第貳刃④ どうやら平和な幼少時代も長くは続かないようです。
わしが刀を納めてコオリの方へ振り返ると、パチパチと小さな拍手が湧いていた。
言うまでもなく、相手はコオリだった。
興奮した表情でこちらを見上げている。
「すごい! お兄ちゃん、すごい!」
恰好をつけたつもりはなかったのだが、ふと思い返してみるとまぁ痛々しい様子でもあったかもしれない。
決め台詞まで吐いてしまったことだし。
そう考えてみると少しばかり恥ずかしい気持ちもある。
だが、剣を扱ううえではある程度の気分の高揚はあるものだ。
ちゃんとした実戦という意味では、この世界では初めてだっただろう。
言うなれば初陣である。
来る日のために血製魔術で鍛錬を続け、ようやく作り上げた愛刀である。
それを使って引き寄せた勝利である。
昂りを抑えられないのも、仕方がなかったのだ。
とはいえ、すこし反省する。
「コホン、見たかコオリ。これこそが剣術というものよ」
腕を組んでいるわしの背中に、尊敬の眼差しを感じている。
コオリが何度も「すごいすごい」と持て囃す声が聞こえる。
その程度のことで浮かれるようなわしではない。
ないのだが……。
――……ま、まぁ、悪い気はせんのう。
それから麓の町までは、何事もなく辿り着くことができたのだった。
町に着いたわしはとりあえず宿へと足を運んだ。
今日はここで一晩過ごし、明日には山に戻るつもりだ。
生活するだけなら町のほうが都合が良いが、修行には適さない。
剣を振り回して間違って見知らぬ人間を斬り殺しては堪らんからだ。
しかし、コオリのことがある。
コオリには町のほうが暮らしやすいだろう。
ここで宿と仕事でも見つけられれば儲けものだ。
五才の少女を雇う者は少ないだろうが、小間使いは何処だって入用だ。
条件さえ絞らなければなんとかなるはずだ。
……なるだろう、きっと。
――良い働き口が見つかれば良いが……。
そんなことを案じながらコオリの顔を見てみるが、本人はポカンとしている。
まぁ、この歳ならそんなものか。
わしは少し肩透かしを喰らいながら宿の予約を取った。
「そうじゃ、ついでに訊きたいのじゃが店主、この子を雇う気はないか?」
宿屋の女将は思案げに視線を巡らす。
「その子だけかい? あんたはどうすんだ?」
「わしか? わしには必要ない」
女将は怪訝な顔でわしを睨んだ。
ふむ。やはり武者修行をするという考え方はそれなりに異端であるらしい。
「わしは山に籠もって修行をするつもりなんじゃ。じゃがコオリにまで付き合わせるつもりもない。この子にはまっとうに生きて欲しいんじゃよ」
そんなわしの願いを女将は少し困惑した表情で聞いていた。
「なぁ、坊や。あんたはともかく、この子はどうしたんだい? 親は? あんたら山村の子だろ?」
そうか。そう言えば何の話もしていなかったな。
それなら話が噛み合わないのも頷ける。
さもありなんといったところだ。
「山で大規模な土砂崩れが起きたのは知っておろう。村は滅んだ。生き残りはわしら二人だけじゃ」
「そんな……なんということ……ッ?!」
女将は聞くやいなやわしとコオリを抱きすくめた。
下山の直後だからそれなりに汚れているのだが、お構いなしだ。
「ああ、神様……! この子らに慈悲を与えておくれ……! 神の恵みのあらんことを……!」
まるで十年前、生まれたばかりの頃に母がそうしてくれたときのようだった。
人の温もりというものを数年ぶりに感じていた。
前世の記憶があった分、母にはあまり甘えては来なかった。
もしこんな結末だと分かっていたなら、もう少し子供らしく接してやるべきだったかもしれなかった。
……まぁ、そんなことを考えたところで、今更でしかないのだが。
現実として家族は死に、村は滅んで、わしらは生き残った。
それだけのことでしかない。
「うちだって生活が豊かなわけじゃない。だけど、あんたらみたいな子供を放っておけるほど人間ができちゃいないんでね。小間使いの待遇で良ければいくらでも引き取ってやるよ」
なんとも運が良いことに、コオリの引取先は一軒目で決まってしまった。
まぁ、ここなら悪いことにはならないだろう。
「お願いしよう」とわしは喜んで話を受けたのだった。
コオリの手を掴んで女将に手渡す。
だが、コオリはすぐに手を放してしまう。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
「わしか? わしは村跡に帰る。剣術の修行にはあちらのほうが都合が良いしのう」
すると、ガシッ!
わしの手はコオリにがっしりとホールドされてしまう。
行くな、という意味だろうか。
まぁ所詮は子供の握力でしかない。逃げようと思えばいくらでも逃げられるだろう。
とはいえ。
それはどこか躊躇われた。
――さて、どうしたものかのう……。
振り切ることは容易いが、コオリの意思を尊重してやりたい気持ちもある。
幼子の見せた初めての強い意志だ。
これを拒絶することは、わしの思う正しき道ではない。
……そんなふうに思ってしまう。
わしは剣のためだけに生きてきた。
これからもそうだろう。
だが、人の道を踏み外さない。
剣を私利私欲の目的では使わない。
それはわしが定めたルールだった。
わしはコオリの小さい手を振りほどくことができなかった。
コオリは、丸くて大きな瞳を輝かせている。
「コオリ、お兄ちゃんと行く」
唖然としつつも、流されてはいけない。
コオリの幸せを願うのならば、言わねばならないことがあるのだ。
「コオリ、よく聞け。お前には家族の温もりというものが必要じゃ。この女将ならそれが与えられる。わしについてきたって剣術の修行しかない。お前が行くべき場所はここなんじゃ」
「やだ!」
まるで駄々っ子だ。
聞き分けのない子供だ。
こんな厄介なやつの相手をしていたらしい世の母親たちは存外に強者だったのかもしれない。
などと感心している場合ではないが。
「コオリ、よく聞け。ここには温かいベッドだってある。ご飯も毎日食べさせてくれる。母代わりになってくれる優しい人だっておる。お前がいるべき場所はここなんじゃ」
「やだ!」
どうしたって聞いてはくれない。
困り果てたわしはそれでも抗弁を続けるしかない。
「コオリ、よく聞――」
「やだ! お兄ちゃんがいなきゃやだ!」
……どうやらわしにいて欲しいらしかった。
とはいえ、わしはここには住む気はない。
修行には山のほうが適している。
人がいなければどこでも剣を振れるし、木を薙ぎ倒したりして暴れても問題が起こらない。
狭い町の中では、わしは十分に修行ができない。
コオリのためとはいえ、そこは譲りたくはなかった。
――参ったものじゃな。
こんなことになるなら助けないほうが良かっただろうか。
そんなことを考えたところで、あの状況で無視はできなかったに違いないのだが……。
――はぁ……。
わしは溜息をついた。
答えはもう決まっている。
ただそれを言うだけの責任を背負いたくない。
だが、体良く断る言い訳も思いつかない。
万事休すか……。
女将が呆れた顔でわしの肩を叩いた。
ゆっくり頷いた女将は無言で「それで良いんだ」と告げているようだった。
仕方ない。致し方あるまい。
わしは意を決してコオリを手を取った。
「コオリ、わしの弟子になるか?」
「うん!」
太陽のように明るい笑みだった。
思わずわしも笑いが溢れてしまう。
少し照れくさいので顔を見られないようにコオリの頭をグリグリと撫でてやった。
「言っとくがわしの修行は半端じゃないぞ。覚悟しておけ!」
こうしてわしに一番弟子ができたのだった。