表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
119/294

第119話 元通りの朝

「キッキさん、昨夜は失礼なことを言ってしまって大変申し訳ありませんでした」


「そんなのいいって。アイ姉さんも急にミヅキにどやされて災難だったね」


 冒険者と山猫亭の一階。

 朝の店内清掃と開店準備を始めるキッキに、早起きしてきたアイアノアが深々と頭を下げて謝罪をしている。


「大体、ミヅキが大げさなんだよ。あたしもママもそれなりに気を遣って、街の皆と揉めないように波風立てずに生きてきたっていうのにさ。アイ姉さんが思ってることのほうがよっぽど普通だっての。あたしは気にしてなんかいないよ。だから、あたしたちも仲直りしよっ」


 えへへっ、と人一倍きらきらのキッキスマイルを輝かせて握手を求めた。

 ミヅキに効果抜群だった人懐ひとなつっこい笑顔は、エルフのアイアノアにも高い友好性を示す。


「はいっ! これからも当分の間、このお宿にお世話になりますねっ! もちろん、ミヅキ様も一緒ですっ!」


 エルフの彼女と獣人の少女はしっかりとお互いの手を握り合った。


「パメラさんにもお詫び申し上げますっ。キッキさんのことを手前勝手な解釈で、気の毒だなどと決めつけてしまって申し訳ありませんでしたっ」


 厨房のカウンター前までぱたぱたっと小走りに向かい、アイアノアは朝食の調理をしているパメラにも頭を下げて謝罪をするのだった。


「いいのよ、私も気にしていないわ。──本当、大事にならなくて良かったわね。これからもミヅキと仲良くしてあげてね」


「はいっ、それはもう仲良くさせて頂きますっ!」


 穏やかに微笑み、パメラもアイアノアの気持ちを受け容れる。

 異なる種族の者同士が、円満な関係を築けるのは我が事のように嬉しい。

 人間と添い遂げ、子供まで授かった彼女にとって、それは尚更のことであった。


「あっ。うふふ、噂をすれば──」


 と、ふさふさの猫の耳をぴくんと動かし、パメラは視線を二階のほうに向ける。

 それに習い、振り向くアイアノアの顔にも笑みが浮かんだ。


「皆さん、おっはようございまーす! 今日も一日、頑張っていきましょー!」


 吹き抜けから見える二階廊下。

 階段から最も近い部屋のドアが開いて、満面の笑みを浮かべるミヅキが手すりの向こうに現れた。


 一階から見上げるそれぞれの視線を浴びつつ、必要以上に元気な挨拶と共に手を振りながら階段を下りてくる。


「おっそいぞ、ミヅキ! せっかくエル姉さんが起こしに行ってくれたのに、何を油売ってたんだよ!? 起きてるんなら早く降りて来いっての!」


 昨夜の語らいもあり、言い方はきついが大声をあげるキッキの機嫌は上々だ。

 ミヅキにもそれがわかるから、冗談交じりの足取りは軽快である。


「悪い悪い。いやぁ、好感度低い人間代表としてキッキの親父さんさんみたく、獣人やエルフの麗しい女性方のハートをどうやったら射止められるのかを考えてたら二度寝しちゃってさ。魅力的な登場人物が多いと目移りして困るよね」


