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二重異世界行ったり来たりの付与魔術師 ~不幸な過去を変えるため、伝説のダンジョンを攻略して神様の武芸試合で成り上がる~  作者: けろ壱
第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

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第111話 みんな仲良くできればいいのに

 キッキが人間と獣人のハーフの子供であることが判明した。

 今は亡き、父親のアシュレイは人間だったのである。


 アイアノアがそれを気の毒だと言ったことに、ミヅキは怒りを隠さなかった。


 怒鳴られて顔を背けていたアイアノアは小刻みに肩を揺らしている。

 こぼしている声はうわごとのようだった。


「そ、そんな……。そんなこと、私は知らない……。わ、私は当たり前のことを、本当に普通のことを言っただけなのに……。どうして、そんな風に言われなくちゃいけないの……。間違ってない……。私は、間違ってなんかないのに……」


 アイアノアにはどうしても何が間違っていたのかがわからない。


 それはこの異世界がゆえの理由だったのか。

 人間ではない彼女たち亜人がゆえの理由だったのか。


 結局のところ、わかり合えていない軋轢あつれきが目に見えて生じていた。


「わっ、私だって……!」


 とうとう、ミヅキの怒った理由をアイアノアが理解するには至らない。

 だから、亜人の、エルフの彼女も──。


 初めて見せる顔で感情を激しく発露させる。

 ガタンと椅子を後ろに倒し、勢いよく立ち上がって叫んだ。


「使命の勇者様とはいえっ! 好きでもない人間のミヅキ様と一緒にいるのをすごく我慢してたんです! 里からっ、族長様から与えられた重大な使命だからっ! 嫌な気持ちを必死に抑えて、覚悟を決めて勇者様に尽くそうと頑張ってたのに! そんな訳の分からないことを言って怒らなくたって……!」


「姉様、駄目……!」


 もう呑気に食事をしている場合ではなかった。

 激昂するアイアノアを見て、エルトゥリンは真っ青になって顔を伏せる。


「……あ、あぁっ……! わ、私ったらなんてことを……!」


 アイアノアはすぐにはっとなって我に返った。

 取り返しのつかない失言をしてしまったことに気付き、押し黙ってしまう。


「……」


 アイアノアはテーブルの前で立ち尽くしていた。

 両手をだらりと下げ、くすんだ色の瞳で下を向いている。


 アイアノアが爆発させた感情と心の内を知ってしまった。

 驚くよりも残念な気持ちが強い。


 ミヅキはずきずきとした胸の痛みと共に口を開く。


「そっか……。俺と──、人間といるのを我慢してたのか」


 思い返すのは、彼女たちと過ごした二日間。

 何も知らず、疑いも持たず、ダンジョンの異世界を満喫(まんきつ)していた。


 元の世界へと帰還するため、女神様の試練という名目を除いても──。

 三人で力を合わせたパンドラの地下迷宮攻略に、確かな意義を感じていたのに。


 ミヅキの胸に去来するのは、やはり悲しみだった。


「だけどその割には、本当に親切にしてくれたよね……。冒険者のことを何も知らない、ずぶの素人の俺に良くしてくれてたのは何でなんだ? 一応、聞かせてよ」


 棒立ちするアイアノアの目は、長い金色の前髪に隠れて見えない。

 蚊の無くほどの小声が、血色を失った唇から漏れ聞こえてくる。


「……使命の勇者たるミヅキ様と良い関係を築くための努力です……。相手に好きになってもらうには、まずはこちらから好きだと思って接するのが大事だと……。それが、嫌いな人間が相手だったとしても……」


 ゆっくりと顔を上げるアイアノアは、追い詰められた目をしていた。

 居場所が無くなり、そのまま消え入りそうな儚い佇まいだった。

 すがる思いで、か細い声で言葉を続ける。


「で、ですが、ミヅキ様は特別で──」


「それも勉強してきた知識の一つなのかぁ! 参ったな、やれやれだ!」


 言いかけるアイアノアを、大きめの声で遮った。

 自分でも意外なほど、相手の釈明を聞く余裕もなく腹に据えかねていた。


 恩人を悪く言われたからか、取って付けた浅知恵がかんに障ったからか。

 不愉快になった原因が何なのか、理解をする前に声はつい出てしまう。


 多分、ミヅキも我を忘れていたのだ。


「そりゃ気を遣わせて悪かったよ。おかしいなとは薄々思ってたさ……。どこの誰ともわからない俺のことを、神様のお告げの勇者様ってだけでやけに待遇良くしてくれたり、好意的に色々と優しくしてくれたりさ。考えてみれば当たり前だけど、そんなうまい話はある訳がなかったんだ」


