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第145話 圧倒的実力差

「あ痛っ! なんじゃみづき、急に立ち止まるでな──」


 神々のための特等の観覧席を後にして、出口の通路を歩いていると。

 前を歩くみづきが不意に立ち止まり、その後ろ姿に顔をぶつけた日和がぼやく。

 みづきから返答が無いので、何を立ち尽くしているのかと陰から顔を出してみると思わず絶句してしまう。


「……ううっ、できれば今は会いとうなかったのう」


 薄暗い石造りの通路の向こうから何者かがやってくる。

 日和はその正体を知り、露骨に嫌そうな顔をして苦々しく言った。


「おや、誰かと思えば……」


 吊灯籠つりどうろうの明かりに照らされ、暗闇に白い顔が浮かび上がった。

 淡いの光に、彼女の白く長い髪の毛は妖しく映えている。


「し、慈乃姫しのひめ殿……」


 声を震わせて日和が口にしたのは、先ほどの試合を終え、多々良の下へと戻ってこようとしていた慈乃姫であった。

 幽鬼ゆうきのように暗がりに佇む彼女は美しくも恐ろしさを感じさせる。


「日和様、先日ぶりでございます。たった今お帰りということは、先ほどの試合をご覧になられたようですね。いかがでしたでしょうか、本日の私の活躍は?」


「み、見事な試合だったのじゃ! 多々良殿も随分とご機嫌じゃったぞよ……!」


 何を思うのか、日和のうわずった声に慈乃は薄ら笑む。


 ひたひたとそのまま近付いてきて、長身の高さから幼子と同じの日和を堂々と見下ろした。

 試合での凄まじい強さを見せつけられたのもあり、その威容いようにはただならぬ迫力がある。


「先日は我らの同胞、馬頭鬼めずき牢太ろうたが世話になりました。無様な敗北を喫しましたこと、私からきつくきゅうを据えておきましたゆえ」


 聞いてもいないことを慈乃は淡々と言い始める。

 冷徹な物言いからは、敗れてしまった同胞に対する厳しさが感じ取れる。


「──ですが日和様。僭越せんえつながら、次に我ら多々良様の陣営と試合う際には、この私めが貴方様の勝利をしかと阻んでお見せいたしましょう」


 丁寧で静かな言葉遣いではあるが、慈乃の声は凄みをはらんでいた。

 多々良陣営いちの先兵として、敵である日和には心身穏やかではいられない。

 前回の試合で主に泥をかけられたのだから尚更である。


「お覚悟なさいませ」


 眉根まゆねを上げた瞑目めいもくの表情から、殺気にも似た気合いが発された。

 日和からすると見上げるばかりの慈乃に気圧けおされ、へっぴり腰で後ずさる。


「ううっ……」


「お、おい、日和……」


 逃げた先はさっき顔をぶつけたみづきの背中の陰である。

 おのずと矢面やおもてに立たされ、慈乃の冷たい視線は新参のシキの顔に集中した。


「貴方は……。そう、牢太を倒したシキですね」


 そう言った慈乃のまぶたがぴくりと動く。

 シキのみづきは本来の身体よりも縮んでいて、慈乃に頭一つ分は高くから見下ろされている。

 いや、元の身体に戻ったとしても、やはりまだ慈乃のほうが長身だ。


「お初にお目に掛かります。天眼多々良様いちのシキ、夜叉やしゃの慈乃姫と申します。以後、お見知りおきを」


 慈乃は頭を下げることなく、冷淡に言葉を並べて名乗りを上げた。

 昨日誕生し立ての格下なシキなど、本来なら相手にしない。

 丁寧に過ぎた挨拶からは強い圧迫感を感じさせられた。


 夜叉とは、神話における鬼神の総称である。

 夜叉の男性をヤクシャ、女性ならヤクシー、又はヤクシニーという。


 人間に救いを与える慈愛の心と、滅びをもたらす残忍な心を併せ持ち、しばしば人々から崇め祀られ信仰を集める対象となっている。

