第122話 アイアノア、お尻が挟まる
「さあ、いよいよだ。アイアノア、太陽の加護の覚醒能力を試す実験をやるよ」
「はいっ、承知致しました! 今日は魔力もやる気も全開ですっ! いっぱい美味しいキノコを食べたお陰だと思いますっ!」
またまた別の日のパンドラの地下迷宮の一角。
余力を十分に残して探索を切り上げ、予定していた検証を満を持して行う。
太極の太陽の加護を発動させ、効果の確認とそれに伴う魔力の運用状況の調査。
前回と同じ方法を取るのではなく、ミヅキには試しておきたいことがあった。
「できるだけ規模を絞った瞬転の鳥居、空間転移の門を開いてみる。アイアノアはそれで、どのくらいの魔力を消耗するのかを身体と感覚で測って欲しい。この検証の結果次第で今後の俺たちの加護の運用方法を決めようと思う」
「はい、ミヅキ様の御心のままに。……では、太陽の加護を起動致します」
両手を揃えて前に差し出すと、掌の上に眩い光の球が浮かび上がった。
この通常状態の太陽の加護に、ミヅキが特定の力を使用する意思を働きかける。
すると、アイアノアの加護は姿を変え、真の目的を果たすための形態を取る。
『三次元印刷機能実行・素材を選択・《ダンジョン構造物諸々》』
ダンジョンの石床に片手を付き、能力を発動させる位置をやや前方に決定した。
作り出す対象の素材を周囲からかき集める。
『《瞬転の鳥居》・印刷開始』
それはただの建造物ではない。
高次元世界の住人たちの神性を付与すれば、術者の意のままに空間を越えて瞬時に移動することができる神秘の門。
ミヅキは自らと、それに連れ立つ仲間たちに女神の神性を疑似的に付与する。
『対象選択・《勇者ミヅキ・眷属のエルフ二名》』
『効験付与・神おろし・《女神日和の神性》』
地平の加護が働きかける。
太陽の加護はそれに応え、三人が見ている前でその形態を変化させた。
光の球の中に現れる黒と白の太極を表す陰陽勾玉巴の姿。
「あぅっ! ふぅぅぅぅぅんっ……!」
瞬間、表情を歪め、両目を閉じて苦悶を耐え忍ぶアイアノア。
ミヅキとエルトゥリンが心配そうに見守る中、やはり想像通り大量の魔力が太陽の加護の制御手から吸い出されていた。
下腹部の丹田、臍の下あたりが、きゅうっと締め付けられる圧迫感を感じた。
アイアノアは下半身に力を込め、魔法を使うのと同じに呼吸を落ち着かせる。
「すぅっ、はぁっ……。すぅ、はぁ……」
ほどなく穏やかな息使いに戻り、ゆっくりと瞳を開ける。
前回の魔力切れの時は連続して神々の力を降ろしたための消耗だったので、単発使用の今回はそこまで大げさな程度ではない。
「……もう大丈夫です。──あっ! えっ? ミヅキ様、これはいったい?」
役割を終えて元の形状に戻る太陽の加護の下、力の発動結果の産物を目の当たりにしたアイアノアは思わず目を丸くする。
そこには確かにミヅキによって召喚された、見慣れない建造物が立っていた。
しかし、現れた物体のその様子に意表を突かれてしまう。
「……ちょっと、小さ過ぎたか?」
「何これ? ちゃんと通れるの?」
自分の作品を見下ろして苦笑いするミヅキと、両膝に手を付いて腰が屈めるエルトゥリン。
二人の間にあるのは、全高1メートル程度のミニチュアな灰色の石鳥居。
単純な検証方法ではあるが、サイズを最低限に絞った設備と、転移に使用する境界面を少なくすることで魔力消費を抑えられるのではという仮説に基づいた実験だ。
鳥居は二本の太い支柱と、二層の水平材を上部に通した造りのため、通行できる空間は大の大人が四つん這いで通れるかどうかくらいの隙間しかない。
「じゃあ、私から試してみるね。ハルバードが通るかしら……」
出来上がった転移設備が何だか失敗作に見えなくもなかったが、大事な姉が結局は疲労してしまっているのを鑑みて、殊勝な妹はやり直しを要求しなかった。
ハルバードの斧刃の先を小さな鳥居の中に器用にくぐらせ、エルトゥリン自身も匍匐前進で転移境界へと入っていく。
引き締まったお尻がするりと潜り込み、鳥居の逆側からその姿は消えていた。
転移先からの声は聞こえないが、成功した様子なのでアイアノアが次に続く。
