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第貳刃③ どうやら平和な幼少時代も長くは続かないようです。

 さて。

 翌日になったので、そろそろ次の行動を起こさねばなるまい。

 そろそろ山を下りる準備をするべきか。

 朝の素振りを程々で終えると、わしは身支度を整えた。


 わし一人なら麓の町まで一日半程度歩けばたどり着けるだろうが、コオリには無理な話だ。

 休憩を多めに挟んで、移動速度を緩めて、大体一週間くらいかかるだろうか。

 あるいはもっと必要かもしれない。


 ある程度の自給自足はできるかもしれないが、土砂崩れで野生の生き物も移動してしまっている可能性もある。

 コオリは少食だろうが、念のためにそれなりの食料を持っていったほうがいいだろう。

 おおよそ一週間分の食料を背負ってみたが、なかなかの物量になる。

 そのうえ、コオリの脚力は五才相当。

 下山は困難を伴うだろう。


 わしは荷物を背負うとコオリの手を取った。

 コオリは疑うこともなくわしの手を握り返してくる。


 ……どうやら、母親の後を追いたいなどとは微塵も考えていないらしいのう。

 わしは少しだけ息を吐いた。

 ……何を心配しとったんじゃろう。

 所詮は子供、そこまで深くは考え込まないらしい。

 わしにとってはどうでもいいことだった。

 もし生きることを諦めてくれたのならば、下山する目的はほとんどなくなる。

 これだけの食料を背負う必要もなくなるのだから、むしろ残念な結果だったと言えよう。


 まぁ、とはいえ。

 子供の死に様はあまり見ていたいものでもないか。

 わしは胸に去来する感情を置き去りにするように足を早めた。

 コオリはそれに合わせるように小走りでついてくるのだった。


 一時間歩いて休んで、また一時間歩いてを繰り返して時刻は夕方になった。

 暗くなる前に焚き火を用意して食事の用意をする。

 まだ沸騰していない鍋を見て、コオリはお椀を構えていた。


「まだまだじゃ。沸騰するまで待つんじゃ」

「フットー? アツアツだとフーフーしなきゃ食べれない」

「沸騰しないと固くて食えたもんではないぞ?」


 コオリは頭に疑問符を続けて3つくらい浮かべていた。

 まだ道理もわからないらしい。

 まぁ、五才ではそんなものか。


「ほれ、生の麦でも齧ってみるか?」


 わしが差し出した石みたいに硬い麦粒を、コオリは思いっきり噛み砕いた。


「いぎっ?!」


 砕かれたのは歯の方だったか?

