第二話
その後ジョセフと一緒にダイニングルームのテーブルに着くとレイチェルが見たこともないようなご馳走と上等なワインがあった。
ふわふわの白いパンに冷たくて甘い冷製ポタージュ、色とりどりの野菜のゼリー寄せと皮がパリパリした鴨のロースト。スパイスの効いた牛フィレステーキとキジ鳩をじっくり油で煮たコンフィ。
爽やかなレモンソースが食欲をそそる金目鯛のポワレにバターの香りが素晴らしいムニエル。なんとも可愛らしい細工のパイがサクサクと楽しいサーモンのパイ包み。そして、辛口のキリリとした白ワインと年代物の重厚な赤ワイン。
とても薄い玻璃で出来た口の広い大きなワイングラスに注がれた濃い柘榴色のワインの美しさに思わずレイチェルは見惚れた。
どの料理も今まで食べたことないくらい美味しく、見た目もとても洗練されていた。シェフが料理について説明してくれたが知らない調理法ばかりで貴族はやっぱり食べるものから違うのだなと思った。
特に鴨のローストと赤ワインの相性は抜群で涙が出るほど美味しかった。普段は自炊の質素な料理が多いレイチェルは五年分くらいのご馳走を食べて心もお腹も大満足だった。
「料理は口に合ったかな?うちのシェフの料理はなかなかだと思うよ」
「人生で一番のご馳走でした。まるでお姫様になったみたいです」
「良かった。たくさん食べられるようにゆったりとしたドレスを選んだんだ。」
「…お気遣い、ありがとうございます」
「今日は色々あって疲れただろうから部屋に案内するよ。急いで整えたから足りないものもあるかもしれないけれど、気に入ってくれると嬉しいな」
ジョセフは恭しくレイチェルの手を取り、エスコートをするようにゆっくりと歩き出した。
部屋にたどり着くまでにここは執務室、客室なとど簡単に説明してもらった。
当たり前のようにジョセフの隣室がレイチェルの部屋だった。
「では、ここで今日は失礼するね。鍵をかけているから間違わないと思うけど奥の部屋には絶対入ってはいけないよ」
「あの、何か見てはいけないものがあるんでしょうか?」
ジョセフは唇に人差し指を当てて内緒というジェスチャーをしてからにっこりと微笑んだ。これ以上聞くなということだろう。
隣のジョセフの部屋のさらに隣の部屋の秘密が気になりつつもレイチェルは自分のために用意された部屋に足を踏み入れた。
そこにはお伽噺のような天蓋付きの大きなベッドとドレッサーにソファーセットなどがあり少しだけ予想してたとはいえレイチェルは驚いていた。明らかに一日で用意できるようなものではなかったからだ。
少し経ってからマーサがやって来てドレスからネグリジェに着替えさせてくれた。普段は綿でできたワンピースを寝巻にしているレイチェルとしては風通しが良すぎて落ち着かなかった。
普段の三倍くらいは大きいベッドに入るとふかふかの掛け布団と程よい弾力のマットレスのおかげで一瞬で眠りに落ちてしまった。
翌朝、ノックの音で目を覚ますとマーサが身支度を整えてくれた。いきなり連れてこられたとは言え、すぐに眠りについた上に起こしに来てもらうまで起きない自分に呆れてしまった。
「おはようございます。マーサ」
「おはようございます。レイチェル様」
マーサが器用にレイチェルの髪を掬って編み込んでいく。
「レイチェル様の髪の毛はさらさらすぎてまとめるのが難しいですねぇ」
「普段はおろすかひとつに結んでいるから問題ないんですけど、凝った髪型は難しいかもしれないですね」
難しいと言いつつもきちんと完成させてからドレスを着せ始める。今日は深い青色のドレスで考えるまでもなくジョセフの瞳の色だった。レイチェルは値段や色んなことが気になったけど考えるのをやめた。
