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第117話 ミヅキとエルトゥリン1

「もがもがもがッ……!?」


 意識が覚醒するなり、ミヅキは顔の圧迫感と息苦しさを感じた。


 感覚ははっきりしていて、声も出るし、身体も動く。

 顔面に押し付けられているのは小麦殻(こむぎがら)入りのまくらだ。

 何者かに力任せに動きを封じ込まれている。


 雛月の踏み付けの正体はこれか、と思うと同時に寝込みを襲われたのではという危機感を覚えて必死になってもがいた。


「ぶっはぁっ! な、なんだなんだ!? ん……?」


 顔に掛かる力がすっと緩み、その隙にまくらを跳ねのけて勢いよく起き上がる。

 何事が起きたのかと慌ててきょろきょろ首を動かしてみた。

 すると、ベッドのすぐ脇に誰かが立っていて、こちらを見下ろしている。


「──エルトゥリン?」


 呟く名と視線の先、そこにいたのは白銀色の髪に長い耳のエルフの少女。

 エルトゥリン。


 ただ、何やら様子がおかしい。

 やや前かがみに両手で短めのスカートの裾を押さえて、赤い顔をしながらミヅキのことを睨んでいる。


「もう、また! やっぱりこれだから男は……!」


 見るからに不機嫌そうなエルトゥリンが吐き捨てるみたいに言った。


 彼女の向こう、開けられた窓からは早朝の光が差し込んでいて、流れてくる冷えた空気がそのまま今の雰囲気の温度の低さを物語っていた。

 昨日の朝に働いた狼藉(ろうぜき)を思い出し、ミヅキはぎくりと青ざめる。


 雛月との望まないハグを交わす夢が覚めたら、起こしに来ていたエルトゥリンに寝ぼけて抱き着き、キスを迫ったところ見事にひっぱたかれたのは記憶に新しい。


「うう、今日は何をやらかしたんだ、俺は……」


「今日は……! 私のスカートの下に潜り込んで、下着を覗こうとしたわ!」


 ミヅキの呟きに、エルトゥリンは若干顔を赤らめて声を荒げた。

 それは雛月との夢のせいなのか、単にミヅキの寝相が悪いだけなのか。


「ミヅキのスケベ!」


 エルトゥリンの罵倒(ばとう)を受け、寝起きからしょんぼりしてしまう。


 昨日と同じくエルトゥリンが部屋を訪れると、ドアには鍵が掛かっておらず、声を掛けても眠っているミヅキは目を覚まさなかった。


 しかし、傍らまで彼女がやってくると、急にスカートの下側に顔を突っ込まれるわいせつ行為を受ける羽目になってしまい、慌てて転がっていたまくらでミヅキの視界を顔もろともに塞いだ次第なのである。


「すまんー! 変な下心はないんだー! 悪い夢を見て、それで寝ぼけてつい!」


 すぐにベッドの上で土下座の形に丸まると、ミヅキは平謝りに徹した。

 せっかく昨夜に苦労して仲直りしたばかりなのに、連日のこんな卑猥(ひわい)なトラブルで台無しになっては堪らない。


 エルトゥリンは両肘を抱いた格好でうなだれると大きなため息をついた。


「はぁ……。いいよもう、減るものでもないし。戦ってるとき、あれだけ飛んだり跳ねたりしてるんだから今更よ……」


 すでに諦めているような様子の彼女はそこまで怒っている訳ではなさそうだ。

 エルフの女性は裸ならともかく、下着くらいなら多少見られてしまっても気にしないという話を何かで聞いたことがあるが、あれは本当だったのだろうか。


「でも、直接見ようとするのは駄目!」


 やっぱり怒られてしまった。


 キリっとした顔でとがめられ、結局ミヅキは平伏して許しを請うのであった。

 今日も窓の外の天気は良く、爽やかな早朝を迎えている。


 迷宮の異世界での二日目が終わり、三日目が始まっていた。

 別世界への転移は起こらず、そのまま自然とこの世界での時間が継続している。

 平身低頭へいしんていとうのミヅキはベッドに頭をこすり付けながら思っていた。


──雛月の言ってた通りだけど、異世界で連続した日が続くのは初めてだな。1日毎に別世界へ飛ばされるって訳じゃないんだな。女神様の試練はまだ終わっちゃいない。まだこの世界でやらなくちゃいけないことがあるってことなのか……。


