第103話 三者三様の気持ち
パンドラの地下迷宮第一層にて。
隠し通路の奥の完全なる罠の部屋の脅威を退け、ミヅキたち三人はようやく警戒を解いて人心地付いていた。
「やるね、ミヅキ。その剣は何? それに変な恰好」
合流したエルトゥリンは、様子のすっかり変わったミヅキの見てくれに興味津々のようだった。
上半身の黒い作務衣、下半身の同じ色の作業袴、足元の白足袋と雪駄。
見慣れない和装を、顔を上下させながら青い目をくりくり動かして見ている。
特にエルトゥリンの気を引いているのは、ミヅキの手にある白い刃の太刀だ。
「ああ、これはね……」
今の自分の姿と、宿したシキの力をどう説明しようかと言い淀むミヅキ。
この神剣たる不滅の太刀のことにしてもそうだ。
──うーん、何て説明したもんか……。神様の世界のことを言っても何のことやらさっぱりだろうし、この刀にしてもちょっと知り合いの女神にもらった、だなんて言えないしな……。そもそも、俺がこことは違う世界から来てること自体、アイアノアもエルトゥリンも知らないからなぁ……。
『言わないほうがいいよ。話したって信じてもらえないさ』
「う……。雛月……」
呻くミヅキの頭に地平の加護こと、雛月の声が聞こえた気がした。
あまり強い反発ではなく、何だかやんわりとした否定の提案だと感じた。
──ここは素直に雛月に従っておこう。正直、うまく説明できる自信が無い……。とはいえ、この世界じゃ、まだ多少怪しいところはあるけど、一応俺は勇者ミヅキな訳だし……。別の世界の関係ない俺の話なんてしてもしょうがないか……。
「いやぁ、俺も無我夢中でさ。魔物に囲まれて危なかったところを、俺の中の地平の加護が気を利かして、アイアノアと太陽の加護に助けを求めたんだと思う。そうしたら俺の中で眠っていた不思議な力が目覚めて、気が付いたらあの有様さ……。戦い方や力の使い方は、地平の加護が教えてくれるから何とかなったっぽい、かな……。う、うん、そういう訳だと思うから助かったよっ。ありがとうアイアノアっ!」
それもあながち間違いではないだろう。
迷った末、もたらされた結果の理由付けを、アイアノアの見識と太陽の加護の神秘性にひとまず任せることにした。
後ろめたい気持ちになるのは、ミヅキもエルフの彼女たちと同様、言いづらい事情を胸に秘めているからだ。
隠し事をしているのは、なにもアイアノアとエルトゥリンだけではない。
「やれやれ、俺も他人の事は言えんよな……」
誰に言うでもなく、聞こえないように小声で零すミヅキ。
「……はい、概ねはミヅキ様の仰られた通りです」
急な解説要求を投げられたアイアノアは、空中の太陽の加護の光をじっと見つめた後、二人に向き直って話し始めた。
「太陽の加護が何らかの力を私たちに与えてくれたのは間違いないと思います。私の力をミヅキ様が必要とされたとき、太陽の加護がこれまで見たことのない形態を取りました。白と黒の丸い模様が互いに噛み合わさったような形になり、ミヅキ様の加護発動に合わせ、姿を適宜変えていたように見えました」
真面目な彼女は体験した出来事を自分なりに分析して、初のお披露目となった自らの加護について伝えようとした。
その内容は、苦し紛れに話を振ったミヅキをぎくりとさせることになる。
「──姿を変えた太陽の加護は、私に神秘的な世界を垣間見せました。ほんの少しの間だけ、私の意識は確かにあの黄金色の高い空の上を飛んでいたのです」
そして、アイアノアは心で見てきた光景をつぶさに語った。
高い高い空の上に浮かび、どこまでも続く金色の雲海が広がる水平線を見渡し、一面の雲を突き破る雄大な山を目の当たりにした。
大山の山頂には異国情緒の円形闘技場のような巨大な建物があり、アイアノアはそこで戦うその勇姿を見たと言う。
「そこには、馬の顔をした巨人の魔物と相対されている、ミヅキ様とよく似た御方がおりました。今のミヅキ様がお召しになられているような、異国の服姿の……」
「えぇっ!? そ、それって……」
驚くミヅキのことを虚ろな目で見つめるアイアノア。
とろんとした瞳は、魔力の使い過ぎで単に疲労しているだけだ。
しかし、後ろめたい気持ちのミヅキはアイアノアが何かに感付いて不審がっているように感じた。
