第18話 母の元へ帰る
「うーん、なんだかなぁ……」
ミヅキは思わずぼやいていた。
ガストンに別れを告げ、パンドラの地下迷宮を後にしたミヅキたちは、パメラの待つ冒険者と山猫亭へ帰る途中であった。
アイアノアとエルトゥリン、エルフ姉妹も当然のように着いてくる。
人気の無い街道を過ぎ、やがてトリスの街へ戻ってきた頃だ。
街の住人はミヅキたちに注目し、好奇の眼差しを一斉に注いでいた。
その原因は間違いなくエルトゥリンにある。
何せこれ見よがしにドラゴンの尻尾をくるくると巻いて肩に担ぎ、街を闊歩しているからである。
これでは目立つなというほうが無理な話であった。
「目立ちたくないんじゃなかったのかよ……」
連れ立って歩いているものだから、ミヅキまで一緒に目立ってしまっている。
ひどい悪目立ちに、いたたまれず肩をすくめてため息が漏れた。
「それってさっきのドラゴンの尻尾だよね。やっぱり、おねーさん凄いなぁっ」
「狩りは得意だから。何度か食べたことがあるの。美味しいよ、ドラゴン」
道中、エルトゥリンの隣を歩くキッキは好奇心旺盛に話を聞いていた。
噂のエルフを随分と警戒していたのに、変わり身早くもう打ち解けている。
「あたしはキッキ。そっちのミヅキと、この街の宿で手伝いをしてるんだ」
「私はエルトゥリン。後ろはアイアノア姉様よ。パンドラの地下迷宮に大事な用事があって、エルフの里からやって来たの」
お互い自己紹介などし合っている。
言い終えた後のエルトゥリンはミヅキの背中をじっと見ていた。
用事があるのは当然パンドラの地下迷宮だけではないだろう。
「……むぅぅ」
会話の弾む二人のやや後ろを着いてくるアイアノアの表情は不安そうで暗い。
先頭を歩くミヅキは、後頭部に注がれる視線を感じて大層居心地が悪かった。
使命に対する消極的な態度を取ったことがこの不穏な空気の原因である。
荷物も無く軽い足取りのはずなのに、一歩が一歩が重く感じた。
もう少しでパメラの宿に到着してしまう。
いつまで経っても終わらない不可思議な世界の物語。
この後のことを思うと、先が思いやられる気持ちになってしまうのだった。
「はぁ、どうなったもんだろうなぁ……」
ため息はカランコロンという出迎えのドアベルにかき消される。
そうして、ミヅキたちは今朝方ぶりに冒険者と山猫亭に帰ってきた。
大した時間は経っていないはずなのに、奇抜な体験ばかりでやたらと長く感じた外出であった。
「おかえりなさい。帰りが遅いから心配して──」
店の奥から出てきたパメラが言い掛ける途中。
溢れる気持ちを抑え切れず、キッキは母の胸に飛び込んだ。
「あらどうしたの? キッキ」
パメラに顔をうずめたまま、キッキの身体は恐怖を思い出して震えていた。
「ごめん、ママ……。色々あってパンドラに入っちゃった……。そしたらドラゴンが出て……!」
「まあっ、なんですって……!」
キッキのか細い声を聞いて、パメラは猫の耳を後ろ向きに立てて驚いた。
よくよく見るとキッキの服はそこかしこ焼けて黒ずんでおり、少し焦げた匂いが鼻をついた。
一歩間違えば今頃は消し炭となって、もう二度とパメラの元には帰って来られなかったかもしれない。
キッキの怯えた感情が腕越しに伝わり、パメラも愛娘を強く抱きしめた。
「危ないところだったけど、ミヅキとエルフのおねーさんたちが助けてくれたんだ。ドラゴンも追っ払ってくれたって」
腕の中のキッキの言葉にパメラは顔を上げた。
その目には三人の姿が映る。
落ち着きなく作り笑いするミヅキと。
両手を前に揃えて会釈する笑顔のアイアノアと。
どうやったって目立つドラゴンの尻尾を抱えた無表情なエルトゥリン。
「ミヅキ……。あっ、それにあなたたちはさっきの……」
パメラははっとして目を丸くしていた。
ミヅキらが配達に出た後、入れ違いでその行方を聞いてきた噂のエルフ二人。
