第157話 新たな力とさくらの剣3
佐倉剣藤はみづきの実の祖父。
厳格な性格で普段から強面だったが、剣の稽古時以外はたった一人の孫のみづきに過保護で、度が過ぎるほど甘く、だらしなく目尻を下げていたものだ。
残念ながらみづきが中学に上がる前に病に倒れ、早くに他界してしまっていた。
初めて直面した人の死であり、今でもあのしめやかな記憶はよく覚えている。
みづきは地平の加護の真の使い方、キャラクタースロットの概念を編み出した。
呼び出した対象そのものを自身に付与し、能力や技能を使い放題にするイカサマ権能である。
エルフのアイアノア、父の清楽に続いて、今度は祖父の剣藤を召喚したのだ。
「爺ちゃん……!」
去来する胸の思いは、そのまま剛力となって居合抜きの手にこもる。
父の変幻自在の剣と異なり、祖父の剣は過ぎるくらいに真っ直ぐの剛毅朴訥。
小細工は一切抜き、力任せに押し通る正面突破の豪傑の剣だ。
『《三月の祖父・佐倉剣藤》・付与成功・全技能・全能力・同期完了』
佐倉の家紋の付いた紋付着物と袴姿、老いてなお力強い剣藤の居合抜きの構えの姿が、金色の光に形取られてみづきに重なって現れる。
さっきまで孫を見ていた優し気な目とは違い、獣じみた獰猛な光を目に宿す。
みづきの目もそれに倣い、冷たく静かに細くなった。
『みぃ君には剣の才能があるよ。それは儂が間違いなく保証する』
『父さんから一本も取れないって? ははは、まぁ、清楽は特別だからなぁ』
『そうかぁ、刀に興味があるのかぁ、綺麗だもんなぁ。爺ちゃんの自慢の刀剣は、いつか全部みぃ君にあげるよ。大事にしてね』
ぎゅう、と何もない空間にある太刀の柄を握りしめる。
在りし日の祖父との思い出の日々の一幕が脳裏に流れて消えていく。
みづきは剣藤の、みぃ君という呼び名が照れ臭くも好きだった。
朝陽や夕緋に、猫みたい、と言われたのは幼いながらにショックだったが。
そして──。
必殺の抜刀の一撃を放つ直前、そういえば剣藤が言っていた気になる言葉をふと想起していた。
──今の今まで忘れていたじいちゃんの言葉。あれは、いったいどういう意味だったんだろう……。
『そうだ、みぃ君が大きくなったら、佐倉の家に先祖代々受け継がれてきた凄い剣を見せてあげよう。神様がつくり、神様を鎮めるための聖なる剣だ。我々の一族は剣士の家系、華の名を冠する剣士の血統なんだよ』
感慨深い過去の思いは戦いのなかへとかき消える。
まるで、光が走ったかのようだった。
みづきのシキとしての膂力、アイアノアと清楽の力、それに剣藤の力を乗せて、居合抜きの一閃はすでに放たれた後。
幻聴か、遅れて響いた、ひゅんっ、という鋭い音。
不滅の太刀を振り抜いた体勢のみづきはすでに見ていた。
まみおの変化術がつくった、妖怪ぬりかべの透明な障壁が粉々に砕け散る様を。
がしゃああああぁぁぁんッ……!!
