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第167話 雛月と添い寝して

 夢の中で目が覚める、そうと表現するのがしっくりくる感覚。

 この感じも何度目かにもなっていて、もう慣れたものである。


「む、むむ……。喋れるけど、身体がうまく動かせない……」


 目を開けた視界は薄暗く、ぼんやりとした天井を見上げている仰向けの状態で、先ほど眠りについた体勢そのままである。

 さらに、口は動いて声は出るが、どうも身体の動きがぎこちない。


 そこは異世界でも現実の世界でもない。

 心の中にある心象の空間である。


 住み慣れた賃貸アパートの自室を模しており、現在の所、この場所が最も気持ち安らげる場所であるということになっているらしい。

 夕緋が張ってくれた魔除けの結界の効果もあるのかもしれない。


 着衣もシキの装束ではなく、いつも就寝時に着ている地味な色のスウェットだ。

 窓際のスペースの床に布団を敷き、枕に頭と肩を乗せて横になっていて、お腹のあたりまで掛け布団を被っている。

 加えて、全身が軽く金縛りみたいに痺れて自由が利かない。


 この状況、何か覚えがあった。

 しかも、良くない覚えである。


「雛月め……」


 三月は顔をしかめてこの空間の支配者の名を呟いた。


 あれはいつの邂逅かいこうのことだったろうか。 

 この空間の主たる雛月が学生服のスカート姿に関わらず、わざとらしく挑発するように枕元に足を開き、腕を組んで堂々と立っていたことがある。


 そんなつもりもないのにスカートの中を覗いたなどと、あらぬ言い掛かりを付けられたうえに、お仕置きと称して顔を足蹴あしげにされてしまった。

 鼻先に押し付けられた靴下裏くつしたうらの感触と、妙にいい匂いがしたものだと思い出し、我ながら情けない気持ちがぶり返す。


性懲しょうこりも無く、また俺の枕元にっ……! ──あ、あれ、いない」


 ぐいっと勢いよく頭を上に向けて仰ぎ見るが、そこには誰も立っていない。

 薄暗い空間と天井まで伸びる白い壁が、静止した空気と共にあるだけだった。

 一瞬、呆気あっけにとられて表情を失っていたそんなとき。


「ふうぅぅぅー……」


 不意を突いて左側の耳に、ゆっくりとした生温かい吐息が吹き掛けられる。

 途端に背筋と肩先のあたりにぞわぞわっとした感覚が走り、肌があわ立った。


「ウワアアアアアァァッ……!?」


 すっ頓狂とんきょうな声をあげてしまい、思わず両手両足をばたつかせたい衝動に駆られるが、身体がうまく動かずにぶるぶると震えるに留まった。

 くすぐったいぞくぞく感が収まり、息が流れてきたほうに顔を向けると。


「──あっはははは……。三月ったら反応いいなぁ。なんて顔してるんだい」


 言葉通りの息が掛かる距離、すぐ目の前に白い歯を見せて愉快そうに笑う雛月の顔があった。

 相変わらずの学生服の格好で三月と同じく隣に寝そべっていて、布団の中に潜り込んできている。


 今回はこういう登場の仕方をしてきた訳だ。

 顔を紅潮させ、三月は顔をひくつかせて雛月を睨む。


「ひ、雛月っ……。お前はまたそうやって俺をおちょくりやがって……!」


「あぁもうっ、そんなに暴れないでくれよ。お布団狭いんだからさ」


 以前の顔を踏まれた時の金縛り状態とは違い、声も出せれば多少は動けるようで三月はもぞもぞと身をよじり、雛月のほうに向き直った。

 眼前で顔を突き合わせる形となり、さっきよりもさらにお互いの距離が縮まる。


 大人一人の幅しかない布団に三月と雛月の二人が収まるには狭く、雛月も布団から出たくないのか身体を密着させてきた。

 それはいつかの夢の中での逢瀬おうせの続きを思わせて、雛月は甘い吐息を吐きながら小悪魔的に笑って囁いた。


「どう? ぼくとねんごろな関係になる覚悟はできたかい? 今日は三月と同じ寝床で添い寝なんてしてみたよ。こういうのは好き? くすくす……」


