第5話 エンカウントは慎重に
日頃過ごす砂漠と違い、陽の光は控えめで空気も大分澄んでいる。
番兵の検問を潜り抜けた俺は、単身ブスタン帝国の辺境に位置するアドリアナという村に到着した。
村に何軒か建っている建物は成形した石材を隙間なく詰めた外壁で覆われ、赤く染まる三角屋根がうっすらと太陽に照らされている。
もしこの場所が戦時中でなかったなら、オシャレな建物達を羨ましく思ったり、ここに住んでみたいとか考えたかもしれない。
「……これは、ひどいな」
その小綺麗な建物とは裏腹に、外でうろつく村人たちの身なりは随分とくたびれて汚れ切っていた。
ブスタン帝国辺境の村、アドリアナ。
過去の噂通りであれば平穏を絵にかいたような村で、浮浪者がたむろするような場所ではなかったはず。戦争と加重に課せられた税のせいで貧困が広がっているんだ。仕掛ける側は常に何か問題を抱えている。それは大国であっても変わらないらしい。
誰か詳しく聞けそうな人は……あの人がいいかな。
浮浪者達から離れた所でぐったりと壁にもたれ掛って座る男性にターゲットを絞る。
「すみません、ちょっといいですか?」
「……なんだ」
話かけてみた結果、返って来たのは睨みを利かせた一瞥。まあ、想定内だ。
「え、えっと。アドリアナに引っ越した友人を探していまして。ユニスタという名前の奴なんですが」
当然、そんな名前はデタラメ。
だが、こんな切羽詰まった状況で、かつ目先の物に囚われる人間にはこのハッタリが存外役に立つ。
「へっ、この村に来たのが運の尽きだな」
「一体、何があったんです……?」
「おっと、それはおいそれと言えないねえ。こちとら日々を生きるので精一杯でねえ」
「はあ……」
食料だろ、知ってる。
けれど、察しが良すぎると怪しまれるんでね。余計な散策をされない為にも、ここは一遍バカを演じさせてもらう。
「鈍い奴だなァ。ホラ、生活が厳しい奴には喉から手ェ出る程欲しいモンがあんだろ?」
「……お金ですか?」
「なるほど。お前、相当なボンボンと見た。飢餓状態に人が求めるのは金じゃあねえんだよ」
ビンゴ。こっからが腕の見せ所。
「お金じゃないって、一体どういうことですか?」
釣れた男はさも人を馬鹿にした様子で、ていねいにアドリアナについて事情を教えてくれた。
「お前、この国の人間じゃないよなァ。俺達アドリアナの住民はそりゃあ、そりゃあひもじい思いをしていてよお。重税に重税が重なって、商人もいなくなって誰も飯が喰えなくなっちまった。風呂もどれだけ入ってねえのか覚えてねえ」
やつれた顔で声を枯らしながら吐き捨てる不満。
それは傍から見たら汚く見えるかもしれない。でも、間違えちゃいけない。
これは掃き溜めじゃない。人の涙だ。
「へ、へへへ。そういう事だからよ。そろそろいいだろ? 懐から、お前から臭うんだよっ。美味そうな飯の匂いが」
口から涎を垂らしながら乞うのをなだめつけて、まず最初に水の入った水筒を渡してやる。
「ゆっくり飲んでください」
そう言って水筒を渡すと男はひったくる様に奪い取り、ぐびぐびと音を立てながらすぐに飲み干した。
「エホッ、ガハッ、ガハッ」
「言わんこっちゃない。だからゆっくり飲めって」
むせる男の背中をさすってやりながら、そっと用意していた携帯食料を差し出す。それにもガッついて男はむしゃむしゃと食べ散らかした。
飢えってのは辛い、尋常じゃなく辛い。
食べたいものが食べられない、とかじゃなくて純粋に物がないんだ。選択が出来ないってのは本当に心に来るもんで、子供の頃俺も似たような目にあったことがある。今はそれなりに金を持っていて飯も調達できるから喰うのに困ってないけど、当時は本当に辛かった。
思い出すだけで嫌になる記憶だ。
「へ、へへっ。神様って奴は俺を見放してはないらしいなぁ。礼を言うぜ、ダンナ」
「お気になさらず。自分も出来るだけ早く友人を探したいので……」
