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第134話 消耗品みたいに

 割れるような頭の痛みがすぅっと引いていく。

 朦朧もうろうとする意識は、ゆっくりと正常に思考できるまで覚醒していった。


 確か、魔物の記憶を覗いて、その先に居たもっと邪悪なものに何かをされた。

 あれは、蜘蛛の着物の男だったと思い出す。

 恐ろしい冷酷な眼光が頭から離れず、身震いしながら恐る恐る目を開けた。


「まだ動かないで、じっとしてて……」


 すると、眼前にはおでこ同士をくっつけた目をつむった少女の顔があった。


 ボブカットの前髪が顔をくすぐる。

 母校である高校の女生徒用制服に身を包む、恋人だったあの子と同じ姿。

 地平の加護の疑似人格、もう一人の自分、雛月。


 頭を抱え込まれ、額と額を合わせる密着した状態で抱き着かれていた。

 馴染みある炬燵こたつテーブルの前に座っていて、無造作に投げ出した両足の間に雛月はすっぽりと収まっている。


 目の前のつぶらな瞳がぱちんと開き、安心した笑みが吐息と共にこぼれた。


「……ふぅ、これで大丈夫。まったく、本当に無茶をするなぁ。──三月みづきは」


 名前を呼ばれた瞬間、意識はより明確にしっかり目覚めた。

 どうやらまた雛月にピンチを救われたようだ、と何となく理解する。


 頭痛はもう完全に消えており、三月は妙に乾く喉を震わせて声を出した。


「こっ、ここはっ……。俺は、いったい……?!」


 視界いっぱいを覆う雛月の顔と、目の端に見えるのはよく見知った光景。

 ここは三月の住むアパートの部屋、ではなく、それを模した夢の心象空間だ。

 雛月という有り得ない存在が、ここがそうであると物語っている。


 いつの間にかこの場所に引き込まれていて、三月は突然の再会に取り乱した。


「落ち着いてよ、三月。ここはぼくと逢瀬できるいつもの場所さ。気を失った三月を強制的にぼくが引っ張り込んだんだ。危ないところだったんだぞ」


 まだおでこをくっつけたままの雛月の顔は、少し不機嫌そうに膨らんでいる。

 ちょっと怒った風な表情に、恋人の面影を思い出して恥ずかしくなり、しどろもどろに三月は言った。


「わ、わかった……。わかったから、ちょっと離れてくれないか、雛月……」


「駄目だ、羞恥しゅうちの気持ちに耐えながらそのまま聞いてもらう」


 三月の動揺を見透かして、雛月は抱き着いた拘束を解かずにお説教を始める。

 疑似人格に心があるのなら、それは叱責であり心配でもあった。


「成り行き上、仕方がなかったとはいえ、不用意に魔の深みを覗き込み過ぎだ。ぼくが迷宮の異世界との意識を切り離さなければ、確実に精神を破壊されていただろうね。三月の心と身体は基本的に人間のままなんだから、無防備に内面を晒せばミスリルゴーレムをクラッキングしたみたいに同じ目に遭わされるぞ」


「う、すまん……。まさか、逆にやられるとは思わなかった……」


「魔物との意識の繋がりは完全に遮断しておいたよ。だから、精神汚染や三月の人格が侵食されるようなことはない。もう安心していいけれど、三月の意識を敵に直接付与するのは今後は控えたほうがいいね」


「そうする……。助かったよ、ありがとな、雛月」


 三月の謝罪と感謝の言葉を聞き、しばらく膨れっ面で黙っていた雛月。


 と、急にぱちんと光の粒子になって消えたかと思うと、炬燵テーブルの向かい側に瞬時に現れた。

 対面に女の子座りで腰を下ろし、テーブルに頬杖を付いて三月を見つめる顔はもう笑っていた。


「気にしなくていいさ、三月が考えて取った行動だよ。ぼくはそれを肯定する──、あっ、痛たたっ……!」


 雛月は苦悶に顔を歪め、もう片方の手で自分の頭を押さえた。

 三月と同じく、雛月も頭痛を感じているようだった。

 その痛み苦しみは、雛月がもう一人の三月である証拠でもある。


「雛月、大丈夫かっ?」


 心配する三月に、雛月は頬杖は付いたまま頭を押さえていた手で制止をする。

 笑ってはいるが、声は少し苦しそうに聞こえた。


「……平気だよ。前にも言ったけれど、三月へのダメージはぼくも共有するんだ。やれやれ、とんでもなく強烈な思念波だったね……。地平の加護を壊されちゃうかと思ったよ。三月の頭痛はもう大丈夫だよね」