 ふぁーあ、とわざとらしく欠伸あくびして、アイアノアとキッキの元までやって来る。


 ちらりと広いホールの隅のテーブルに視線を向ける。

 そこには普段通り、澄ました顔でミルクをすするエルトゥリンが座っていた。


 ミヅキと目が合うと、特に慌てるでもなく目線を外してそっぽを向いた。

 みんなの前でいるときは、いつもの冷めた振る舞いを装っている。

 さっきの二人でいた時の弱さしおらしさは全く感じさせない。


「まぁっ、ミヅキ様ったら。本日も朝から好調のご様子で何よりです。改めまして、おはようございます」


「おはよう、アイアノア。体調はどう? 魔力はちゃんと回復した?」


「はい、それはもう万事つつがなく。ぐっすり一晩眠って、完全に元通りですっ。ご心配をお掛け致しました」


「そっか、そりゃ良かった」


 両手を胸にやり、アイアノアは瞳を閉じて微笑んだ。

 その身体には再び魔力が満ち満ちている。


 洞察済みの彼女の魔力の充足度は、地平の加護を通せば一目瞭然(いちもくりょうぜん)である。

 本当に宿屋で一晩休むと、完全に元通りに回復するようだ。


「じゃあ、アイアノア。この後の予定なんだけど」


「はいっ、何なりとお申し付けくださいましっ」


 キッキは二人の笑顔同士やり取りを見上げる。

 喧嘩をしていた雰囲気なんて少しも感じさせない。


 キッキは安心したように、もう一度にかっと笑った。

 しかし、爽やかな顔のままのミヅキの次の言葉を聞き、ひやりと笑顔が凍る。


「今日のダンジョン探索は無し。アイアノアは宿で待機、お留守番を命じます」


「え、えぇっ? そんな、どうしてですか、ミヅキ様……」


 アイアノアの安堵の笑顔はつか、ショックを受けたみたいに顔を青くする。

 やっぱりまだミヅキは怒っていて、仲直りできていなかったのでは、としょんぼりしてしまった。


 と、そんなアイアノアの肩をぽんと叩いて、ミヅキは言った。


「そう慌てないでくれ。魔力は戻ったみたいだけど、やっぱりまだまだアイアノアの身体が心配なんだ。無茶をさせてしまったのは、加護のことをよく知らなかった俺にも責任がある。念のため、今日はお休みにして明日からまた頑張ろう」


「そんな、ミヅキ様に責任なんて……。昨日の魔力切れは私の不甲斐なさが招いた失態で……」


 使命感が強いアイアノアなら、次はもっと頑張ろうと自分を省みず、昨日以上の無茶をしようとするのは想像に易い。

 失態を犯した自責の念から、尚更彼女は進んで無謀と蛮勇ばんゆうに走るだろう。

 それでは困るのである。


「アイアノア、聞いてくれ。俺、思ったんだ」


 軽薄な笑みは消え、ミヅキは不安がるアイアノアの緑の目を見つめた。

 真面目に説いて聞かせる。


 思い出されるのは雛月の言葉の数々。

 太極の太陽の加護が目覚め、神々の世界の力を降ろせるようになって以降、アイアノアの制御手としての真価が問われる。

 それこそが使命を果たすに当たっての、彼女に与えられた試練なのだという。


 一方で、ミヅキには強力な力場であるパンドラの地下迷宮の魔素を循環させられる能力が備わっている。

 そのため地平の加護をどれだけ使っても魔力切れを起こさない。

 言わば、常識外れの永久機関と化していた。


 しかし、アイアノアはそういう訳にはいかない。

 自身の魔力をもって、莫大な要求をしてくる神の力をぎょさねばならない。


 雛月に言われた通り、そんな多大な負担を彼女にだけ強いるのは信念に反する。

 どうにかしたいが、如何いかんせん情報が不足していた。


「俺たちの加護は二つで一つらしい。例の特別な力を使えば、またあの魔力を大量に消費させる目にアイアノアを遭わせることになる。あんなに厳しい加護の仕様に甘んじて、相棒にだけきつい思いさせるなんて俺自身が我慢ならないんだよ」


「ミヅキ様……」


「どうにか改善ができないか考えてみたい。アイアノアに落ち度がある訳じゃないから気に病まないで欲しい。だから、俺に少し時間をくれないか? きっと悪いようにはしないから、今日はおとなしく休んでいてくれ。頼むよ、この通り」


