第貳刃② どうやら平和な幼少時代も長くは続かないようです。
もしもこの世界に神がいるとしたら、それはきっと血も涙もないロクでもない存在なのだろう。
意味もなく大勢の人間を死なせ、一つの村が地図から消えたのだから。
……神とはなんなのじゃろう。
この世界を生み出した存在か?
だとしたら、とてつもない年月を生きてきたことになる。
その精神性は、およそ人間とは似つかわしくもない決してわかり合えない存在なのだろう。
……あの転生斡旋士なる女は、それとは関係ないのじゃろうか。
詳細は不明だ。
だが、魂に値段をつけていた。
ということはその目的は、質の高い魂を求めているということなのだろう。
質の高い魂とはなんなのか。
それを求めて何をするのか。
……考えてもわからんし、力になってやるつもりも更々ないが。
ただ、やつには何か理由があるはずだ。
わしにこの世界でやってほしい何かがあるはずだ。
わしが剣術を極めようとすること自体が、それに繋がるのだろう。
そこまで考えて、わしは思考をすっかり諦めた。
わからん。
わからん以上は考えても仕方がない。
何より、剣術を極めることはわしにとって最重要項目じゃ。
それ自体がやつに利するとしてもしなかったとしても、やることは結局変わらない。
変わらない以上は、考えても意味がないしな。
わしは溜め息を吐きながら、鉄鍋の中の麦粥をかき混ぜていた。
食料品や調理器具は洞窟にまとめて保管されていた。
入り口は瓦礫や土砂で埋まってしまっていたが、血製で作り上げた幅広の剣で掘り返した。
中はしっかり固められていたのか無事だった。
これだけの食料があればひと月以上は過ごせそうだ。
まさか生き残りがふたりしかいないだなんて想像だにしていなかったことだろう。
流されてきた瓦礫には枝や材木も多いが、これらは湿気が多くて薪としては使い物にならない。
焚き火にも洞窟内の備品が役に立った。
よく乾燥した薪を残してくれた住人には感謝しかない。
そうこうして火を焚いて鍋に麦と水を混ぜて作るのがこのあたりの一般的な食事風景である。
干し肉なども残っているので、女児が目を覚ましたら食わせてやってもいいだろう。
……食べる元気が残されているかは不明じゃが。
……そもそも、どうすれば良いのじゃろう?
女児に残された道はそう多くはない。
たとえば、山を降りて麓の町で暮らす。
これが一番無難な選択だろう。
子供一人で生きていくことは困難だ。
町で親代わりになってくれる人間を見つけることが最適だろう。
都合よく見つかれば良いのだが……。
あとは、ここに残る選択肢もあるか?
とはいえ、それはあまり現実的ではない。
ここに何がある?
何もない。
完全な自給自足になる。
わしだけなら良いが、そこに誰かを巻き込むつもりもない。
よってこれは却下だ。
他に考えうるとしたら……、これがもっともありえるかもしれない。
生きることを、諦めるということ。
このまま村とともに、滅びるという選択肢。
わしはそれを否定できない。
見渡せばわかる。
普通なら絶望する。
故郷が、家族が、何もかもなくなり瓦礫の海に沈むということ。
これを耐えられる人間は、そうはいないのではないか?
