第180話 最後のあがき
八百万順列第二位、天眼多々良陣営、牛頭鬼の冥子に対するのは。
順列末席の化け狸の神、まみお。
慈悲無き決着の時が、間もなく訪れようとしていた。
「……まみお様、どうかもうお立ちにならないで。このままでは本当に……」
数えきれず打ち倒したのに関わらず、力を振り絞って起き上がってくるまみおに冥子は小さな声で願うばかりだ。
まみおが虫の息で、気力と根性だけで試合に立ち向かっているのは誰の目にも明らかであった。
「はぁ、はぁ……。うぅ、こ、こんなはずじゃ……。なかったんだけど、な……」
途切れ途切れの息を漏らすまみおは独りごちた。
手強い相手だとは思っていたが、決して初めから負けるつもりなんてなかった。
こんなにも手も足も出ないなど思いもしなかったのだ。
もう神通力は残り僅かだ。
人間の姿に化ける童子変化の術も解けかけている。
凜々しい少年の顔には黒い隈が浮き出て、髪の毛の間からは狸の耳が飛び出し、背後には獣の尾が生えてきてしまっていた。
ここまで頑張って、ここまでこっぴどくやられたのだから、素直に降参をすれば許してもらえるだろうか。
試合を終わらせ、生き延びることができるだろうか。
「……いいや! おいらはまだやれるっ……! まだ力は残ってるっ……!」
まみおだって頑固で愚直な神の端くれだ。
負けそうだからといって、すべてを出し切らずに負けるなんてあり得ない。
たとえ絶望的に不利な状況だろうと、諦めて引き下がることはしない。
忍者刀を握る逆の手をぶるぶると震わせ、力無い刀印を結ぶ。
残りのありったけの神通力をこの最後の術に乗せる。
にわかに膨大な畏れが、黒い煙の渦みたいにまみおに収束していった。
「オォッ! まみお様、まだこのような凄いお力を残しておいでだったのね!」
もう何もできないだろうと侮っていた冥子は、赤く光る目を見張って驚いた。
おもむろなゆらりとした動きで自慢の金砕棒を真上に振りかぶる。
まみおの最後の反撃を堂々と受け止め、迎え撃つ構えである。
「行くぞッ! 牛鬼のねーちゃんッ!」
まみおは目をカッと大きく見開き、冥子に向かって駆け出した。
変化術を発動させながら飛び、忍者刀を渾身の力を込めて振るう。
「変化宿し……! おいらに、どうか力を貸してくれっ! 出でよ、みづきッ!」
最後の最後でまみおが頼ったのは、何と前の試合で自分を負かした相手だった。
玉砂利のシキのみづき。
地平の加護を操る、強き者のみづきであった。
まみおの背後に、木の葉を媒介に変化させたみづきが浮かび上がる。
「みづきっ! ──太極天の力を、おいらにも使わせてくれっ! 頼むッ!」
変化術の真髄は対象の能力の模倣である。
基本的に魔を宿すシキ相手になら、太極天の荒ぶる神の威力は覿面に効果があるはずである。
やぶれかぶれではなく、勝算あってのまみおの特攻であった。
幻影のみづきは、まみおの想像通りに地平の加護と思しき力を発現させ、白い刃の刀に神通力を通わせた。
それは確かな聖なる神の光だった。
まみおとみづきの力の合わせた剣の一撃が炸裂する。
ただしかし、それでも。
「……悪いわね、まみお様。こんなんじゃあ私、てんで痺れないわ……!」
「……ちっ、ちっくしょう……!」
太極天の恩寵は発動しなかった。
まみおの変化術は、己の力量を超える対象には化けることはできないのだ。
みづきの幻影が放った太刀には、まみおとのなけなしの神通力が合わさっただけで、無情にも太極天はその大いなる力を貸さなかった。
冥子の鍛え抜かれた胸板に力いっぱいの忍者刀の一撃を走らせるが、残念ながら毛ほどの傷を付けることも叶わなかったのである。
今度こそ、ほぼすべての力を使い果たしたまみおは、冥子の足下から離脱できずにふらふらと立っているのが精一杯。
弱々しく見上げる視線と、殺気漂う見下ろす視線が交錯した。
「無念な結果となりましたが、まみお様の闘志はこの牛頭鬼の冥子、しかとお受け止め致しました。なれば、奥義の披露を持って、終いにして差し上げましょう!」
情け容赦一切の無い冥子の台詞と、戦いに掛ける激しき気概。
まみおはあえなく返り討ちにされる。
「来たれっ! 地獄の黒き雷ッ!」
冥子の召喚に応じ、地面の底から黒い輝きの稲光が幾筋も立ち上がった。
振りかぶっていた金砕棒に雷は吸い込まれ、凄まじい帯電状態へと変わった。
地獄の雷を金砕棒にまとわせ、冥子の全力が振り下ろし、叩きつける大技。
「えええぇぇーいッ! 奥義ッ! 電光鼓ッ!!」
ドドオオオオオオオオオォォォォォンッ……!!!