──まさか、アイアノアも神様の世界を見てきたっていうのか? 俺がこの刀や、シキの力を使ったからなのかな……。俺以外でも異世界のことを認識できるなんて話がどんどんややこしくなっていくじゃないか……。異世界のことを考えられるのは俺の専売特許じゃないだろうけど、何だかなぁ……。
ぼんやりな様子のアイアノアに、ミヅキは乾いたごまかし笑いを浮かべていた。
ミヅキがやっているのは行って終わりの異世界召喚ではない。
現実世界を含めた三つの世界を股に掛けている大冒険だ。
物凄く面倒で、配慮に大変な苦労を伴う道のりになるのは免れない。
それぞれの世界の繋がりから攻略法を見出すミヅキにとっては尚更である。
「あっ、ごめんなさい、ミヅキ様!」
ひきつった笑みを浮かべるミヅキが困惑していると思ったみたいで、アイアノアははっとなってすぐに頭を下げた。
「私ったら、自分でもよくわかっていないのに、不確かなことを言ってミヅキ様を困らせてしまいました……。魔物に囲まれ、気が動転して気づかない内に白昼夢を見たのかもしれません……」
伏目に言葉を漏らすアイアノアはミヅキの事情を知らない。
困惑するエルフの彼女を見て、ミヅキは申し訳なく思う。
現実味があるようで薄い、異世界との向き合い方について思案に暮れた。
──何もアイアノアは、物語のキャラクターってだけの記号じゃない。俺が物語の主人公で、アイアノアは登場人物Aの役割を果たすだけ、で済む話でもない。そもそもこれは架空の世界の話じゃあないんだ。
アイアノアもエルトゥリンも、この世界に生きる実際の人物である。
ミヅキの行動次第で、怒ったりも悲しんだりもする。
使命さえ果たせば、後のことをいい加減にしていい訳ではない。
その場しのぎのやっつけ仕事では終わらないのである。
──この異世界が本当に実在する世界だっていうなら、アイアノアとエルトゥリンにも個々の人格があって、感じ方や考え方もそれぞれ違う。パンドラの世界の事情と神様の世界の事情、そして現実世界の本当の俺の事情……。いつかはこの仕組みのことを話す日が来るんだろうか。そしたら、この子たちはいったい何をどう思うんだろうな……。
「アイアノア、俺も同じだけどさ、初めてのことばっかりでちょっと疲れちゃったんだよ、きっと。立て続けに魔法を連発しちゃって、アイアノアにも苦労を掛けて悪かった。これからは俺も控えめにやって、アイアノアの負担を減らすようにするから、肩の力を抜いて楽にしていい──」
と、ひとしきり物思いに耽った後、彼女を気遣って言ったところ。
アイアノアはまた急に予想外の行動に出た。
伏せていた顔を勢いよく振り上げ、血相を変えて大声をあげる。
「だ、駄目ですぅっ! そんなの絶対に駄目ぇっ!」
そして、何を思ったかミヅキの腰をめがけていきなり激しく抱き着いてきた。
まるで渾身の力を込めた強烈なタックルだ。
「ぐはっ!?」
みぞおちあたりにアイアノアの頭突きをまともにもらい、息が一瞬止まる。
シキの力を宿していなければ、容易く倒され後頭部を強打しているところだ。
「わっ、私は大丈夫ですっ! 苦労なんてしておりませんし、負担だなんて思ってませんっ! 控えめにやるだなんて仰らないで下さいっ!」
「ア、アイアノアっ?!」
悲鳴にも似た声をあげてミヅキにすがりつき、アイアノアは駄々をこねる子供みたいにいやいやをし始める。
我を忘れて悲しみにくしゃくしゃにした顔に見上げられている。
アイアノアの表情は必死そのものだった。
「私はまだまだやれますっ! 楽にしていい、だなんてそんなっ! 私、一生懸命にやりますからっ! 足手まといには決してなりませんっ! だから、ミヅキ様はミヅキ様の思うまま好きに振る舞って下さいましっ……!」
「な、なんだなんだ、どうしたんだ?!」
唐突な豹変にミヅキは焦った。
今にも泣き出しそうなアイアノアの事情をミヅキは知らない。
きっと彼女はこう思っている。
魔力を切らしてしまい、足手まといになるのが耐えられない。
まして、手心を加えられ、頑張らなくていいと軽んじられるのは堪らない。
これも彼女の頑張り屋な一面の表れなのだろうか。
ただ、そのヒステリックな狼狽ぶりには普通ではない何かも見え隠れしていた。