「では、ミヅキ様、僭越ながら次は私が参りますね。以前、通った時は気を失っていたので胸がドキドキしています。転移魔法を扱える術者は本当に希少ですので」
「うん、一応気をつけて」
しゅたっと潔い勢いで四足歩行状態になると、背の外套を引きずりながらアイアノアも狭い鳥居の中へ消えていく。
一瞬の眩暈にも似た感覚の後、初の転移を体験した彼女はダンジョンの外に顔を出した。
「わぁ、凄い……。本当に外に出られるんだ……」
眩しく高い日差しはまだ昼過ぎのもので、先に転移していたエルトゥリンがハルバードの石突を地に突き立てて待っていた。
どうやら門自体が小さくても、しっかりとその機能は作用するようだ。
「えっ? あ、あれっ……?」
しかし、悲劇はその直後に起こった。
地面から小さくせり出した鳥居から上半身を出しているアイアノアだが、下半身がなかなか外へ出てこない。
困惑しながら身体をよじって左右に揺すってみるが、一向に前へ進まなかった。
「うーんっ、うぅーんっ……!」
両手を踏ん張って、何とか鳥居から抜け出そうと試みるのだが。
力んだ声で唸り、上半身を震わせてみるも下半身はびくともしない。
「どうしたの、姉様? 早く出てあげないと、ミヅキが着いて来られないよ?」
「……」
エルトゥリンの問いに、アイアノアは言葉を失い、動きが固まってしまう。
見る見る内に真っ青な顔色になりながら、情けない声を漏らして妹を見上げた。
「……ど、どうしよう……。挟まっちゃった、かも……」
「はぁっ?!」
弱る姉の悲惨な姿を見下ろして、驚く妹は素っ頓狂な叫び声をあげた。
「ん、なんだ? どうして止まってるんだ?」
まだダンジョン内にいるミヅキは、なかなか鳥居を抜けていかないアイアノアの下半身姿を妙に思って見つめていた。
そうかと思うと、彼女が背にまとっていた茶褐色の外套がするりと転移先の空間に引かれて消えた。
スカート越しのお尻が丸見えになった格好だ。
「えっ!? どうしたんだ? ま、まさか、アイアノア……」
ミヅキはもしやの事態を想像してぎょっとする。
その頃、鳥居の向こう側ではエルフ姉妹の必死の救出劇が始まっていた。
「んーっ! 駄目だわ……。外套を脱がしたのに何かが引っ掛かってて抜けない」
「い、痛いっ、エルトゥリン! 多分、お尻がつっかえて通れないんだわ……」
「姉様ったら昨日あんなにキノコを食べたから! いくら何でも食べ過ぎよっ!」
「そんなぁ……。あぁっ、痛いっ! 乱暴に引っ張らないでったら……!」
エルトゥリンが両手を掴み、右に左に引っ張ってみるが、アイアノアの腰より下は全くもって抜け出せない。
身につけているものや荷物が通行の妨げになっているのではなく、本当にお尻が引っ掛かっている。
「お、おお……。こ、これは……!」
この時点になって、ようやくミヅキは事の重大さに気付いた。
但し、それよりも目の前でふりふりと揺れているアイアノアの魅力的な大きなお尻に湧き上がる興奮を隠せない。
上半身の様子が見えず、下半身だけが見えているシュールさにミヅキは雷にでも打たれたかのようなショックを受けるのであった。
「──壁尻だっ! 美少女エルフのふくよかお尻が窮屈そうに壁に嵌っている!」
正確には壁尻ではなく、鳥居尻ではあるのだが。
衝撃的なリビドーの対象の出現にミヅキは著しく動揺していた。
そして、いくら外からエルトゥリンが引っ張っても身体が抜けない事態に、とうとうアイアノアもパニック状態に陥ってしまう。
「ひいいぃ、ミヅキ様ぁ、どうか私めを後ろから押して助けて下さいましぃー! お尻がどうしても抜けないのですぅー!」
「駄目よ、姉様! それじゃ、ミヅキにお尻を触られるわっ!」
「こんな間抜けな格好でここから出られずに一生過ごすよりましだわぁーっ!」
「くぅぅ、ミヅキィ……。後で覚えてなさいよ!!」
そんな姉妹のやり取りが聞こえた訳ではないが、小さな鳥居からはみ出たお尻の悲壮さはミヅキにも伝わった。
「わかった! 許してくれアイアノア、これも君を助けるためだ!」
怯えるみたいにふるふるするお尻を前に、どうすればいいかの覚悟は決まった。
「行くぞッ!」
ぐぁしっ!