「ひっ、ひぃぃぃっ……!?」
強固だったはずの見えない障壁はぶち破られ、ガラスが割れるようにバラバラに壊れて消えてしまった。
勢いに任せてまみおは後ろに吹っ飛んだ。
妖怪ぬりかべの獅子の姿も煙に巻かれて消失し、もう跡形もなかった。
「まみおっ、こいつでとどめだッ!」
地面にごろごろと転がり、まだ起き上がる途中の不十分な体勢のまみお。
みづきはここぞと距離を詰め、肉迫する。
何をどうすればいいかは、もうわかっていた。
清楽と剣藤の言葉を借りれば、みづきにも継承された剣士の血統がゆえか。
二人の師と力を合わせたのを契機に内に眠っていた力が目を覚ます。
地平の加護がフル稼働し、黄金色の黄龍氣が身体が噴き出した。
全身を巡る光の回路模様は一層強い輝きを放つ。
みづきの後ろには。
太陽の加護を片手を高く掲げた頭上に従えるアイアノアと。
代々と剣士の技と心を受け継ぐ、清楽と剣藤の堂々と剣を構える姿があった。
颶風が如く、強く速く駆け抜けながら神掛かった一撃を振るう。
みづきの獣の目とまみおの怯える目が交差した。
「えぇいッ!」
気声を張り上げ、すれ違いざまに光の軌跡を一閃させる。
それは真下から上へと太刀を振り上げて斬りつける型の剣技だった。
一瞬遅れ、まみおの胸板に斜めの大きな切り傷が新たに刻まれ、傷口から眩い光がほとばしる。
「うぐっ、うぐぐっ……!」
間髪置かず、呻くまみおの体内から爆発的に真っ白に輝く欠片が噴き出した。
足元から巻き上がる竜巻にも似た猛烈な気流に、空中へと投げ飛ばされる。
舞い散る光の一片一片は、まさに乱舞する花びらの嵐のようだった。
必殺剣、神鎮ノ花嵐。
「ぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ……!!」
無数の光の花びらに巻かれ、天高く打ち上げられたまみおの絶叫が響き渡る。
立ち昇る旋風の柱を背後にして、みづきは不滅の太刀を振り切った後に視線だけで振り返った。
清楽と剣藤の研ぎ澄まされた剣術と、アイアノアの風魔法の合わせ技。
それは完膚なきまでに、まみおへのとどめの一撃となったのであった。
みづきのここ一番の勝負の決まり手に、観覧席の日和は大はしゃぎ。
「おおぉっ! みづきめ、またもやりおった! これはもう勝負ありじゃっ!」
会場はひときわ大きい歓声に包まれた。
文字通りの華やかな大技の炸裂には誰しもが賞賛を送り、みづきの勝利を疑う者はいなかった。
事実、その結果は揺るぎないものとなるのだが、日和の隣に座る多々良だけは目を細め、繰り出された剣の妙技に何かを感じ取って複雑な顔をしていた。
誰に言うでもなく呟く。
「あの剣筋、どこかで……」
「多々良様?」
押し黙る多々良に気付いた慈乃が瞑目の視線を向けると、何でもないよ、と笑顔を浮かべてゆっくりと首を振った。
「ぎゃっふーんっ!」
結構な滞空時間の後、まみおは受け身も取れず試合場の地面に顔から落下する。
うつ伏せに両手両足を投げ出し、潰れた蛙みたいな倒れ方をしていた。
ちなみにぎゃふんという言葉についてだが、昔はぎょふんと言っていたらしい。
二つの感動詞からなっていて、ぎゃ、は驚きの叫びで、ふん、は承諾の意味。
やり込められて何も言えない、圧倒されて抵抗できない、ぎゃふんとなった格好とは今のまみおのような姿を言うのだろう。
「まみお、もうここらへんにしとこう。勝負は見えた、今の俺には多分勝てない。今回の試合は諦めて、次の機会を頑張ろうぜ」
もう勝負は着いたと、余裕を見せて倒れるまみおを見るみづき。
確かにその言葉通り、依然として何の代償も無く地平の加護の特質概念付与状態を継続できているみづきに対し、まみおにはどうあがいても勝ち目はなさそうだ。
アイアノア、清楽、剣藤に続き、まだまだ他のキャラクターを追加付与できる。
しかもどういう訳だか、最後に放った佐倉家の剣技には殊更の威力が込められており、太極天の恩寵をまとった神気斬りに匹敵するほどのものであった。
「う、うぅー……」
とはいえ、流石は神様である。
