第144話 天眼多々良と夜叉の慈乃2
「……これは凄い見世物だな……。だけど……」
切れ目無く続いている眼下の激闘にみづきは感嘆していた。
しかし、首をすくめながら気になっていることを隣の日和に問い掛ける。
「なあ、日和……。こうやって呑気に試合を見てるけど、あんなど派手に暴れられたら、見てる俺たちだって危ないんじゃ──」
みづきが心配しているのは、間近で行われている常識外れの戦いの余波が、周りの客席にまで及んでしまうのではないかとの不安だ。
あれだけ巨大な剣が空中を乱れ飛び、青い熱線があちこちへ吐き出されている。
流れ弾の一つが飛んできても何もおかしくない危険な状況だ。
と、ややもすれば。
「うおおっ!?」
「ひゃあもう、びっくりしたぁ!」
案の定、千腕がしゃどくろの吐いた青い炎が慈乃に躱されて、まさにみづきたちが居る神々の観覧席に向かってまともに伸びてきた。
言わんこっちゃないとばかりに、炎が目の前にまでごうごうと迫ったのである。
「うぅ……! あ、あれ……?」
怯んで閉じていた目をゆっくり開けるみづきはきょとんとしていた。
炎の熱も爆発の衝撃もやって来ることはない。
誤って飛んできた炎は寸前でかき消え、何の影響も受けてはいない。
事実、騒いでいるのはみづきと日和だけで、周りの多々良や冥子、他の神々にはまるで動じた様子はなかった。
「まったく、急に話し掛けるでないのじゃ……。気を逸らしたところじゃったゆえ、びっくりしてしまったではないか……」
恨みがましい目で言う日和は、驚いた拍子に食べていた餅のタレだか黒蜜で派手に口許を汚してしまっていた。
なめくじみたいな大きな舌でぺろりとそれらを舐め取ると、呆れた風に言った。
「太極天の大いなる御力が、常に試合を観る我らを守護してくれておる。要らぬ心配はせんでもよいのじゃ」
もう片方の手に持つ団子の串で、天神回戦会場の周囲を指し示す。
「見よ、会場を囲んでおる灯籠があるじゃろ。あれらが強固な結界を張り巡らし、試合の舞台と客席を隔絶してくれておる。試合の最中はいかなる場合も内と外では干渉し合えず、手出し無用という訳じゃよ」
言われてみれば円形闘技場の全周、等間隔に朱色の立灯籠が数多く建ち並び、昼間だというのに煌々とした明かりを灯している。
よく見ると灯籠から気流のような力場が立ち上っていて、客席全てに透明な幕を極光がたなびくように張り巡らせていた。
「……あれも神様の世界の不思議設備って訳か。瞬間移動できる鳥居といい、便利なもんだね、本当に」
神々の異世界における都合の良い概念は枚挙に暇がなさそうだ。
みづきは深く考えるのをやめ、あるがままを受け容れようと決めた。
それは結界の灯篭とされる、天神回戦を守護する祭祀道具の一つである。
試合の観覧に訪れた神々と見物客を、発生させた障壁で守っているのだ。
太極天の神通力を大地から灯籠伝いに流し、審判官による試合開始の合図から、試合終了の判定が下るまでの間、試合の舞台と観客席を遮断している。
そういえば初めの試合が終わった後、歓喜した日和が会場に飛び込んできたときは結界は発生していなかった。
試合中は出場者と観客を接触させず、試合の前後は参加者の入退場、挨拶や事後処理などのために解除されているようであった。
そうでなくてはこんな上位陣営同士の試合は危険すぎて、行楽気分で呑気に試合を観戦とはいかないだろう。
「どうやら、手品は品切れのようですね。そろそろ終わらせて差し上げましょう」
空中を高速で飛び回る慈乃は、地上の敵を冷酷に見下ろしていた。
飛来する剣の群れは自らに触れられず、大顎から撃ち放つ炎もやはり届かない。
もう頃合いであった。
この相手には最早見るべき所はない。
力と技のお披露目という意味なら、もういい加減に充分であろう。
「覚悟しなさい。この一撃を以て、貴方に敗北を与えましょう──」
にわかに空中を疾駆する慈乃の動きが速くなった。
飛び交う剣を避け、炎の間をぬって千腕がしゃどくろの上空へ走る。
見下ろすのは窪んだ両目の穴の光炎。
いつの間にか、手の大太刀は鞘に収められている。
納刀した柄巻を握る手にぎゅうっと力がこもる。
空から地上へ真下に向かい、居合抜きの構えを取っていた。
瞬時に慈乃の全身に闘気が満ち満ちた。
夜叉の姫の必殺の奥義、神速の抜刀術が炸裂する。
じゃぎんっ……!!