 少しの間だけ普通の現れ方をしていたが、ほとぼりはもう冷めたとばかりに三月をからかう雛月の茶目っ気は健在であった。

 日和からのお誘いをかわしたばかりなのに、三月はげんなりと渋い顔をした。


「やれやれ、まったく……。日和の次は雛月かよ……。朝陽の姿で誘惑するのは、変な気を起こしそうになるからほんとにやめてくれよな」


「遠慮しなくていいよ。ぼくは来るもの拒まずさ。三月の理性がどこまで保つのか試すのも面白そうだしねっ」


「はー……。楽しそうで何よりだな、雛月は。そういうのは浮気みたいだから勘弁してくれって言ったろう。すまんけど、雛月に手を出すつもりはないからな」


「夢の中だか深層心理の世界の出来事だっていうのに三月はお堅いなぁ。まして、これは三月自身の心的イメージがさせてる体験だってのにさ」


「それでも駄目なもんは駄目だ」


「ちぇっ。──くすくす」


 楽しそうに残念がる雛月の本心は三月にはやっぱりよくわからない。

 本当にこれは自分が生み出した、もう一人の自分なのかと大いに疑問に思った。


 こうして間近で雛月をまじまじと見てみると、同じ顔と同じ声なのに本物の朝陽とはやっぱり全然違うと感じる。


 似て非なる存在──。

 その違和感は、久し振りに朝陽と会わせてもらって尚更に強くなっていた。

 と、そうやって三月が表情を曇らせていると。


「それはそうとして、とうとう辿り着いたね──」


 同じ枕に頭を預けてこちらを見つめる雛月は小首を傾げて見える。

 真剣な表情に微笑みを浮かべ、つぶらな瞳をすぅっと細めた。


「おめでとう、三月。求めて止まなかった朝陽にまた会えた感想はどう? ぼくの言った通り、三月が欲しがる最高のご褒美を用意していただろう?」


 雛月にそう言われた瞬間、掻き集めてきた情報群が怒濤どとうのように頭に甦る。

 日和の信頼を勝ち得て、朝陽との秘密を解き明かしただけでなく、この異世界を渡りの旅がタイムリープ現象であり、まさにその最中である事実に直面している。


「……雛月、もうこれは、そういうことだって思っていいんだな……?」


 まぶたを震わせ、眼前の雛月の顔を見つめ返し、同意を求めた。

 その意思を汲み取り、人ならざる案内人は小さくもしっかりと頷いた。


「無論だ。これは惨禍の未来を変える三月の試練の物語だ。率直に考えてもらって構わない。過去を正しく修正すれば、朝陽は救える。死なせずに済むんだ」


 朝陽と同じ顔と声の雛月がはっきりとそう言った。

 超然ちょうぜんとした非現実の象徴で、頼りのつなである地平の加護の化身けしんがそう言った。

 三月の渇望かつぼうする願いが、真なる事実であることを認めたのだ。


 根拠は何も無いが、雛月が言うのであれば三月は何故だか信じることができる。

 自分の中ですでに確信を持った事実とはいえ、雛月が後押しをしてくれるのならそれはより確定的になると感じた。


「お、おおぉ……!」


 三月は身体の奥底から熱いものが湧き上がるのを感じた。


 訳もわからず非現実な試練とやらに駆り出され、何度も危険な目に遭いつつ半信半疑の希望に縋ってここまできたのだ。

 この感動はひとしおで何にも代えがたい。


「うおおおおおおおおおぉぉっ! やったっ! やったぞぉ雛月ぃっ!」


 感極まった三月は目の前の雛月を歓喜のあまりに抱き締めてしまう。

 華奢きゃしゃな肢体の背中に力いっぱい手を回して、頬ずりするほど顔を寄せた。


「きゃっ!? ちょ、ちょっと、三月っ……!」


 さしもの雛月も、三月の急な歓喜の様子に驚いたようで、一瞬びくんっと身体を強ばらせて珍しく本気で顔を赤らめていた。


 またぞろ自分の中にある、朝陽を介した三月への潜在的愛情が沸騰してきて冷静でいられなくなっている。

 いつもは余裕な態度でいるのに、女の子な声が出てしまったのがいい証拠だ。


「──もう、こんなの、たまらないなぁ……」


 自分のものではない作られた恋愛感情に困惑する雛月は、密着した三月に聞こえないくらい小さな声を漏らした。