それはアイアノアとエルトゥリンであった。
見ず知らずの相手だったが、虫の知らせめいたものを感じてパンドラの地下迷宮にミヅキが向かったことを伝えたのである。
すぐに今度はパメラが深くお辞儀をした。
「うちの娘の危ないところを助けて頂いてありがとうございました! パンドラには絶対入らないようにきつく言いつけていたのですけれど……」
「ごめんなさいっ! ありがとうございましたっ!」
母に習って、キッキも頭を下げた。
アイアノアは親娘の様子を見て優しげな笑顔をつくる。
「いいえ、間に合って本当に良かったです。お母様のご協力のお陰で、パンドラへと急行することができました。私たちの目的も果たせましたので」
そう言って、アイアノアは横目で目配せしてきた。
目が合ってしまい、ミヅキは慌てて明後日のほうを向いて目を逸らした。
すると、また耳をしおれさせてしょげるアイアノアを尻目にミヅキは思う。
──そっか、エルフの姉さんたちはこの宿に寄ってから、俺を探してパンドラにやって来たんだな。ドラゴンの炎を防いで皆を守ったり、撃退できたりしたのはこの二人のお陰だったんだよな。
アイアノアとエルトゥリンの目的や使命はさて置いて、二人がいなければキッキを助けるどころか自分の命さえ危うかっただろう。
ミヅキが無事で済んだのは間違いなく、このエルフたちのお陰であった。
恩を受けた以上、あまりつれない対応をするのは良心の呵責を感じてしまう。
それに何より、パメラの機転を利かせた判断が無ければエルフの二人はパンドラに到着すらしていなかった。
ミヅキの命運はこの時点で左右されていたのである。
与り知らないところで、ミヅキはパメラに救われていたのだ。
──行き倒れの件といい、パメラさんにはまた助けられたってことだ。やっぱり、ちゃんと感謝しなきゃな……。もちろん、エルフの姉さんたちにも──。
恩知らずに冷たくあしらうのは信念に反すると感じ、ミヅキは振り向いた。
使命を果たすとかの話は別だとしても、無愛想にせずもっと真剣に話を聞く誠意はあって然るべきだと思い直したからである。
と、その矢先。
「ねえ、ミヅキ」
振り向く目と鼻の先すれすれにエルトゥリンの顔があった。
ミヅキに負けないくらい無愛想な表情で、戦利品のドラゴンの尾を肩に担ぐ様子は度し難く威圧的である。
ミヅキはまたもびびってしまった。
「うわひっ?! な、なに……?」
素っ頓狂な声をあげて飛び退くミヅキにエルトゥリンは淡々と言った。
「ここの宿の女将さんの料理が美味しいって聞いた。そのついでに、ミヅキが居候してるって知ったの。だからドラゴンの尻尾の料理、頼んでいい?」
「は……?」
一瞬何を言われたのかわからなかったが、その藪から棒な言葉と共にエルトゥリンの腹の虫がぐぅーっと鳴った。
どうやらお腹が空いているらしい。
そう言えば昼食を取っておらず、このドラゴンの尻尾も食べるつもりで持ち帰ってきたことを思い出す。
「もうお腹ぺこぺこなの。だからお願い」
「お願いって何がだ? って、俺を探すのはついでだったのかよっ!」
ミヅキの文句を意に介さず、エルトゥリンは殺風景な表情ながらも切実な気持ちで訴えかけてきた。
「ミヅキ、早く決めて。ドラゴンの尻尾、料理に使っていい?」
「あ、ああ、いいんじゃないかな。……何だって俺に聞くんだよ?」
「この獲物はミヅキの魔法のお陰で狩れたも同じよ。だから、どうするのか決めていいのはミヅキだけなの」
「そういうもんなのか……」
当然だとばかりに言い放つエルトゥリンにミヅキは目を丸くしていた。
流石は蛮族エルフの掟、なのであろうか。
許しを得て頷くエルトゥリンは笑わなかったものの、とても満足そうだった。
ミヅキは大層訝しんだが、じとっとした半目をきらきらさせる彼女にはもう何も言うまい。
