第18話 神の見えざる手 集約
苦しんでる。
そう思ったのは、あの人の姿を見てから。
ひょうひょうとしていて、一見誰とでも良い関係が築けているようにも見える。けど、どうしてかあたしにはわかってしまう。
無理しないで、と言ってあげたいのに届かない。そうして日に日に弱っていく姿が、とても強く胸を締め付ける。
真っ白な場所で眠りについて、それからずっとここにいる。
気付けば真っ暗などこかに閉じ込められて、横長の四角に切り抜かれたあの人の生活が目の前の出来事のように延々と見せられた。
話せる人はいない。さっき少しだけ話せた3人もどこかに消えてしまった。それからは独りで気の遠くなるような時間を過ごしている。
助けて、あげたい。
『他に方法が思いつかねえんだよ。さっきからずっと早くしろ早くしろって責め立てるんだよ。お前のせいで今日も人が死んだってずっとボロカスに言われんだよ。こんなのが毎日毎日毎日毎日続くんだ。どうやって諦めろってんだ、どうやって自分に専念できんだ。俺にはわかんねえよッ!』
限界だよね。皆と一緒にいても、あなたの心はずっと独りだった。
それをずっとあたし達に見せないように、ずっと気を使ってくれてたんだよね。
弱音をあまり吐かないから、溜め込み過ぎて潰れてしまうんじゃないかって心配してた。そんなに心が強い方じゃないって事も知ってたから。
だからこそ、本当はそんな重荷捨てて自由に生きて欲しかった。けれど、あなたは優しいからそれを許さなかった。
自分の為にってカッコ付けて、本当は皆の為に頑張って来た。
その姿をあたしは知っている、横でずっと見て来たから。
……これは、あたしの気持ち?
この人に対して思ったこと? 知らない人な筈なのに。
その時、眩しい光が視界を埋め尽くす。目を覆って光を抑えていると、ゆっくりと光が集約した。そして、現れたのは一冊の本。
手に取って本を開くと、沢山の文字の羅列が嵐のようにあたしを呑み込んだ。そして、ありとあらゆる知識が頭の中になだれ込む。
経験なんてないのに、思い出してしまうんだ。まるで昔の記憶を呼び起こすように、忘れていた記憶が掘り返されるみたいに。
それに比例して真っ暗なこの場所が、少しずつ本当の姿を取り戻し始める。次第に暗闇が完全に取り払われて、現れたのは――
「……平原?」
快晴の空の下、そよ風によって揺れる草花たち。そして、丘の頂上に突き刺さった巨大な鉄の塊。丘から伸びた沢山の太く長い配線達がくっ付けられている。
「なに、これ?」
直後、鉄の塊から光が差して、人の姿が映し出される。
そうして現れたのは、真っ白なドレスを着た女の人だった。
広い縁の帽子で蓋をしたブロンドの髪が風に靡いて……ちょっと待って。これ、あたし?
