第九話
20歳になったレイチェルにエミリーから誕生日プレゼントが届いた。少し大人っぽい髪飾りと香油だった。そういえばお手入れなんてしばらくしていなかったから灰色の髪は少しパサついていた。そして、手紙の中にはエミリーとゴドリーの結婚式の招待状も入っていた。絶対に来てねと書かれたそれを見てレイチェルは微笑んだ。出席する旨と誕生日祝いへのお礼をすぐに書いて郵便配達の少年に渡した。鏡台の上に置かれた髪飾りを見て、エミリーの結婚式にはこれを付けていこうと考えた。
少し前までは賑やかな家にお世話になっていたので一人暮らしの家は狭いのにちょっと寂しかった。鏡台とベッドと行李と小さなキッチンとトイレだけで風呂はなかった。家賃も安いし職場にも近い。マーサの家からは少し遠くなったけど今でも良く遊びに行く。リーゼは妹たちが煩くて集中できないとこの家に来て勉強をしていることもある。
この街には図書館がある。高等学校があるため教育に力を入れているのだ。どうして図書館じゃなくてこんなに狭い家に来て勉強するのかとリーゼに聞いてみた。
「ねえ、リーゼ、この近くに図書館があるでしょ?どうしてそこで勉強しないの?」
「ああ、本は借りるけどあそこで勉強してると雑音がすごいのよ、女のくせにとか庶民のくせにとか煩くて、家も煩いし。ねえ、レイチェル、あなたが留守の時もここで勉強しても良い?どうしても国家資格を取りたいのよ」
「良いわよ。鍵は鉢植えの下に置いてあるわ」
「それってちょっと不用心じゃない?」
「盗むような高価いものなんてこの家にはないわよ」
「あなたがいるでしょ、一応嫁入り前の女性なんだから」
「まさかぁ、そんな奇特な人いないでしょ」
「いると思うけど。フレディとはどうなったの?」
「どうって言われても何も始まってないわよ」
嫁入り前と言われたけど実は既婚者だと伝えたらリーゼは驚くだろうなと思った。フレディには何度かデートに誘われたけど断り続けていたらもう一軒のパン屋の娘と懇ろになっていてよっぽどパンが好きだったんだなと笑ってしまった。その娘はパンみたいな黄金色の髪とふくふくした白い頬が可愛らしい人だった。
それを見てレイチェルは安心した。恋はもうしないとは言わないけどまだ心にはジョセフがいるのだ。最後の夜に見た射抜くような青い瞳を思い出して顔が熱くなった。もしかしたら新しい妻を迎えているかもしれないなと思った。エミリーも最近は手紙にジョセフのことを書いてこないのでその予想はあながち間違いではなさそうだ。
「まーた空想の中に入っちゃって、おーいレイチェル!鍵の場所は変えなよ、あとお金は私が出すから合鍵作って」
「あ、ごめんごめん、ちょっと考え込んじゃった」
「ふうん、もしかしてその指輪の相手のこと考えてた?」
「うん、ちょっとだけね」
「指輪をつけてるってことはまだその人のことが好きなのよね?もしかして死別とか?」
「ううん、ちょっと複雑な事情があるんだ」
そう、と言ってからリーゼはまた勉強を始めた。双子はともかくとしてリーゼがこういう話をするのは珍しかった。もしかするとそういうことに興味を持ち始めたのかもしれないなと考えた。17歳といえば結婚できる年齢だ。リーゼはまだしばらく学問の道に進みそうだけど気にはなるのかもしれない。かくいうレイチェルもその年齢の頃には興味津々で人の恋の話を聞いていた。
◇◇◇◇
レイチェルはエミリーの結婚式に出席するために馬車に乗った。店長が持たせてくれたベーコンのパンを食べながら牧歌的な風景を眺めた。隣に座った少年がじっと見ていたのでチーズの入ったパンをひとつあげた。
彼は勢い良く食べると右手を差し出した。おかわりが欲しいようなので木苺のデニッシュをあげるとそれも勢い良く食べてからレイチェルの右手を引いて、その手のひらにありがとうと書いた。そこでレイチェルは彼が声を出せないことに気付いた。行く先を聞くと奇遇にも同じだったので良ければ同行しようかと聞くと頭をぶんぶんと振って同意した。