昨日と同じダイニングルームの椅子に座ると、朝からご馳走が並んでいた。ふわふわの白いパンとパリッとした堅焼きパン。厚切りのベーコンとマッシュルームが入ったオムレツに色とりどりの野菜のピクルス。
琥珀色のコンソメスープからは美味しそうな匂いが漂ってくる。たくさんの種類のチーズが木のまな板に載っており、好きなものを取り分けてくれる。
チーズには蜂蜜やドライフルーツも添えてあり一緒に食べるものらしい。その場で絞って作るフレッシュフルーツジュースはピカピカに磨かれたグラスに注いでくれた。
厚切りのベーコンは燻製の香りが香ばしく、フルーツジュースの酸味がまた食欲をそそる。透き通った琥珀色のコンソメスープは複雑な味がしてとても美味しかった。
青カビのチーズは初めて食べたが独特のクセのある風味と蜂蜜がとても良く合っていた。つまり、どの料理もとても美味しかった。
「今日は屋敷の中を案内するね。疲れたらすぐに言うんだよ。昨日の夜に今週の分の仕事は終わらせたからずっと一緒にいられるよ」
「あっ、はい…。あの、急にこちらに来ることになったので同僚と連絡が取りたいのですが…」
「ああ、昨日一緒にいた子だね。よし、こちらに呼ぶように手配しよう」
「あの、エミリーも仕事があるので難しいんじゃないでしょうか…?ただでさえ私が抜けてしまったので…職場にも迷惑がかかりますし」
「それは心配いらないよ。君の雇い主にしばらく働かなくて良いくらいのお礼を渡しておいたからね」
「わあ、抜かりないですね…」
レイチェルは目の前の先回りをしすぎる美しい人を見て寒気を覚えたのだった。
温室には色とりどりの花が咲き誇り、書斎には見たこともないようなたくさんの本が大きな本棚に几帳面に整理されていた。一日では回りきれないとということらしいので休憩のために居間でお茶をすることになった。
繊細な細工のクリスタルガラスで出来たシャンデリアは煌めき、大きな窓からは明るい日の光が差していた。
三段重ねのティースタンドにはキュウリのサンドイッチとスコーン。苺のショートケーキとベイクドチーズケーキとピンクと緑色のマカロンが載っていた。
レイチェルはサンドイッチをひとくち食べてから紅茶を飲む。柔らかいパンに挟まれたキュウリには程よい塩気があり、ワインビネガーの酸味とバターのコクが絶妙だった。
スコーンにたっぷりクロテッドクリームを塗って頬張るとまだ少し温かく口の中でほろほろと崩れた。ジョセフはそんなレイチェルを見て幸せそうに微笑んでいた。
「レイチェル、美味しいかい?」
「はい。ジョセフ様。とっても美味しいです」
美味しいものに弱いレイチェルはここで暮らすのも良いかもしれないと少しだけ思い始めていた。
「今日の夕食もとっておきの料理を作らせるよ。楽しみにしておいてね。私もレイチェルの美味しそうに食べている顔を見るととても幸せな気持ちになるよ」
「…ありがとうございます」
ジョセフは本心でそう言っていると言うのもわかるのだけど食いしん坊だと言われてるようで少し恥ずかしかった。
その日の夕食もとても豪華で美味しかった。太ってしまうなと思いつつもレイチェルは食欲に負けて完食したのだった。
2日後、ジョセフの屋敷にエミリーがやって来た。迎えの馬車から降りてきたエミリーはお城のような建物を見てため息を吐いた。
「はぁ、すごい。夢みたい」
「わたしもそう思うわ。ここに来てからずっと夢の中みたいよ」
「お友達と2人で話したいこともあるだろうから私はここで失礼するよ」と告げてジョセフは書斎の方へスタスタと歩いて行った。
レイチェルとエミリーは居間に移動して用意された紅茶とお菓子を食べながら話し始める。ラングドシャクッキーをひとつ食べてからエミリーは言った。