「本当にすまん……。雛月に迷惑掛けちまったな……」


 申し訳なさそうにしょげる三月を見て、雛月は今度はいたずらっぽく笑う。

 目を細めてからかう様子からして、もう苦痛は消えているみたいだった。


「随分と殊勝しゅしょうだなぁ。もしかして、ぼくのことを気遣ってくれてるのかな? うかつな判断のせいでぼくが壊れちゃったらどうしようとか、大事な相棒のぼくに万が一のことがあったら耐えられないー、とかさ。あはははっ」


「茶化すなよ。俺はただ、雛月のことが心配で……」


 おどけて言っても曇った顔のままの三月を見て、雛月はため息をつく。

 自分の軽率さが招いた失敗を、生真面目さが邪魔をして笑い飛ばせられない。

 そんな三月に、雛月は調子を変えて淡々と言い始めた。


「──三月は気にしなくていい。ぼくがやらせたようなもんだ。あの巨人の魔物の残留思念には興味があった。危険を冒した分、収穫もあったんだ」


 確かに地平の加護の探求衝動には抗いがたく、闇への洞察を強要されたと言えなくもないが、すんなり納得はできそうにない。

 そんな三月をお見通しな雛月は、自らの存在意義を説いていさめる。


「三月があってこそのぼくだということをどうか忘れないで欲しい。地平の加護は三月の物語を成就させるためにあるんだ。いざとなれば、ぼくを使い倒すくらいの覚悟でいてくれなきゃ困るな」


「雛月、そんな言い方……」


 三月の情けない顔に、雛月はもう一度ため息。


「……やれやれ、朝陽の姿をしている弊害へいがいだな。それは本当に三月の優しさかい? ぼくは地平の加護の疑似人格、作り物に過ぎないんだ。大事に取り扱われたり、愛着心を持たれたりするのは悪い気はしないけれど、ある程度は割り切ってぼくを使ってくれないと駄目なんだからね」


「……」


 黙ってしまう三月に、冷徹とも取れる皮肉を言って突き放す。


「三月のそれは、例えばこのテレビが壊れるのを心配してるのと同じだよ」


 無造作にテーブル上のテレビのリモコンを取ると、雛月は電源ボタンを押した。

 カチリ、という電源供給の音が鳴り、真っ暗な画面に映像が浮かび上がる。


 テレビに映ったのは先ほどまで居た異世界のミヅキたちのもので、蜘蛛の着物の男の正体不明な攻撃を受け、気を失って倒れてしまった後の続きだった。


 ミヅキはだらりと身を投げ出して気絶してしまっている。

 それをエルトゥリンがひょいっとお姫様抱っこで抱き上げて、部屋に運んでくれている映像が映っていた。


「……」


 心配そうにしている他の女性陣に申し訳なく思いながら三月は顔を伏せた。


「エルトゥリンに今度またお礼を言っておこうね。それにしても、三月はよくお姫様抱っこされてるなぁ。ヒーロー、ヒロインの役割があべこべじゃないか」


 雛月がテレビを見て、けらけらと笑っている。

 矢継ぎ早に夕緋とパメラに抱っこされた時の映像がテレビに映った。


「ねえほら、見て見て。夕緋に抱っこされてる時の三月の顔、おっかしいなぁ」


 そうやってはやし立てる雛月は、調子を落として落ち込む三月にさっさと立ち直るよう発破はっぱでもかけているようだ。


「……そうだな、ざまあねえな。だけど、助けられた分はちゃんと働くさ」


 ため息をついて、三月はぼやきながらも顔を上げた。

 雛月はにやりと笑い、うんうんと頷いた。


「とにかく、お疲れ様、三月。本当に今回のことは気に病む必要はないよ。ぼくはこれからも三月と共に在り、共に戦い、共に傷つく。この物語の果てにぼくと三月の関係がどうなるかはわからないけど、それまではよろしく頼む」


「雛月……」


「ぼくを心配してくれるんなら、三月もぼくを信じてくれないか。なぁに、絶対にただでやられたりなんかしないさ。ぼくは地平の加護そのものだぞ。どんな秘密でも暴いてみせるし、どんな力も我が物として三月に与えてあげるよ」


