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第159話 峠道の化け狸とお地蔵様

 むかしむかし、あるところの山の峠道にお地蔵様がおまつりされておりました。

 ふもとにある村に災いが入り込まないよう小さなほこらの中で祈り願い、ひっそりと静かに平穏な日々を送っていたそうです。


 日が暮れれば一寸先は真っ暗闇になるくらいの昔のことで、明かり一つ無い山中に人通りは絶え、何とも物寂しい雰囲気でした。

 そんな峠道にぽつんと建てられたお地蔵様の祠でしたが、独りぼっちで心細くなるなんてことはありませんでした。


 いつの頃か、どこから来たのか、祠には一匹の狸が住み着いていました。


 狸には不思議な神通力が宿っていて、何にでも思い通りに化けられ、幻を見せられる、いわゆる化け狸だったのです。


 恐ろしい妖怪に化けて峠道を行く人々を驚かす悪さを働いてみたり、腕っぷしが強くて山の動物たちを牛耳る山のヌシになってみたり、静寂とはほど遠い賑やかな毎日をお地蔵様と一緒に過ごしていました。


 狸はお地蔵様のことはもちろん、麓の村人たちのことも大層気に入っていて、化かしていたずらをするのは好きな気持ちの裏返しだったのかもしれません。


 まだ早い朝の頃、狸の一番のお気に入りの村人がやってきました。

 白い巫女装束と緋袴ひばかまを着た、村の神社の娘、お小夜さよです。


 黒くて長い髪に真っ白い肌、大人と呼ぶにはまだ幼い面影を残す野菊のぎくのように可憐なその少女は、毎朝欠かさず峠道のお地蔵様のお世話をしていて、狸とも毎日顔を合わせていました。


「ほら、これをお食べ」


 お地蔵様と祠の掃除を終えたお小夜が持ってきていた芋の切れ端を狸に差し出すと、狸は嬉しそうにそれにかじり付きます。

 そんな狸を見て、お小夜は困った風に笑ってため息をひとつ漏らしました。


「お前、また峠を通る人を驚かせて困らせたそうね。本当にしょうがない子」


 但し、この狸は化かしたり、驚かせたりはするけれど、人を傷つけるようなことは絶対にせず、本当は優しい心根を持っていると、そうお小夜は信じていました。


 山の動物たちが人里に悪さをしに下りてこないのも、狸が山のヌシであるからなのかもしれません。

 だから、村の人たちもお地蔵様と一緒に暮らす不思議な狸のことを神様の使いだと思って同じく大切にしていたのです。


「すまないけれど、お芋はそれだけしかないの。このところ、日照りで作物が育たなくてね……。世の中みんながひもじい思いをしているせいかしら、隣の村は山賊に襲われたという噂よ。お腹が空くと、みんな恐ろしいことを考えるものね」


 お小夜の話す世知辛せちがらい話を狸はきょとんとした顔で聞いていました。

 事実、日照りが続き、少し雨が降らないだけで山村で暮らす農民の生活は苦しく、それは麓の村も事情は同じのようでした。

 しかも、食うに困ったならず者が山賊になって辺りの村々を荒らす始末。


「それじゃあ、また明日。あまり悪さをしてはいけないよ」


 お小夜はそう言い残して、峠道を下りて村に戻っていきました。

 静かに佇むお地蔵様と並んで、狸はその後ろ姿をずっと見ていました。

 その夜のこと。


『──これ、これ。狸よ、私の声が聞こえますか?』


 今日も祠の中で眠っていた狸は夢の中で声を聞きました。

 狸はそれはそれは驚きました。夢の中に出て来て、話し掛けてきたのはこの祠のお地蔵様だったからです。


『お前は特別な力を持った強い狸です。いたずらばかりをしていないで、その力を誰かを助けるために使ってはもらえませんか? 私はただの石の仏──。皆を見守ることしかできません。ですが、お前なら皆を守ってあげられる』