こっぴどくやられたに関わらず、まみおは弱々しく苦悶の声を漏らし、傷だらけのぼろぼろの格好で立ち上がった。
身体全体をがたがたと震わせていて、また今にも倒れてしまいそうだが、その目の戦意は未だに消えてはいなかった。
「いっつもそうだ……!」
苦しそうな息と一緒に、狸の神は恨めしい愚痴を吐き始める。
「言っちまえば、おいらの変化術は相手をびびらせるだけだ……。みんな、最初は驚いてくれるけど、化かすだけじゃあ試合にゃ勝てねえ……。結局、後の力比べに負けちまうんじゃ意味がねえんだ……!」
八百万順列準末席という低位に甘んじている弱き神の苦悩。
変化の幻術で試合相手を翻弄することはできても、手番が移ってお返しの思わぬ大技を受け、そのまま敗北してしまうのはこれまでに何度もあったことだ。
「くっそう、今度もなのかよ……! もう後がねえっていうのに、おいらより低い順列の相手にも勝てねえってのか……! ちくしょう、ちくしょうっ……!」
言いながらも、まみおは目に今にも消えそうな戦う意思をちらつかせていた。
当然と言うばかりに、手を震わせて赤錆びた刀を再び構え直す。
まだ、まみおの試合は終わっていないのだ。
「おい、まみお、待てよ……。もう勝負は着いたろ? 無理をするなって……」
漂う空気が明らかにおかしいと感じ、みづきはにわかに慌て始めた。
もうまみおは戦えない。
間違いなくその窮地にまで追い詰めた。
だから、当然降参の宣言をして、勝敗は決するものと思っていたのに。
一転して、試合の流れは思わしくない方向へと進んでいく。
「うるっせぇ! おいらはまだやれるっ! まだ、勝負は着いちゃいねえっ……!」
まみおは自らを鼓舞して雄叫びをあげた。
満身創痍に鞭を打ち、みづきに向かって斬りかかってきた。
当然、最早ぎりぎりの瀬戸際であり、今までのような速さも力強さも無い。
息も絶え絶えに食い下がるまみおの必死さに、刀を合わせるのが憚られた。
みづきは後方に飛び下がって回避する。
「まみおっ、もうやめろって! そんな無茶をして、取り返しのつかないことになったらどうするんだよっ!?」
「うるせぇって言ってんだよっ……!」
衰えていないのは叫ぶ声だけで、みづきを追いかけてくる様子はふらふらだ。
その気迫に一瞬飲まれ、再びの離脱が遅れたところへまみおは飛び込んできた。
そんな化け狸のぎらぎらした形相の目を見て、すっかり忘れていた畏れの念を感じて確信してしまう。
これは、まみおの覚悟だ。
「諦めないのか……! 正々堂々、最後の最後までやり合おうってのかよ……!」
思わず身体が反応して、剣を振るって応戦する。
ガキン、と金属同士のぶつかる音が鈍く響き、ギリギリと鍔迫り合いが始まった。
勝てないとわかっていようが、意地になって出鱈目な攻撃を繰り出してくる。
だから、まみおの剣からは今までのような強さはもう感じられなかった。
さらに、剣を合わせたことで不本意にも神殺しとやらの剣が発動してしまう。
「ぎゃああっ……!?」
まみおは激痛に悲鳴をあげる。
不滅の太刀の刀身から溢れ出る光の花びらの群れ。
赤錆びの刀から腕へ、腕から全身へと伝わった。
神鎮めと称された調伏の光熱が敵性の神を容赦なく焼いた。
高圧電流に触れて感電でもしたかのように、少年姿のまみおは後ろに吹っ飛び、ばちばちと弾ける光を散らしてまたも地面に転がされてしまうのであった。
「あっ、まみおっ、すまんっ……!」
狼狽えて手を伸ばす先で、さらにぼろぼろとなったまみおはまた立ち上がる。
その目の戦おうとする強い意志はそのままに。
みづきに対して言っているのか、自分に言い聞かせているのか、まみおは荒い息遣いと一緒に声を絞り出す。
「はぁ、はぁ……。おいらは故郷のみんなのために勝たなきゃ駄目なんだよ……。おいらがいなくなったら、あの村や山を誰が守るっていうんだ……。ちっくしょう、弱いこの身が口惜しい……。おいらだって、神として強く在りてぇよ……!」
全うしたい神の役目、しかし強くあらなければそれは叶えられない。
吐露されてしまった弱音は、そのまままみおの限界を表してしまう。