そう言うと、ふっと男は鼻で笑い――
「おめえ、いい男じゃないか」
「どうも……」
男は目を細めてニヤリと笑うと、「礼をさせろ。付いて来な」と言って路地裏を指さし、その先へと案内した。
連れられた薄暗い一直線の細道を通り抜ける中、横でたむろしている村人たちが訝しげにこちらを睨みつけてくる。
「あのー……本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。気にすんな」
本当に気にしなくて大丈夫なの? 滅茶苦茶怖いんだけど……
ズカズカと先へ進む男に付いていきながら、やっぱり断ってずらかれば良かったと後悔が過り始めた時、男はある場所で立ち止まる。
立ち止まった場所で待ち構えていたのは、所々表面がヒビ割れている随分と古びた建物だった。
看板はネジが外れてナナメに垂れさがり、両開きの扉も片方が外れて右側しかない。言うなれば街並みの現状にふさわしいボロ屋。居住区に比べて随分とまあ……
「ここ、ですか?」
「おう、俺の店だ。入りな」
言われた通りに中へ入ると、外の景色に比べて随分と綺麗に掃除された一室になっていた。部屋の横から横を横断する長机。木製の棚の中に並べられた酒瓶。木樽を加工して作られた椅子。木目が良い感じにテカったおしゃれな床。
なるほど、おっさんはこの酒場の店主ってわけか。
ひとり合点の言った俺をよそに、おっさんは店内に居たもう一人の客に声をかけた。
「じいさん。こいつであってるか?」
じいさんと呼ばれた先には顔がしわしわになった白髪のおじいちゃんは、くつろいだ様子で樽の椅子に腰掛け長机にもたれ掛っていた。俺と目が合うとにっこりと笑いながら手を上げて、
「おお、店主さんや。助かったわい」
「まさか、本当に来るとは思わなかったぜ。ひょっとして……」
「年寄りになると勘が働くんじゃよ」
世間話が始まった。警戒心とは真逆の力の抜けた空気に、思わず脱力しそうになる。
「まあ、細かいことは座りながら話そう。そこのお兄さんや、ちょっと一緒に話をしないかい」
おじいちゃんが椅子からひょいと降りた。
おお、俺の半分位の高さしかない、すげえちっちゃい。そんな俺の失礼な感想にも気づかないまま、ニコニコして隣の席へ手招きするおじいちゃん。
しかし、変わった服装してるなあ。ダボダボになった半袖のシャツ、丈が膝元迄しかないズボン。この近辺だったら確実に見かけ無いだろう格好だ。どっから来たんだこの人。
「へ? あ、いや。申し訳ないんですけど、あまり時間が取れなくて……」
「急いでいるのかい。若いのに大変だねえ」
「ははは……」
しかしこのおじいちゃん、本当に一人だけ時間が遅く動いているのかってくらいのほほんとしている。
そう、腐っても俺はこの村へ潜入しに来た。情報が仕入れればそれで良かったけど、情報収集に使えるのは3時間。こんなことでモタついている暇はない。
はやる気持ちに反してスローで返ってくる反応。そして生まれる脱力感。ちょっと落ち着くなあ、と思いながらもずっとこうしている訳にもいかない。ほんの少しのむず痒さと申し訳なさを感じつつ一礼して立ち去ろうとした。
――途端、消し炭にされる程の猛烈な熱風が全身を貫通。
焼き尽くされて塵に分解される手足、息の詰まる圧力、死んだという絶望。意識が追いつかずこれが幻覚だと理解する頃には、衝動的に体が半歩下がっていた。
訳が分からなかった。一体何があった。
でも知っている。俺は知っていた、この恐怖を。
俺らみたいな奴等にしかわからない、それが現実だと彷彿とさせる程の具体的な殺気と絶対的な威圧。本当に死んでるなら体が半歩下がるなんてわかるわけない。
「そんなに生き急がなくてもいいじゃろうに。この出会いを楽しもうぞ、蛇の叡智」
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