 慈乃はそんな夜叉を原典にして、多々良に生み出されたシキであった。


「……む、むぐぐ」


 相対することになってしまったみづきも、慈乃の瞑目しているが刺すような視線に言葉が出てこない。

 これは単なる恐怖ではなく、圧倒的な力量差が生む格の違いというやつだ。


「どうしました、私の顔に何か付いていますか? ……それとも、この私におくしておいでですか? 貴方もシキならば、名くらいしっかり名乗って見せなさいっ」


 さらにずいっと一歩迫られ、薄明かりに慈乃の苛立ちがあらわになる。

 このまま何も言わずにいると、何をされるかわかったものではない。


 そう思い、みづきはへらへらと愛想笑いをして、しどろもどろに取り繕った挨拶を始めるのだった。

 それが慈乃の怒りにさらなる油を注ぐと知らずに。


「あ、いやスンマセン……。こちらこそ初めまして、みづきです……。あのその、慈乃さんて、キレーなひとだなぁって思って……。ははは……」


「──ふ」


 瞬間、鼻で小さく笑った慈乃が視界から消えた。

 そうかと思えば姿勢を極端に低く下げて、ミヅキに背を向け、恐ろしく速い回転の動作で右手で刀を抜き払う。


 ひゅ!


「……うッ!?」


 気付けば、みづきの右首筋にその冷酷な刃がぴたりと合わせられていた。


 まるで何かが光ったようにしか見えなかった。

 必殺の一撃をすぐ目の前に突きつけられるまで、殺気どころか何の気配も感じられなかったほどである。


「気安く私の名を口にしないで頂きましょう。先の試合で多々良様に恥をかかせた罪、決して忘れてはいませんよ。──みづき」


 回転切り気味に伸びてきた刀の下──。

 低い姿勢で背中を向けている慈乃が冷たい声で言い放つ。


 顔がこちらを向いていなくても、その表情が怒気に満ちているのがよくわかる。


「や、やめよっ! 慈乃姫殿っ、天神回戦の外でのいさかい事はご法度はっとじゃぞっ! そのような無法むほうは私が許さぬからなっ!」


 みづきの後ろから日和が慌てて飛び出し、悲鳴めいた抗議の声をあげた。

 但し、禁じられた凶行きょうこうであるのは慈乃とて承知している。

 剣を放った後の姿勢のまま、低い声で言い放つ。


「許さなければいかがなされますか? 今の日和様に私が止められるとでも?」


「うっ、うぐぐ……!」


 そう言われれば何も言い返せないし、何をやり返すこともできない。

 神とシキの間柄とはいえ、日和と慈乃の力量差もまた歴然としている。

 禁則行為だとて、力ある者に遵守じゅんしゅする気が無ければ規則は形骸化けいがいかしてしまう。


「ふふふ……」


 と、みづきを封殺し、日和が弱るのを見て、慈乃は充分に溜飲りゅういんを下げた。

 殺気を収めて剣を引き、長身を起こして再び立ちはだかった。


「非礼を詫びるつもりはありません。意趣返いしゅがえしがしたいと仰られるのなら、どうぞ天神回戦の試合の場でその雪辱をお晴らし下さい。最も、此度こたびの勝利で多々良様の御力はますます高まり、そのシキである私の力も増しております。最早万が一にも日和様に勝ちの目は無いと存じ上げます」


 挑戦的で好戦的、気に食わなければいつでも勝負を受けて立つ。

 自分に勝てる訳がないと慢心し切った強者の確かな自信。

 事実、この慈乃は太刀打ちなどできないほどの強大さを秘めている。


「日和様の武運長久ぶうんちょうきゅうを祈りますれば、いずれ私と雌雄を決する時が来るでしょう。その時まで精々首を洗って待っていることですね。私が斬り飛ばす首は、はてさてどちらの首になのるやら……。楽しみにしていますよ」