 本当の人間そのものに胸を高鳴らせて、はぁ、と熱い息を切なげに吐く。


 一度は拒絶されてしまったが、このまま三月が自分を求めてくれたなら、さらにもっと取り乱してしまうのだろうか。

 進んで三月にちょっかいを掛けていることは差し置いて、そんなおかしな自分を想像し、自嘲気味に雛月はふっと笑った。


「大胆だなぁ、三月は。さっきぼくには手を出さないって言ったばっかりなのに、こんなことをしちゃ駄目じゃないか。夕緋と婚約中だってこと忘れてないかい?」


 すぐ落ち着きを取り戻し、雛月は馬か牛をおとなしくさせるみたいにどうどうと三月の背中をぽんぽんと軽く叩いた。

 すると、今度は三月のほうが我に返ったみたいに身体を揺すって顔を上げた。


「あっ!? 悪いっ、雛月! 俺、嬉しくってつい……」


「いいよ、三月」


 慌てて離れようとする三月の背にするりと手を回し、今度は反対に雛月から抱き付いて身を預ける。


 もう片方の手で三月の顔を抱え込み、頭の後ろをやんわり撫でつけ始めた。

 そのまま撫でる手を往復させる。


「雛月……?」


「今だけ甘えさせてあげる。朝陽の温もりをぼくを通して思い出すといい。無理は無いけど、そんなにも喜んじゃってさ。……三月は可愛いな」


 三月からは見えないが、ほんのりと朱に染まった雛月の顔は慈愛に満ちていて、その表情もまた、オリジナルの朝陽は持っていなかったものである。


「──朝陽はこんな風に甘やかしてくれるキャラじゃなかったぞ。だけど、確かにこうやって雛月に触れてると朝陽のこと思い出すな……」


 三月も今は雛月の優しい申し出に甘んじることにする。

 もう一度、雛月の背中に手を回してその胸に顔をうずめ、ゆっくりと息を吸って吐いた。


 三月と朝陽の二人は、どちらかといえばしっかり者の三月が、もう一歩足りない朝陽の面倒を色々と見てあげるという関係性だった。

 朝陽は三月にいつも感謝していて、三月も朝陽の世話を焼いて可愛がり、何をするにもどこへ行くにもべったりな仲の良い兄妹みたいな二人であった。


 それと比べて似ても似つかない雛月なのに、温もりや匂いは朝陽そのものなのが三月には何とも言えず不思議で、自然と安心を感じることができた。

 しばらくそうしていた後、雛月は三月の耳元で小声で話し始める。


「三月、ぼくとの抱っこを堪能したままでいいからよく聞いていて欲しい。まずは天神回戦二試合目、よくぞ勝利したね。お陰で日和から朝陽に関する秘密を聞き出すことができた。朝陽の命を奪うことになる「あれ」についても何が原因だったのか、おおよその目星はついたと思う」


 10年前の惨禍さんか、朝陽の命を奪うあの出来事。

 その事象に触れると、雛月の腕の中で三月の身体は固くなる。

 三月のストレスを共有しながら雛月は続けた。


「それに伴って、ぼくを制限する情報規制が一部解放されたよ。これで試練を次の段階へと進めていくことができる。次に三月が何をすればいいのかの指針を示してあげるね。新しい情報も許される範囲の限りに公開するよ」


 そこまで言うと雛月は三月を撫でていた手を止めた。

 そして、自分の額を三月の頭にそっとくっつけ、瞳を閉じて意識を集中させる。

 精査した情報を頭の中に直接伝えて共有するために。


「まずはおさらいだ。朝陽と夕緋を中心にして、始まりから現在に至るまでの情報を時系列順に整理してみよう。断っておくけど、これは現時点で判明している事実の羅列に過ぎないからね。もしも、出来事の合間や背後に何か隠された秘密があるのだとしたら、それは三月が自分の力で解き明かしていかなければならない」


 その声を聞きながら、三月は視界がぼやけて心が溶けていくのを感じた。

 雛月の意識が流入してきて、自身の心と親和性高く混ざり合う。


 そうかと思うと、やがて雛月──。

 地平の加護が再現した映像の中へと引き込まれていくのだった。



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