力強くアイアノアの臀部を両手で掴み、全力で前に向かって突き押した。
手にふくらみ豊かな柔らかい感触が伝わってきて、確かな手応えを感じる。
「ふっ、ふわあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーんっ!!」
下半身から全身に伝わってくる激しい衝撃。
アイアノアは堪らず色っぽい絶叫をあげてしまうのであった。
そして、不思議なことが起こった。
すぽーん!
あれだけキツキツで鳥居に詰まっていたお尻なのに──。
ミヅキが後ろから押した途端に引っかかっていたものがすんなり取れて、下半身が通り抜けていった。
「おわぁぁっ!?」
勢いを抑え切れず、ミヅキもそのまま鳥居の外側へ飛び出した。
ダンジョン内の湿った空気から一転、外気の爽やかな空気が肺に取り込まれる。
ぽよんっ!
前のめりに転び、顔面を強かに打ち付けると思いきや、待っていたのは弾力ある柔らかなクッションであった。
「あいててて……。どうにか通れたみたいだな……」
「あ、あのぅ、ミヅキ様……。早くおどきになって頂けませんか……? そのぅ、お尻がむずむずして、とても恥ずかしいのです……」
つっかえていた狭い門をくぐることができたアイアノア。
上半身を起こしたうつ伏せの体勢で、前を向いたまま羞恥に顔を真っ赤に染めている。
ミヅキの顔を受け止めてまくらになっていたのは、何と彼女の大きなお尻だった。
「ふわぁんっ! そのようにぐりぐりとお顔を押し付けないで下さいましぃっ! 何故だかわかりませんが、お尻が敏感になっておりますからぁーっ!」
「うわわわわわっ!? ごめんよっ、すぐどくからっ!」
慌てて転がり、色っぽく騒ぐアイアノアの身体の上から飛び退いた。
その先で、寝転がるミヅキを見下ろす影がふっと視界によぎる。
恐る恐る顔を上げると予想通りの彼女の姿がそこにあった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
物凄まじい形相で仁王立ちしている。
拳を握って怒りに震えて燃ゆる、戦慄のエルトゥリン。
「ミィヅゥキィィ!! よぉくも、姉様のお尻を傷物にしてくれたわねぇッ!?」
「し、してない……。してないよ……。俺はアイアノアを助けようと……」
「問答無用ッ! 口答えするなぁァァッ!!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ……!!」
烈火の如き赤黒いシルエットに浮かび上がる、青く輝く恐ろしい鬼神の眼光。
哀れミヅキは、恐ろしい地獄の仕置きを受けることになったんだとさ。
【太極の太陽の加護について】
・使用範囲と規模を絞っての魔力負担軽減の是非を問う仮説に有用性は無し。
・術自体に魔力を大量に要するため、術の規模による必要魔力に大差は無い。
・不足するアイアノアの魔力の補填には別の方法を考案する必要有り。
・もうしばかれたくない、許して下さい、何でもします!
