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夜ごとの幸福

作者: ノザキ波

とある二つの国の国境(くにざかい)


霧深い森の奥に、大きな古塔が建っていました。


冷たく静かな塔の中では、一人のお姫さまが暮らしていました。




お姫さまは、災いを招くとされる灰の目を持って生まれました。


そのためお姫さまは疎まれ、怖がられましたが、


勇敢で心優しい伯母によって大切に育てられていました。


しかしある雨の日、伯母は不運な事故によって命を落とします。


後ろ盾を失ったお姫さまは、間もなく城を追われることになりました。


城の者たちは、森の古塔にお姫さまを閉じ込めることに決めました。




伯母が亡くなってからほどなくして、


お姫さまは何人かの家来たちに連れられて森の奥へとやってきました。


家来たちはお姫さまを塔の一番上の部屋に押し込めると


さっさと門に鍵をかけ、元いた国へと帰っていきました。


国境の森には狼の魔物が住むといううわさがあったので、


少しでもはやく森から離れたかったのです。


こうしてお姫さまは、一人古塔の中で暮らしていくことになりました。




日が暮れて夜になると、


伯母を喪った悲しみはより一層重たくお姫さまにのしかかるようでした。


お姫さまは伯母がよく口ずさんでいた歌を、夜ごと空に向かって歌いました。


そうすると、伯母の温もりをそばに感じることができたのです。


寝て、起きて、歌って、また眠る。


お姫さまは、そうして一人細々と日々を生きていきました。




何度目かの夕陽が沈んだある夜のこと。


お姫さまはいつものように夜空に向かって歌っていました。


節が終わって息をついたお姫さまに、話しかける声がありました。




「もし、美しい歌声のお方」




お姫さまは声のした方を振り向きました。


声は、部屋の扉の向こうからしたようでした。




「はい。わたくしに何かご用でしょうか」




お姫さまは、ゆっくりと言葉を返しました。




「あなたにどうか一言お礼を申し上げたく参りました。」




凛々しく澄んだ声は、どこか伯母と似ているようにお姫さまは思いました。




「お礼を頂くようなことはしておりません」




お姫さまの返事に重なるように、扉の向こうの声は続けました。




「あなたの歌声に心救われたのです。


己が哀れな身の上に沈み続けていた心を救われたのです」




声は、真実を言っているようでした。


お姫さまは、いつの間にか涙を流していました。


伯母を亡くして以来、誰かに感謝されたことなどありませんでした。




「伝えに来てくださってありがとう。


どうかこちらにいらしてお顔を見せてください」




そう言ってお姫さまは窓辺から腰を上げました。




「いけない、いけない。己は、人に姿を見られると消えてしまうのです」




声の主は大声で言いました。


お姫さまは、扉へ向かおうとしていた足を止めました。


この声の主は、自分と同じなのかもしれないとお姫さまは思いました。


一人ぼっちで、長い夜を見つめているのかもしれないと。




「わかりました。会いに来てくれてありがとう。


扉を開けることはいたしません。


よければそこで聞いていってください。


私が喉を休めるときは、どうかあなたが歌ってください」




声の主は、何かをもごもご言ったあと、


歯切れ悪そうに答えました。




「ここであなたの歌声を聞かせて頂くこと、願ってもない幸福に存じます。


しかし、己は歌などついぞ歌えません。


代わりに、昔話を語りましょう」




お姫さまは小さく微笑むと、その申し出を受け入れました。




それからのお姫さまの夜は、とても幸せなものになりました。


声の主は、決まって静かにやってきました。


お姫さまが歌い終えると声の主は、


ここが良かった、あそこが素敵だったと


いつも嬉しそうに言いました。


そして、ゆっくりと昔話を語りました。


それはいつかどこかの、王子さまの物語でした。




声の主が語る王子さまの物語は、面白いものばかりでした。


お城を抜け出してお祭りに行った話や、


宝物を探して旅をした話、


国を守るために魔物と戦った話など、


朗らかで勇壮な王子さまの生きるさまは、とても気持ちのいいものでした。




