第24話 空は晴天。その光で悲しみを焼き殺して
アランとの対面を終えて、真っ先に思ったのは自分に対する驚きだった。
昔から羨望の目で見ていた自覚はあった。けど、それは思った以上にコンプレックスを生み出し、どす黒い衝動へと成り果てていた。
そして、それはアイツも同じだったらしい。きっと俺の中に羨む何かを見出したのだろう。
一歩違えば自分もああなっていたんだろうか。いや、なっていたんだろうな。
俺は運が良かったんだ。力が無かったから、向けられる悪意が少なかった。
本当にえげつない悪意は、いつも善人の顔してやってくるもんだ。だから、それが無かっただけ俺は運が良かったんだ。
そう言い聞かせて、本命の元へと向かう。
足取りは重い。嫉妬と嫌悪だけのアランとは訳が違った。
けれど、本当に俺が向き合わなければならないのはカトレアなんだという事は、アランに言われるまでもなくバカな俺でもしっかり理解していた。
頭の中で無限に湧き上がる『逃げ』の二文字をかき消して、遂に俺はカトレアの前に立つ。
アランの居た場所とは違い、独房の中は傷跡だらけでグシャグシャに荒らされていた。俺の毒で弱体化させてなければ、とんでもない末路を迎えていたかもしれない。
「……ふふふ。キール、わたしに何の用? また殺されに来たの?」
不敵な笑みを浮かべる彼女に、もう人の面影はない。
綺麗な緑の髪も、優しさを兼ねた顔つきも、全部殺意を剥き出しにした狼へ変わってしまった。
カトレアの家族がこの姿を見て、一目で自分の娘だと理解するのは、率直に言って最早不可能。目を背けたくなる有様だった。
「少しだけ、話をしないか」
「貴方と話が出来るなんて、とても嬉しいわ」
「そうかい。俺もある意味嬉しいよ」
そんな三白眼でよく言えたもんだ。
「ねえ、ここから出してくれない?」
「理由を聞く」
「そんなの決まっているじゃない、貴方を殺す為よ」
「実力差なんてもうわかってるだろう。今のお前じゃ俺に傷一つ付けるのも無理だ」
言ってて気持ち悪くなる自信だな。
それに対し、彼女は歯茎剥き出しで醜悪な笑みを浮かべる。
「別に構わないわ。貴方が弱りに弱ってどうしようもなくなるその日まで、わたしは貴方の首を狙い続ける。
そうして、最期をわたしの手で迎えさせてあげられればそれでいいもの」
「……狂ってるよ、お前は」
「だって貴方が憎いもの、しょうがないわ」
「そうか、俺が憎いのか。そんな気はしてた」
「わかっているじゃない。なら、このやり取りに意味なんてないわ」
そうだ、こんな問答に意味はない。
離れた距離でやり取り出来れば、認知の壁を越えてもう少し実のある会話が出来る。
こうやって向き合うと、自分というものを嫌と言うほど見せ付けられるな。
こんなもの二度と味わいたくない、胸がずっと苦しい。
里長さんとまおうサマのやり取りでわかっているのに、それでもこの場に立つ理由は。
「一つ、伝えに来た」
「なあに?」
「俺は、もう二度とお前に会わない」
そう言うと、カトレアは剥き出しの歯を閉じて俺を見つめる。
「清々するだろ?」
「それがわたしに対する最期?」
「本当はもっと言ってやりたいことはあったんだけどな。余計に未練も増やしたくない。適当に会話だけ出来ればそれで良かったし」
内を見ているだけなら、気付くこともなかった。
ある程度聞いたんだ、看守さんからお前の事。
「ずっと俺の名前を呼んで暴れていたらしいな。この傷もその時のものなんだろ?」
「ええ。憎くて憎くて、本当にどうにかしてやりたくてね。この拘束と鉄格子さえ無ければ今すぐにでも殺してやるのに」
「そうかよ。よっぽどこの手で俺を殺したいか」
「当たり前じゃない。わたしは生涯貴方を憎むの」
あまりに真っ直ぐ過ぎて、いっそ眩しくすら感じる。