街を離れるときにはマーサに親切にして貰った。だから今度はレイチェルがこの少年に親切を返そうと考えたのだ。少年は親戚の結婚式に出席するという。もしかしてそれはゴドリーさんのことかと聞くとこくりと頷いた。こんな偶然があるんだなと思って自分も新婦の友人として出席することを伝えると少年の瞳は嬉しそうに輝いた。
1年ぶりに訪れた街はあまり変わっていなかった。レイチェルはまずマーサの姪にお土産を届けに行ってからエミリーの新居へと向かった。ゴドリーさんは仕事で会えないらしいが久しぶりにエミリーに会えるのは嬉しかった。
青い屋根の家のドアをノックするとエミリーが顔を出した。前に見た時よりも長くなった赤い髪はつやつやで、結婚式に対する熱意が伝わってきた。
「エミリー!久しぶり。結婚おめでとう、会えて嬉しいわ」
「レイチェルー、来たから許すけど薄情なやつめ。会いたかったわ。それで、その後ろの子は誰なの?まさか新しい恋人?若すぎないかしら」
「ゴドリーさんの親戚らしいのよ。馬車で乗り合わせたんだけど喋れないみたいで一緒に来たの」
「ん?ゴドリーの親戚で来るのって確かお兄さんだったと思うんだけど、もしかして息子さんとかなのかなぁ?未婚だったって聞いてるけど」
少年はエミリーの手を引いて手のひらに文字を書き始めた。
「ん、なになに?俺がゴドリーの兄だ、またまたぁ」
「ゴドリーさんって何歳なの?」
「22歳よ。この子はどう見ても15歳くらいでしょ、計算が合わないわ。でも瞳の色は似てるかも。赤い瞳は西の国に多いらしいわよ」
少年はムッとした顔をしていたが諦めたのか椅子に腰掛けた。彼は何か伝えたいようだがなかなかコミュニケーションが難しい。レイチェルはエミリーに石板がないかと聞くと奥から大きい石板を持ってきてくれた。それを少年の前に置くと彼は思ったよりも綺麗な字で書き始めた。
《俺の名前はエド、ゴドリーの兄だ。今は呪いのせいでこんな姿になってしまって言葉も喋れないがもう成人している。弟の結婚式と呪いを解く手がかりを得るためにこの街に来た。魔法使いが最後に確認されたのはこの街と聞いた。何か知っていることがあれば教えて欲しい》
「あらぁ、なんて奇遇。レイチェルが魔法使いのおばあさんと友達なのよ」
《レイチェル、是非その人を紹介して欲しい。この姿だと仕事にも支障が出る。どうか助けて欲しい》
「わかりました。しばらく会っていなかったんですが呼びかけてみます」
レイチェルは2人に待ってもらって人がいなさそうな茂みで彼女の名を呼んだ。最後に会った時に聞いたこの名前はなるべく人には教えたくないらしい。
「ルナさん、いますか?」
「久しぶりだね、お嬢さん。何か困りごとかい?」
「はい、とりあえずあの家まで来てもらえませんか?」
「わかったよ。しかし、久しぶりだね、元気にしていたかい?」
エミリーの家でエドの呪いについて聞くとルナは困った顔をした。
「これは魔女の所有の呪いだ。この姿になる前に何か魔女のものを盗んだり壊したりしなかったかい?」
《そういえばこの間脱税で捕まえた貴族の家で花瓶を割ってしまったけどまさかそんなことで呪われたのか?どこにでもあるような白い花瓶だった。それ以外には思い至る節がない》
「多分それが原因だろうね。その花瓶のかけらがあれば呪いを解くための方法も見つけやすいんだけど持ってはいないね?」
《部下に連絡して探させる。それがあれば呪いが解けるのか?》
「完璧にとは言えないけれど、多分できるはずだよ。あと、見た目だけなら今すぐ戻せるよ。得意分野なんだ。どうする?」
《元の姿に戻して欲しい。善き魔女よ、助けてくれてありがとう。レイチェルとエミリーにも感謝している》
ルナがポケットから取り出した銀の杖を振ると赤い光がエドを包んだ。光が消えるとそこにはビリビリに破れた服を着た筋肉隆々の逞しい男性がいた。
「わぁ、これは絶対にゴドリーのお兄さんね」
エミリーが呑気な声でそう言った。レイチェルは見てはいけないと思い慌てて両手で顔を覆った。
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後半の話の転機の回からタイトルが変わります。