱い眼差しを向けられるパメラはちょっと困った顔をしていた。

 それを受けて、両腕を組んでふんぞり返ったキッキが誇らしげに言った。


「ママはさっ、エル姉さんの言う通り、元々は冒険者で今は凄腕の料理人なんだ! 当時、世間を賑わせて付いた通り名は、──化け猫パメラ!」


「ぶっ、化け猫っ?!」


 その二つ名にミヅキは思わず吹き出した。

 いくら何でも、他にもっとましな名前は無かったものかと苦笑する。


「やめて、キッキ……。もう恥ずかしいわ、その二つ名は……。若い頃の話よ」


 どうやら変わった異名も過去の武勇伝も本当らしい。

 パメラが照れた顔をして、頬を紅潮させていたのは熱気漂う厨房にいるからだけではないようだ。


「パメラさんの冒険者時代、それはきっと──」


 今でも充分若々しいが、ミヅキは若かりし頃のパメラを想像する。

 露出度の高い暗殺者アサシンの出で立ちに身を包み、逆手でミスリル包丁を構え、化け火の如き火の魔法を操る危険な雰囲気を放つ妄想全開の姿だった。


「……おいひぃ。私もお酒、もらおうかな……」


 沈んだ顔でお肉を口に運び、もぐもぐとリスみたいに頬張るアイアノアもぽつりとそう零した。


「ふぁっ……?! むぅぅっ……!」


 ふとミヅキと目が合ってしまい、アイアノアはあわあわ慌てた顔をしたかと思うと、むくれた感じで頬をさらに膨らませて見せた。

 ミヅキは困り顔で愛想笑いを浮かべる。


──あちゃー、やっぱり怒らせたみたいだな……。だけど、エルフといえばプライドが高くてクールなイメージだったのに、この姉さんはころころ表情が変わって見てて飽きないな。なんか、小っちゃい子供みたいだ。


 アイアノアが不機嫌になった原因はもちろん自分にある。

 しかし、やっぱり危険なダンジョンに挑むというのは気が進まない。

 不可思議な力を使えたとはいえ、自分が使命の勇者かどうかは怪しいものだ。


──使命を果たすためにはるばる俺を訪ねてきたんだよな。一応、助けてもらった訳だし、あんまり邪険にするのは可哀相だよな……。できれば力になってあげたいんだけど、さてどうしたもんだろうか……。


 悩みながらも未知の美味に食は進む。

 ドラゴンの肉を味わい、空腹が満たされていく現実感を感じつつ、ミヅキは満足げにごくりと喉を鳴らすのであった。



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