第壹刃② 剣聖は第二の人生も剣に捧げるようです。
「あらあら、あらあらあら〜」
唄うような声だ。
愉しげに笑う声は、どこか不快に響いた。
「新しいお客さんだねぇ〜、おいでませ剣聖さま」
声の主は嘲笑を浮かべながら、歓待するように両手を広げた。
その顔に見下すような下世話な笑みを浮かべて。
さて。
わしは今どこにいるのか。
ここはなんなのか。
分からん。さっぱり分からん。
わしは先程まで牢の中で死にかけていたはずだ。
いや、おそらくあそこで息絶えたはずなのだ。
にもかかわらず、わしはここにいる。
そして、目の前には怪しい女。
困惑。
それしかない。
そんなわしの様子を知ってか知らずか、女は愉しげに口元を緩めている。
どこか腹立たしい、不快な笑みだ。
わしはとりあえず、埃を払いつつ立ち上がる。
そこで、違和感に気づいた。
視線が高い。
腰の曲がった老人の視線ではない。
身体が、おかしい?
次いで身体を見下ろしてみる。
腕は現役の頃のように太く筋肉質だ。
剣を振るのに最適な肉体。
思わず心が歓喜の声を上げている。
軽くジャンプしてみる。
軽い。
今まで重かった身体はなんだったのだろう。
思い通りに身体を動かせる。
たったそれだけのことがこれほどまでに嬉しいとは。
そんなわしの姿を舐めまわすように見つめる視線に気がついた。
「何を見ておる?」
「年甲斐もなくはしゃぐ姿、かしら」
「斬り殺されたいのか」
「あらあら、照れ隠しで斬り殺されるだなんてあまりにも浮かばれないわ」
そう言いつつも、女は今も薄ら笑いを浮かべている。
どうせなら薄ら笑いのほうを浮かべられなくなればいいものを。
女はそんなわしの白んだ視線に気づいていように、素知らぬていで分厚い本を開いた。
その本の内容は、……カタログか?
「貴方の人生を買い取りましょう」
机に広げられたカタログがひとりでにページをめくってゆく。
そして、パタリ。
女が指さすと動きを止めた。
「これは〈転生型録〉。新たな人生を買うことができるの」
女は言う。
「貴方の人生を適正価格で買い取り、その金額で新たな人生を提案する。それがここ、転生斡旋士の館よ」
転生、斡旋……。
相変わらず理解は追いつかないが、女はそんなことに配慮する様子はない。
「ざっと二百万焉。それが貴方の前世の価値よ。それが高いのか安いのか? フフ、それは比較対象によるわね」
何も訊いてはいないのだが、女は話を続けるようだ。
「濃厚な人生は一度で一千万にも値するわ。けれども、ただ淡々と日々を送るだけの人生にはせいぜい数百焉程度の価値しかないの」
他人の人生に価値をつけるやり方に、わざわざ文句を言うつもりもない。
この女は信用できない。
ひと目見ただけであっても、それだけは今までのわしの人生を以て断言できる。
「でもぉ、……訊きたくなぁい? 貴方の望みの叶え方」
ピクリ。
思わず耳が動いた、かもしれない。
望み。
それは言うまでもない、剣の高みだ。
剣の道の頂きに辿り着きたい。
そのためなら何にだってなってやる。
それこそがわしの理想。
わしの思い描く未来。
いつか辿り着く場所。
この女はそれを知っているのか。
あるいは、知らずに訊いているのか。
女は、意味深に嗤うだけだ。
そして、その表情を見て察した。
この女は『知っている』。
知ったうえで訊いているのだ。
わしという人間の本質を、見抜いたうえでの提案。
いや、それは謂わば釣り糸だった。
餌をチラつかせて食いつくのを待っている、狩人の目。
そうか、わかったかもしれない。
この女が全身から放つ不快感の正体が。
これはすなわち、『糸』なのだ。
こちらを手招く釣り糸であり、張り巡らされた蜘蛛の糸であり、わしの人生も来世すらも支配しようとする強欲な操り糸。
……乗るべきではない。
理性がそう告げている。
わしの戦いの経験が言っている、この女の甘言に従うべきではないと。
だが、同時に強く揺さぶられてもいるのだ。
剣の頂き。
これを目指さなくなったわしの魂に、一体如何程の価値があろうか。
仮に来世があったとして、剣の頂きを目指さない人生に何の価値があろうか。
わしがわしであるためには、剣の道だけは捨てられないのだ。
剣を諦めるくらいなら、来世など不要。
剣を捨てたわしの魂が輪廻の循環に飲まれ、世界を巡るさまを想像すると吐き気すら覚える。
わしには、剣しかない。
それを捨てることなどできない。
たとえ、この女にしっぽを振ることになろうとも、それだけは絶対にゴメンだ。
「お主は疫病神か何かか……」
「あら、失礼しちゃうわね……。幸運の女神でしょう? ほら、あたしは貴方に夢を与えられる」
「理想をチラつかせて他人を意のままに操る、というべきじゃろう?」
「あら、操られてくれるのかしら……?」
挑発的な赤い舌が嗤う。
とぼけるなよ、小娘が。わしは机からカタログを引ったくった。
言う通りに動くのは癪だが、望みには変えられない。
剣を捨てることは、わしにはできぬ。
せめてもの抵抗にと、女の視線の裏でページをめくった。
どこまで悟られていないかはわからない。
もしかしたらここまで全てが手のひらの上かもしれない。
あるいは、少しは抵抗できているのだろうか。
もしかしたら、抵抗自体にさしたる意味もないのか?
