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竜に喰われてやり直し  作者: 木戸陣之助
第四章 全てを知り、全てを能う
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第2話 神の見えざる手

 現実から切り離された体が、脱力して深い海の底へ沈んでゆく。

 

 何も見えない状況でここが海かどうかなんて知る訳ないけど、そう思ったのは、傷ついた体を包み込むやさしい肌触りが、子供の頃ひとり海に潜った時の記憶とリンクしたから。

 

 下へ落ちれば落ちるほどそれはより顕著になっていって、理性なんて放り投げてしまいそうな解放感が心に浸透していく。


 確かお兄ちゃんに黙って、ひとりで近くの海に行ったんだよね。それがバレて怒られて、拳骨を貰って泣いたんだ。

 それから、それから――駄目だ。何だったのか思い出せない。

 

 大切な記憶もひとつひとつ、ゆっくりと手放し、それが暗闇を淡く照らす泡となって、水面に昇る姿を眺めながらあたしは独り闇に解けていく。


 今、自分に残されたのは、暖かい毛布に包まれたような感触と無駄にハッキリした意識だけ。光が差し込まなくなったのはいつからだとか、そんなことはずっと昔に忘れた。そんな気がする。

 

 スローモーションに時が進む中、暗闇へ堕ちて、堕ちて、堕ちて。もがこうにも体すら手放しているようで、手足の動きが追いつかない。


 ただ、何かに包まれるだけの不自然な安心感に晒されて、始めは元の世界に帰ろうとしたけど、そこに居れば居るほど、病みつきになるソレを自ら欲しがるようになっていった。


 あたし、そもそも何をしてたんだっけ。

 確か、お兄ちゃん達と一緒に魔王城に行ったんだよね。そこで何してたんだっけ。


 ……なんでだろ。何も思い出せない。

 でも、思い出せなくてもいいかもしれない。このまま海に包まれて消えるのも悪くないかもしれない。


 このまま、全部忘れて居なくなっちゃえばもう苦しむこともない。

 頑張るから苦しいんだ。報われない努力ほど辛いものはない。この世界は理不尽だらけ。個人の力ではどうしようもない。


『――』


 ほんのわずか、かすれるような音が鳴った気がした。

 それは気のせいではなく、はじめノイズにしか思えなかったのが、次第に耳へ届く毎に骨格を作り上げ、最後には人の声と認識できる位にハッキリした。


『そこで寝ていろ。貴様の望む景色を見せてやる』


 あたしは何故かソレにやさしさを感じている。感じさせられている。


『大丈夫さ、敵じゃない。何も見ず、何も聞かず、何も知らぬままこの場所で一つになればいいのだから』


 そうすればこの苦しみも消えてくれるの?


『そうだ。そうすれば全部忘れて楽になれる』


 そうなんだ。じゃあ、このまま。


『私に全てを委ねろ』


 もう疲れちゃったし、いっか。

 大事なことを忘れている気がする。あれ、大事って何でそう思ったんだろう。

 

 あたしは一体――



「えっ!?」

 

 一瞬で場面が切り替わると、あたしはいつの間にか椅子に腰掛けていた。

 縁が金で、赤と青の宝石が手すりに埋められたいかにも高そうな椅子。一面真っ白な空間にポツンと置かれて、それ以外何もない。さっきまでの暗闇が嘘のように反転した世界。


「は?」


 何でここにいるのとか、そんなヒント白一色から見つけ出せるわけもなく。

 ってか、ここどこ。


「気が付いたようだね」


 へ?

 抑揚のない声と共に、目の前に現れたのは腰まで髪を伸ばした人間……違う。頭から伸びる角らしき突起物を見るに、魔族? 姿が黒く塗りつぶされてシルエットしかわからない。あと背が高い。


「危ない所だった。もし、あのまま闇に飲まれていれば、君は一生体を乗っ取られていた」


「ちょ、ちょっと待って。一体どういうことですか?」


「どういう事って、君が呼び出したんだろう?」


「いやいやいや、呼ぶってどうやって……そもそも貴方達はどなたですか」


「……やはり君達は兄妹だよ」

 

 何言ってんのこの人、意味わかんないんですけど。状況についていけず困惑していると、魔族らしき人の後ろから二つの黒いシルエットが現れた。片方は10歳前後の子供位の大きさで、もう片方は女性みたいな丸みを見せつつすらっとした体型。あと胸が大きい、羨ましい。


「ここに集まったのは他でもない。アレの掌握を阻止する為だ」

 