「……待って。待って下さいまし……!」


 今にも泣き出しそうな顔で、アイアノアは何か言いたそうだった。

 そんな彼女に構わず、再び頭の中に記憶が羅列する権能が働く。


『つくづく、使命の勇者様が心のお優しい方で良かったなぁ、と安心してしまって、つい……』


『勇者様が怖い御方で、不当な要求などをされて酷い目に遭わされたらどうしようかと……』


 思い出せば思い出すほど、アイアノアが人間の勇者を不安に思っていた要素がそこかしこにあったのだと思い知らされる。


『もうミヅキ様は私の思うがままです。これからは素直に言うことを聞いて頂きますからねっ!』


『ええぇぇーっ!? ミヅキ様のお心は私のものになってないんですかぁー?!』


 おかしな知識でミヅキの心を意のままにしようとたくらんだ。

 料理を用いたハニートラップもどきも、人間嫌いの胸中がさせたことだったのならやるせない。


 人間のミヅキの側から危害を加えられない安心を得ただけで、エルフのアイアノア側から警戒を解いて心を許した訳ではない。


 エルフとドワーフの仲は問題なかったが、実は問題があったのは人間とエルフの間柄だったのである。


 中立な立場だと勝手に思い込んでいた人間こそ、エルフを初めとする亜人と最も不仲な種族だったのだ。


「嫌なことを散々我慢させて悪かった……。気付かなかった俺もおめでたい……」


 ミヅキは破滅的な結論に向かって気持ちを吐き出していた。

 腹立たしさと申し訳なさをごちゃ混ぜにして、決定的な言葉を突きつける。


「アイアノア、俺にとっては使命なんかよりずっと大事なものがあるんだ。さっきも言ったけど、血筋や生まれ、種族が違うってだけで良いとか悪いとか、幸せか不幸かが決まるなんてのは許容できるもんじゃない。そういうのを蔑ろにするっていうんなら、俺はもう君たちとは一緒に行けないよ。……悪いけど、パンドラ踏破は別々でやることにしよう」


「そんなっ! それとこれとは話が違います! 嫌ですっ、使命は一緒に……!」


 訣別の言葉を投げ掛けられ、アイアノアは悲痛な叫びをあげた。

 しかし、ミヅキはぴしゃりと言い切り、断じた。


「いいや、パンドラの地下迷宮みたいな危ない場所に、人間だから、エルフだからって理由で仲良くできない間柄なら、一緒には行かないほうがいいよ。取り返しがつかないことが起こってからじゃ遅い」


 ミヅキはさらに、エルフの彼女たちを思って腹の内を語る。

 腸が煮えるこの気持ちがなければ、好評でさえあった心根を思い出しつつ。


「使命っていう目的のためなら手段を選ばない、アイアノアとエルトゥリンの気概は好きだったよ。全部演技で私情を押し殺して、嫌いな奴と一緒なのを我慢して、そうまでして事の遂行に当たってたなんて頭が下がる」


「い、嫌……。ミヅキ様、嫌です……」


 テーブルに着いたアイアノアの両手がわなわなと震えていた。


 使命の遂行は幸先の良い始まりを見せたはずだった。

 なのに、自分が正しいと思っていた種族間の見解を口にすると、たちまちミヅキの激しい怒りに触れてしまった。


「短い間だったけど、楽しかったよ……。無知な俺に色々と勉強してきたこと教えてくれたり、ダンジョンで美味しい食事をつくってくれたり、一緒に加護を使って戦ったりさ……」


「……あぁ、そのようなことを、仰らないで……」


 ミヅキの口から次々と発される冷たい言葉に、アイアノアは首を横に振る。

 こんなにも勇者からの信用を失ってしまっては、もう──。


 過剰なほど勉強を重ねて知識を身につけてきたのは、無知であると隙を見せればたちまち頭が悪いなどと侮られると思ったから。


 魔力切れで取り乱し、必死に許しを請うていたのは、最後まで役に立てなかったことを理由に、本気で見放されると思ったから。


 人間からはその程度の価値でしか見られていない、というエルフ側の卑屈な思い込みの結果があれだったとするなら。


 それが真実だったなら、見せかけだけの束の間な冒険は終わりを告げたのだ。


「魔力が切れるまでこき使って本当に悪かったよ。それはこの通り謝る。でも今回限りだよ。俺と一緒に行かなければ、もうあんな目に遭うことはないから」


 ミヅキは半ば自暴自棄に頭を下げた。


「あ、あっ……。ううぅ……」


 それを受けて、ついにアイアノアは滂沱ぼうだの涙を零し始める。

 ぽたりぽたり、とテーブルに大粒の雫が落ちていく。


 誰にも彼女の悲しみを止められない。

 さめざめとむせび泣く姿を晒し続けた。


 涙と一緒に吐き出す気持ちは、今度こそ嘘偽りの無い言葉だったのか。


「うぅ……。私は、確かに人間が好きではありません……。ですが、ミヅキ様だけは特別なのですっ! 他の人間と同じに見ていた訳では、決してありませんっ! 使命の勇者と肩を並べられる相棒でありたかったのは本当ですっ! 断じて、演技などをしていた訳では……! ううぅっ……」


