第148話 天神回戦始まりのきっかけ
「第一、天神回戦が始まったことのきっかけなんだぞ。あの二人の女神様がな」
天神回戦の二戦目の敵情視察。
その名目で訪れた地蔵狸まみおの領地にて。
化け狸の神、まみお本人の口から思いも寄らない事実を知らされることになる。
それはいかにも地平の加護が興味を持ちそうな事柄であった。
「えっ? そうなのか……?」
驚いたみづきの顔に手応え得たりと、まみおは歯を見せて笑う。
機嫌を良くしたみたいに尻尾をぴんと立てると、初対面のシキに昔話をべらべら語り出す。
「おいらが生まれるよりもずっと昔の話だけど、長い間そこら中で神様同士が戦争をやってたそうだ。そんなかでも日和様と夜宵様は、ある悪い神様とそりゃあもう馬鹿でっけえ戦いを繰り広げてたんだってよ。その凄さときたら、この天の世界がひっくり返っちまうかと思うほどのもんだったらしい」
みづきが神々の異世界にシキとして誕生したとき、日和は確かに言っていた。
古来より、神同士で互いの領地や神通力の奪い合いの戦いを続けていたと。
そして、日和も夜宵と共に侵略者である野放図の神から領地を守っていたとも。
「結局、戦いには日和様と夜宵様が勝ったらしいけど、そんときの戦いがど派手に過ぎて、荒れた世を憂いた太極天様がお始めになったのが天神回戦って訳なんだよ。太極天様がありがたぁい恩寵をお授けくださるから規則正しい戦争をやろうじゃねえかって話なのさ」
「ふぅむ……」
新たな事実にみづきは小さく唸る。
神々の終わりなき闘争が天神回戦の始まりだとは聞いていたが、主だった原因となったのが日和と、夜宵による戦いであったことには驚いた。
さらに脳裏に引っ掛かるのは、それに敵対していた悪の神。
かつて日和と夜宵を相手取り、神の世界を揺るがす戦火を広げた何者か。
地平の加護が鎌首をもたげて貪欲に情報を得ようと、頭の中をちかちかさせる。
「日和たちが天神回戦の始まりに関わってたのはわかったよ。教えてくれないか、そのとき戦ってたっていう相手の悪い神様のことをさ」
「おお? なんか食いつきがいいな?」
さっきまで真剣味の薄いと感じていたみづきの顔が急に引き締まり、まみおは満足そうに笑って先を続けた。
「日和様たちのやってた戦争は、神々の間じゃ今でも語り草だ。日和様と夜宵様、双子の女神様と敵対してた悪い神様ってのは、なんでも同じ土地の出自らしくてよ。えらく日和様たちにご執心で、やたらとちょっかいを掛けてただけじゃなくて、その土地に住んでる人間にも害を与えて随分と困らせてたみたいなんだ。衆生を救うのが神様の役目だってのに、神の風上にも置けねえ奴だよな」
流暢に言葉を喋り、まみおは日和の事情を詳しく話してくれた。
まぁ、全部お師匠様の受け売りだけどなー、とおどけるのはさておき。
「同じ土地の出自……」
呟くみづきが思うのは日和と夜宵の出自の土地のこと。
二人の女神は、全く無関係な異世界の絵空事ではなかったはずだ。
──現実世界の夕緋は二人の女神を知っていた。出自の土地っていうなら、それは俺の故郷、神巫女町のことに間違いない。一般的には大地の女神様の名で通っているけど、女神社の関係者には女神様の真の名前と、破壊と創造を司る双子神であることが伝えられていたんだろう。
自分はどうだったかというと、つい最近まで日和と夜宵の名前さえ知らなかった。
いや、知ってはならなかったのか。
だからだったのだろう。
日和と夜宵の存在に気付いたことに、夕緋はそれはもう驚いていたものだ。
──だけど、俺が生まれた時から知ってる大地の女神様ならともかく、あの町に他にも神様が居たなんて話は初耳だ。しかも、それが日和たちと敵対してた悪い神様だったなんて……。
身体中のみならず、心の奥底がぞわりと寒くなった。
自然な流れか必然の帰結か、思い出したのは荒れ果てた廃墟と化し、深淵の迷宮に沈んだ故郷の町の悲惨なる姿。
そして、その場所に存在した邪悪なる者が記憶に浮かび上がる。
蜘蛛の着物の男。
日和たちの敵の悪い神様、それはあの男であるような予感がした。
「まみお、何か他に情報は無いか? もっと詳しく聞きたい」
気がつくと、みづきは一歩を踏み出してまみおの小さい体に詰め寄っていた。
やけに食い気味の様子を少し怪訝に思い、まみおは一瞬目を丸くする。
「ってかよ、おめえ日和様のシキなんだろ? 今日会ったばっかのおいらに聞いてねえで、日和様に直接聞いてみたらいいだろが」
