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第142話 隣の席の神は凄い

 みづきと日和の見下ろす戦いの舞台で、人外の試合が執り行われている。

 しばらくの間、そうして観戦していると。


 食べかすやタレで口許を汚す日和に、白い布巾を持つ手がすっと近付いた。


「日和殿、口が汚れているよ。周りの目もあるのだから、綺麗にしておかなければいけない」


 清涼せいりょうな声が空気を揺らし、差し出された手は日和の口許を布巾で拭う。

 優しく口を拭いてもらった日和は、すぐ隣を振り向いてにこやかに言った。


「おお、これはすまんのじゃ。──多々良(たたら)殿」


 その声を聞いて、みづきはどきりと心臓を高鳴らせた。


 日和が口走ったのはある神の名である。

 それもどこかで聞いたことのある名前であった。


「……っ!」


 思わず振り向き見たみづきは言葉が出ず、身体は硬直する。

 いつの間に隣に座っていたのか、最初からそこにいたのか。


 みづきの視界にこちらを横向き加減に見ている男神おがみの顔が映り込んだ。

 目を細め、いかにも穏やかそうな微笑みを浮かべている。


「今日は試合は無いはずだから、観戦にでも来たのかな。日和殿」


「うむ、そんなところじゃ。もぐもぐもぐ……」


 栗鼠りすみたいにほっぺを膨らませて言う日和には説得力が欠片も無い。

 二人はやけに親しげな様子で話しているが、みづきはそれどころではなかった。


──この人が……。あ、いや、この神様が俺が戦った馬の鬼さんの主の……!


 みづきは目の前に居る存在がにわかに信じられない。

 人の姿をしているが、明らかに人ではない。


 周りに座している他の神々であろう者たちにも畏怖と畏敬を覚えるが、この男神から感じる同様のそれは次元が違っていた。


 ただでさえ居心地が悪かったのに、もういてもたってもいられなくなる。


 端正な顔立ちをしていて、女性かと思うほど長い髪は艶やか。

 絵に描いたようなすらりとした長身を鶯色うぐいすいろ束帯そくたいで包み、右目には白布の眼帯がんたいを巻いている。


──後光が差してるくらい眩しく見える……。なんて神々しさなんだ……。


 みづきはその威容いように圧倒されていた。


 その佇まいがそこに在るだけで、空気の淀みは払われ、静謐せいひつおごそかな空間が形成されている。


 正真正銘の神、そうとしか表現ができない。


「はぁい、みづきぃ。私と試合をしてくれる気にはなったかしらー?」


「……へ? うげっ!? お、お前はっ!」


 そんな本物の神の、さらに隣の席からやや野太くも色っぽい声で呼ばれた。

 みづきは声の主の顔を見て、今度は驚いてしっかりと声をあげる。


「日和様、ご機嫌麗きげんうるわしゅう存じます。本日もお目にかかれて光栄でございます」


「むむっ、おぬしは昨日の牛の鬼……!」


 そうして日和と挨拶を交わすのは、鼻息の荒い大柄おおがらな女性であった。


 黒髪に白が掛かった髪を三つ編みに結い、頭から獣の両角と両耳が生えている。

 筋骨隆々の肉体と、とんでもない存在感を主張するはち切れんばかりの胸。

 野性味の溢れる、大迫力な女傑じょけつである。


 それはこの世界における昨日のこと。

 初試合を終えたばかりのみづきと日和のところへ、早速と次の試合を申し込みに参じた地獄の獄卒鬼ごくそつきの一人。


「えぇっと、冥子めいこ……。あぁいやぁ、昨日の試合の怪我がまだ癒えてなくてね……」


「んもう、焦らすわねえ。私と試合う前に他の誰かに負けたら承知しないんだから。でも、名前を覚えていてくれて嬉しいわ」


 逃げるように視線を逸らすみづきに、地獄の女傑はにたりと笑った。


 天眼多々良陣営上位のシキ、牛頭鬼ごずき冥子めいこ

 みづきが初戦で下した馬頭鬼めずき牢太ろうたの相方でもある。


「冥子との顔合わせは済んでいるようだね」


 と、穏やかな男神はみづきと冥子のやり取りを見て笑みを浮かべていた。

 そして、みづきを見つめ、静かに名乗りを上げた。


「お初にお目に掛かる。私は鍛冶かじ製鉄せいてつの神、──天眼多々良(てんがんたたら)。牢太との試合、しかと見させてもらったよ」


 神名しんめいが心に刻まれる。

 もう決して忘れることなど出来はしないだろうと思い込ませるほどに。


 みづきの心の奥深くにまで。

 その名、天眼多々良の御名みなは浸透した。


 多々良の名は、初戦となった牢太との試合へ向かう前に日和から聞かされた。


此度こたびの対戦相手は神威明らかな、鍛冶と製鉄の神、天眼多々良殿の陣営、八百万順列やおよろずじゅんれつ第二位の相手よ!』


──思い出した! 凄い神様ランキング第二位の神様だ! 一位の夜宵やよいがあれだけ凄かったんだから、そりゃあ二位の神様だって相当なもんだろう……!