 ぽたぽたと、テーブルに彼女の落とす涙の跡が出来ていく。


 言葉を涙で詰まらせながら、アイアノアは最後に独り言みたいに叫んだ。

 初めから退路など無く、どうあっても愚直に前に進むしかなかった。


「使命は必ず果たさなければならないっ! そうでなければ、私は、私は……!」


 そして、もう耐え切れなくなったとばかりに身を翻すと、二階への階段を逃げるように駆け上がり、自室へと飛び込んでしまう。

 バタンと荒々しくドアの閉じる音が、誰も見上げない二階から聞こえた。


「……」


 少しの沈黙が流れ、もう一人のエルフの彼女が短いため息を、ふっ、とつく。

 沈痛な表情のエルトゥリンの目線は、ミヅキを責めるように睨んだ。


 しかし、その表情はすぐに沈み、ゆっくりと自分も立ち上がった。

 一言だけを残して退席する。


「……ミヅキ。全部が全部、演技だった訳じゃないよ……」


 乾いた足音が階段を上がっていき、くぐもったドアの閉じる音が響く。

 そうして、初めから誰もいなかったみたいにエルトゥリンもその場からいなくなってしまった。


「……」


 突き放してしまったミヅキ自身も椅子に座ったままで、二階のほうを見られず下を向いていた。

 これで良かったなど思えるはずもなく、後悔の念を暗い表情に浮かべている。


「ミ、ミ、ミヅキィーッ!」


 目の前で起こった仲違いを呆然と見ていた、当の猫の少女が大声で叫んだ。


 身軽く飛び上がり、後ろからミヅキの頭にガブッと力いっぱい噛み付いた。

 ついでに背中を鋭い爪でばりばりと引っかく。


「痛ってぇ!!」


 椅子ごと背中からひっくり返ったミヅキのそばで、キッキは両手を腰に当てて仁王立ちをする。

 怒りに満ちた顔のキッキだったが、見下ろす両の目はうるうると潤んでいた。


「言い過ぎだよ、ミヅキッ! パンドラで何があったのかは知らないけど、結局はやっぱり喧嘩しちゃうんじゃないかッ! あ、あんなの言われたら、あたしだって泣いちゃうよっ! しかも、あたしのことなんかで揉め事起こすんじゃないっ!」


 キッキは仰向けのミヅキに詰め寄り、胸倉を両手で掴んで上体を引き起こす。

 そして、怒った顔を目の前まで近付けて言った。


「……ミヅキ、お前いったい何をそんなに怒ってるんだよ? 悪い気はしなかったけどちょっと落ち着こ、な? 昨日の今日で勇者一行解散とか洒落になんないし、その原因があたしのことだなんて絶対に駄目なんだからなっ!?」