 言いたいことを言いたいだけ言い残し、慈乃はみづきと日和を避けようともせずに真っ直ぐと歩き始める。


 思わず尻込みして二人が道を譲るのを見て、夜叉のシキは満足げに笑っていた。

 アーハッハッハ、と高らかに嘲笑しながら通路出口の光へと消えていった。


「うーっ、うぬぬぅ……!」


 高飛車たかびしゃな慈乃を見送った日和の両手と背中がぶるぶると震えている。

 剥き出しの歯をぎりぎりと擦り合わせ、どうしようもない怒りに駆られていた。


「くっ、悔しいのじゃあ! 何も言い返すことができんかったー! 二位のくせに威張りくさりおってからにぃ、一位の夜宵やよいのほうが凄いんじゃぞー! うわーん、もう最下位は嫌なのじゃあ! こんなにも惨めな思いはしとうないーっ!」


 日和は跳ねるみたいに両足で地団駄じだんだを踏み鳴らし、不遇を嘆いて喚き散らす。

 力無く、低位に甘んじている内はこうしたぞんざいな扱いを受けることになる。


「あんにゃろうめ、宣戦布告かよ……! 澄ました顔してめちゃくちゃ根に持ってんな、前の試合のこと……」


 自分たちをコケにして去って行った慈乃に、さしものみづきも腹を立てる。

 不思議と、主の日和を侮辱されたことにも自然な憤りを感じた。


「みづき、大丈夫か? 怪我などしてはおらんか?」


「ああ、平気だよ……。だけど、ちっくしょう、全然剣が見えなかった……。正真正銘の化けモンだな、ありゃ……」


 心配げに見上げる日和に、みづきは首元を擦りながら唸るみたいに答えた。

 多々良が真に神であるなら、慈乃もまた恐るべき怪物である。


「やれやれ、見せつけられちまったなぁ……。多々良さんには神様の格の違いを、慈乃さんには圧倒的な力の差をさ……。さすがは第二位ってだけはあるな」


「うぅ、今の私らにはどうすることもできんのじゃ……。どうして多々良殿も慈乃姫殿も、あんなに私を目の敵するのやら……。堪忍して欲しいのじゃ……」


 しょんぼりしている日和だが、みづきはただ負けている訳ではない。

 逆にめらめらと、今更ながらの闘争心を湧き立たせていた。


「なぁ日和、教えてくれないか?」


 もう弱音や愚痴を言うのはここまでだ。

 みづきが問い掛けると、日和はがっくり垂れていた顔を上げる。


「さっき慈乃さんが言ってた通り、日和の力が増していけば、そのシキである俺の力も強くなるってことで合ってるよな?」


「えっ……? うむ、私の力がみづきの力の根源となるゆえ、試合に勝って太極天たいきょくてん恩寵おんちょうを授かれば次第と道は開けていくはずじゃ」


 天神回戦を勝ち上がれば、太極天の恩寵が日和に与えられる。

 勝利を重ねればそれは繰り返され、みづきのシキの力は増していく。

 要は順当に勝ち続けられればいいのだ。


「よおし、それじゃあやることは一つだ。試練に近道は無い、一個一個積み上げていくしかない。……へへっ、最下位、上等じゃないか」


 みづきは不敵に笑う。

 雛月にも同じようなことを言われたばかりだ。

 根気よく続ければいつかは目標に届く、とはみづきの好むところである。


「逆境は慣れっこだ! 今の俺たちには失うものは何もない! 泥臭くいこうじゃないか! 試合に勝って日和に力を取り戻させて、俺はご褒美のために精々あがいてやるからな! 今に見てやがれってんだ!」


「おおっ! 何だかみづき、凄く頼もしいのじゃっ!」


 気合いの入るみづきと、それに当てられ湧き立つ日和。


 立ち向かわなければならない障壁は強大だが、怯んでいる場合ではない。

 異世界を渡る「ご褒美」は雛月により示されたのだから。


 即ち、失ってしまったかつての恋人、朝陽と再会できるということ。


 今回の神々の異世界での試練を越えれば、何をどうすればいいのか、それがどういうことなのかがわかるという。


 ならば、迷いも躊躇ためらいも不要だ。

 天神回戦を勝ち抜き、日和の神格を取り戻してやるしかない。


 どんじりの女神のシキとして生まれ、天神回戦の高みへと上り詰めるまで。

 これは、そんなみづきの成り上がり物語である。


「ところでご褒美って何のことじゃ? 私ももらえるのか?」


「それは気にしないでくれ。こっちの話だ」



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