「ミヅキ、もういいから頭を上げて。変な格好してないでちゃんと座って」


 土下座の文化なんて当然知らないエルトゥリンに言われ、ミヅキは急いでベッドに座り直す。


 何か用事があるようで、単に起こしにきてくれた訳ではないらしい。

 アイアノアの姿は見えず、どうやら彼女は一人でミヅキの部屋を訪れたようだ。


「……おはよう、ミヅキ。ちょっと、話があって……」


 と、さっきの剣幕はどこへやらで、エルトゥリンはしおらしく言い始めた。


「あ、あのね、昨日のことなんだけど……」


 昨日のことと言われ、思い浮かべるのは一つ。

 アイアノアの一言から始まり、人間とエルフの間にある深い溝が起因した種族間の揉め事だ。


 ミヅキが怒り、一時は勇者パーティの解散さえ危ぶまれたが──。

 ミヅキが謝り、何が問題だったのかを伝え、仲直りに至ったのである。


「んん……」


 エルトゥリンは両手でスカートの裾を掴んだまま、もじもじと身をよじって上目遣いの目を向けている。


 若干赤らめた顔が話すのは、昨夜の喧嘩から仲直りをしたくだりのこと。

 彼女なりに思うところがあり、それを直にミヅキに伝えに来た。


「私たちと仲直りしてくれて、その、ありがとう。姉様が言い出したハーフのことがきっかけだったのに、ミヅキから歩み寄ってきてくれて本当に助かったの……」


「ああ、おはよう……。って、何だそのことか。俺も大分言い過ぎてしまったから謝らないといけないって思ったし、おあいこにしてくれると嬉しいな……」


 ミヅキの態度に、エルトゥリンは安心したように息をほっと吐いた。

 普段の素っ気ないクールな感じはなりを潜め、彼女には似つかわしくなく遠慮がちに胸の内を話し始める。


「姉様をちゃんと諭してくれたミヅキには感謝してる。私には意気地がないから、姉様に強く言うことはできなくて……。昨日話してくれたこと、あんな風に自分の考えを持って言えるなんて、ミヅキは凄いね」


「いや、そんなことは……」


 言い掛けて口をつぐんだ。何かを思いつめた風の様子が気になり、エルトゥリンの言葉にしばらく耳を傾ける。


「私は狩りに出ることが多いから里以外との接点がそれなりにあったけど、姉様は世間知らずで外の世界をほとんど知らない。小さい頃からの里の教えと、書物を読んで学んだことくらいしかわかってなくて……。だから、この世界の嫌な現実を知っていながらも、姉様は何もできない自分にとてももどかしい思いをしていたわ」


 俯き加減に視線を落とす彼女が言うのはアイアノアのこと。

 姉を誰よりも思いやり、その身を案じている。


「でも、昨日ミヅキと話して姉様は希望を持てたと思う。もしかしたら、世の中をもっと違った見方で見られるようになるんじゃないかって……。生まれや血筋だけで善悪が決まるんじゃなくて、何を思ってどう生きるのかが大事なんだって。そうやってミヅキに言われて、姉様も私も考え方を変えられるようになるかもしれない──」


 言葉には、普段は鉄面皮(てつめんび)な彼女の素直な気持ちが滲み出ていた。


「……それが嬉しくて、そのお礼を言いたかったの。ありがとう、ミヅキ」


 両肩を抱いた格好で、エルトゥリンはぎこちなくも言った。

 俯き加減に顔を逸らし、白銀色の髪の隙間からのぞく青い瞳は真っ直ぐミヅキを見つめていた。


 口数少なく不器用に見えるエルトゥリンだが、その様子から思慮深い一面が見えて、彼女の真心がよく伝わってくる。


「そっか。俺の言った考えが正しいかどうかはわからんけどさ、わかってもらえたみたいで良かったよ。俺だって二人と仲直りできて心底安心してるんだ」


 ミヅキはそうして思い合うエルフ姉妹を見て思い出す。

 在りし日の朝陽と夕緋の、仲の良かった記憶がふとよぎった。

 ミヅキに和やかな笑顔が浮かぶ。


「それにしても、アイアノアが世の中を良い方向に考えられるようになるのを喜べるなんて、エルトゥリンは本当にお姉ちゃん思いなんだなぁ。姉妹仲良いのはいいことだ。こんないい妹がいて、アイアノアも姉冥利あねみょうりに尽きるだろうな」


