第175話 夜が明ける前に雛月と
■夢の終わり、雛月は野望をかく語る
「さて、三月が過去に対して前向きになってくれたことだし、あとはぼくの話でも聞いてもらって今晩の逢瀬を締めくくるとするかな」
肘枕で横に寝そべる雛月は三月を見下ろしたまま言った。
その身体から光の粒子がぽつぽつと飛び出し始め、暗い部屋を蛍みたいに明るくしていた。
今晩の雛月との語らいの時間が終わろうとしているのを物語っている。
「ん? 早速、10年前の出来事に向き合わなくていいのかって? そう急ぐ必要はないよ。三月が少しでもその気になってくれただけで今は充分さ。それよりも今は天神回戦の続きに集中しよう。今回の物語はまだ終わりじゃないからね」
覚悟を決めて構えていたのに思わず拍子抜けしてしまう。
三月が過去に直面するのはもう少し先のことらしい。
さて置き、雛月自身の話とは、地平の加護に関する事柄であった。
「ようやく地平の加護の本当の使い方に気がついてくれたみたいだね。特質概念、キャラクタースロットか。うん、ぼく好みの良い名付けセンスだ」
まみおの変化術をきっかけに、三月は付与魔法の真髄を見事に体得していた。
洞察済み対象の技能だけを付与するのではなく、対象の概念そのものを付与すればいい。
そうすれば技能だけでなく基礎的な身体力、精神力さえ上乗せして身に宿すことが可能となる。
思えば、気付くだけでその境地に達することができた訳で、わかった気になっていい気になっていた三月は、少々と恥ずかしい気持ちになったものである。
「殊更、太陽の加護を三月単体で呼び出せるようになったのが大きい。概念体とはいえ、本物のアイアノアが手を貸してくれてる感覚だったろう。太陽の加護を常駐させておけば、地平の加護は飛躍的に強さを増すことができる」
三月の力を増幅させ、記憶の再現度を上げ、すべての要素の成功率を上げられるる奇跡の象徴であり結晶。
その担い手、勇者の相棒として雛月に負けないくらい三月を助けてくれるエルフ姫、アイアノアの存在を身近に感じられたのが心強く、何とも言えず安心できた。
「ここからがぼくの力の本領発揮だ。どんどん試合に勝っていこうね」
朗らかに笑う雛月に同調し、相槌を打とうと三月も口許を緩めた。
その矢先。
同じように口角を上げた笑顔なのに、急に雛月の目の光が変わった。
何というか目の奥が笑っておらず、ぞっとしないでもない。
「察しのいい三月のことだ。今ならやっと、ぼくがあの素晴らしい力の結実、星の加護の洞察に躍起になっている理由をわかってもらえるんじゃないかな?」
言い知れない威圧感を笑顔に浮かべる雛月には、地平の加護としての決して譲れない意地があった。
自分の加護に絶対の自信を持っていて、洞察不能な対象の存在を許すことは自己の存在理由に関わると強く思っている。
微笑んだまま語調だけを強くして、三月が何かを言い出すのをわざと遮る。
「さてはその顔、まさかエルトゥリンの星の加護をコピーする気なのかって思っているね? 愚問だよ、そんなの答えるまでもない。あれだけの戦闘に特化した凄まじい力、ものにしない手なんて無い」
雛月が執念を燃やして狙っているのは、アイアノアと同じエルフのエルトゥリンが備える星の加護である。
太陽の加護は首尾良く洞察を完遂できた。
しかし、星の加護はそうはいかない。
あまりにも強いエルトゥリンに圧倒され、力量差に開きがあり過ぎて正確に力を量れない。
相手が強ければ強いほど洞察の精度は低下し、洞察を完了できなければ不確かな概念は付与をすることができない。
それは地平の加護の弱点だ。