夜が明けるころ、声の主は去っていきました。


やってきた時と同じように、静かに扉の前から離れていきました。


お姫さまはいつからか、朝日が昇るのが口惜しくなりました。


月が夜空に昇るのが待ち遠しくなりました。


声の主のそばにずっといられたらいいのにと、そう思うようになりました。




ある朝、身なりのいい男が古塔を訪ねてきました。


男は、隣り合う国の王さまでした。


森を通った旅人から美しい歌声の話を聞きつけ、


お姫さまの歌を聞こうとやってきたのでした。


お姫さまは、言われた通りに歌を歌いました。


王さまはお姫さまの歌声を大層気に入った様子で、


いつも自分の側で歌えるよう、お城に来るよう命じました。


お姫さまは、困ったように微笑みました。




「お褒め頂きありがとうございます。身に余る光栄に存じます」




お姫さまはうやうやしくお辞儀をすると、顔を上げて王さまを見つめました。




「しかしわたくしは、ここを離れることはできません。


たった一人の心優しい友と、ここで語らうことがわたくしの何よりの幸福なのです。


お言いつけに背くご無礼、どうかお許しください」




お姫さまはもう一度、深く首を垂れました。


王さまはお姫さまの言葉に頷くと、


家来たちと共にどやどやと帰っていきました。


静かになった古塔の中、


王さまがやってきたことを話したら声の主はどんな言葉を返すだろうかと、


お姫さまは一人空想しては空を見上げました。




王さまが帰っていったその夜、塔に男が忍び込みました。


男は、王さまに雇われた殺し屋でした。


王さまはお姫さまが自分の命令を聞かなかったことが本当はとても許せなかったのです。


お姫さまは、いつものように声の主がやってくるのを待っていました。




窓辺で月を眺めるお姫さまに、大きな影が重なりました。


お姫さまは驚いて振り向きました。


そこには、銀色のナイフを掲げた殺し屋の男が立っていました。


お姫さまが悲鳴を上げるのと、


男がお姫さまへとナイフを振り下ろすのとは、


全く同時のことでした。


ナイフがお姫さまを貫こうとする寸前、


男は何か大きなものに吹き飛ばされました。


男の体が床に打ち付けられる音と、


獣の唸り声が部屋の中に響きました。


そこにいたのは、大きな灰狼の魔物でした。


男と狼は激しく取っ組みあっていましたが、


一瞬の隙をついた狼が、男を窓から放り投げました。


お姫さまは何が何だか分かりませんでしたが、


大けがをして倒れこんだ狼をみて、


思わずそばに駆け寄りました。


狼は目だけをお姫さまの方に向けると、力なく微笑みました。




「醜い我が身をさらすご無礼、どうかお許しください。


己はかつて隣り合う国の王子でありましたが、魔物を退けたおり、


同じ姿になる呪いをかけられたものです」




狼の声は、夜ごと訪ねてくるものの声と同じでした。


お姫さまは、狼の前足を震える両手で握りました。




「日の光に当たることができないこの姿を人々に疎まれ、国を追われました。


一人この森に身を隠してからは、永遠に続くかのような孤独な夜を繰り返してきました」




狼は、真っ直ぐお姫さまを見つめると


再びそっと微笑みました。




「でもあなたが現れた。あなたは月だ。


己が夜を照らし輝いてくれた優しい光。


あなたのおかげで、己は恐れや恨みを忘れることができました。


こんな姿になってからは諦めていたのに。


あなたのおかげで、己はまた幸せを感じることができました」




そう言い終わると狼は目を閉じ、動かなくなりました。




お姫さまは、大声をあげて泣きました。


動かなくなった狼に縋りつき、何日も何日も泣きました。


いつしか涙は湖沼となり、塔は水底へと沈んでいきました。


王子さまだった狼と、一人ぼっちのお姫さまをその内に留めたまま。


霧深い森は、ある朝しんと静かになりました。




いつの夜からか、国境の森の中で小さな歌声が聞こえてくるようになりました。


少女の楽しそうな歌声と、青年の柔らかな歌声。


重なり合ったその歌声は、今も月夜の森に響きわたっています。


たえることなく、いつまでも。

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