「あ……。まぁ、そうなんだけどな……」
嫌そうに顔を逸らす狸に最もなことを言われるも、何故かその気が起きない。
そんなつもりも無いのに、日和から聞こうと考えると物凄く気が重くなる。
自由を制限されているこの気持ち悪い感じには覚えがある。
またぞろ雛月がみづきの行動にブレーキを掛けているに違いない。
まみおから秘密を探るよう働きかけたり、日和から直接聞こうとするのに難色を示したりと、またよくわからない雛月の思惑である。
「うぅ、何だってんだよ? 雛月め……」
金色の空をちらりと仰ぎ、頭の中にしか存在せず何を考えているかわからない相棒に小声で悪態をついた。
ただ、それでも目の前のまみおから情報を聞き出す衝動には駆られたままだ。
「確かにまみおの言う通りなんだが、ここは一つ俺を助けると思って教えてくれよ。神様は下々の俺たちを救ってくれるありがたい存在なんだろう?」
両手を合わせて、狸の神に拝む。
地平の加護が収集を指示する情報を得るためにみづきも必死である。
「日和の敵だったそいつはどんな神様なんだ? 姿とか特徴とか何かわかるか? そもそも名前はなんていうんだ?」
対象の情報を集めれば集めるほど、地平の加護の洞察は進む。
記憶の中の蜘蛛の男の姿や特徴が一致すれば話も早いし、何よりその名前を知るのは大きな意味を持つような気がした。
しかし、矢継ぎ早の質問に対して、まみおの返した答えとは。
「やーめたやめた! やっぱり教えるのやーめた!」
頭の後ろで両手を組んで、満面の笑顔でまみおは愉快そうに叫んだ。
気分を害した訳ではなく、面白がってわざと教えようとしない風である。
「そ、そりゃないぜ……。ここまで教えてくれたんだから、続きも頼むって……」
「嫌だ! みづきの食いつきがいいから尚のこと教えてやらねえ!」
弱るみづきの顔を見て、まみおは甲高い声で笑う。
性格の悪い狸の神の、特に意味の無さそうな意地悪が炸裂する。
「そこを何とか! 意地悪しないで教えてくれよ……」
「しつけえな! 何でも聞けば教えてもらえると思ったら大間違いだぞ、このおたんこなす! きゃーきゃっきゃっきゃ!」
自分から日和たちの過去やらの秘密を喋り出したのを棚に上げて、何とも理不尽なことを言うまみおは勝ち誇ったみたいに笑っていた。
やれやれ、とみづきも困り顔に苦笑いを浮かべる。
多分、まみおはこういう手合いの神なのだろう。
昔話でも狸は意地悪く描かれることがあるが、まみおもそのご多分に漏れない。
ため息交じりに、みづきはそろそろ潮時を感じていた。
「まったくしょうがないなぁ。取り付く島もない、ははは……」
但し、楽しそうにしていたまみおだったが、みづきのやれやれ感溢れる態度が気にいらなかったらしく、打って変わって機嫌を悪くした。
急に唾を飛ばす勢いで激しくまくし立てる。
「なんだぁ、へらへら笑いやがって! とにかくだ、ここ最近の千年二千年の間にあった一番でっけぇ神様同士のやり合いに、みづきのご主人様は関わってたんだよ! それが原因で始まった天神回戦なんだから、知らねえ知らねえで他人事みてぇな顔してねえで、ちゃんと当事者としての自覚を持ってろよなっ!」
「そんなに怒るなって……。悪かったよ」
両手をがばっと広げた威嚇のポーズで凄むまみおにはたじたじである。
みづきはそのまま後ずさると、くるりと踵を返した。
もうこれ以上は教えろ教えないの押し問答になり、埒が明かなそうである。
当初の目的は果たせたので、みづきは一旦まみおの元を後にしようとする。
すると、いきり立っていたまみおの声の感じが急に変わった。
「お、おい、ちょっと待てよ」
少し勢いが弱くなり、慌てた声色の調子でみづきの背を呼び止める。
立ち止まり、みづきは顔だけでまみおのほうに振り向いた。
「……そんで、どうすんだよ?」
「ん、どうするって、何をだ?」
「とぼけんなよ、試合はやるのかやらねえのか? みづきは試合をしたいがためにおいらに会いに来たんだろ? ちゃんと決めてくれねえと、おいら気になって夜も眠れねえぞ」
「試合か、うーん……」
まみおが言及したのは天神回戦の試合のことだ。
みづきもみづきで試合をするためにまみおに会いに来たのに、何だかわざとらしく迷う感じの素振りを見せていた。
そして、やたらと明るい感じで笑って言った。