 そんな凄い神様の多々良に名乗られ、みづきは無意識に心身が引き締まった。


「私もみづきと──、そう呼んでもいいかい?」


 多々良は微笑み、みづきは語り掛けられる。


 天上の神に、親しく名を呼んでも構わないかと問い掛けられている。

 優しげな表情はすべてを包み込んでくれるほどのうつわの大きさを感じさせた。


「は、はい……。好きなように、呼んで、下さい……」


 言われるがまま、みづきはおずおずと答えていた。


 息がしづらく、うまく喋れない。

 直接的な敵意は無いというのに、多々良の神の威光は眩しすぎる。


「うふんっ!」


 正しく主の威厳に萎縮いしゅくするみづきを、冥子は満足そうに眺めていた。

 彼女が今日の多々良のお供を務めているようである。


「うむむ……。みづきめ……」


 と、みづきの縮み上がる様子を見ていた日和が唸り声をあげている。


「私と話すのは気安く馴れ馴れしい感じであるのに、どうして多々良殿と話すとそのようにかしこまるのじゃ? 随分と態度が違うではないかぁ?」


 創造主は自分なのに、多々良に畏敬いけいを抱くみづきがご不満らしい。


「だって、仕方ないだろ。日和と比べたら、こっちの多々良さんのほうがよっぽど神々しいっていうか、神様らしいっていうか……。何だか無性に、手を合わせて拝みたくなっちゃうんだよ」


 多分、日和が力を失っていて、多々良とは神格の差が歴然としていることが原因なのだろうが、みづきの態度の違いは何とも露骨であった。


「んなぁっ? これっ、みづきっ、おぬしは私のシキじゃろう! 己の主たる神を差し置いて、他の陣営の神を褒め称えるなどあってはならんことじゃぞっ! 私はみづきをそんな風につくった覚えはないのじゃっ!」


 瞬間的に顔を真っ赤にして、日和はみづきに食ってかかった。


 みづきときたら、いきなり呼び捨てにしたり、砕けた話し方をしたりと、日和を神と思わぬ扱いをして威厳などあったものではない。


 さらに、呆れ顔のみづきの冷ややかな一言で、日和は顔を真っ青にする。


「……よく言うよ。俺のことを身代わりにしようとしたくせにさ」


「あっ! しーっ、もうそれを言うでないっ! 済んだことをしつこく持ち出すのはいい加減堪忍(かんにん)して欲しいのじゃっ! ちゃんと謝ったのじゃから、さらりと水に流さぬかっ!」


「へいへい、しつこくて悪うございました。俺をこんな風につくったのは日和なんだってこと忘れるなよな」


「あぁもう、減らず口ばかりたたきおってからにぃ……」


 変わらず不遜ふそんなシキの態度に、主の女神は頭を抱えていた。


 本来、みづきは日和の未来を切り開くために生み出されたシキではない。

 わずかばかりだろうと時間稼ぎのその場しのぎのためにつくられたのである。


 いわば、日和の代わりに倒されて消える身代わりであったのだ。


 高潔こうけつこころざしを掲げる多々良には、シキを捨て駒にしようとする日和の行いは捨て置けなかったのだが──。


 みづきが平然として、日和と軽口を交わしているのを見て少し驚いていた。

 ほぉ、と感心とも取れる息を漏らす。


「みづきは自分がどういう経緯いきさつをもって生み出されたのかを自覚しているのだね。知ったうえでなお天神回戦を日和殿のために戦おうというのだね」


 日和の事情や思惑を知らず、傀儡かいらいとして戦わされている訳ではないらしい。

 境遇を理解し、それでも自分の意思でここに居るのならそれは生け贄でもない。


 苦笑いを浮かべて答えるみづきに、多々良は確信を持って納得をした。


「……成り行きですがね」


「そうか。では、もう私からは何も言うことはないよ」


 不本意で仕方がない感を出すシキを奇異に思いつつ、多々良はこれまで以上に優しげに笑うのであった。


「──ただ、主たる神をぞんざいにするのは感心しない。仲が良いのは良いことだけれどね。日和殿と新たに誕生したシキ、みづきの活躍を心から祈っているよ」


 但し、おおやけでの不適切な神とシキの関係にやんわり釘を刺すのも忘れない。

 多々良の晴れやかな笑顔は、みづきと日和の変わった主従のえんを祝福する。


「うむ、ありがとうなのじゃ、多々良殿。ほんにまったく、どういう訳か創造主である私に反抗的なのがみづきのたまきずなところじゃ。まともなシキさえろくにつくり出せんようになるとは、私も本当に弱り果ててしまったものじゃよ。よよよ……」