神通力が切れかけているのか、茶色掛かったぼさぼさの髪の頭に狸の耳が生え、腰のあたりから毛深く短い尾が飛び出した。
力が抜けて歪む顔には、狸の顔模様がにじんできて目の下の隈に浮かんだみたいに黒くなってしまった。
もう人の姿を維持できないほどに弱り切ってしまっている。
「おいっ、姜晶君っ!」
そんな痛々しい姿のまみおを見ていられなくなり、みづきは試合を静観したままの審判官の姜晶に向き直って叫んだ。
「見ての通りだっ、もう勝負は着いてるだろっ!? 判定でも何でもいいから早く試合を終わらせてくれっ!」
みづきが叫んで訴えたのは、テクニカルノックアウトのルールだった。
試合に臨む両者の技量に著しい差があったり、負傷などのため試合の続行が不能と判断された場合、審判は試合を中止して勝敗を決することができる。
もう誰の目にもまみおの敗色は濃厚で、みづきの勝利は揺るぎないだろう。
しかし、これは人間の世界の競技ではなく、神々の闘争、天神回戦である。
「いいえ、みづき様。まだ勝負は着いておりません」
姜晶はにべもなく、表情を変えることなく言った。
新任ながらも、この神聖なる大舞台を預かる審判官としての気構えがあった。
全身全霊を掛けて戦う神の気概を汚すことなく、猛き心を尊重し、最後まで公平に試合を見守り続ける。
「まみお様はまだ戦意を失われてはおりません。戦闘不能か、降参をされていない以上は、試合を身勝手に決することなどできません。戦う意思を妨げるべからず、これは太極天様がお決めになった厳格な規則なんです」
しかし、そうは言うものの、まみおの弱り具合は姜晶の目にも明らかだ。
神通力が切れ掛け、傷ついてなお戦おうとする姿を直視するのは辛そうだった。
姜晶にはみづきが優勢だから、まみおの身が危険だからと試合を止められない。
それは審判の立場上、仕方のないことだったが、みづきは苛立ちを覚える。
「くそ! まみお、降参しろ!」
「いやだっ……! おいらはまだやれる……」
再三の呼び掛けにもやはり応じてはもらえない。
まみおには負けられない理由がある。
ただ単に順列を上げて成りあがりたいだけではないのだ。
それがもうわかってしまったから、まみおにとどめを刺すのを躊躇する。
「何でもわかり過ぎる地平の加護の弊害だ……! これだけ深いところまで洞察が進んじまうと、相手ののっぴきならない事情がむき出しになってやりづらい!」
みづきは表情を苦々しく歪めた。
地平の加護の驚異なる権能、洞察の副作用と呼べるものに心惑わされる。
意識を向ける対象の情報を強制的、且つ一方的に収集し、独自に概念化。
その後は無尽蔵のエネルギーに物を言わせ、作り出した付与効果を自在に操る。
過程で得られる情報の中には、思わず同情したり、感化されたりしてしまう事情と境遇が含まれていて、みづきはそれを見て知ってしまう。
──試合には勝たないと駄目だ……! 天神回戦は対戦相手が戦えなくなるまで、戦いたくなくなるまでとことんやり合わないといけない……! だけど、俺はそこまでやるつもりはないんだ……。試合を穏便に収めて、日和の順位さえ上げられればそれでいいのに……!
それはみづきの──。
平穏な世界で生まれ育ったただの人間の、心の迷いだった。
──意思の疎通ができないモンスターとは違うんだ。言葉がちゃんと通じる聖なる神様を相手に非情になり切れないし、なりたくない。まして、引くに引けない事情を知ってしまったんなら、尚更手なんて下せない……!
だから、形勢は明らかにこちらに傾いているのに試合を決することができない。
魔力切れを起こしたアイアノアから記憶が流入してきたのを思い出す。
彼女もまた、同情を禁じ得ない事情を背景に抱えていた。
──まみおだっておんなじで、負けられない事情があるんだから試合を諦められる訳もない。いくら不滅の神ったって、神通力を使い過ぎて再起不能なほど消耗してしまえば、敗北の眠りっていう結末を迎えてしまう。このまままみおが諦めず、試合を突き詰めていくと待っているのは、最悪の結果だ……。
みづきはそれを恐れたのだ。
望まずに加担してしまうことに。