「いやぁ、すごいわねぇ。おとぎ話みたい。そのドレスもうっとりするくらい素敵。レイチェルすっごい玉の輿じゃない!」
「いやいや、結婚なんか恐れ多いわよ。なんか本当のわたしを知らないから騙しているみたいな気持ちになるのよね」
「前にもそんな事を言っていたわね。今のレイチェルだってレイチェルであることには変わりはないんだから良いじゃないの」
「最初は美人になって単純に嬉しかったけど、いつ顔が戻るかって不安に思うのも疲れちゃったの。もう元の顔に戻ってジョセフ様にも諦めて欲しいのよ」
「えぇー!勿体ないじゃない!ジョセフ様はレイチェルにべた惚れだから良いじゃないの。先のことは先に考えれば良いのよ」
「うーん。わたしはどうすれば良いのかしら?でも、なんでジョセフ様がわたしなんかに執着するのかわからないのよね。昔助けていただいた黄金虫の精霊ですとか言われればすぐ納得できるんだけど…」
「レイチェルちょっとそれは卑屈すぎよ。あなたには見た目以外にもいっぱい良いところあるじゃない!優しいし、洗濯が早いし料理が上手いし、編み物も上手いから良い奥さんになるわ」
「こんな豪邸に住んでたら洗濯もそれを専門にする人がいるし料理人だっているのよ。編み物もジョセフ様はセーターなんて着なさそうだし…。何の役にも立たないわ」
「役に立つかどうかが夫婦になる決め手じゃないしジョセフ様はレイチェルがいるだけで嬉しそうよ」
「それは分かるんだけどこれからどうすれば良いのか全然分からないのよ…」
「まあ、なるようになるでしょ。レイチェル、伯爵夫人になっても仲良くしてね」
「え、ジョセフ様って伯爵様だったの?それこそ全然釣り合わないじゃない。わたし、礼儀作法なんて何も知らないのよ」
「レイチェルは色々悲観的すぎるわ。今はとにかくこの美味しいクッキーを全部食べましょ。きっと全部上手くいくわ」
エミリーは3ついっぺんにクッキーを頬張ってモグモグと口を動かしてからにっこりと笑った。
その日の夜、夕食を食べ終えたレイチェルはジョセフに呼び出されて彼の部屋を訪れた。レイチェルがドアをノックするとすごい勢いで扉が開いた。
「やあ、こんばんは。来てくれてありがとう。さあ、部屋に入って」
「あっ、はい。お邪魔します」
ジョセフの寝室はレイチェルの部屋より少し広く、品の良い家具が完璧に配置されていた。昨日から思っていたが、ジョセフは几帳面な性格なのかも知れない。
「今日の昼に教会に行って婚姻届を取ってきたんだ。神父にも話をしてきたから来週にでも結婚式を挙げられるよ。レイチェルは何曜日が良い?君は確か天涯孤独だったよね。お友達や職場の人を好きなだけ呼んで良いからね」
「あの、わたしまだジョセフ様とけっ」
「しっ、黙って」
ジョセフは人差し指をレイチェルの唇に当てて無理矢理黙らせた。
「大丈夫。絶対に幸せにするよ。苦労もさせないし死ぬまで一生愛し続けると誓うよ。レイチェルの気持ちは後から好きになってくれれば良いんだ。だから今はノーは無しだよ、はいって言ってくれないかな?」
ジョセフ様の圧に負けて、わたしは「はい…」と答えたのだった。その後、ジョセフ様はわたしの指先に口づけをしてからおやすみと言った。
自室に戻って色々考えたが貴族のなんたるかを全く知らない平民のわたしにジョセフ様の妻が務まるのだろうか?
不安しか無いけれど先回りして外堀を埋められすぎて他に選択肢もなさそうなのでわたしはふかふかのベッドに入って夢の世界に逃げる事にした。
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