「日和殿はよくやっているよ。追い詰められてなおしぶとく抗おうとする懸命けんめいな様は称賛しょうさんに値する。最後まで諦めずにあがいていこうね」


 膝の上に置いていた手の平をすっと伸ばし、多々良は日和の小さな頭を労うみたいになでなでと往復させていた。

 なすがままの日和も悪い気はしないものの、眉をひそめてやっぱり不満そう。


「なーんかトゲのある言い方じゃなあ……。ほんとに褒めとるのかあ?」


 じと目の日和に、多々良は何も言わずにただ微笑む。


「……まともなシキじゃなくて悪かったな」


 どうやら理想のシキにはなり切れていないようだ。

 みづきはムッとしてぼそりと呟いた。


 但し、ちゃんとしたシキになるのが目的ではないので、構わないと言えば構わないのだが何だか釈然しゃくぜんとはしなかった。


「って、お二人仲いいんすね」


 と、日和と多々良のやたらと距離の近い触れ合いにみづきは言った。

 にこやかに頭をさする多々良と、小さくなっている日和の二人は親子か兄妹にも見えなくもない。


「おや、みづきに焼き餅を焼かせてしまったかな。日和殿と夜宵殿とは浅からぬ仲でね。古来より長い付き合いの知己ちきであるんだ」


「その割には、私を本気で討滅とうめつしようとしておる恐ろしい御仁ごじんじゃがな、多々良殿は……。昔からよしみある友だというならもっと情け深くあって然るべきじゃろ」


 そう話している間も多々良は日和を撫で続けていて、日和も多々良を複雑な表情で見上げている。

 何ともただならぬ仲らいであるらしい。


「昔からのよしみ──。だからこそ私の手で日和殿を下して、眠りに着いてもらいたいと思っている。それは私の使命だよ」


「ふん、遠慮しとくのじゃ! 今の私にはみづきがおるからのっ! そう簡単にはやられはせんのじゃ!」


 日和は多々良の撫でる手を振り払い、座布団の上に勢いよく立ち上がった。

 そして、歯を覗かせて不敵に笑うと自慢げに言い放つのである。


「なにせみづきは、──太極天たいきょくてんの力を自在に使えるのじゃからなっ!」


「おい、日和……」


 その瞬間、空気がぴりっと張り詰め、みづきは背筋が冷えるのを感じた。


 妙な沈黙が場にもたらされる。

 多々良は微笑したままで、冥子は冷然な視線で見下ろしている。


 天神回戦の趣旨しゅしは、各々の神の陣営が試合を行い、勝利者が大神太極天おおみかみたいきょくてん恩寵おんちょうを授かることである。

 無秩序に神々が争わなくて済むようこの祭りは開催されているのだ。


 それなのに、みづきは地平の加護を介して、天神回戦の景品である太極天の神通力を好きなように扱っているのである。


 ねたまれうらやまれこそすれ、良くは思ってもらえないのは想像に易い。


「……みづきは不思議なシキだね。太極天の恩寵を操れるというだけでなく、他のシキにはない特別な何かを感じる」


 多々良は感情を荒げることなく、静かにそう言った。

 必要以上に落ち着き払い、じぃっとみづきを見つめている。


 そして、一言を呟くように紡いだ。


「──何か、さなければならない使命があるようだ」


「え……」


 それを聞いて、みづきはぎくっとなった。

 多々良の右目を覆っている白布の眼帯の向こう側が淡く光っている。


 みづきは知らない。

 普段は隠された多々良の右の神眼しんがんには、全てを見通す神通力があるという。


「それは私を再び天上の神の高みへと押し上げるためじゃ! みづきは私の願いを叶えてくれる希望のシキなのじゃっ!」


 と、興奮気味の日和が座布団の上でぴょんぴょん跳ね始めた。

 すると多々良はみづきから視線を外し、微笑ましく日和を見つめるのである。


「そうだね。それは当たらずも遠からずというところなのだろうね」


 そう言い、多々良は前に向き直った。

 男神の鋭すぎる詮索せんさくの瞳から解放されたようである。


「……ごくり」


 みづきはつばを飲み込み、目の前に居る本当の神に戦慄せんりつするのであった。


 破壊神夜宵も心底恐ろしいが、この多々良もまた人知を遙かに凌駕する高次元の存在であるのは間違いない。


 優しそうな性格と、直接的に敵対する理由が無いのがせめてもの救いである。

 これ以上問題を抱えたくない、それが正直なところであった。



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