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竜に喰われてやり直し  作者: 木戸陣之助
第五章 希望の光
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第1話 オプティマイズ

 果たして、これは現実か。

 女の視界に難は無い。むしろこの体は他の種族に比べ、五感が優れていることを自覚している。単純に信じられなかった。否、夢であって欲しいと祈っていたかっただけだ。


 1年前、女は主の下を離れることを決めた。

 あの日、イモウト殿と呼称して慕っていた主の妹が、ストーリー・テラーに飲み込まれ、遠くに消えていく様を黙って見るしかできなかった。その失敗を主に叱咤されても尚、恐怖で動けなかった己の弱さが許せなかった。弱さを少しでも克服しようと思ってのことだった。


 そして帰ってきた今、女は思わず口を覆った。鋭い瞳が映すその凄惨な光景に動揺が隠せない。

 今でこそ燃える赤髪を携え、密着した黒服を纏う長身の美女だが、その正体は歴史上、多くの者に畏怖され続けてきた竜。何千年もこの世界を生き、様々な生き死にを見てきた存在だ。


 だが、そんな過去も頭から抜け落ちる程、現状は酷い有様だった。

 

「一体、何があったッ!?」


 血の様に赤い空の下、荒地に(たたず)む魔族の中枢、魔王城。その上半分は巨大な化物に喰いちぎられたように(えぐ)れ、室内が剥き出しになっている。

 王は見てくれこそあどけない少年だが、しかし他を圧倒する力を持つ。竜という強者に属する女が認める程の実力だ。


 それが成す術もなくやられたという事実。


「嘘だ、嘘であってくれ」


 急ぎ背から翼を生やし飛翔。そのまま城門へと一直線に滑空。近づけば近づく程その凄惨さが鮮明になる。

 焦りや動揺は速度に直結した。鞭を打つように翼を羽ばたかせ、夢中で王の元を目指す。


 城内に飛び込むと、既に大量の死体が転がっていた。床には破壊された武器達が放り出され、中には原型を留められず粉々に飛び散った金属片も垣間見えた。


 心の中で弔いの言葉を並べ、捨て置くしかない己の無力を後悔しながらも、長く続く廊下をひた走る。


 そして、王室へと辿り着いた。

 豪勢な調度品等が並べられていた筈の室内は、見るも無残な姿になっていた。外壁は黒く焼けこげ、所々天井も崩れ落ちて、廃墟と言っても差し支えない有様だった。


「……バカ王子ッ!」


 中心で力なく倒れる魔王。一目散に駆け寄るが小さな体は既に冷たい。女の手からすっと力が抜けた。


 誰が、誰がコレを――

 

「遅かったな」


「へ?」


 気付かなかった。否、気付けなかった。声がするまで、まるで気配を感じなかったから。

 声のした方角を見ると、中背の男が足を組んで王座に腰掛けていた。金髪を肩まで伸ばし薄手の鎧を着た彼は、頬杖を突き、目を閉じたまま笑みを浮かべている。

 

「待ちくたびれたぞ、我が僕」


 その似合わない口振りに違和感が隠せない。しかし、そんな竜の心境など眼中にないらしい。依然、態度を崩さない。


「おい、一体何をしているんだッ。バカ王子が息をしていない、早く手当を……」


「死んでいる人間をどうやって助ける?」


「何でそうも冷静なんだッ、ゴシュジンはそんな冷たい奴じゃ――!?」


 見開かれた瞳に、女は戦慄した。

 出会ってから常日頃慕っていた穏やかな目は、見た事も無い程に濁り、冷え切っていた。

 疲れてくたびれた顔をすることはままあった。けれど、彼の持つ優しさは、いつどの日でもそこにあった筈だ。


 それが、消えていた。本人を精巧に真似た人形とでも喋っているみたいだった。


「何者だ、貴様……ゴシュジンを一体どうした」


「何を言ってる? 主は()だ」


「姿等どうとでも偽れる。貴様が殺したのか、この城を、皆をッ!」


「さあ、どうかな。そんな事はどうでもいいじゃないか」


 息絶えた友人に見向きすらしない主の姿をしたナニカ。その振る舞いに、女の怒りは一瞬で沸点を超えた。

 女は間合いを詰めて男の前に接近すると、右手を人間から竜のソレに変え、鋭利な爪で男を縦に引き裂いた。


「なっ!?」


 が、手応えはなかった。代わりにやって来たのは、粘り気のある何かに触れたような奇妙な感触。


(しもべ)の身分で主に仇を成す、か」


 ボソリと男が呟く。すると深い傷跡がみるみる内に埋まり、抉れた鎧までも元に戻される。


「なっ……その力ッ、一体どこで!?」


「どこでも何も、私がこの力の所有者だ」


 信じられなかった。この異様な冷たさを放つ男が、己の慕った主だという事実が。しかし、あれほどの傷を一瞬で癒す力、主しか持ち合わせていないはず。その矛盾がより女を混乱させる。