 コオリはしゅんと肩を落として意気消沈としてしまう。


「だから言うとるじゃろ。沸騰するまで待つんじゃ」

「……あい」


 人は失敗で強くなれる。

 コオリにとっては大事な一歩といったところか。

 枝で薪を動かしながら、わしはそんなふうにひとりごちたのだった。


 そうして数日経ち、あともう少し進めば町が見えようかというところで、そいつは現れた。


 チリリと首筋に悪寒が走った。

 それは久しい殺意の気配。

 野生の魔物でも現れたか。


 この世界では人間以外の生き物を一般的に魔物と呼ぶ。

 人を含めて魔力を操る生き物は多い。

 人間を襲うような脅威度の高い魔物もいる。

 今、こちらに迫っているものも同様だろう。


 舐めるようにこちらを品定めしている。

 怪我をせずに倒せるかどうかを分析しているようだ。

 この機会を逃した場合に、次に獲物はいつ来るのか。

 そんなふうに、リスクとリターンを精査しつつ、こちらの力量を窺っている。


 野生の魔物にとって、それはとても重要なことだ。

 わしを仕留められれば背中に抱えた食べ物ごと手に入れられる。

 だが、逆に魔物自身が仕留められる可能性だってあるだろう。

 だから慎重にこちらを窺っているのだ。

 万に一つも損をしないために。

 その強かさこそがこの魔物が油断ならない相手であることを証明している。


 捕捉されている以上、逃げるのは得策ではない。

 コオリを連れている時点で足はこちらの方が遅いからだ。

 そうなる前に対処できるのがベストではあったが、野生の魔物が気配を消していたのでは、さすがに気づきようがなかった。

 運が悪かったとしか言えまい。


 わしは腰に指していた剣の柄に手をやった。

 この剣はわしが血製の魔術を色々と試しながら作った剣だ。

 銘は、時雨しぐれ

 いわゆる刀である。


 刀という武器の特徴は、斬撃に適した形状でありながらサーベルほどの反りがないため突きにも利用できる点にある。

 重さで叩き斬るだけのブロードソードや突くことに特化しすぎたレイピアなどと比べると、汎用性が高いのが利点だ。

 軽さや薄さが仇となり、下手に扱えば折れてしまうのでそれなりに高い技量が要求される武器である。


 わしはコオリを遠ざけながら魔物の方へ歩み寄る。

 姿はまだ茂みに隠れていて見えないが、こちらへ向けた殺意は今は隠そうともしていない。

 臨戦態勢、そのものだった。


 わしはゆらりと刀を抜いた。

 思えば、実戦は久しぶりだった。

 毎日振り続けた愛刀は、身体の一部であるかのように手に馴染んでいた。

 わしは姿を見せない魔物の方向へ、正確に剣先を向けると中段に構えた。

 俗に言う青眼の構えだ。


「久方振りの殺し合いじゃからのう、じっくり試させてもらおうか」


 息を呑むような殺伐とした気配。

 張り詰めた空気に、コオリさえも呼吸を忘れているようだった。

 囁かな風が枝葉を鳴らす。

 そして一瞬だけ、風が止んだ。


 その瞬間――


 強烈な俊足で魔物が姿を現した。

 振り下ろされた大腕は容易く地面を砕く。

 わしは寸前に飛び退っていたが、それは向こうも織り込み済みらしい。

 もう片方の空いた手が振り上げられる。

 わしはタイミングを合わせた後ろ宙返りでその攻撃も躱す。

 距離を離しつつわしは改めて相手の姿を見定める。


 大きくしなやかな体躯、口腔から飛び出した犬歯、殺意の塊のように鋭い爪牙。

 猛犬獣ライカンスロープと呼ばれる魔物だ。

 村の近辺ではほとんど姿を見せないはずなのだが。

 そこで、


 ウォオオオオオオオオオオオオ!!!!!!


 猛犬獣が劈くように咆哮する。

 ビリビリと周囲を震わすように殺意をばら撒く。

 先程の攻撃を躱したことで明確に敵と認定されたらしい。

 ――やれやれ、ありがたいことじゃのぅ。

 わしは胸の内で嘆息する。


 とはいえ、ここは初見の相手。

 油断は大敵だ。

 わしは再び青眼に構える。


 猛犬獣は姿勢を落とし、爪を開いた。

 ――爪牙の振り下ろしか……?

 圧巻の俊脚で一瞬で距離を詰められ、猛犬獣が右腕を振り上げる。

 と、同時に。

 ――これは……!?


 後を追うように左腕もが眼前に迫っていた。

 振り下ろし二連撃の次は振り下ろしと刺突の連携攻撃。

 刺突はまっすぐに腕を伸ばす分リーチが長い。

 わしは大きめに飛び退いたが、爪牙の先が裾を掠めた。

 先程と同様に寸前で躱していたらこの左腕の餌食になっていただろう。

 どうやらこの魔物、かなりの歴戦の手合いのようだった。

 わしの中の闘志が燃え上がるのを感じた。


 猛犬獣は悔しそうに唸ると背を低くして地面に前肢を置いた。

 と同時に掴んだ砂礫を投げ飛ばしてくる。

 ダメージは大したことないが、視界はわずかに遮られる。

 その隙をつくように、猛犬獣は突っ込んでくる。

 狙いは――わしの腕か!

 攻撃の手を奪うつもりらしい。

 わしは瞬時に手首をひねり、そのまま刺突を浴びせようとするが猛犬獣のしなやかな筋肉が刃を滑らしてしまう。


 お互いに攻撃は外した。

 だが、距離は至近。

 巨躯の違いを理解しているのか、猛犬獣はわしに突進を仕掛けてきた。

 鋭い犬歯こそ避けたものの、数尺程度吹っ飛ばされた。

 バランスこそ失わなかったが、着地の隙がないわけではない。

 そこを攻めどきと見たのか、猛犬獣が猛攻撃を仕掛けてくる。


 わしは躱すことを諦め、刀で攻撃を受け流す。

 鋭い爪による猛攻はかつての戦いを思い出させる。

 わしも前世では多くの敵と戦った。

 巨大な魔物もいた。

 力自慢の大男もいた。

 捉えきれないような俊敏の手練もいた。

 やっかいな戦術を用いる老獪な拳闘士もいた。

 すべての敵を捻じ伏せ、一刀のもとに斬り伏せてきた。

 そのことを思えばこの程度の魔物など、どうということもなかった。


 懐かしい剣戟の感触。

 心地よい殺意を浴びながら、わしは身体を慣らしていった。

 腕を振り、剣を意のままに操り攻撃をいなす感触。

 足を踏みしめ、自らの攻撃と敵の攻撃の重量が両脚で受け止める。


 まだだ。

 もっと行けるはずだ。

 敵の爪を弾きながら、その動きを最適化する。

 受けるのは一点だけでいい。

 余計な抵抗を刀には与えない。

 必要最低限の力で受け止めて、完璧に相手をいなす。

 足も腰も、動作は必要最低限で良い。

 余計な動きはいらない。

 躱すのに大きな動作は必要ない。


 もっと神経を研ぎ澄ませ。

 視野は広く遠く高く。

 それでいて、敵の所作を一つたりとも見逃すな。

 全てに集中して手中に収めろ。

 戦況を呑み込め。

 世界を支配しろ。


 懐かしい。

 この感覚は――。

 そう思った矢先のことだった。


 猛犬獣が疲弊している。

 おかしい。

 どれくらいの時間が経った?

 久方ぶりの実践に、集中しすぎてしまったか?

 あるいは敵の体力が想像以下だった?

 飢えによる体力低下もあるのかもしれない。

 とはいえ、これはあまりにも……。

 ……興醒めだった。


 魔物の目には、怯えが見えた。

 絶対的な強者に、屈服するような目。

 獣は絶叫するように吠えた。

 それは最後の抵抗だった。

 心が屈してしまっても、矜持だけは捨てない。

 そんな決意を思わせる咆哮。


 わしは少し悲しく思いながらも、鯉口を切った。


 居合・イアイ・セン


 瞬足の居合い斬りで、猛犬獣は膝をついた。

 そして地面に辿り着く前に、上半身が二つに裂かれた。

 骨も皮も筋肉も、まとめて一撃で斬り払った。

 わしは血を払うと愛刀を鞘に収めた。

 カチンと鍔が音を鳴らした。


「我が剣で死ねたこと、あの世で誇るが良い」


 今世こそ、わしは剣の頂きに立つ。

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