「次の試合まで日も大分あるし、ゆっくりとまた考えるよ。まみおも頑張れよ」
じゃあなと手を上げて、みづきは日和が帰った瞬転の鳥居に向かって歩き出す。
確かにこの世界における前日、多々良陣営を相手に勝利を収めたため、日和陣営としては次なる試合をしなければならない期限まで十分な余裕があった。
タイムリミットは前回の試合から三月を跨ぐまで。
現在判明している天神回戦の数少ない情報である。
みづきはまみおを次なる試合相手に選ぶのを諦めてしまったのだろうか。
いや、その実そうではない。
これはみづきの思惑の内なのである。
思わぬ新事実の情報は得られ損なったものの、そこからのまみおの──。
と言うより、準末席の神の行動はみづきの予想した通りのものだったから。
「待て待て待て待てぇーっ!!」
歩き去ろうとするみづきを素早く後ろから追い越して、二足で立った姿勢で道を遮り、ずざざーっと滑り込んでくるのは何だか焦った様子のまみお。
さっきまでの威勢はどこへやらで、小さな両手を胸の前でちょこんと組み、懇願するみたいにみづきを見上げて黒い瞳を潤ませている。
「頼むよー、試合やろうぜー! 次の試合まで期限が残り少ないうえに、やり合わなくちゃいけない相手がおっかない奴らばっかりで困ってたんだよー! 準末席のおいらより順列が下の相手と戦えるなんて願ってもない機会なんだー!」
たまらず飛び出した本音にみづきは吹き出しそうになった。
笑いそうになるのをぐっと抑え、思っていた通りの話の運びになったことに内心でほくそ笑むにとどめる。
「なぁ、みづきぃ、やろーぜー、試合! おいらに勝てたらさっきもったいぶった話だってなんだって教えてやるからよー! なぁなぁ!」
早速試合を受ける引き換え条件にと、先ほど意地悪で教えてくれなかった秘密をちらつかせてくるあたり、本当に意味もなく言うのを渋っただけだったらしい。
こちらが何も言わずとも、あちらから望みを叶えてくれて言うことも無い。
何もこういう状況を想定していなかった訳ではない。
それは、見かけによらず頭脳派なみづきの思惑、腹の内。
──もしも試合をするのを渋られたり、何らかの要望が通らなかったりした場合、ちょっとした取引は必要だと思ってた。末席と準末席、抱えている問題にそこまで大した違いは無いんだから、試合をする相手に困っている状況があってもおかしくはない。八百万順列なんていう、わかりやすい番付けはここでもその影響を露わにしたって訳だ。
狸らしからぬ、人間みたいな媚びへつらったお願いポーズのまみお。
みづきは思わず失笑しつつ、想定していた駆け引きの構図を思い浮かべていた。
端から自分の置かれているこの状況を利用する気でいた。
相手の立場になって考えてみて、自分より低位の相手と試合ができる権利は取引のカードになると踏んだ。
そして、それはどうやら正解らしい。
人外の者たち相手でも、生来培ってきたロジックは通用しそうである。
とはいえ、まみおのこの様子からして、駆け引きなどをするまでもなかったのかもしれないが。
「わかった。そこまで言うなら俺と試合しようぜ、まみお!」
「ほんとかっ!? やったぁ! 約束だぞ、男に二言はねえんだからなっ!」
子供みたいにぴょんぴょん跳ねて喜ぶまみおを微笑ましく眺めて。
準末席の狸の神、まみおとの試合を快諾する。
試合に勝利すれば、知りたかった情報を教えてもらえる約束を取り付けた。
狙いを定めた相手との試合に勝ち、日和の順位を上げる目的の他、地平の加護が唸りを上げて知りたがる、双子女神と敵対していたという悪神の情報を得ること。
それを成せるのなら、まみおとの出会いやこのやり取りには大きな意味がある。
みづきにはそんな気がした。
「試合の申し込みのやり方はわかるかー? 白羽の矢を撃つのを忘れるなよー! 日和様によろしくなー! 試合、楽しみにしてるぞー!」
「おう、またなー! まみおー!」
帰りの瞬転の鳥居を前にして、みづきは後ろを振り返る。
遠くに見えるお地蔵様の祠の前で、まみおが手を振りながら叫んでいた。
みづきも手をひらひらと振ると、鳥居の中へと足を踏み入れる。
ぐにゃりと空間が歪み、まだ慣れない意識の混濁を感じ、そうして狸の神の領域を後にするのであった。
みづきが去った後も、きっとまみおはしばらく鳥居のほうを名残惜しく見ているのだろうと、そう思いながら。