グルグル回る思考を頭を振って追い払う。
集中しろ。
必要なのは剣の技術。
それだけでいい。
それ以外の不要な言葉に耳を傾けるな。
種族の欄から丈夫で寿命の長いものを探してみる。
もっとも長いのは天使族、悪魔族。
ただし、価格はわしの持ち金では足りない。
もっと安いものだ。
それでいて剣術に適した身体が必要だ。
妖精族……、はダメだ。
予算は足りるが、身体の頑強さに劣る種族のようだ。
できれば筋組織の優秀な種族を選ぶべきだ。
妖魔族……?
妖精族とは違うのか……?
筋力は育ちやすいらしい。
寿命も長い。
どうやら精霊と人間の混血が妖精族で、魔族と人間の混血が妖魔族らしい。
精霊は魔法などを得意とする種族らしい。
これはわしには合わんな。
対して魔族は魔力が高い種族で、魔力を肉体に作用させれば身体能力が向上し、体外に放出するなら魔法になるらしい。
精霊なら霊力、魔族なら魔力。
これが力の源らしい。
霊力を肉体に作用させれば妖精族でも身体能力は上げられそうなものだが、さすがにそこまで細かくは書いていない。
まぁ、そこは気にしなくていいか。
妖魔族は全体的に黒い肌と角を持ち、山岳地帯に暮らしているらしい。
険しい環境だからこそ、魔力を身体能力に転換させる技術が開発されたのか……?
まぁ、理屈は気にしても仕方あるまい。
他にも種族はいくつもあるが、俊敏さに劣る鉱夫族はダメだ。
粘膜に覆われている水妖族も武器を扱うのに適していないし、魔族は身体が人外過ぎて剣術どころではない。精霊族も同様だ。
寿命の短い人間族など論ずるにも値しない。
妖魔族、これで行くか……。
種族が決まれば、残りは早い。
記憶の継承で前世の技術を持っていく。
あとは、剣が要る。
剣を適宜修理しながら使っていくなら、武器を作り出す能力は必要不可欠か……。
鍛冶の技術はどうする?
カタログから手に入れられるのか?
だが、どれだけ良い剣があろうと、いつかは壊れる。
必要なのは、剣そのものではなく、剣を自由に創り出す能力か……。
果たしてそんなものが……。
「あるわよ、お客様……?」
本当にこの女は……。
するりと人の心に這入り込んでくる。
「妖魔族は魔力が豊富よ。その力で物質を改変できるの。そうねぇ……、貴方のお金で買えそうなのは、……これかしら」
女が指さしたのは血製魔術。
血を媒介にした錬精を行える能力らしい。
金額は、ちょうど残金ぴったりだ。
まるで最初から計算でもされていたかのように。
わしの鋭い視線にも女は動じる気配もなく、
「良かったわねぇ、ぴったり足りた♪」
手を叩いてわざとらしく喜ぶさまは、バカにされてるようでもあった。
わしはイライラをどうにか飲み込みながら、カタログを机に戻した。
すると、パタパタとページをなびかせながらカタログは虚空へと消えてしまう。
「フフ、それじゃあ早速向かいましょうか。……新しい世界へ」
女が指をパチンと鳴らすとすぐに視界が暗転した。
途端に身体が地面に吸い込まれるような感触がする。
落ちているのか。空に吸われているのか。
視界がないと何もわからないな。
わかっていることは少しだけ。
まず、これはあの女が『何か』したのだろうということ。
その『何か』はおそらく転生のことだろう。
言うなればこれは新しい世界へ飛ばされているということだろうか。
新しい世界がどんなところなのかは知らない。
カタログの中に新しい世界の環境を指定できるような項目もあった気がするが、もう気にしても仕方がないことだ。
残金もなかったし、考えてもわからないからのう。
住めば都という言葉もあるくらいだし、なんとかなるだろう。
……なって欲しい。
……なればいいな。
とはいえ、剣さえあれば満足だ。
そして、血製魔術が使えれば、素材のことなど気にかける必要もない。
どこへ行こうとどうとでもなるだろう。
そう思うと、考えるべきは他にあるような気がする。
たとえば、生まれたばかりの幼子の時代に何をすべきか。
最短で剣を扱うには何をすればいいか。
この時間を使って、計画を練っておくのもいいかもしれない。