第129話 修羅のダークエルフと破壊神の影
「じゃあせっかくだし、他の神託のことも教えてもらえるか? あ、ついでにそれがあった時期もよろしく」
「はい、謹んでお話し致します。あれは、丁度パンドラの異変が起きた頃の事です」
地平の加護の探求衝動に突き動かされ、ミヅキは問い掛けた。
アイアノアも大きく頷き、授かったもう一つの神託を口にするのだった。
パンドラの異変があった10年前、時を同じくしてエルフの里に下った神託だ。
『動乱の争いの後、闇に堕ちたる亜人の復讐者は益々尚荒ぶり、異世界の破壊神の力を招き呼びて世界に魔を解き放つ大いなる災禍の中心なり。災禍を鎮めたる使命の勇者、約束の時に彼の地にて目覚める。太陽と星の加護の導きに従い、いずれ来たる試練と闘争の時のため、今は雌伏に備えよ。使命の始まりを告げる神託を待ち、これを受けて選ばれし勇者と共に妄執の復讐者の元に至るなり』
「なるほどな……」
長い息を吐いてミヅキは呟いた。
当初気付いた通り、神託はもう一つあった。
10年も前から勇者の目覚めを知らせるものであり、戦乱の魔女であるフィニスのことを示していた。
そして、ミヅキが目覚めたタイミングで下された神託には、パンドラの地下迷宮という場所の情報が明言されていた。
だからこそ、エルフたちは神託に従い、フィニスの潜伏先をこのダンジョンだと断定し、満を持してアイアノアとエルトゥリンを遣わした。
「その時に太陽と星の加護を族長様より賜りました。何故だかはわかりませんが、これらの加護は私とエルトゥリンにしか適合せず、他の者では扱えないそうです。そうして、いつか来る使命の時に向け、私たちは鍛錬を始めたのです」
使命と密命を果たすべく、加護を授かった彼女たちの運命は始まった。
かくして、エルフの彼女たち二人のタイムラインは明らかになった。
神秘の加護を授かり、ミヅキの目覚めを待つ間に準備を開始した。
アイアノアは剣と魔法の修行と、外の世界の知識を得る勉学に励んだ。
エルトゥリンはひたすらに武術の鍛錬をし、星の加護の使い方を学んだ。
──うーん、神託の出所はともかく、あんな規格外の加護を授けられる族長のイニトゥム様って何者なんだろう……? こうなってくると、いよいよもう無視できる存在じゃなくなってきたぞ。異世界から来た俺の事情に通じてる節もあるしな……。
エルフの族長、イニトゥム。
やはりミヅキは訝しい思いに駆られていた。
──アイアノアとエルトゥリン二人のおばあちゃんで、お尋ね者になってるフィニスの実の姉さん。さっきアイアノアが話してくれた神託ももちろん族長様が話してくれたものだよな。エルフの神なんてのは存在するのか。イニトゥム様は単なる仲介役に過ぎないんだろうか。
最初は物語の背景でしかないと思っていたその人物は、どうやらそれだけの役割では終わらなさそうである。
もしかしたらイニトゥム様はミヅキの事情だけでなく、他の異世界のことも全部知っているのかもしれない、そうも思った。
「ミヅキ様の仰る通り、フィニス様は今もパンドラの地下迷宮奥深くに潜伏しております。大いなる災禍を引き起こす前にフィニス様の身柄を捕縛、或いは討伐することが私たち姉妹に与えれらた真の使命なのです」
但し、頭のもやもやは次のアイアノアの言葉で吹き飛ぶことになる。
新たな神託の気になった部分を、まともに語る内容だったからだ。
「──異世界の破壊神ヤヨイの力を呼び込み、災いを起こそうとするフィニス様を何としてでも止めなければなりません」
