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第184話 御法度の場外乱闘1

 鐘楼門しょうろうもんをくぐると、急に空気が熱を帯びたかのように肌が火照ほてりを感じた。

 敷地内に入り、みづきは思わず声を漏らす。


「流石は多々良さんの神社だ。綺麗で大きいなぁ」


 多々良の神社は境内を広い参道が真っ直ぐと続いており、立派な拝殿はいでんとその奥の本殿が見える。

 左右には手水舎ちょうずや、社務所とおぼしき施設が建っている。

 他にも客殿や神楽殿かぐらでんなども見受けられるが、何より目を引くのは本殿に隣接されている鍛冶場であった。


 入り口の開放された和装な建物の奥に大きな炉が見える。

 異様な熱の正体はあれだろう。

 赤く燃える火が入っているのが遠目にもよくわかった。

 多々良自慢の鍛冶場の火は、主たる多々良が在る限り決して消えることはない。


 冥子と牢太を先頭に境内に入ると、客を待ち構えていた白い神官装束の鬼たちは大いに慌てていた。

 理由はもちろん創造の神、日和の唐突な来訪のためである。

 力を失っている日和自身、それらの大げさな応対にはげんなりした顔だったが、本来の神格の高さを思えばこれが普通のことではあった。


「止まりなさい! これは何の騒ぎですか!?」


 案の定、騒ぎを聞きつけ、すぐにこの神社の仕切り役が顔を出した。

 そばだてた肩で風を切り、本殿のほうから白く長い髪をなびかせて、黒装束姿の夜叉やしゃが威風堂々とやって来る。

 多々良陣営いちのシキ、慈乃姫しのひめである。


「ひ、日和様……! それに、お前は!」


 慈乃は日和のこじんまりした姿を見て驚く。

 次にみづきを見やり、あからさまに機嫌を害して眉をひそめた。

 慈乃も来客が誰かは知らされていなかったようだ。

 瞑目していてもわかる厳しい視線を冥子に向ける。


「冥子! これはどういうことです!? 何故、まみお殿の魂を連れ帰らず、日和様を連れてきたのですか!? このような身勝手、決して多々良様がお許しになりませんよ!」


 語気を荒げる慈乃に対して、冥子は素知らぬ顔で鼻息一つ。

 だるそうに片手で頭を掻く様子は明らかに面倒くさそうだ。


「ふんっ、そんなこと多々良様に直接聞いてみなきゃわからないじゃない。これは天神回戦の埒外らちがいのことよ。だから、慈乃姫様の指図は受けないし、私のやることに難くせ付けられるのは我慢ならないわね」