「あの並び立つものの無い星の加護を洞察し、三月に授けてあげられれば、たとえ神を相手にしたとしてもきっと刃を届かせることができるはずだ。清楽父さんの力と剣術を合わせれば、神をも恐れぬ所業を成し遂げられる。そうさ、真の神殺しにだってなれるだろうね」
そこまで言った途端、雛月の顔は悔しさに歪んでくしゃくしゃになった。
普段、余裕ぶって平然としているのに、こんなにも無念の表情を見せるのは相当希少だ。
血気盛る雛月の鼻息は、寝ている三月の前髪を揺らすほど激しい。
「しかし、しかしだ! 星の加護の洞察の難しさは如何ともし難い。洞察した力を我が物として、三月に付与するのがぼくの無二の役目だというのに。これはぼくの沽券に関わる、いいや、存在理由を脅かす由々しき事態に他ならない!」
引きつった笑みとぎらついた目を三月の眼前に寄せて、雛月は命令を下す。
「──ぼくは何としてでも星の加護を手中に収めたい。だから三月、前にも言った通り、引き続きエルトゥリンと事を構えることなく円満な関係を築いて、星の加護の洞察に邁進するんだ。いいねっ!」
噛みつくばかりの剣幕にようやくまともに返事をしようとすると、またも雛月はそれを遮って矢継ぎ早にべらべらとよく口を動かした。
今度はあからさまな恨み言である。
「ぼくがそうやって三月のために腐心してるっていうのにさ。いつかの逢瀬の時、星の加護の洞察に難儀するぼくを役立たず呼ばわりして、よくもよくもからかってくれたものだよね。三月を強くしようとする一心で精一杯頑張ってるっていうのにそれはあんまりじゃないか」
役立たずだと卑下したのは雛月自身だったと思うが、確かにいつもやり込められる雛月への仕返しとして、星の加護洞察に苦戦する様子を冷やかしたのは事実だ。
それを未だに根に持っていたらしい。
「うっ、す、すまん……」
ようやくにして、三月は目の前にまで迫った怖い顔に謝罪の言葉を返せた。
しかし、じとっとした目付きで眉をぴくぴくさせる雛月は懐疑的だ。
「本当に悪いと思ってる? ぼくは超が付くほど便利で有能な地平の加護な訳だけど、都合の良い便利屋扱いをされてるのと、いつも感謝を忘れずにいてくれてるのとじゃあ大きな違いがあるってものだ。その辺り、ちゃんとわかってるのかな?」
視界を埋める怒りの顔面の背後、ぱちんぱちんと弾ける黄龍氣の粒子が逆光して激情を強調している。
三月はたまらず平謝りだ。
「悪かった、ごめんよ……! いつも感謝してるよっ。ありがとな、雛月……!」
意外な逆鱗に触れて、笑ったまま憤る雛月はしばらくそのまま黙っていた。
そうかと思うと三月の言葉を素直に受け容れたのか、一転してぱっと明るい笑顔に変わった。
「うん! わかればよろしい」
そして、満面の笑みを浮かべたまま、雛月はするすると抱き付いてきて顔を三月の胸にうずめてしまった。
そのうえ、腕を身体に巻き付かせただけでなく、布団の中で片方の脚を上げると大胆にも絡ませてきた。
三月が十分に身動きできないのをいいことに、お互いの下半身を密着させて雛月はご満悦だ。
「お、おいっ、雛月……!」
「いやいや、流石にこれはぼくがやってる訳じゃないよ。もう目覚めが近いんだろうね。寝てる三月にいったい何が起きているのやら。──だけど、これはちょっと恥ずかしいな」
さっきの怒りはどこかへいってしまったようで、今度は赤らめた顔で制服姿の肢体を三月の身体の上に預けている。
体重を丸々乗せてきているはずなのに、やはり華奢な身体は随分と軽く感じた。
「あっ、ねえねえ。布団の中でぼくのスカートが赤裸々にまくれ上がっちゃってる。……見ちゃ駄目だよ? いくら三月がエッチでもね」
ただでさえ寝そべっている無防備なスカート姿なうえに、脚をくねらせ絡みついてきているのだから、見えない布団の中は大変なことになっているようだ。