──好きにさせとこう。機嫌を損ねて暴れられちゃ手が付けられん。まったく、あのドラゴンみたいに今度は俺が料理されちまうよ……。
まるで怪獣のレッドドラゴンを相手に、常軌を逸した戦いを繰り広げていた記憶は新しい。
エルトゥリンの不興を買って、あの尻尾みたいにちょん切られるのは堪らない。
「それじゃ、よろしく」
「食材の持ち込みは歓迎よ。立派なドラゴンの尻尾ね、料理のし甲斐があるわ」
エルトゥリンが太くて長いドラゴンの尾を差し出すと、それを受け取るパメラも軽々しくひょいっと両手で抱えてしまった。
そのまま奥の台所まで事もなげにすたすたと歩いていく。
調理台に乗せる際のどすん、という音が表す重さと質量は幻ではない。
エルトゥリンは言わずもがな、おっとりママのパメラにまで怪力を披露され、ミヅキはファンタジー世界の脅威に恐れおののいていた。
「ふふっ、ドラゴンの調理なんていつ振りかしら」
特上の獲物に笑みを浮かべると、パメラはいつの間にか包丁を抜いていた。
ひゅ、という空気を切る音が一瞬だけ聞こえた。
手品のようにどこからともなく、目にも止まらない速さである。
「出たっ! ママとっておきの、ミスリル包丁!」
キッキが待ってました、とばかりに声をあげる。
パメラの手にある包丁は薄いエメラルド色の刃で、明らかに普通の包丁とは異なる特別な装飾のものだ。
形は牛刀のように長大で、切っ先は透明に見えるほど白い。
「ミスリルだって?! あれが本物の……!」
ミヅキもその金属を表す、耳障りのいい単語に身を乗り出した。
ミスリルとは魔法銀とも呼ばれ、数多のファンタジー伝記に登場する架空の金属である。
曰く、この特別な金属で錬成された武具道具は魔法との相性が良く、ひときわ飛び抜けた性能を持っている。
ミスリル製の包丁は、ここ一番の料理で使うパメラ自慢の商売道具だった。
「すぐに取りかかるわね。下処理を済ませてくれてるから助かるわ」
言いながら、手際がいいという言葉で片付けるにはあまりにも鮮やかな手並みで鉄より硬いとされるドラゴンの鱗を次々に剥がしていく。
硬い表皮もミスリル包丁の前にあっさりと引き裂かれ、見る間に赤く綺麗な食材へと変わっていった。
何というか、涼しい笑顔のパメラのその様子はわかりやすくも達人であった。
「──火よ、かまどで踊って」
作業の傍ら、包丁片手に口ずさむ詠唱の言葉。
ぱちんと指を弾くと、何も無い空間にオレンジ色の火の玉が現れ、かまどの火口に飛び込んでいった。
その火の入りようは文字通りに踊っている風である。
「パメラさん、すっげ!」
「ママは火の魔法が得意なんだ。料理や食材に合わせて、火力を自由自在に調節できるんだよ」
「魔法……! 火の魔法か……!」
思い出すのは、体験済みの風の回復魔法がもたらした霊妙である。
感嘆するミヅキと得意そうなキッキの見つめる先、パメラはちょっと照れた顔をしながらも手元の仕事をてきぱきと進めていた。
厚切りに切り分けられた肉片を、油を敷いて充分熱された鉄板に並べていく。
すぐに、ジュウゥッと食欲をそそる肉が焼ける音がし始めた。
「ああなったら、もうドラゴンもただの美味そうな肉だな。ダンジョンの奥に逃げてったあいつも、まさか今頃自分の尻尾が料理されてるなんて思わないだろうな」
「あっ、そうだ! ママ聞いてよっ! ミヅキ、凄かったんだよ! ドラゴンの炎をミヅキがさぁ──」
眉尻を下げて笑うミヅキの言葉を聞き、パンドラの地下迷宮での出来事を思い出したキッキは興奮した声をあげた。
小さな胸に気持ちをいっぱいにして、ダンジョンで何があったかを母に話す。
それは恐ろしいドラゴンの話であり、助けに来てくれたエルフ姉妹の話であり、超常の力を振るって危機を乗り越えてみせたミヅキの話であった。
パメラは初めこそ驚いていたが、やがて包容力のある笑顔を浮かべ、何度も頷きながら娘がまくしたてる言葉をしっかりと聞いていた。