「──えっ!?」
ミヅキは息を呑んだ。
今、アイアノアは何と言っただろうか。
異世界の破壊神──。
ヤヨイ、夜宵。
彼女は確かにその名を口にした。
「破壊神……!? い、異世界の、夜宵……!?」
魂に刻まれた恐怖の対象。
破壊の女神、夜宵の顔が記憶に浮かび上がる。
思い掛けない名前が飛び出してきた。
一瞬、同じ名前の物騒な神様がいる可能性を疑ったが、何故かそう思えない。
「うぅっ……! これは……!」
呻くミヅキの頭に、目の前のアイアノアから記憶が流入してくる。
情報開示を自らの意思で行う彼女から、地平の加護が情報を得ようとする。
深い森の中の一角、夕暮れの橙色が辺りを染め上げている。
木造の変わった建築様式の屋敷は、エルフの彼女たちの住まいだ。
『姉上、久しぶりだなァ。お前ら臆病者が人間共との戦争に怖気づいて、エルフの仁義を忘れちまったあの時以来か?』
どすの効いた女性の声が空気を震わせた。
夕食時だったのか、食器類がテーブルから落ちて散らばる音が響く。
戦慄して震える姉を庇い立つ妹の姿は、アイアノアとエルトゥリンのもの。
まるで蜃気楼のような褐色の長身が立っていた。
切れ長の鋭い瞳の整った顔、銀色の長い髪を腰まで伸ばした黒衣の佇まい。
吊り上がった口角の笑みは、粗暴な印象が色濃い。
ダークエルフ、フィニスである。
「……百年ぶりか。今更何の用だ、フィニス」
姉妹二人の前に立ち、件のお尋ね者と対峙する老練なエルフ。
ただ、長く歳を経ているはずが、その見た目の背格好は幼く、孫娘たちより年下といっても問題ないくらいの子供に見えた。
アイアノアと同じく金色の長い髪を後ろで束ねたポニーテール。
その顔立ちは凛としていて、ゆったりと着こなす森色のローブがよく似合う。
──この人がエルフ族長のイニトゥム様か……。てっきり、威厳ある女王様みたいなエルフかと思ってたけど、まさかこんな小っちゃいとは……。うーんでも、そんなにアイアノアに似てるかな?
記憶を垣間見るミヅキは、その小さなエルフが誰であるかを理解した。
エルフの神から神託を受けてそれを流布し、孫娘二人に太陽と星の加護を授けたというエルフ種族長、イニトゥム。
これは、最初の神託があった頃、10年前の出来事の一幕である。
『この世界は滅ぶぞ、もうすぐな。里を捨てて、とっとと大陸から逃げ出すんだな。お前らが臆病者だとしても、同胞のエルフの血が流れるのをアタシは望まねえ』
「何だと、何を言っている?」
『異世界の破壊神、ヤヨイの力を使う。人間共の国は当然のこと、この大陸全土に大いなる魔を溢れ返らせ、あっという間に死の大地に変えてやるからよ!』
「待て、フィニス。それはどういう意味だ……?」
『せいぜい覚悟しとくんだなァ。アタシの願いは奈落の深淵が叶えてくれる』
問うイニトゥムには答えず、フィニスは一方的に言葉を残す。
揺らめく幻さながら、その姿は霧散して消えてしまった。
百年ぶりの久方振りに現れ、残していったのは警告だった。
警告の内容は神託と同様で、大いなる災禍がもたらす滅び。
──ともかく、夕緋のそばにいたあのエルフはフィニスで確定だ。クールな性格だと思ってたのにそんな乱暴な喋り方だったんだな。いったい何だって、こんな異世界の厄介者が夕緋と一緒にいるんだ? 神託で言ってる大いなる災禍を起こすための力を借りる先が、まさかあの破壊の女神、夜宵……?