二度目の人生であるわしだからこそ、冷静に受け止められているのだろう。
普通の人間には、まして五つくらいの子供にはどうしたって受け止めきれまい。
……そのときは致し方あるまい。
なんにせよ、選ぶのは本人だ。
わしがそれにとやかく言うのは筋違いというものだろう。
すやすやと寝息を立てる女児の顔を見下ろしながら、わしはそんなふうに考えていた。
しばらくして、女児が目を覚ました。
ぼうっと呆けたまま、目をパチパチとさせている。
あまり事情を飲み込めていないらしい。
まぁ、年齢を考えればさもありなんといったところか。
「おじちゃん、だれ……?」
「わしはまだ十才じゃ。おじちゃんと呼ぶにはまだ早かろう」
とはいえ、精神年齢という意味では間違ってはおらんのだが、そこはあえて言う必要のないことか。
「じゃあ、お兄ちゃん……?」
そんなところか。
まぁ正直呼び方なぞ、何でも良いのだがな。
「わしはクルギ、そう呼ばれておった。じゃが、もうわしをそう呼ぶ人間はおらん」
そうじゃな。それは親や兄弟たちと共にあるための名前だった。
彼らが死んでしまった以上、その名を名乗ることに意味はない。
だったらわしはわしの本分をまっとうする。
「今日からわしの名はツルギじゃ。剣士ツルギと、そう名乗ろう」
女児はというと、ぽけっとした顔をしていた。
まぁ、わかるわけもないか。
わしの感傷もわしの決意も、五才かそこらの子供にはわかるわけもあるまい。
「あのね、コオリ。名前、コオリだよ」
コオリは辿々しくそう名乗った。
「ねぇ、お兄ちゃん。お母さんどこ? しってる?」
ああ、やはり答えねばならんか。
残酷な答えを、教えてやらねばならんか。
泣き叫ぶか。拒絶するか。後を追うか。
いずれにせよ、選ぶ権利がコオリにはある。
「よく聞け、コオリ。みんな死んだ。村の者は誰も生きてはおらんのじゃ。お前の記憶の中の村は、もうどこにも残っておらんのじゃ」
「お母さんは? お母さんはどこ?」
この年齢ではまだ死を理解できないか。
だが、黙っておけるものでもなし。
「……もうおらんのじゃ」
「もうお母さんには、会えないの?」
わかるまで何度でも話してやらねばなるまい。
それが如何に辛い現実であろうとも。
「もう二度と、会うことはできぬ」
「……やだ。やだあああ!!! やだああああああああああああああ!!!!!!!」
泣き疲れて眠るまで、わしはコオリを抱きしめてやることしかできなかった。
わしはこの子を救ったことが良かったことなのか、よくわからなくなっていた。
助けずにあのまま土砂に呑み込まれてゆくのを見ていた方が良かったかもしれない。
……まぁそれができなかったから今こうなっているわけじゃがな。
それはさておき。
コオリが目を覚ますまでの間に、わしは墓を作っていた。
墓といっても死体は掘り起こしていないし、墓石だって用意できていない。
ただ、見張り台のような巨大な剣を墓に見立てて花を添えただけだ。
文字を書くのも不慣れだったが、剣の側面にクルギの名を刻んだ。
村の名前も特にないし、村人全員の名前も知らない。
もともと書ききれるわけでもないので、他の住人のことは胸の中だけにしまっておこう。
村の少年クルギは死んだ。
これからの人生はツルギとして生きる。
剣のために生きると誓った。
もちろん転生する前から誓ってはいたが、家族をなくしてまた改めて誓い直した。
古い名を捨てるのは、その決別の意味が込められていた。
それが終わった頃にはコオリも目を覚ましていた。
ぐぎゅるるるる〜〜と、間の抜けた音を立てている。
あとで麦粥でも作ってやるとして、とりあえず干し肉を口に放り込んでやった。
コオリはモグモグと齧り付く。
よだれをぼたぼたと垂らしていた。
「おいおい、行儀がなっておらんのう」
行儀ごときさほど気にはならぬが、麦粥は早めに作ってやったほうが良さそうだ。
そう思ってわしが焚き火の方へ足を向けると、ひっしと。
コオリがわしの足を掴んでいた。
「それ、なに?」
コオリが指差すのはわしが作った墓だった。
墓は理解できるのか。それともわからないのか。
一応説明してやるか。
「あれは墓じゃ。誰が眠ってるわけでもないがのう。この村と、そして共に死んだクルギという過去のわしの墓じゃよ」
「お墓……」
わかっているのかいないのか。
コオリは繰り返すだけだった。