その速さとは裏腹、空間に重たい切断音が響き渡った。
もう慈乃は空にはおらず、消えてまた現れたと錯覚してしまう速い動きで、すでに地上に着地していた。
手の大太刀を大きく振り抜いた後の体勢で。
それは、目にも止まらぬ居合抜きからの大太刀の一撃。
鬼哭の一閃──!
爆発的な念動力を起こし、その衝撃を蹴って信じられないほどの速度で空間を駆け、最中に抜いた大太刀で敵を切り払った。
夜叉の慈乃最高の技──。
試合の勝敗を決する決め手、である。
慈乃の放った殺気に静まり返った会場だったが、すぐにも大きな歓声が響く熱狂の坩堝と化す。
動きの止まっていた骨の巨人に驚愕の異変が起こった。
脳天から胴体までが一直線に真っ二つに切り裂かれ、ど派手に分断されていた。
無数の手足にも破壊の亀裂が伝播していき、見る間に音を立てて崩れ始める。
慈乃の背後に、骨の破片の雨が降り始めた。
ずずずずずずずずずずずず……!!
やがて、出来上がった骨の残骸の山から青白く光る死の神が浮かび上がる。
それは死の神、御前の姿であった。
相変わらず、目深く被ったすげ笠で表情は見えないが、佇まいから悔しさが滲み出ているようにも見えた。
ほどなくして死の神は、ふっと消えていなくなってしまった。
堆く積もった骨の山も静かに地中へと沈み、跡形無く消えてしまう。
戦いに敗れた神は、そうして天神回戦の舞台を去ったのである。
「西ノ神、死の神御前様離脱により! 勝者、東ノ神、天眼多々良様のシキ、夜叉の慈乃姫殿!」
老練なる審判官の宣言が響き、その手の木笏が振り下ろされた。
多々良陣営の勝利が決まった瞬間である。
試合会場はまた大いに歓声に湧き、試合に勝った慈乃を讃えた。
同時に、強き神である多々良に対しても敬服をするのであった。
「嗚呼、多々良様、見ていて下さいましたか。今日も慈乃は貴方様のために勝利を収めましたよ……」
敵を打ち倒し、剣を鞘に収めると、慈乃は神々の観覧席を見上げた。
忠義を尽くす主に微笑み、強い自分を示せたことを誇りに思う。
「うん、ありがとう、慈乃。今日もよくやってくれたね」
慈乃の声が届いたのだろうか、多々良は深く頷いて労う言葉を口にした。
予想通りの結末に、冥子は薄ら笑ってため息を漏らし、日和は嫌いな慈乃が活躍したのを面白く無さそうにしかめっ面をしていた。
「……」
みづきは押し黙り、難しい顔をして試合の結果を凝視していた。
単純に慈乃が強かったことに驚いたり、脅威に思ったりしているだけではない。
無論それもあるのだが、思いを馳せているのは別のことで、地平の加護が教えてくれている事実である。
真に驚くべきことは他にあったのだ。
──神様のしもべのシキ……。この感じ、あいつらと同じだ……! 一度遭遇して戦った俺にはわかる……! 異世界同士が壁を越えて、シキと同じ奴らがあの場所に居やがったんだ……!