ミヅキが疑問を感じている間に、記憶の場面は次の日に移り変わっていた。
少女にしか見えない祖母のイニトゥムは孫娘たち二人を見上げて前に立つ。
そして、小さな両手の平それぞれに緑と青の宝石を乗せて差し出した。
「これは、太陽の加護と星の加護。アイアノア、エルトゥリン、お前たちに向けてエルフの神より授かった奇跡の結晶だ。心して受け取りなさい」
姉妹の瞳の色と同じ加護の宝石を渡し、イニトゥムは苦渋の指示を言い与える。
遺されし最愛の孫たちに、族長として過酷な運命を背負わせた。
「そう遠くない未来、お前たちは今はまだ目覚めぬ勇者と共に旅立たねばならない。そして、その使命に合わせて、お前たちにはエルフ全体の悲願たる密命を与える。フィニスを探し出し捕縛せよ。それが無理ならば討伐も辞すな。これは里の総意、我が一族の末裔たるお前たちが果たさなければならない呪われし血族の宿命なのだ」
非情なる勅命が族長より下された。
祖母の妹の不始末、その粛正と誅伐を、孫娘たちが果たさなければならない。
そのためには、神託の勇者の協力が不可欠である。
「神託の勇者にフィニスとの関わりを打ち明け、協力を仰ぐかどうかは一任する。適宜判断せよ。──勇者が信用に足る者であることを祈っている」
アイアノア、エルトゥリンの使命と密命の旅はその10年後に始まる。
場面は暗転し、断片的な記憶が巡り出した。
それはアイアノア自身が幼き日に言ったこと、聞かされたこと。
アイアノアの嘆きと、イニトゥムの苦悩であった。
『お父様、お母様……。私たちはこれからどうやって生きていけばいいの?』
『みんな、そんなに怖い顔をしないで! どうして私たちに冷たくするの? どうしてそんなに辛く当たるの? 私もエルトゥリンも何にも悪いことしてないのに』
『族長様、どうかお助け下さい……! イニトゥム様、いいえ、お祖母様ぁ……!』
『我ら一族の血は汚れている。償い切れぬ大罪の元凶となり果ててしまった』
『アイアノア、エルトゥリン、遺されし哀れなる我が末裔たちよ』
『決して逃れ得ぬ過酷な運命を背負わせてしまったこと、本当に済まなく思う』
フィニスの一族であることで里中から冷遇され、迫害と八つ当たりを受ける羽目に遭う。
助けを求めた祖母イニトゥムは、族長の中立の立場のため孫娘を助けられない。
身内の責任を取れ、使命を果たせ。
そうすることがお前たちの宿命、当為である。
そうやって里中の鬱積した怒りの矛先を向けられ続けてきた。
「──はっ?」
気付けば、意識は現実に引き戻されていた。
暗いダンジョンの中で、悲し気なアイアノアは辿ってきた過酷な運命を話す。
「そんな大罪を負ったフィニス様でしたから、その肉親である族長様や血縁関係のある私たちへの世間からの風当たりは大変厳しいものとなりました……。忌むべき呪われた血族だと、人間からはもちろん、同胞のエルフや他の亜人たちからも迫害にも似た扱いを受けたのです……」
罪人の関係者への迫害は止まらない。
フィニス自身が強すぎてどうにもならないから尚更だ。
もしかしたら、アイアノアがゴージィから顔を隠したのは、里から離れたトリスの街でも嫌がらせを受けるかもしれないと恐れたからではないだろうか。
「族長のイニトゥム様は強い御力と権威をお持ちだったのと、他に肩を並べられるエルフがいなかったため、責任を取るという意味でも種族長のお立場を継続させる道をお選びになりましたが、ただの子供に過ぎない私たち姉妹の居場所はもうどこにもありはしませんでした……」
辛い過去を思い出しているのだろう、アイアノアの暗い瞳は涙に潤む。
静かに鼻をすすり、掠れた吐息と一緒に嘆いた。
「どうしてこんなことになってしまったのでしょうね……。私もエルトゥリンも、里の皆と同じように酷い目に遭わされたのに……。両親を奪われ、生活を壊され、生きる希望を失くした戦争の被害者という境遇は同じなのに……。辛かったよね、悲しかったよね……。ねぇ、エルトゥリン……」
「姉様……」
姉妹の失意の視線が絡み合ってまた地に落ちた。
押し黙るアイアノアに代わり、落胆した調子でエルトゥリンも昔を振り返る。
「父様と母様が死んでしまってから、里で私たちが生きていくのは大変だったわ。皆から冷たくされて、無視されて……。初めは狩りも下手だったから上達するまでは苦労したものよ。獲物が獲れなくて食べるのに困ったこともあったかしら……」
ため息をつく彼女の胸に去来するのは当時の気持ち。