「まあ、この程度のじゃれ合いは許そう。幸いにして今の私は非常に気分が良い。それに――」


 男が女に向けて指を差す。直後、針のような指先が女の首元にそっと触れていた。

 瞬く間に伸長していた。余りの速さに女の背にどっと冷や汗が沸き立つ。女はすぐさま後ろに逃げ、間合いを取った。


「自浄作用が効いている。やはり殺せるのは同類のみか」


 つまらない、と言いたげに鋭く伸びた指を元に戻す。

 その一連の所作に女はたじろいだ。一切の躊躇がなかった、もし可能だったなら確実に死んでいた。


 主の下を離れて一年。慕っていた主の姿も、それなりに鍛錬を積んできたという自負も諸共、粉々に砕け散った。

 それが悲しくて、女は涙を溜め、子供のように喚き散らす。

 

「本当にゴシュジンなのかッ? だとしたら、何があってそうなったんだ!?」


「覚めたんだよ、夢から」


「覚めた……?」


「夢を見ている間は不完全、進化まで仮初の力を明け渡される。その夢を全て喰った時、真の力に目覚める」


 目の前の男が何を言ってるのか、まるでわからなかった。けれど、あの一瞬の出来事が果たして昔の主に出来たかといえばわからない。

 当時ですら圧倒的な戦力差があったのに、さらに強さを増している。突きつけられた事実が、よりおぞましさを際立たせている。


 思わず女は尋ねた。「それが、この酷い有様の元凶なのか?」と。しかし、その問いに返事はない。代わりに男は天を見上げ高らかに笑った。息を切らし、むせる程の爆笑だった。


 その後突如無表情へと変わり、


「まあ良い。私は今、ようやく天命を全うできる」


「え?」


「思い残す事はない。後は、平和を成し遂げるだけだ」


「平和を目指す……この有様と何の関係が」


「言葉にしたところで理解できないだろう。そこで大人しく不毛な地が慣らされていく様を見ているが良い」


 そう言うと、王座から立ち上がった。


「ちょっと待て、本当にゴシュジ」


「お前は、もういらん」


 その後、爆発的なエネルギーが男を軸に噴き出す。嵐のような勢いに女は成す術もなく吹き飛ばされた。その様を流し目で見た男は、そのまま跳躍。天井を突き破り、遠くへ行ってしまった。


 吹き飛ばされて壁に打ち付けられ崩れ落ちた後、起きあがろうとして、その力が湧かない事を主がいなくなって漸く認識した。

 

「ワシのせいなのか?」


 出会って短いながらも、色濃い日々を過ごしてきた自負はあった。自分にとってかつてないほど充実した日々だった、大切な時間だった。けれど、あの様変わりした主を見ると、もう憧れの人は壊れてしまったようにしか見えなかった。


「そうか。ワシは選択を間違えたのか」


 長い時間を生きたからこそ、これ以上取り乱すことはしなかった。けれど、腹に落ちたのを自覚した。自分は取り返しのつかない失敗をしてしまった事を理解した。


「ワシは、弱いな」


 ぽつぽつと雨が降り始めた。それはまるで誰かが泣いている様だった。

 もう道を示してくれる誰かはいない。このまま余生を過ごそうか、そう脳裏に過る。そんな無様な自分が情けなくて、また涙がこみ上げそうになる。


 胸が痛い、苦しい位に。

 女はまた一つ理解した。


「ゴシュジンは、これと戦っていたのか」


 これ程の苦しみを抱えながら前を向いていたのか。ずっと希望を口にしていたのか。その事実がより主の強さを鮮明にし、己の弱さを証明した。


「ふふふ、やっぱりゴシュジンは凄いなあ」


 女は感動した。自分の見る目に心底感謝していた。

 こんな無様な姿になっても尚、前を歩いた彼の生き様。それを間近で見られたことを。


 もし、彼だったら今をどうする。

 今、この時を後悔している暇はあるのか。

 地べたに這いつくばるままで良いのか、ワシは誰の背中を見てきた。

 腐っている暇はない、今こそ強くなった己で彼を救う時。


 背を見せ続けた彼はこんな時どうした。

 それをワシは、知っている。


「なら、やるべきことは一つだ」


 どうなった所で答えは何も変わらない、ワシはゴシュジンの相棒だ。主君が困ったなら助けるのが道理だろう。

 

「ゴシュジン、ワシがまた夢を見せよう。だから、もう一度やり直すぞ」


 竜は誓う。その瞳にもう涙は無かった。

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