 お地蔵様は狸に予言を伝えます。

 自分ではどうすることもできない運命をこの狸に託すためです。


『近い内に、麓の村に災いが訪れます。お前の大好きな村人たちにもしものことが無きよう、全身全霊を賭して、しっかりと助けてあげるのですよ』


 お地蔵様のお告げでしたが、そのときの狸にはまだ事の重大さがわかりません。

 せいぜい、気が向いたら何とかしてやらないでもない。

 くらいに思っていました。


 それから何日か経った後の別の夜のこと。

 お地蔵様の祠で眠っていた狸は、物音と人の声で目を覚ましました。

 夜も更けた頃で、こんな時間に峠道を通る奴はどんな奴だ、と耳を澄ませると。


「あれだな、お頭の言っていた村はよ。今度もしけた村だ、まったく……」


「小せえ村だな、朝まで掛からねえ。さっさとやっちまおう」


 薄い月明かりを頼りに数人の粗野そや野卑やひな男たちが、峠から麓の村を値踏みするように眺めていました。


 どう見ても善人には見えない男たちはきっと悪巧みをしているのでしょう。

 狸はただならぬ雰囲気を察知すると、祠から姿を現しました。


「誰だっ!? なんだ、狸か……」


 男たちは気色ばみますが、出て来たのが狸なので拍子抜けしたようです。

 ただ、狸は息を呑みました。


 明らかな殺気をはらんだ屈強な出で立ちの男たちは、手に手に刀や槍、斧といった物騒な武器を持っていて、狸がいつも驚かせている人間とは全然違っていました。


 だから、すぐに勘付きました。こいつらがお小夜の言っていた近くの村を襲った山賊に違いない。


 狸がお地蔵様と見守っている麓の村を次の標的に選んだようです。

 戦から落ち延びた侍や足軽が文字通りの落ち武者になり果て、行く当ても無く食い詰めた結果、こうして山賊に身を落とすのは珍しいことではありません。


「ふん、地蔵の祠か。こんなもんで村を守れるはずねえだろうが!」


 剣呑な気配に狸が二の足を踏んでいると、男たちの一人がなんとお地蔵様の祠に勢いよく斧を振り下ろしました。


 大きな音を立てて、ただでさえ古びていた木造りの祠はあっという間に壊されてしまい、それどころか。


「残念だったな、お地蔵様。あの村は今晩限りでおしまいだよ!」


 大変罰当たりなことに、山賊の一人がお地蔵様に力いっぱい蹴りを入れました。

 石の仏様は無残に倒され、首が折れてごろんと転がってしまいました。


 狸は愕然となりました。

 こんな非道なことをする人間がいるのかと心底に怒りを感じました。


「何を遊んでやがる。……そろそろおっぱじめるぞ、準備はいいか?」


 すると、暗闇の奥からもう一人粗暴そうな男が現れます。

 他の男たちよりも一回り大きく、片目を無くしているようで布の眼帯を巻いた、いかにも強そうな男です。


 こいつが山賊の頭目に違いない、と狸は直感しました。


「金目の物を奪え。若い女は一人残らずさらえ。後に何も残すな、全部燃やせ」


 山賊の頭目の冷たい声の命令に、他の山賊たちは低い声で返事をします。

 狸には人間の言葉の意味が何となくわかりました。

 これから何が始まろうとしているのかも。


 お小夜が危ない。

 この男たちに酷い目に遭わされる。

 さらに、麓の村を荒らされ、あげく焼き払われてしまう。


 目の前には蹴り倒されて首が取れてしまったお地蔵様。

 頭に浮かんだのは心優しいお小夜のはかない笑顔。

 最早、お地蔵様の予言通りにするまでもありません。


『……許せねえ……!』


 狸は怒りの炎を燃やし、得意の変化術で勇敢に戦うことにしました。

 雲も無いのに雷でも落ちたかのような音が響いて、光が狸を包み込みます。


『──変化! 妖怪、お化け地蔵!』


 煙玉が炸裂したみたいに白い煙が激しく立ちこめ、煙が晴れると驚く山賊たちの前には、見上げるばかりの大きなお地蔵様が立っていました。

 その形相はいつもの優しい顔ではなく、怒りに歪んだ仁王像におうぞうの顔でした。