まさに落雷そのものな轟音であった。
巨体の冥子が、直下の足下のまみお目掛けて雷を伴った金砕棒の一撃を放った。
身動きのできないまみおにそれを回避する術はない。
激しい衝撃が地面を揺らし、ほとばしる雷光の嵐が荒れ狂った。
「ぎゃああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ……!」
響き渡る無残なるまみおの断末魔の叫び。
耳を塞ぎたくなるほどの最期の声色が、会場中を悲惨な色に染め上げた。
黒い雷が収まり、冥子がゆっくりと金砕棒を持ち上げる。
するとそこには変化術が解け、ずたぼろに変わり果てた狸の姿のまみおがぴくりともせずに倒れ伏していた。
完全なる試合の決着である。
「西ノ神、道祖神地蔵狸まみお様の戦闘不能につき! 勝者、東ノ神、天眼多々良様のシキ、牛頭鬼の冥子殿っ!」
老練な審判官による判定が下された。
木の笏が冥子に振り上げられる。
静まり返っていた試合会場はようやくに勝負が決して、どよめく様子ではあるが徐々に騒々しい音を取り戻していくのであった。
「まみお……。まみおっ……!」
最後まで戦いを見届けたみづきはわななきながらその光景を見ていた。
猛々しく勝ちどきの叫びをあげる冥子と、その傍らにぼろ雑巾みたく転がっているまみおの哀れすぎる光景を。
結局何もできず、いたたまれない気持ちが溢れ返る。
一方的で情け無用に、何の手心を加えられることもなく負けてしまったまみおが可哀相でならない。
覚悟を決めて徹底的に戦った挙げ句、その結果がこれではあまりに惨たらしい。
救いの一欠片さえ見つけられなかった。
「あっ、まみおっ!」
と、みづきは大声をあげた。
並の生物ならとうに絶命しているだろうが、まみおは腐っても神であった。
焦げ茶色の身体をふらふらと揺らして立ち上がり、四つん這いに足を引きずって試合会場を去って行くのだった。
息も絶え絶えに自分の世界に帰るのだろう。
その後ろ姿には、もう神としての生気は感じられなかった。
まみおの敗北の眠りが近いのだ。
「日和っ、行くぞッ! 付いて来てくれっ!」
「えっ、あ、みづき……!」
勢いよく立ち上がり、みづきは試合会場を後にしようとする。
と、すぐに立ち止まり、踵を返して多々良に向き直った。
座った姿勢で、こちらをまっすぐと見つめる多々良にみづきは淡々と言う。
「多々良さん、未熟な俺へのありがたい説法、本気で身に染みたよ。多々良さんの言うことはある意味での真実なんだろうと思う。それを間違ってるだなんて偉そうを言うつもりはない。流石は凄い神様だ、失礼なことを言ってすみませんでした」
そう言って、みづきは淀みない動きで頭を下げる。
周りに座して事の成り行きを見守っていた他の神々に対しても、騒がせて申し訳なかった旨の謝罪をし、方々に向かってお辞儀を繰り返した。
「みづき、おぬし……」
その殊勝な横顔を見つめる日和は切なそうに眉根をひそめていた。
そして、もう一度多々良に向き直ると、みづきは憤りの火を決して絶やさずに、静かだが力強く宣言をするのである。
「でもな、俺は多々良さんの言う通りにはなりたくない。何でもかんでも仕方ないで受け容れられるほど神様気取りじゃいられない。だからやっぱり、そんな覚悟はしない。傲慢だろうと生殺与奪は自分で決める。俺に力があるんなら尚更だ」
きっぱりと言い放つみづきの脳裏に浮かぶのは雛月の言葉だった。
今ならあの時、雛月が何故そう言い残したのか理由がわかった。
『──優しいのは三月の良いところだけど、あんまり気負い過ぎてはいけないよ。何でもかんでも覚悟を決めればいいってものじゃないからね』
雛月が背を押してくれた。
押し付けられた覚悟に従う必要は無い。
自分の正義で、自分が由とする道を行けばいいのだ。
じっとみづきを見つめ、多々良は黙って話を聞いている。
「まみおは俺に色々なことを教えてくれたし、俺が強くなれるきっかけだって与えてくれた。いわば師匠みたいな恩人なんだ」
高位なる真の神に、思いの丈を語った。
それはみづきというシキが、確固たる考えと存在を示した瞬間であった。
「──全部を救うことは無理だと思う。そんなことをやろうとは思わない。でも、だからだ。俺は俺の信念の通り、助けられる奴はできる限り助けてやろうと思う。昨日までは敵同士でも、今日からはそうとは限らない。そういうことがあったっていいだろ? 行こう、日和っ!」
「待ってくれなのじゃっ、みづきっ!」
言い終えたが同時に駆け出したみづきの後を、慌てて日和は追いかけていく。
二人は振り返らず、多々良の前から走り去った。
「……ふふっ」
みづきと日和を黙ったまま見送った多々良はふと笑う。
切られた啖呵を心地よく思っているみたいで、楽しげに肩を揺らしていた。
愉快そうに何度も頷いている男神は何を思うのだろう。
しかし、好き放題に主に捨て台詞を吐かれ、お付きの慈乃は我慢の限界だ。
「おのれ……! 多々良様を冒涜するあの放埒ぶり、絶対に許しはしません!」
「慈乃、私たちも戻るとしよう。客を招待することになるだろうからね」
みづきの無礼に怒りを燃やす慈乃とは対照的で、多々良は変わらず笑顔のまま、ゆったりと腰を上げると観覧席を後にする。
「多々良様……? 客人、でございますか?」
慈乃はそれ以上何も言わない主の背を急いで追った。
出口の通路を歩く多々良の様子は、いつになく機嫌が良さそうに見えた。
何かに期待を寄せて微笑んでいる、そんな風にも見えた。