「アレってなんですか?」


「記憶が飛ばされたか、それとも既に手遅れなのか――手遅れなら僕達はここにいないか、ふむ」


 何勝手に自己解決してんの。あたしの質問何も解決してないんですけど。

 露骨に不機嫌そうな顔をしてみたけど、どうやらこの三人は仕事を終えられればそれでいいらしく、ずっと不機嫌なまま放置された。


 置いてけぼりのあたしを置いてシルエット達は何かを話し合っている。それも妙に長い。腕組みしながら待っていたけど、話は一向に終わりそうにない。


「あのー……」


 椅子から立ち上がりお姉さんのシルエットに話しかけてみる。

 返事はない。

 

「あのーー」


 お子様サイズのシルエットに話しかけてみる。

 やっぱり返事はない。

 

「あのー!! ちょっと聞いてる!?」


 三回目。揃いも揃って何言ってんだコイツ、みたく鬱陶しそうに振り向いた。

 いや、主役のあたし蚊帳の外なんですけど。


「今、話すことを取りまとめているんだ。整理し終わったら呼ぶから大人しく待っていてくれ」

 

「ちょっと。時間少ないんだから巻きでいこうよー。オレ達が此処にいられるのもいつまでかわからないんだからね」


「お嬢ちゃんは少し静かにしていてね。今は大人の時間」


「……なによ。わかった、静かにしてればいいんでしょ。静かにしてますよーだ」


 三人はまた主役のあたしを放置して井戸端会議みたいなことを始めた。

 そうですか。それなら勝手に聞いちゃいますよ。


「――、―――、……!!」


「―――――、……? ――」


「―――、――。――」


 ……何言ってるのかぜんっぜんわからない。専門用語的な奴? これホントに人の言葉?

 よくわかんない単語達がペラペラ飛び交って全く頭に入らない。無理。


 結局、待つ以外の選択肢が無くなったあたしは、年相応に早くおわってくれないかなーとか、ここはどこかなーとか、あたしが呼んだとか意味わかんない。何言ってんのとか、不満と愚痴をこぼすことで時間を潰した。


 そして、そんな暇つぶしも時が経てばいつかは飽きが来るわけで。

 いい加減待つことに我慢の限界がきた時、話にケリがついたのか、シルエットのうち背の高い方が動いた。


「まず、君に伝えなければならないことがある」


「な、なによ……」

 

 動揺するあたしの前に立つ三人。それぞれの顔が見えない筈なのに、何故か大事な話をする時の真剣さが伝わってくる。

 内、ノッポのシルエットが先に言葉を発した。


「君の兄を救いに来た」


「あに?」


「キールの事だ。それも忘れたのか?」


 きーるって、誰?

 それを頭で文字にした瞬間、何故かとんでもない後悔のような辛い気持ちが押し寄せて来た。思い出せないのに胸がゾワゾワして止まらない。

 思い出せないって、何でそう思ったの? あたしはきーるって人を知ってるの?


「……ごめん、わからない」


 それを口にして、何故か胸が苦しくなった。

 あたしは、何か大事なものを忘れちゃったんだろうか。


 それを感じ取ってくれたのか、ノッポのシルエットは「謝ることじゃない」と言ってくれた。

 初めて会ったのにやさしいね。けれど、それも一瞬で直ぐに現実へ引き戻される。

 

「でも、このままでは良くないという事は、わかっているんだろう?」


「それは……」


「確かに君の記憶は奴に奪われた。けれど、君はまだここにいる。訴えているはずだ、このままで良いのかと」


「選ばれた人間はそれ相応の働きを示さないといけないわ。お嬢ちゃん、残念だけれどこれは運命なの」

 

 このノッポとお姉さん一体何を言ってるんだろう。

 あたしはごく普通の人間だよ。何の力もないし、取り得だってない。凄いのはお兄ちゃんだ……あたしには、なんにもない。


 ――あれ。今あたし、お兄ちゃんって。


「オマエの兄ちゃん、今もひとりで戦っている。けど、それは破滅への道。救えるのはオマエしかいないんだよ」


「ちょっと待って。いきなり言われても――」


 突然真っ白な空間に色が付き始めた。にじみでた色が群がりリアルな景色を作り上げていく。

 そうして出来上がったのは、一人の男を上から見下ろした姿。


「時間が無い。今から君には彼の現在(いま)を見てもらう。救えるのは君だけだ」


「え、ちょっと……!?」


 直後、急に眠気が襲ってきた。抵抗できず体が脱力して、頭に大きな(もや)がかかったように思考が定まらなくなる。

 そのまま抑えきれない強烈な眠気と包み込まれるような暖かさに引きずられるように、意識を手放した。


 

「これで、良かったんだろうか」


「こうするしかないんだ」


「謝らなきゃね、二人に。でも、これで()()だから」

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