第五話
ジョセフが何とかすると言えば何とかなるということをレイチェルは身を持って知った。失敗してしまった結婚式も彼がフォローしたらしい。次の日に心配そうなエミリーが屋敷に見舞いに来た。彼女はレイチェルを抱きしめた。
「もう!心配したのよぉ、マーサさんが絶対に大丈夫って言うから帰ったけど一時は騒然としてたのよ。みんなポカーンとしちゃって、でもレイチェルが無事でよかったわ。何か悪い病気なのかって心配したんだから」
そう言う彼女の目は充血して青いクマが出来ていた。本当は昨日の夜に来ようとしたらしいがそれは使用人たちに止められたらしい。
「ごめんね、実はコルセットがキツくて苦しくなっちゃって…」
「えっ、そんな理由だったのぉ?でもまあ元気なら良いわ。あの後、披露宴会場でみんなで食事をしながら執事さんの手品やマーサさんの歌を見て盛り上がっちゃった騎士団の方々が腕相撲大会を始めちゃってすごかったんだから。わたしもう途中から何が何だかって感じだったわよ。あ、そういえばレイチェルにはちゃんと言ってなかったわね、結婚おめでとう!幸せになってね」
「ありがとう、エミリー何とか頑張ってみるね」
「うふふ、わたしも実は昨日レイチェルの幸せのおこぼれじゃないけど素敵な人と知り合ったのよ。ゴドリーさんって言うんだけどすごく優しくて、筋肉がすごくて…腕相撲も2位で、とにかく素敵なの」
「2位なんだ」
「そう、1位はなんか山みたいな髭のおじさまだったわ。ゴドリーさんもとっても強いのに赤子の手を捻るようでね、あれはきっと名だたる騎士様だと思うわ」
エミリーの冷静な推測は多分当たっている。きっとその髭のおじさまがジョセフの言っていた偉い人なのだろう。昨日はブーケトスが出来なかったけれど彼女に素敵な出会いがあったのなら良かったなとレイチェルは思った。しかし、エミリーは筋肉ムキムキが好きだったんて知らなかった。でも、彼女が嬉しそうだからレイチェルも嬉しくなったのだった。
エミリーが帰った後、ジョセフの部屋のドアをノックするとすぐに開いて彼が出迎えてくれた。仕事の途中だったようで机の上には書類が散らばっていた。
「やあ、私の一番星。今日もとても美しいね」と言いながらジョセフはレイチェルの指に口付けをした。彼の褒め言葉にはどれくらいのパターンがあるんだろうとちょっとだけ考えて、無意味なのでやめた。
「ジョセフ様、こんにちは。お仕事の途中にすみません」
「良いんだよ、丁度休憩しようと思っていたところだ。気分転換にサンルームでお茶にしよう。珍しい薔薇が咲いたんだ。君に見せたくてね。勿論美味しいお菓子も用意しているよ」
「ありがとうございます。楽しみです」
「はぁ、こんなに美しい人が私の妻なんて、こんなに幸せなことがあって良いのだろうか…?」
「わたしも同じ気持ちです。こんなに美しい人がわたしの夫だなんて信じられません」
「君への気持ちがあふれて苦しいくらいだよ。私の見た目はご婦人受けは良いみたいだけど、騎士として務めているときは嫌がらせにもあったからもっと屈強な見た目に生まれたかったね。体質的にどんなに頑張ってもあまり筋肉がつかなくてね」
「そうだったんですね、でもジョセフ様って騎士団で副団長を務めていたと聞きました。それってすごく強いってことですよね」
「たまたま運が良かっただけだよ、騎士団も楽しかったけど今の生活の方が私には合っているかな。それにとても素晴らしい妻を迎えられる事ができたからね。レイチェルに出会ってから毎日がとても楽しくて、幸せで、綺麗なんだ。あの日君に出会えた幸運に毎日感謝しているよ」
ジョセフはにっこりと微笑むとあーんと言いながらレイチェルの口にクッキーを近づけた。レイチェルはそれをモグモグと咀嚼した。オレンジと紅茶の味がする不思議なクッキーだった。
「すごく美味しいです」
「それは良かった。紅茶の葉とオレンジの皮を砂糖で煮詰めたものが入っているんだ、爽やかで私も気に入っているよ」
「この家で出てくる食べ物はなんでも美味しくて幸せです。一人暮らしの時はすいとんとか良く作ってて、あ、ジョセフ様はすいとんなんて知らないですよね?小麦粉で出来た団子のスープです」
「へえ、そういう料理があるんだね。騎士団の遠征で調理することがあってもシチューとかそういう簡単な煮込み料理しか作ったことがなかったから尊敬するよ。君はご両親を亡くされた後、ひとりで生きてきて本当にすごいと思うよ。私も両親を亡くしているが親戚や良く出来た家令に侍女がいたからね」
レイチェルは両親を亡くしてから何とか慎ましいながらも自活してきた。若い女が一人で生活するのはなかなか簡単なことではなかったけれど、仲の良い同僚やなんだかんだで頼れる上司がいて自分は恵まれているんだと思っていた。
そもそも、ジョセフのような人と知り合う機会なんて一生なかったはずだ。お金持ちで、身分もあって美しくて強い人。少し変なところもあるけどとても優しくて、いつしか惹かれていた。こんな夢のような生活はいつかきっと終わってしまう。魔法の力でずるして手に入れた美しさはきっと失われるだろう。
「レイチェル、どうしたんだい?何か悩み事でも?可愛い顔が曇っているよ」
「怖いんです、この幸せがいつかなくなってしまうことを考えるのが」
ジョセフはレイチェルを安心させるように手を握り、その後、頬と髪にキスをして優しく頭を撫でてくれた。その大きな手にいつの間にか安心するようになっていた。
なし崩し的に結婚したのに好きになっていったのだ。彼がプロポーズした時に気持ちは後からでも構わないと言った。その時はまだこんな風になるも思っていなかった。
「そんな事あるわけないよ、これからもずっと一緒さ」
レイチェルは「でも、ジョセフ様はわたしに一目惚れしたんですよね?」という言葉を飲み込んだ。これを言ったら何かがきっと変わってしまうとわかったから言えなかった。
それに、彼に隠し事をしているというのがとても心苦しかった。最初から美人ならこんな思いはしなかったのにと考えてしまった。見た目だけじゃなく中身もジョセフに好きになって欲しいと強く思った。
そうすれば、彼のそばにいられるのに、でも卑屈で教養もなくて特技もない自分が元の姿に戻った時、彼に愛されるとはとても思えなかった。
「なんだか調子が良くないみたいなので先に部屋に帰りますね」
「レイチェル、本当に大丈夫かい?君の憂いは全部消してあげたいよ。私も一緒に戻ろう。君さえ良ければ今日は執務はもう切り上げて2人でゆっくりしよう。君の隣にいる事を許してくれないか?愛しい人」
ここまで言われたらレイチェルは断れなかった。いつもこの瞳に見つめられるともう少しだけ、もう少しだけと流されてしまうのだ。レイチェルは罪悪感と共に確かに仄暗い喜びを感じていた。
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