「わかったよ、要らん心配だったみたいだな。……本当に大丈夫なんだな?」


「くどいな、平気だって言ってるだろ。心配性だなぁ、三月は」


「……そういう性分だ。知ってるだろ」


 くすくす笑う雛月の顔は不敵だった。

 三月の心配など不要とばかりに地平の加護は強力無比で、その権化たる雛月は相も変わらず超然としていて、このうえもなく心強い味方である。


 しかし、気を揉む必要はないとわかっていても、その姿が朝陽のものであるためか、三月は儚さにも似た不安を感じてしまうのであった。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、雛月は愉快そうに話し続ける。


「そんなことよりもさ、今回もずっと見てたけど、異世界の女の子たちへの色々な気遣いと態度や言葉、なかなかどうして感心させられちゃったよ。三月はちゃんとした考えを持ってるんだなぁ」


「うっ、からかうなよ。俺なりに無い頭を捻って考えたんだ……」


 雛月が言及しているのは、どうやらエルフの彼女たちへの助言のことだった。

 二人を思っての気持ちに嘘は無いが、改めて感心されるのは気恥ずかしい。


「アイアノア、エルトゥリン。動乱の世と身内の暴走が災いして、不遇を受けるのを余儀なくされるエルフの姫君たち。冒険者になって彼女らと世界を旅して回る、か。うん、それもいいかもね。だけど、夕緋と婚約中だっていうのに他の女の子と旅行に行こうだなんて三月はとんだ浮気者だな」


「べっ、別にそういう変な意味じゃねえよっ……! あの世界にいる間だけでも、アイアノアの助けになれればって思ったんだよ。第一、エルトゥリンも一緒なんだから妙な気の起こしようもないだろうがっ」


 そんな必死の言い訳を聞いて、何を考えているのやら雛月は三月を困らせて楽しんでいる風だ。

 ただ、その口許は笑ってはいるものの、じと目で見つめてもくる。


「本当に何の他意も無いっていうのかい? 疑わしいなぁ。……何しろ、三月はアイアノアに一目惚ひとめぼれしてたそうだしさぁ。あっちも満更まんざらでもないみたいだったし」


「うぐっ!? 雛月までそれを言うのか……」


「キッキに両親への思い方をアドバイスしたのもそうだけど、異種族間のわだかまりに苦しむアイアノアへ道徳心を説いてみたり、エルトゥリンの救済の願いに応えてみたり……」


 一度言葉を切ると、大きなため息と一緒に雛月は言った。


「まったくもう、三月はかなりの人たらしだな。女の子に甘いっていうか、やっぱり単純でお人好しだっていうか」


「うむむ……。わ、悪いかよ……」


 心なしか不機嫌にも見える雛月に言い返せず、やり込められる三月。


 うまく物語をいい方向に運んだつもりだったが、何か気に障ることでもあっただろうかと目の前の人外の存在にはらはらしていると──。

 雛月は打って変わって、にこっと満面の笑顔を輝かせた。


「いいや、全然悪くないよ。助けてあげたいって思うのは何も女の子たちだけじゃないよね。父親譲りの教えで、信念に従って目に見える範囲で困っている人たちの力になってあげられる。──あははっ、ぼくは好きだよ、三月のそういうところ」


「うぐ……!」


 予想外の好感触な反応と、朝陽と同じ屈託のない笑顔でそう言われてしまうと。


 三月はやっぱり赤面してしまい、お人好しと呼ばれるのがしゃくだったのに、何だか悪くない気分になって照れてしまった。


 雛月は頬杖をついたポーズのままころころと楽しそうに笑っていた。

 何とも言えず、朝陽の皮をかぶった小悪魔である。


「さて、三月をからかうのはこのくらいにしておいて、ついでに今回の物語の要点の整理といこう。新たに判明した事実を精査して、今後の方針を決めようか」


「やっぱりからかってたのかよ……」


 と、落ち込む三月を見て見ぬふりの雛月は愉快そう。

 ただ、そのいたずらっぽく笑う雛月の縁から光の粒子がぽつりと漏れた。


 空中で霧散して消える黄龍氣こうりゅうきの粒は、雛月と心象空間が存在できる制限時間がもうそう長くないことの表れだ。


「かなり重要な因子が多いから念入りにやりたいんだけど、三月を助けるのに存外たくさんの力を使ってしまってね。疲れたからぼくも少し休ませてよ」


「雛月、大丈夫か……? きついなら今回はこの辺で……」


 すると、三月はまた不安そうな顔をし始める。

 それを見て雛月は困り顔で笑い、強引に自らの役割を遂行し始めたのだった。


「ああもうっ、だから気にしなくていいってば、面倒くさいなぁ。さぁ、始めるよ。ちゃんと頭に詰め込んでいってくれ給え。せっかく集めた有益な情報なんだから」



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