俺は果たして彼女をこうも一途に思えていただろうか。彼女の好意に乗っかってただけじゃないのか。
「どうして、俺が憎いんだ?」
「言わないわ。この気持ちはわたしだけのもの。誰にも教えない」
そうかよ、そうだったな。
どうして俺が好きなのか聞いた時、頑なに教えてくれなかったっけ。
天井を見上げる。思わず気持ちが溢れそうになる中、どうにか堪えた。
あーあ、嫌になるな。
どうしてこんな事になっちまったんだろうか。もっと上手くやってればこんな事にはならなかったんじゃないか。
「じゃあ、聞くのはやめる。もう二度と聞かない」
「残念ね。本当に最期なの?」
「ああ、最期だよ」
こんな風に、断ち切ることもなかったんじゃないのか。
唾を呑み込む音が聞こえた。
色々な思いが充満しているというのに、ささやかな音すら響く空っぽなこの関係。
それに今、終止符を打つ。
前を向くという傲慢すぎる理由のために。
しばらく、互いに見つめ合った。
ずっと彼女は目を逸らさなかった。俺だけが逸らしそうになって、自分の弱さを見せ付けられた。
俺、お前の事尊敬してたんだ。
好きって2文字だけで、こんな命がけの旅に付いてきてくれるもんなのかって。
だからああやって捨てられた時は本当にショックで、人が信じられなくなったのもそれが理由なんだ。
誰にも言えなかったんだよ。仲間に裏切られたって事でぼかして、本当の気持ちから逃げたかったんだ。
でも、それも今日で最後だ。
気持ちで虚勢を張るなんてヤワな真似はしない。全部言葉にして、全部終わらせる。
遺言に聞いてくれ。
俺がお前に言える最後の言葉を。
深く息を吸って、少しだけ熱が冷めた。
そのまま、熱を息に任せて吐き出した。
「俺、お前の事愛してたよ」
直後、カトレアを縛る大量の鎖が張り詰めた。
鉄格子に手を掛けようとしている。俺を殺そうとしているんだろう。しかし、縛りが邪魔して届きそうもない。
それを理解したのか、言葉にならない悲鳴を上げながら牢内で暴走。もう俺の声は届きそうに無かった。
壁に一つ、また一つ、次々と傷が出来、壁が抉れる。
共に生きた3年間が切り刻まれ、抉られ、消えていく。
「じゃあな」
背を向けると、叫び声が聞こえた。苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
だけど、それを助けられるのは俺じゃない。
共に過ごした日々が最後の抵抗に次々と溢れる。子供の頃から、旅でのやりとりまで。楽しかった思い出たちが、幸せだったあの頃たちが早く戻れと促してくる。
絶対に振り向くなよ。
どんな事があっても、何があっても絶対に。
唇を噛んだ。理性を引きずり戻し、どうにか本能を否定する。
悲鳴が聞こえなくなるまで、気が遠くなるような時間だった。
自室に戻ると皮肉な程に風通しがよく、空も晴天、日差しはいつになく眩しく感じた。
それに対して俺の部屋は取っ散らかって廃墟同然。まおうサマとの喧嘩から何も片付けてなかったからな、しょうがないか。
「掃除、しないとな」
散らばったガラスや器の破片をかき集め、処分していく。
こんな風にならなかった世界は、果たして綺麗だったのか。
もっとちゃんと向き合っていれば救えた未来もあったのかもしれない。
俺がもっとしっかりしていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。
「神威餌なんて、知らなきゃ良かった」
神威餌の効果、それは圧倒的な力を得る代わりに、大事な人への認知を歪ませる。
好意が強くなればなるほど、相手に悪意を抱くようになる。
「ああ、辛い。辛いなあ」
嗚咽で息が出来ない無様な自分。
今だけは、今だけは誰も見て欲しくなかった。
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