「ごめんね」
悲しそうに微笑んだその人は、申し訳なさそうに頭を下げた。
何か謝られるようなことされたっけ、身に覚えはない。
「何に謝っているの?」
「全部、思い出させちゃったから」
え? それってどういう……
「本当はね、あなたを巻き込みたくなかった。けれど、私達にこの波は止められなかった」
「ちょっと待って。さっきから何を言ってるのかわかんない。あたしに何があったの、あなたが、何かしたの?」
「本当は全部思い出しているはずだよ。あそこに映っているのが誰か当ててみて」
指を差された場所には、暗闇でずっと見せられた四角い領域。誰かの生活が映し出されるその場所に、苦しそうに顔を歪める男の人の姿があった。
「そんなの知らない。筈なのに……なんで」
何であたし、この人知ってるの。
「全部思い出したからだよ」
ああ、何でこんな大事な事を忘れていたんだろう。
お兄ちゃん……
「あたし達のお兄ちゃん。このままだと、運命の鎖に呑まれて消えてしまうわ」
「お兄ちゃんが消えちゃう……? なんで!?」
「夢幻技術を得てしまった者は、例外なくその力に魅了される。けれど、その全てに身を委ねてしまった時、最適化が完了する」
夢幻技術って何。そう言おうとして、声が出ない。
聞いたことなんてない、筈なのにどうしてか知っている。もう、意味がわからなかった。
最適化が始まれば、不要なものは全て排除され、秩序を守る神の化身へと成り果てる。
それはつまり、お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃない別の何かに変わってしまうという事。
わからないのに、わかってしまう。疑問に対して勝手に知識が答えを示してしまう。
なら止めなきゃ駄目じゃない。今すぐにでもここから出て行って……なのに、蓄積された知識はそんなもの無駄だと答えを弾き出す。そして、無意識で納得してしまう。
わかった気になってしまう。わけがわからないよ、どうなってんのあたし。
「無理だよ。その時が来るまであたし達はここに居続ける。そうプログラムされているから」
「さっきからプログラムって何よ。意味のわからない事ばかり……」
意味がわからないなんて、どの口が言うのか。
全部知っている癖に、そんな被害者面出来る訳ないと言うのに。
「ごめんね。全部あたしが悪いの、もっと早く終わらせていればこんな事にはならなかった」
「わかったこと言わないでよッ。それが正しいなんてわからないじゃない!? 他に出来ることがあるはずよ!」
「何も出来ないわ。秩序に生まれた者が秩序に逆らえる訳がないじゃない。人の身でありながら空なんて飛べると思う? 飛べると錯覚したところで、結局は誰かの手を借りて空を飛んだと思い込んでいるだけ。あたし達の手は空を飛ぶ為のものではないのだから」
「何の為だなんて関係ないっ! 目的は自分の頭で考えるのよ、そうしないと結局何かの奴隷じゃないっ!?」
「あたし達は、そういう目的で生まれたんだよ。運命から逃げる事はできない」
「運命は変えられる! 変えたいから弱い自分と戦ってきたっ。まだ全部乗り越えたわけじゃないけど、何も出来なかった頃よりはずっとマシよ。それをあなたが勝手に諦めないでよっ!!」
今のあたしにも出来る事は何かあるはず。どうにかしてお兄ちゃんに伝えられれば……
「頑張って何が変わるの? 何も変わらなかったじゃない。結局いつも通りよ。何をするまでもなく、また一からやり直し」
「そんな事はない。まだ方法はあるはずよ」
考えろ。何か出来る事はあるはずだ、今のあたしには沢山の知識と知恵が集約されている。
その中で何か一つ答えを見つけ出せれば……
「今回のあたしは随分と往生際が悪いのね。一体誰に似たのかしら」
あたしの分身ならわかってんでしょ、そんなの決まってる。
「だってあたしはお兄ちゃんの妹よ、諦めの悪さなら誰にも負けないわ。それにお兄ちゃんにはあの子だっているしね」
「あの子?」
「ムーちゃんだよ、知らないの?」
「身に覚えはないわね」
「おかしいわね。あなたはあたしなんでしょう? どうして知らないの?」
「あたしにもわからない。けど、あなたは知ってるんだね」
あたしは知っているのに、この人は知らない。
「ねえ」
「なに?」
「あたしは知らないけど、あなたが知っていることってあるの?」
「ないと思うわ。だってあたしはあなただもの」
もし、それが本当なら。
「可能性、あるかもしれない」
「何か可能性が見えたの?」
「おそらくだけどね」
「教えてくれる?」
「ごめんね、その日が来るまで秘密」
「そう、残念」
「大丈夫、きっと上手くいくから」
奇跡の予兆であって欲しい。
違う、あたしが奇跡を作るんだ。
この世界のベースに、蛇の叡智とバハムートなんて存在しないという事実を使って。
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