【追記:地平の加護で見るミヅキの見解】
後になって洞察の力で判明したことだけど、結論から言ってアイアノアのお尻が鳥居につっかえてしまったのは、やっぱり魔素豊富なキノコを食べ過ぎたのが原因だったみたいだ。
過剰摂取された魔力は彼女の体内に十分過ぎるほど蓄えられ、下腹部の丹田辺りに集中してパンパンに膨らんでいたと思われる。
下丹田は精を宿していて精は氣に変換され、アイアノアの場合は魔力として機能活用されているみたいだ。
笑っちゃ悪いけど、魔力の源の丹田の氣が膨張し、下半身を圧迫して臀部が肥大していたから、思わぬ壁尻状態になってしまってたんだろうな。
多分だけど、俺がアイアノアに対してある意味で情熱的な接触を行ったことで、男と女っていう基本的な陰と陽の氣が巡り、正常な回転の流れに練り直され、膨張した魔力はすっきりと解放されたんじゃないだろうか。
これはアイアノアの魔力問題を解決することのヒントになるかもしれない。
魔力を補うキノコの代わりになるものを用意して、パンドラの魔素を取り込める俺との間でうまく循環できれば、あるいは消耗の負担を減らせるんじゃないか。
『検証結果の精査完了・洞察済み概念を更新・地平の加護への適応度向上』
地平の加護への深まった理解を受け、加護自身の声も心なしか弾んで聞こえる。
と、ここまでがミヅキらがこの数日間に行った加護の検証と、ダンジョンで新たにわかった事柄のピックアップである。
まだまだ不明なことは多いが、今回判明した事実はいずれもミヅキたちの運命を助けることに繋がり、異世界を渡るうえで重要な因子となるだろう。
今回の迷宮の異世界の旅路は、もう間もなく佳境を迎える。
女神様の試練の節目、征旅の果てに立ちはだかる、仇敵であり宿敵との避け得られない戦いが待っている。
ミヅキが夕緋の元に帰れるその時はまだ遠い。
◇◆◇
「おぉ、ここが第一層の終着点か……?」
さらに別の日のパンドラの地下迷宮探索のこと。
広い回廊が突き当たり、さらなる広大な空間がミヅキたちの前に広がっていた。
迷宮入り口から真っ直ぐと続いている巨大な通路を最後まで進むと、だだっ広い大広間に到達し、ここで進路は途切れている。
「ミヅキ様、見て下さいまし。階段です、下層に続く大きな階段がありますっ!」
一歩前に出たアイアノアが、ぱっと明るい顔で言って指差した先。
大広間の奥の石床にぽっかりと空いた大穴があって、段差の激しい階段が下へと坂道のように続いている。
最下層まで何層あるのか不明なパンドラの地下迷宮、第二層への入り口だ。
結局、第一層はひたすら真っ直ぐなだけの直線通路で完結していた模様である。
「姉様、ミヅキ、待って! 何かが上がってくる……!」
鋭敏に気配を察知し、表情を引き締めるエルトゥリンが二人の前に立った。
間もなく、地の底からゆっくりとした間隔で地鳴りの如き音が近づいてくる。
ずしん、ずしん、と響くそれは何か巨大なものが歩く足音だ。
「──来るわ! かなりの大物よ!」
これまでもどんな魔物と遭遇しても、涼しく構えていたエルトゥリンにしては珍しく、鋭い目つきで強く警戒している。
それほどまでに危険な魔物が、今まさに下層から上がってこようとしているというのだろうか。
にわかに張り詰める緊張に、ミヅキもごくりと唾を飲み込んだ。
言い知れない威圧の意思を持って迫る足音の主は、ついに目視できる距離にまで接近し、大穴の下り階段から巨大な姿を徐々に見せ始める。
「こいつは、まさか……」
階段を上がり切り、全身を見せる足音の主をミヅキは見上げた。
それは巨大な魔物だった。
暗闇に光る赤い二つの目、裂けた口から覗く牙の獣の顔、一対の大角は山羊の巻き角を思わせ、身の丈15メートルはあろうかという巨体を包むのは銀色の毛。
大木のように太い両の剛腕と豪脚、二足歩行の獣の顔の毛むくじゃらの巨人。
不意にゴージィの言葉が脳裏によぎった。
『──奴は、パンドラからゆっくりと現れた』
『見上げてひっくり返るくれぇのでっけぇ身の丈、全身真っ白な毛に覆われた獣のツラの巨人の化け物だ……! あんな異様な魔物は見たことがねえ! 一目で大物だってことはわかった……』
王国最高の冒険者の力を結集しても歯が立たなかったという。
パンドラの異変が起こった時に現れた伝説の魔物。
異変以来、一度も姿を現すことは無かった災禍の象徴たる使徒。
パンドラ踏破を目指すミヅキたちとも、ついに遭遇することになってしまった。
『俺たちは奴のことを「雪男」と呼んでいる』
この魔物が「そいつ」であるのは間違いない。
未だに獣面の頭に突き刺さっている決定的な証拠が見えた。
当時の撃退の一手となった、亡きアシュレイが力を振り絞った最後の剣の一撃。
まるで、もう一本の角が生えているかのように、妖精の剣はあの当時から抜けることなく、執念でそいつの脳天を貫き続けている。
キッキの父親、パメラの夫であるアシュレイの仇敵。
雪男である。