「お願いしますっ! どうかお願いしますっ……!」
弱音を吐いたり、挫ける情けない姿を見せたりしたくない。
だからか、とうとう彼女は魔力切れを口にすることは最後までなかった。
言い訳をしていると思われたくなかったのだろう。
「姉様、落ち着いて」
すると、ぐずるアイアノアの後ろから、ぬっ、と力強い手が伸びてくる。
姉の襟首をむんずと掴み、子猫を持ち上げるように軽い動作で身体ごと持ち上げるのは星の加護の怪力なエルトゥリン。
そのままミヅキから引き剥がし、反対側の床に座らせ、その頭をぽんぽんと優しく撫でて下がらせた。
「ふわーん……」
塞ぎ込むアイアノアの前に割り込んで立つエルトゥリンは、ため息を漏らした。
取り乱した姉を庇っているように見える。
「ミヅキ、気にしないで。何でもないから」
エルトゥリンは素っ気なく言うと、今度はミヅキの手元に目を向ける。
「それよりもその剣、見せてもらっていい?」
地平の加護が授けた神秘の武器には興味があるのだろう。
或いは話題を変えたいのか、エルトゥリンはミヅキの手にある不滅の太刀をじっと見て、もう一度青い目線を上げた。
彼女の目には訴えかけてくる光があり、物言わぬ迫力には応じざるを得ない。
「あ、ああ、いいよ。気を付けて、よく切れるからな」
ミヅキは抜き身の不滅の太刀を垂直に立て、刃を自分のほうに向けてゆっくり差し出した。
「ありがと」
手のハルバードを左手に持ち替え、右手で太刀の柄を受け取るエルトゥリン。
太刀を水平にしたり、太陽の加護の明かりにかざしたり、目を細めて物珍しそうに薄い片刃の剣をしげしげと眺めている。
「……綺麗な刃。それにとっても薄い」
馴染みの無い武器に対する興味が半分、取り乱した姉を庇った気持ちが半分。
エルトゥリンはそのくらいの気持ちでミヅキの太刀に触れていた。
よく切れそうな変わった武器とは思ったものの、星の加護を宿す自分から見れば、取り立てて大した代物ではないと高を括っていたところも多分にあった。
しかし──。
「──え?」
手を通して太刀柄から何かが伝わってくる。
それは、エルトゥリンの予想の遥か埒外の衝撃だった。
ぞわっ、と身体中を駆け巡ったのは抗いようのない忌避感だ。
胸騒ぎや悪寒などという生易しいものではなく、灼熱の炎で全身を焼かれるか、凍てつく猛吹雪で氷漬けにされるかのような、殺意めいた重圧感。
「ひっ……!?」
エルトゥリンは本能的に命の危機を感じて小さい悲鳴を漏らした。
彼女にしては珍しく、本気で怯えるその背後。
決して振り向けない後ろに何かが立ち上がっている。
それは、猛烈な憤怒と度し難い嫌悪をぶちまける黒く大きな影だった。
黒い影は何も語らない。
エルトゥリンの心臓を恐怖で鷲掴みにするほど、恐ろしい四白眼の目で、じぃっと睨みつけ、見下ろしている。
正当な持ち主以外に手に取られ、内なる神の逆鱗に触れている。
黒い影のシルエットの二つ結いのお団子頭が、まるで鬼の角みたいに見えた。
「も、もういい! 返すっ……!」
「おっとっと、危ねえなっ!」
投げつけるようにして、ミヅキに太刀を返すエルトゥリンの手は震えていた。
すると、恐怖の影は殺意の瞳を閉じ、機嫌悪そうに消えていく。
完全に影が消えた後も、しばらく陰鬱な余韻が立ち込めていた。
「ミヅキ、その剣、本当に何なの……? よくそんなもの持っていられるね……」
エルトゥリンの右手はじっとりと汗で濡れていた。
ミヅキと不滅の太刀を交互に見比べる顔色は真っ青だ。
「それ、恐ろしいくらい強い神の力が宿ってる……。怖い、とても恐ろしい……。呪われてしまいそうだわ……。うぅ、何だか気分が悪い……」
「だ、大丈夫かよ? だけど、呪われるって……。凄い言われようだな」
目を閉じて怖がるエルトゥリンを見て、ミヅキは返ってきた不滅の太刀のことを理解して苦笑いしてしまう。
──この不滅の太刀、察するに俺だけにしか扱えない代物なんだな。俺にくれた剣だから、俺以外が使おうとすると祟りがある、もとい、罰が当たるってことかよ。まったく、つまらないやきもち焼いてるんじゃないよ、日和め……。
そんなことを思っていると、今は記憶の彼方にしか存在しない女神は腕組みをしてぷんすかと怒っていた。
そんな気がするのであった。