ミヅキは地平の加護を介し、その心情と記憶を共有していた。
「悔しくて涙が止まらなくて、よく姉様に慰めてもらっていたわ。今では狩りの腕は里の誰にも負けない自信があるけど、ここまで頑張れたのは全部姉様のお陰よ」
「そうだったのか……。食いしん坊なエルフだなんて思っててごめんよ」
支え合い、助け合って必死に生きてきた幼いエルフの姉妹の様子が思い浮かぶ。
不謹慎だった本音を謝るが、彼女が気にした様子はなかった。
フィニスの影響で、エルフの里で村八分の扱いを受けていた二人。
だから、アイアノアは外の世界を知らずに家にひきこもって過ごした。
亡き両親に代わり、普段は族長たる祖母の身辺のお世話をする日々。
家事全般を引き受け、勉強した物事を妹に教え、生活をやり繰りする彼女は、姉であり母親としての役割も果たしていた。
エルトゥリンは一人森へと狩りに出て、危険な目に遭いながらも腕は上達した。
魔法の才能が無かったので、ひたすら武術の鍛錬に明け暮れる日々を送った。
謂われのない暴力から姉を守るため、星の加護が無くとも彼女は十分強かった。
そんな暮らしを、戦争が終わってから百年間続けた。
『やはり、正しく生きていくには正当な血筋同士、善き者だけの親類が──』
いつかの夜に口論をしてしまった時、アイアノアはそんなことを口走っていた。
ミヅキは義憤に任せてそれを一蹴してしまったが、彼女の心の傷が言わせていたと思い知り、自分の浅慮と無知を恥じた。
正しく善なる血筋に拘っていた理由が、そうした過去に秘されていたのだから。
アイアノアは話を締めくくるように言った。
「……人間も憎いですが、いつまでたっても戦争をやめようとしないフィニス様も憎いです。私たちエルフは当事者として生きていて、あの時の気持ちを忘れてなどいないのです。だから人間のことは未だに許せないし、フィニス様の子孫である私たち姉妹も許してはもらえない……」
アイアノアとエルトゥリンの怒りと悲しみは世の中へと向いていた。
同時に、自分たちも許されない気持ちを向けられていると自覚している。
不幸の連鎖に、負の感情が螺旋状に渦巻いていた。
「使命を果たし、パンドラの深淵に至り、フィニス様を捕縛して連れ帰って監禁、それが無理ならこの手で討ち取らなければならない……。ミヅキ様、以上が私たちが隠していた密命と、話せていなかったことの全てです。黙っていて本当に申し訳ありませんでした」
言い終えて、もう一度深く頭を下げたアイアノア。
無造作にだらりと下がった金色の長い髪は、生気を失った色をしていた。
ミヅキはその姿を痛々しく思い、すぐには何かを言葉にすることはできない。
「ふぅ……」
重いため息を吐いて、両目をぐっと閉じる。
亜人と人間、双方の和平を徹底的に邪魔をする、特級の戦争犯罪者といっても過言ではない大罪人、フィニス。
対処しようにも武力で戦乱の魔女に敵う者などいるはずもなく、手が付けられずにその蛮行を見ていることしかできなかった。
怒りの矛先とはけ口が、フィニスの一族に向けられるまで時間は掛からない。
本来なら、種族長の孫娘ともなれば王女か姫扱いのはずである。
それなのに、アイアノアとエルトゥリンは忌避の対象にされて冷遇を受けていたのだという。
目を開けると、エルトゥリンと目が合った。
普段通りに見えるが、その青い瞳には悲しみの光が宿っていた。
『ミヅキは、家族や身近なひとに償い切れない罪を犯した人がいても、それでも私や姉様を受け入れてくれる……? 決して、許されることのない大罪よ……。ミヅキには許せる罪だったとしても、周りのみんなから嫌がらせや迫害を受けて苦しんでいたら助けてくれる? 昨日みたいに怒って、姉様と私を守ってくれる……?』
あの時の質問はこのことだったのだ。
エルトゥリンはミヅキの人となりに触れ、もしかしたら救いの答えをもたらしてくれるかもしれないと一縷の希望にすがって問い掛けた。
人間との戦争と、暴走する魔女に翻弄されたエルフ姉妹の忌まわしいしがらみ。
逃れられない運命の重責を共に背負う覚悟はあるか。
元の世界に戻るのと同じくらいの強い気持ちで二人を助けられるか。
守ってあげることは果たしてできるか。
「アイアノア、顔を上げてくれ」
ミヅキの気持ちはもう決まっていた。
お人好しだのなんだの、誰かさんに揶揄されようが知ったことではない。
悲しむ仲間のエルフの女の子たち、二人の心が少しでも安らげるのなら。
ミヅキは心を込め、答えと道を語るのであった。