 言い終える頃にはキッキの表情は怒りから、ミヅキを心配する複雑そうな表情へと変わっていた。

 キッキだって、こんな悲しい結末など望んでいない。


「……」


 しばらく、ミヅキは感情を失った間の抜けた顔をしていた。

 眼前にある少女の心痛める顔を見てふと我に返り、自責と自嘲の念に駆られる。


「……確かにな。キッキのことで怒ったってのに、キッキに怒られてちゃ世話ないな。……すまん、ちょっと頭に血が上っちまったよ。だいぶ言い過ぎたな」


 馬鹿をやらかした、と自らの短慮を省みるミヅキは手を伸ばし、キッキの頭と猫の耳を撫でていた。


 ひゃぁっ、と悲鳴をあげた猫の少女に突き飛ばされ、また後ろにひっくり返る。


 すると、見上げる天井の視界に、今まで何も言わず成り行きを見守っていた、もう一人の獣人の女性の姿が入ってきた。


 ミヅキが憤りを覚えた理由の一端であり、獣人という亜人側の立場にいる彼女。

 パメラ。


「ミヅキ、起きて」


「パメラさん……」


 パメラは眉を八の字にした困り顔で、少し微笑みを浮かべていた。


 倒れた椅子を起こしてミヅキが立ち上がると、パメラは二階の──。

 アイアノアたちの部屋のほうを見上げていた。


 そして、ほぅ、と憂いを帯びたため息を漏らす。


「──人間と他の種族、どうしていつもこうなってしまうのかしらね……」


 ミヅキに向き直りつつ、すぐ近くまで寄って両手をそっと取る。

 柔らかく手を重ね、真っ直ぐにミヅキを見つめて穏やかな笑顔で言った。

 金色の瞳に、真剣に言い聞かせる光を宿して。


「ミヅキ、いい? すぐに仲直りしていらっしゃい」


 パメラには先ほどのやり取りが、望まないいさかいであったのはわかっていた。

 降って湧いた不和の原因が、アイアノアの心ならずの無神経な言葉や、それをとしてしまっているこの国の過ちにあることは身に染みて理解できている。


 パメラも同じだからである。

 根強く残る種族間問題に直面し、最も気持ちを揺らした一人であるから。


「あなたの言う通りよ、ミヅキ。人間、エルフ、ドワーフ、獣人……。種族が違うからって、そんな理由で仲間同士でいられないだなんて、本当に悲しいことよね。だけど、私だって冒険者時代はドワーフのゴージィと人間のアシュレイと組んでたんだから、決して相容れないなんてことは絶対にないわ」


 目の前のパメラは異種族間融和の象徴であった。

 彼女にミヅキとアイアノアのやり取りはどう映ったのだろう。


「──きっと、ミヅキにはわかってるわよね?」


「う……」


 凛とした表情の、優しく微笑むパメラに見上げられている。

 ミヅキは言葉を詰まらせて思わず照れてしまった。


 実の親子でもないのに、彼女には我が子のように考えがお見通しなようだ。

 だから、今しがた繰り広げられたやり取りの根っこ、ミヅキの怒った理由は別にあるということがパメラには何となくわかっていたのだろう。


「何か、気に障ることがあったんでしょう? 記憶が戻ってきているのかしら? それをあのエルフのお嬢さんたちにもちゃんと話してあげなさい。どうしてミヅキが怒ったのか、何が許せなかったのか……。言葉を尽くして、しっかり確かめ合わなければ、本当の気持ちは伝わらないものだからね」


 そこまで言うと、すっとミヅキから身体を離し、傍らのキッキと手を繋ぐ。

 不安げに見上げる娘の顔に頷いて見せるとミヅキにも頷き、いってらっしゃいと声を掛けた。


「わかりました。ちょっと行ってきます」


「うん、ミヅキは素直でいい子ね」


 柔和な笑顔に見送られ、ミヅキは二階への階段に振り返った。


 ついさっき、泣きながらアイアノアが駆け上がり、失意のエルトゥリンがとぼとぼと上がっていった階段に足を掛ける。

 パメラと手を繋いだキッキがいたたまれなくなって大声で言った。


「ミヅキっ! あたしとママは違うからなっ! ミヅキが人間だからって、今日までイヤイヤ面倒みてきた訳じゃないからなっ! 演技なんかじゃないぞ! それは本当だからっ!」


 それは間違いなくキッキの本心から出た声だった。

 少女の気持ちは、今のミヅキとよく似ているのかもしれない。


 パメラとアシュレイ、訳有りの夫婦から誕生した子供は、この世界に新たな考えを芽吹かせる可能性を秘めている。


 ミヅキにはこの「迷宮の異世界」の根底にある忌まわしき過去と、そこから長く長く続いている因習がまだ理解できていない。

 この世界の埒外から来たるミヅキは、その呪いの環から外れた特異点だ。


 必死な声をあげる猫の少女に振り向いて笑う。

 二階の階段を上がり、エルフの彼女たちが待つ部屋の前に立った。


「……どう仲直りしたもんかな」


 部屋の閉ざされたドアの向こうにいるアイアノアの気持ちはどちらだろう。


 反目し合う人間とエルフの関係に救済を求める融和か。

 絶対に変えられず決して超えられない考え方がもたらす拒絶か。


 待ち受ける答えが何だろうと、ミヅキは怯まずドアをノックして、エルフの彼女らに呼び掛けるのであった。


 一階から吹き抜けの二階に見えるミヅキの背を見つつ、パメラはふと呟く。

 下唇を噛むキッキを見て、幼い子供をあやすように優しく微笑んだ。


「あの二人のエルフのお嬢さんたちが、百歳以上の年齢だとしたらもしかして……。ううん、何でもないわ、キッキ。世界にはね、私たちが生まれるずっと前から今も引きずっている重く悲しい(かせ)があるの。それさえ無かったら、こんなにも窮屈(きゅうくつ)な気持ちにはならなくて済むのにね。パパもママも、キッキも、きっともっと幸せになれたのにね」


 パメラの言葉は、この異世界の人々の願いそのものだった。


「──本当、みんながみんな、仲良くできるようになればいいのに……」



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