 動かないはずの石の体がめきめきという鈍い音と共に動いて、手の金の錫杖しゃくじょうで山賊の一人を問答無用で殴り倒しました。


 お化け地蔵に変化した狸が睨みを利かせて見下ろすと、山賊は悲鳴をあげます。

 立っているのはあと四人ほどで、一人は身体の大きな山賊の頭目です。


「この狸、化け狸だっ!」


 慌てる山賊たちに、お化け地蔵となった狸は容赦無く襲い掛かりました。

 お地蔵様を蹴られたように蹴りで一人、錫杖を持った逆の手の拳で殴って一人、重いはずの体でのし掛かってまた一人、次々と山賊たちを懲らしめていきました。


「よくもやってくれたな、化け狸。久しぶりに血が騒ぐぜ」


 最後に残った山賊の頭目だけは狸の変化術に大して驚きませんでした。

 手の大きな刀を構える様は堂に入っていて、油断の無い目で狸を睨んでいます。

 山賊になる前はさぞ名のある武人だったのかもしれません。


 戦いは一晩中続き、途中で起き上がってきた他の山賊たちも交えて、麓の村を守るために狸は大立ち回りを繰り広げました。


 そして、夜が明けて日が昇る頃。

 騒ぎに気付いた村人たちが何事かと峠道に駆け付けると、そこには目を疑う壮絶な光景が広がっておりました。


 打ちのめされ倒れた山賊たちの累々と倒れた姿の真ん中、傷だらけのぼろぼろになった巨体のお地蔵様が仁王立ちしていました。


 村人たちが無事なのを見ると、狸はとうとう力尽きてしまったかのように変化術が解けて元の姿に戻りました。


 狸は息も絶え絶えで、満身創痍まんしんそういの虫の息でした。

 村人たちは狸と山賊たちの戦いの跡を見て、すべてを悟りました。


「──お前っ、可哀相に……。私たちを守ってくれたのね。ありがとう……」


 お小夜は狸の変わり果てた身体をいつくしんで抱き上げました。

 狸も大好きなお小夜に何事も無かったことが嬉しくて、安心した顔をゆっくりと一度だけ上げましたが、そのままぷつりと事切れてしまいました。


「やっぱりお前は神様の使い。……いいえ、本当に私たちの守り神様だったのね」


 涙を流すお小夜の腕の中で、眠るように息を引き取った狸は満足そうでした。

 かくして、村を狙った山賊たちは捕らえられ、町の役人に突き出されました。

 狸の命と引き換えにして、外から来る害から村の平和は守られたのです。


 村人たちは勇敢な狸に深く感謝し、壊されたお地蔵様と祠を直して村の守り神様として共に祀っていくことにしました。


 峠道には新しいお地蔵様の祠と、勇敢な狸が弔われた塚が建ち、いつまでも村と山の平和を見守り続けたそうです。


 お小夜も生涯その地を離れることなく、村の守り神の狸とお地蔵様を子々孫々(ししそんそん)の代まで永く信仰し、尊び続けたということです。


 それが、道祖神どうそじんたる地蔵狸まみお神の始まりである。


 だからこそ負けられない。

 敗北の眠りになど着くわけにはいかないのだ。


 村と山の守り神となり、普遍なく変わり続ける世を経ても、まみおは大切な故郷を守り続けなければならないのだから。


──まみお、これがお前の物語なんだな……。


 その経緯の記憶が、地平の加護の洞察を通して伝わってきた。

 みづきは善なる神の身の上に触れて共感し、やりづらさを感じてしまう。

 引くに引けない事情があるのは何も自分たちだけではない。


──俺の願いを叶えるために、他の誰かの願いを踏み付けにする……。俺にそんな覚悟はあるんだろうか。くっそぅ、また迷っちまってるなぁ。せっかく希望の光が見えてきたっていうのに、このわだかまりを上手く消化できないと俺はきっと迷い続けてしまう。どうにかしなきゃ勝てるものも勝てなくなっちまうぞ……。


 みづきの心は晴れず、天神回戦を勝利したのにしこりを残してしまう。

 例外なく、やはりそれは避けようもなく今後の新たな問題になるのだろう。

 試合に勝ったとて、此度こたびの女神様の試練はまだまだと続く。



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