「……」


 ミヅキは両手を合わせて拝む仕草で頭を下げた。

 アイアノアは瞳を閉じ、神妙な顔で押し黙る。


 昨夜の語らいでこの人間の勇者の人となりはよく理解できていたし、対する亜人の自分を能力の良し悪しで軽んじたり、見限ったりするようなことはしない。


 もうそれが理解できていたから、今までの異種族間のわだかまりは消えていた。

 だから、アイアノアは気持ち穏やかにすとんとに落ちることができた。


 ミヅキと出会う前の自分だったらこんなすぐに納得することはできたろうか。

 自然と笑みがこぼれる。


「うふふっ、わかりました。ミヅキ様がそうまで仰るなら、その通りに致します。魔力切れを黙っていて無理をした罰だと思って、今日の所は自重致しますね」


「ああ、すまんね。アイアノアが物分かり良くて助かるよ。言う通りにしてもらうんだから俺も頑張る。大船に乗ったつもりで期待しててくれ」


 心得た様子のアイアノアに見つめられる。

 ミヅキも自信を表情に垣間見せ、彼女をしっかりと見つめ返した。


「……むー。何だよ、ミヅキもアイ姉さんも……。何かいい雰囲気じゃん……」


 何だかわかり合っているみたいな雰囲気をかもし出す二人に、キッキは妙な意心地いごこちの悪さを感じて面白くなさそうにしかめっ面。


「キッキ、今日のガストンさんたちへの配達は俺とエルトゥリンで行ってくる」


 と、言い残し、ミヅキはテーブル席のエルトゥリンの元へその旨を伝えに行く。


 昨夜の出来事のためか、それとも他に何かがあったのやら。

 ミヅキの要領の良く見える様子がキッキには不思議に映って見えた。


 キッキとアイアノアは知らない。

 エルトゥリンの悲壮な覚悟に触れ、ミヅキは突き動かされていたのだ。


 見送ったその背中は昨日より一段と大きく見える。

 やけに頼り甲斐があると感じられたのは気のせいではない。


「ミヅキ、真面目か! なーんかキザったらしー感じがして鼻につくなぁ」


「あら、そうですか? 私は誠実で素敵だな、って思いますよ。うふふっ」


「そっかなぁー」


「そうですよー」


 腕組みしてよくわからないといった顔をするキッキと──。

 目的に向かってハキハキと行動しようとするミヅキを好ましく見つめるアイアノアなのであった。


 ミヅキの成していくことが、不変だったそれらに徐々に影響を与えている。

 今は誰の目にも留まらぬ、異界からの特異点たるミヅキの小さくも大きな干渉。

 もたらす僅かな変化の波は、いつか必ず世界の根幹に届くだろう。


「じゃ、行ってきまーす。今日はパンドラには潜らないんで早く戻ります」


 ややあって、日の昇りから正午よりやや前の時刻。

 今日もパンドラの地下迷宮前兵士詰め所へと、昼食の配達に向かうミヅキたち。


 青天の店先、無言でてきぱきと料理の鍋やら食べ物を荷車に積載するエルトゥリンの傍らで、ミヅキはパメラに赤面させられる羽目になっていた。

 自分でまいた種ながら、こうなることは予想できていなかったようだ。


「いってらっしゃい、よろしくね。ミヅキ、昨日はキッキに色々とお話をしてくれてありがとう。あの子から色々と聞かせてもらったわ」


「えっ!?」


 温和でにこやかな笑顔にミヅキはぎくりとして固まった。


 そういえば、昨夜に勢いで何か気まずいことを言ってしまったような気がする。

 キッキはいったいどこまで話したのだろうか。


 ミヅキ自身がキッキの父親になるあたりのくだりを聞かれていると、大変に恥ずかしい思いをすることになってしまう。

 茶目っ気たっぷりに話したため、キッキなら報復にそのくらい喋りかねない。


「私とアシュレイの関係を理解してくれる人はあまり多くなくてね。獣人と人間のつがいのことをわかってくれるなんて、ミヅキはアシュレイに似ているのかしら。性格は全然似てないのだけどね、うふふっ」


 子持ちの母親にしては、若々し過ぎるコケティッシュな笑顔が見つめてくる。

 金目きんめの瞳の奥がいたずらっぽく笑った。


「ミヅキがキッキのパパになってくれるのは、ちょっと賛成よ。あの子もミヅキのこと、とても気に入っているみたいだし。……ね?」


 やっぱりそこまで暴露されていて、ミヅキは飛び上がる思いで目を白黒させた。

 誤魔化し笑いを浮かべ、たじたじに絞り出す声はしどろもどろ。


「は、ははは……。パ、パメラさん、それってどういう意味で……?」


 どういう意味も何もない。

 キッキの新たなパパになるのは、パメラの再婚相手になるということだ。


「んん? なぁにぃ?」


 艶っぽい微笑みはそのまま──。

 両手を後ろにして無造作に油断も隙も無く、パメラはするっとミヅキのふところに潜り込んだ。

 意味ありげに、上目遣いに真っ直ぐと見上げてくる。


 前が大きく開いたディアンドル風の給仕服から覗く豊満な胸の谷間が、朝の陽光に白く反射して、見下ろすミヅキの目にこのうえなく眩しく映った。


「……ごくり」


 ミヅキは妙な息苦しさを感じて唾を飲み込んだ。

 パメラの細めた目の光に魅了され、本能的に悟る。


──美女の野獣だっ! 俺は今、獰猛な肉食獣に優しく睨まれているっ! 下手をすれば、今にもぺろりと食べられてしまいそうだぁっ!


 さしずめ、パメラが狩猟経験豊かな女豹めひょうとするなら、ミヅキは生まれたての小鹿こじかに等しい。


「エルトゥリンっ! もっ、もう出発するぞ! それじゃ行ってきますー!」


「えっ、うん。……何をそんなに慌ててるの」


 ミヅキは逃げるように荷車を引っ張って、猛スピードで配達に出発した。

 動く荷車とハンドルの間に、軽やかにひょいっと飛び込んだエルトゥリンもそれに続く。


「いってらっしゃい」


 すぐに遠ざかっていくミヅキたちを見送り、パメラはゆらゆら手を振っていた。

 何事も無かった風で穏やかなに微笑みながら。


 生意気を言ったものだからきっとからかわれただけなのだろう。

 多分そうだろう。


 と、視線だけで振り向きながら、ミヅキは冷や汗混じりに思ったのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