「冥子、貴方は……!」


 目をつむっていても、慈乃の表情が怒りに染まったのは明白だ。

 冥子も不遜な態度はそのままで悪びれる様子はない。

 同門に属するシキ同士でも、必ずしも仲が良いとは限らないようである。

 漂う険悪な空気に面食らうみづきだが、牢太が一番慌てていた。


「し、慈乃姫様、どうか抑えられよっ。これはきっと何か訳あってのこと。冥子もそのような棘のある言い方はよすのだっ……」


 鼻息荒く狼狽えると、慈乃と冥子の仲裁に入ろうとする。

 しかし。


「敗北者は黙りなさいッ、牢太!」

「牢太、負けた奴は引っ込んでいて!」


 こんなときだけ同調して、慈乃と冥子の二人同時に大声で怒鳴られる。

 牢太は冗談みたいに甲高い声でヒヒーンと情けなくいななきをあげると、項垂うなだれてしょんぼりと黙りこくってしまった。


 死馬しばほね、とは言うものの、かつては勇壮な強さを誇っていた牢太も、敗北を喫した今となっては価値が無くなってしまったとばかりにこの扱いである。

 強さが物を言う鬼の世界はかくも厳しい。


「……牢太、何かすまんね。俺に負けたせい、だよな?」


「気にするな、みづきよ。この二人はいつもこうなのだ……。勝っても負けても、我が扱いにさしたる違いは無い」


「苦労してるんだな、牢太……」


 力も立場も強い女が寄れば、頭数の少ない男の立つ瀬は無い。

 みづきの不憫に思う視線に、牢太は頭から突き出た馬の耳をぴくぴく左右別々に動かしていた。

 その様子は本当の馬のように不安を感じているようだった。


 と、大きいのに小さくなる牢太に苦笑いし、火花を散らす鬼の女たちに舌を巻いていると、みづきと日和の前にこの神社の真の主が満を持して登場する。


「待っていたよ、日和殿。──そして、みづき」


 不穏な雰囲気の境内に爽涼そうりょうな声が静かに響いた。

 音も無く石畳の参道を悠然と進む。

 確かな存在感を顕著に示し、一同の前に深い緑色の狩衣かりぎぬをまとった鍛冶と製鉄の神、天眼多々良は姿を現した。


 突然の来訪だったのに、多々良にはみづきと日和が来るのがすでにわかっていたようである。

 表情にあるのは充分な余裕の微笑みだった。


「た、多々良殿、急な訪問すまぬのじゃ。ゆえあって、事の申し開きをせねばならぬ事態になってしまってなぁ……」


「何やら物々しい感じだけれど、討ち入りに来た訳ではなさそうだね」


 多々良の相変わらずな神々しい姿を認め、日和は慌ただしく前に進み出た。

 色々と察しているのか、多々良はまた小さく縮んでしまっている日和を困った顔で見るだけである。

 敢えてそれには触れず、日和の言う申し開きを促した。


「日和殿直々に来訪してまでの釈明。いったい何事があったというんだい?」


「そ、それは……。うぅ……」


 しかし、言い淀む日和。

 多々良の神の事業を邪魔立てしたことは間違いはない。

 今までの日和だったなら、今回の出来事は仕方がないと見過ごしていたところでもあったのだ。


「多々良様、畏れながら申し上げ致します」


 まごまごしている日和をよそに、やにわに冥子が巨躯を折りたたみ、地の石畳に膝を付けて頭を下げた。


「敗北の眠りに瀕したまみお様の魂をお迎えにあがったところ、居合わせた日和様よりまみお様の救済を執り行いたいとの申し出を受けました。その結果、まみお様は滅びの運命を免れ、多々良様より賜ったご下命の遂行が困難になった次第でございます」


 言いづらそうにしていたら、先に冥子に事の顛末てんまつを報告されてしまった。

 澄ました顔の冥子を横目に、日和は顔を真っ赤にして叫んだ。


「お、おぬしが余計なお節介を焼くからじゃろうがっ! それに、これは私だけの判断ではないのじゃっ! 他ならぬ、みづきの願いであったからじゃっ!」


「神がシキの言う通りに従ったから、と言うつもりかい? 日和殿の意思ではないと、そういうことなのかい?」


 眉尻を下げた多々良に、すかさずと痛いところを突かれてしまう。

 日和がさらに輪を掛けて言いにくくしていたのは、まみおの魂を救済した経緯が自分の意思ではなく、配下のシキや、他陣営のシキに促されたからでもある。

 言われるがままでは、日和の神としての面子が立たない。


「うっ、うう……。い、いいや、私とてそれをよしとしたのじゃ……。これは、その結果であるのじゃ……。多々良殿のやることを邪魔してしまって済まぬ……」


 ただ、自分の意思だったとしても、みづきらシキの願いだったとしても、多々良に心苦しく思うのは変わりない。

 日和は弱々しく頭を下げようとした。


「待ってくれ、多々良さん!」


 すぐさま大声をあげたのはみづきだ。

 頭を下げる前の日和を背にして前に立つ。


「俺が日和に無理を言って、まみおを助けてもらったってのは本当なんだ! 横槍を入れたことは謝る、この通りだ!」


 みづきは冥子の隣で躊躇無く両膝を地に着けると、日和に代わって多々良に頭をしっかりと下げた。


「──だから、日和を悪く言わないでくれ。落とし前なら俺がつける」


「み、みづき……」


 日和はそんなみづきの後ろ姿を間近で見ていた。

 それは日和を庇い、責任を果たそうとするシキの忠義の背中であった。


 短い間の沈黙が流れた。

 冥子は畏まって跪いたまま、牢太も緊張の面持ちで立ち尽くしている。

 慈乃姫は厳しい表情をみづきに向けていた。

 やがて、多々良がふっと柔らかに笑う。


「みづき、日和殿。私のほうこそ済まない。意地悪な問い方をしてしまったね」


 それを言う多々良は、いつもの柔和な微笑みの顔に戻っていた。


「みづきの願いであろうが、日和殿の意思であろうが、何よりもまみお殿を救おうとしたその思いが大事だろう。試合相手の私が言うのもおかしな話だけれど、よくやってくれたね」