「う、んぅ……」


 小さく頷いたようにも再び俯いたようにも見える仕草で、ますます顔を真っ赤にして恥ずかしがるエルトゥリン。

 その様子はいつもの冷たい印象の彼女からはかけ離れて見える。


 そういえば、二人きりで改まって話をするのは初めてのことで、アイアノアがいないと随分印象が違うものだ。

 自分よりも遥かに年上のエルフだというのを忘れ、そんなエルトゥリンを少女のように可愛らしく思い、ミヅキは気を良くして続けた。


「二人は偉いよ。昔からの教えや習わしをおかしいと感じたら、ちゃんと自分で考えて気持ちを新しくしようって思えるなんてさ。エルフは頑固で保守的だって聞いたことあるけど二人は大違いだな。アイアノアの魔法も、エルトゥリンの腕っぷしも凄いし、大勢のエルフの中から大いなる使命に選ばれただけあって、二人はよくできた優秀な姉妹なんだなぁ」


「そっ、そんなことない! ミヅキ、褒め過ぎよっ……!」


 ただ、当のエルトゥリンは褒められることに慣れていないようだ。

 照れるを通り越して困惑に両手をあたふたさせる。


 だから、元々隠し事が苦手で嘘をつくのも不得意な彼女は、思わず自分から秘密にしていたはずの事柄を暴露してしまう。

 それも盛大に。


「私と姉様が使命に選ばれたのは、私たちが凄かったからなんかじゃなくてっ! 理由は他にあるんだけれどそれには言えない秘密があるからで……!」


 謙遜けんそんしたつもりが、それは秘密の隠し事があります宣言である。

 エルトゥリンは一瞬硬直した後──。


「あーっ、あぁーっ!?」


 と、大声をあげて口許を両手で覆ってしまうのであった。


 わざとじゃないかと思うほどに口を滑らせ、わかりやすく真っ青になってうろたえる彼女にはミヅキも苦笑い。


「あ、あっ……。今のはっ……!」


 この世の終わりみたいな顔をしたエルトゥリンに見つめられて思う。


──さっき夢の中で、隠し事に迫るのはまだお互い繊細な間柄だから無理強いせずに聞き出したい、って雛月に言われたばかりなのになぁ……。エルトゥリンときたら、アイアノアとおんなじで勢いのまま胸の内をさらけ出してしまうきらいがあるみたいだなぁ。似た者姉妹のこの子たちは隠し事には向いていないみたいだ。


「てっきり二人が特別だから、使命に駆り出されたもんだと思ってたけど違うのか? 順序的にも太陽と星の加護を授かったのはその後だよな?」


「あ、うぅ、えと、その……」


 ミヅキはため息交じりに仕方なく笑いながら質問を返した。

 エルトゥリンは焦って必死に言葉を探して目をあちこちに泳がせている。


 そうかと思うと、頭突きするくらいの勢いで頭を激しく振り下ろした。


「ミヅキ、ごめんッ! 今のは聞かなかったことにしてくれないっ……? わわ、私、ごまかすのは物凄く下手くそなのっ、だから……!」


 面食らうミヅキに少しだけ顔を上げて、弱り果てた目で見つめる。

 おずおずと姿勢を元に戻し、観念してエルトゥリンはとうとう言った。


「ミヅキは、私たちが隠し事をしてるのにもう気付いてるんだよね……」


「はは……。それ、自分から言っちゃうのか……」


 呆れるやら微笑ましいやら。

 褒められてうっかり秘密を隠しているのを口走ってしまったエルトゥリン。

 両目を閉じて悲しそうにしゅんとなっている。


 戦いの時に解放する、鬼神の如き苛烈な印象とのギャップが激し過ぎる。

 こうして小さくなっている様子とはまったくもって結びつかない。


 無敵の強さとは一転して──。

 意外な弱さを見せるエルトゥリンとの語らいは今しばらく続く。



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