みづきは驚愕していた。
地平の加護の権能はあらゆる対象を洞察し、理解することにある。
一度理解に至り、概念化した情報を忘れずに記録して蓄積させていく。
そうして独自のデータベースを構築し、全ての対象を意識する際に照合を掛けることが可能となるのである。
これによって同じ本質を持つ対象を明確に識別できるため、種族、属性、性質を分類し、理路整然と体系付けられる。
地平の加護には変装は通じないし、隠れていても意識範囲に居れば見つけられるうえ、同様の対象ならたちどころに全てを見抜けるという訳なのである。
──パンドラの地下迷宮の雪男とレッドドラゴン! どういう訳だか、あいつらとシキは同じ存在だって地平の加護が言っている……!
みづきが思えば、地平の加護が記憶の一片を差し込んでくる。
それは心象空間でのおさらい時、雛月が言った言葉だ。
『通り名は雪男、その正体は全身毛むくじゃらのミスリルゴーレムだ。その真の名は饕餮の戟雷。神話に出てくる悪神の「四凶」が一柱だよ。中世風ファンタジー世界にはどうにも不似合いな感じだね』
──四神のシキがいるんだから、四凶のシキがいてもおかしくない……。だけど、パンドラの地下迷宮にはシキが居て、神巫女町の廃墟だってある……。いったい、何がどうなってるんだよ。三つの世界がごちゃ混ぜになってるじゃないか……。
ミスリルゴーレムは異界の神獣と呼ばれる、異世界から来た存在らしい。
おそらくはパンドラの地下迷宮で初遭遇したレッドドラゴンも同じだろう。
今は亡きアシュレイの遺言通りなら、七体もの異界の神獣、いや、シキと思しき存在があのダンジョンに居ることになる。
「それも大いに問題なんだけど……」
みづきは試合会場で、恭しく跪いて多々良に勝利を捧げる慈乃を見下ろす。
あの慈乃も、無論のことシキである。
──あの鬼の姫さんは、雪男やレッドドラゴンよりもさらに強い……! あんな化け物じみたシキと試合して勝つだなんてまず不可能だぞ……! こっちの世界には俺一人しかいないっていうのに……。
頼りになるエルフ姉妹の仲間はおらず、戦うのなら必然的にみづきが矢面に立つ必要がある。
まざまざと見せつけられた慈乃の強さは圧倒的で、いくらシキの身体があるとはいえ、あんな相手と戦って勝つなど至難の業であった。
「どうだい、みづき」
みづきが戦々恐々としていると、多々良の声ではっと我に返る。
高遠なる男神はこちらの考えを見抜いているかのように問い掛けてきた。
再び、じっと見つめる目をみづきに向けて。
「あの慈乃を相手にして勝てそうかい?」
「う……」
答えるまでもなく、言葉に詰まるみづきの顔と態度がすべてを物語っている。
自信に満ちあふれる多々良は、自陣営の絶対たる守り手を疑わない。
「慈乃は私の自慢のシキだ。私が序列上位に留まっていられるのは慈乃のお陰に他ならない。日和殿を高みに押し上げたいのなら、いずれ避けようもなく試合うことになるだろう」
そこまで言うと、相変わらず笑みを浮かべたまま前へ向き直る。
もう視線は寄越さず、全てを見通しているとばかりにもう一言を言った。
「──みづきの願い、叶うといいね。日和殿のためにも」
それは、明らかに格の違いを教え込まれる言葉であった。
天神回戦を勝ち進み、日和の高い神格を取り戻そうというなら、確実に多々良と慈乃が立ちはだかることになる。
みづき自身の試練を果たすため、避けては通れぬ道となるに違いない。
願いを叶えるにはこの道を行くしかない、ないが──。
慈乃と戦えば負ける、それは揺るがない事実となって尾を引いた。
「……日和、行こう。もう試合観戦は充分だ」
みづきは陽炎みたいにぼうっと立ち上がる。
日和の返事を待たず、急ぎ足に観覧席の出口へと向かった。
このままここに留まっていれば、力の差を見せつけられるだけでなく、多々良の神の力に飲み込まれてしまいそうになる。
「あっ、みづき、待っておくれなのじゃっ。多々良殿、それではまたなっ」
置いてけぼりにされそうな日和も、慌ててみづきの後を追い掛けた。
平穏な笑みで、多々良は流し目に去って行く二人を見送るのであった。
天神回戦の障壁となるのは夜宵だけではない。
この多々良も、その一人であるのだ。