 そして、顔を上げるようにみづきに促す。

 立ち上がるみづきに習って、冥子も同じく腰を上げた。


 と、立ち上がりざまにみづきが多々良に言い始めたことを聞いてぎょっとする。

 それは、日和も牢太も慈乃姫も同じであった。

 またしても場が凍り付く。


「寛大な心遣い、どうも。──だけどな、やっぱり俺は何でもかんでも仕方ないで受け容れるってのには納得がいってない。それにさ多々良さん、あんたがいったい何を考えているのかも、何とも言えず計りかねてるんだ」


 にべもない表情で、みづきは淡々と多々良にそう言ってのけた。

 悲惨なまみおを見たからか、それを救う慈悲深い日和を見たからか。

 冥子の手前ではあったが、多々良への不審がみづきを突き動かしている。


「何だって弱った神様にとどめを刺して回ってるんだ? 考えがあるんなら俺にも教えてくれよ。試合の規則に則った悪いことじゃなければ、何だって正当化される訳でもないだろ」


「みみっ、みづきっ、おぬし、またっ……!」


 日和はみづきの背姿にしがみつき、服の裾を引っ張りながら泡を食った。


 さっき妙な真似をしないよう言い含めたそばからもうこの有様である。

 多々良がいくら心の優しい神だからとて、みづきのような他の神のシキが言ったりやったりしていいことではない。

 不敬であり、越権行為も甚だしい。


 しかもここは他ならぬ多々良の領地内である。

 招かれたとはいえ、他陣営の神やシキの勝手が許される道理は無いのだ。


 多々良は僅かに押し黙っていたが、先の試合の際にみづきと言葉を交わしたのと同様に涼しい笑みを浮かべた。

 穏やかに答える。


「ふふふっ、みづきに質問を許した覚えは無いよ。分をわきまえなさい」


 多々良の感情が荒立った訳でなく、叱責された訳でもない。

 強いて言えば、質問の答えをはぐらかされた印象であった。

 やはり、そのふところの内はよく見えない。


「黙って聞いていれば──!」


 しかし、多々良の懐刀ふところがたなはもう黙っていられなかった。


「多々良様に向かって、無礼極まる物言いをよくもぬけぬけと……!」


 そこまでの成り行きをおとなしく見ていた慈乃の我慢はそろそろ限界を迎えようとしていた。

 白い顔を紅潮させ、額に青筋を浮き立たせている。


 言う通りにしない反抗的な冥子。

 往生際悪く、多々良に楯突く日和。

 そして、多々良を軽んじる不遜で胡乱うろんなシキのみづき。


「落とし前と言うのなら、そのくびを置いていくがいいッ!」


 叫び、激昂する。

 普段は瞑目している両の目をカッと見開いた。


 瞳は真紅の血の色に染まり、長い白髪がざわざわと逆立ち、怒髪天どはつてんいた。

 もう慈乃は憤怒ふんどを抑えられない。

 抑えるつもりも毛頭ない。


「消えろッ、ものがっ!」


 稲妻が真横に光ったのと同じだった。

 慈乃が立っていた場所の石畳が割れ砕け、凄まじい脚力で地を蹴った。

 髪と着物を振り乱し、一瞬でみづきに迫り、抜いた長刀を薙ぎ払う。

 ギィンッ、と甲高い金属音が神社の境内に響き渡った。


「──あっぶね……!」


 みづきは苦しげに呻く。


 すんでのところで自らの剣、不滅の太刀を何も無い空間から呼び出して、慈乃の高速の初太刀を防いだ。

 みづきの首の寸前まで慈乃の殺意溢れる刃は迫っていた。

 かろうじて首を切り飛ばされるのは阻んだものの、今も慈乃の凶刃はギリギリと刃同士をこすれ合わせながらみづきの首を欲している。


「慈乃!」


 多々良の制止の声が届くが慈乃は止まらない。


 天神回戦の外での刃傷沙汰にんじょうざたが禁じられているのは慈乃とて当然わかっている。

 しかし、みづきの横暴をこれ以上容認できない。

 日和の悲鳴がすぐ後ろであがった。



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