雛月の蠱惑的な眼差しを至近距離で受け止め、囁き声でそんなことを言われてはさしもの三月もたまらない。
密着した感触を通じて、雛月の胸やら脚の柔らかさを否が応でも感じてしまうのであった。
「うぁーっ! ここで雛月に手を出しちまったら、これから助けようとしてる朝陽に向ける顔が無いし、夕緋に申し訳が立たねえっ! 早く目覚めてくれぇーっ! 俺の身体ぁーっ!」
もうその頃には必死にもがこうにもほとんど身体が動かなくなっていて、三月は悲鳴じみた声で喚き散らす。
雛月は慌てるその様子を愉快そうに見ながら、とどめとばかりに顔を寄せてきた。
甘い吐息が顔に掛かる。
「ねえ三月、キスしようか。ぼくに感謝してくれてるんだろう? ならさ、ぼくの言うことも聞いてくれよ。朝陽の言う通りにしてあげてた延長線上ってことでさ」
「やめろ、雛月! 気持ちは嬉しいがそれは駄目だ! しかも口にする気かっ!」
両目を閉じて、つやのあるぷっくりとした唇をすぼめて近づけてくる雛月。
抵抗できない三月も目を閉じて観念するより他はなかった。
あわや本当に唇同士が触れ合う刹那、雛月はまた囁く声で静かに言った。
「──優しいのは三月の良いところだけど、あんまり気負い過ぎてはいけないよ。何でもかんでも覚悟を決めればいいってものじゃないからね」
「雛月……?」
恐る恐る目を開けると、真に目前に迫った雛月の綺麗な黒の瞳と視線が合った。
一瞬何を言われたのかわからなかったが、それも束の間。
雛月は再び目を閉じると、満ち足りた笑顔をしてキスを再開しようとしてきた。
「うわぁーっ! 雛月ぃっ、駄目だあぁーっ!」
追い詰められた三月は無我夢中で叫び、闇雲に身体を動かそうともがいた。
すると、金縛りめいて動けなかった身体に急に自由が戻った。
色々な意味で濃密だった雛月との逢瀬の時間は終わりを告げる。
神々の異世界の夜が明けた。
◇◆◇
「……なぁにをするんじゃあ?! こんの、バチ当たり者ぉっ……!」
「えっ……? はっ!?」
はたと目を覚ますと、いつの間にか辺りはぼんやりと明るくなっていた。
どうやらもう朝を迎えていたようで、手足は自由に動かせるし、シキ特有の異常な身体の軽さは健在である。
みづきは覚醒と同時に、思わず両手を前に突き出していて、自らの貞操の危機を守るための行動を取っていた。
もう目の前に雛月はいない。
代わりにそこにいたのは、突き出したみづきの手で両の頬を押さえつけられ、顔の肉がむにぃっと中央に寄り切ってしまった不細工な日和であった。
「み、みづきぃっ! この手を離すのじゃっ、はなしぇーっ!」
「あっ、なっ……?! まさかこれはっ、日和っ、こらっ!」
ようやく状況が飲み込めてきたみづきは、何が起こっているのかを把握した。
急接近してきている日和は、まだ寝間着の長襦袢姿で髪を下ろしている。
だけではなく、しれっとみづきの布団に入り込んできていて、雛月よろしく体重を乗せてのし掛かってきていた。
夢の中で雛月が脚を絡めてしなだれかかってきたのは、寝込みを襲ってきた日和の仕業が影響していたようだ。
そして、今まさに唇を奪われそうになっていたところなのであった。
「離せはこっちの台詞だっ! お、女が男に夜這い仕掛けてんじゃねえよ! 昨日言ってたこととやってることが全然違うだろうがっ!」
素早く布団から抜け出して日和から距離を取り、何故か胸と股間を押さえた格好で身構えるみづき。
布団の上で横座りする、すっとぼけた顔をして手をもじもじさせている日和はばつが悪そう。
長襦袢の開いた胸元からこぼれ落ちそうな白く豊満な乳房を放り出し、はだけた脚は付け根まできわどく露わにしている。
まさに雛月とのみだらな夢の続きそのものであったのだ。




