第一話
水鏡に映る自分の姿を見て、レイチェルはため息を吐く。艶の無い灰色の髪、ギョロリとした黒い瞳、生気のない顔。
日々の労働の疲れにより19歳という年齢に思えない、老けた姿。
「ああ、きっとわたしは一生結婚もせず働いて疲れて死んでいくのね。この見た目じゃあとてもじゃないけど嫁ぎ先なんて無いわ」
誰もいないけど呟きたくもなる。同僚のエミリーは燃えるような赤毛が美しく、街の男性たちから何度も愛の告白を受けている。
たくさんの告白の話を聞いて、彼女は選ぶ側の人間なんだなあと思った。
「わたしなんか良いとこ無しだわ」
「でもレイチェルは手が綺麗よ。指なんか長くて細くてとても毎日水仕事をしているとは思えないわ」
「みんなね、手なんて見ないのよ。顔、身体、髪でおしまい。手だけ綺麗でも意味ないのよ」
ああ、エミリーが嫌なやつならいいのに。モテないから彼女を嫉妬をする自分が嫌になる。
「生まれ変わったら美しい顔と身体と髪をください」
レイチェルは教会の方向に向かって両手を合わせて祈った。特に信仰心が篤い訳ではないけど、少しだけでも叶ったら良いなと思って気持ちでたまにそうしている。
「まあ、そんなに上手くはいかないわよね、明日も仕事頑張ろうっと」
レイチェルが伸びをしてから自宅に向かって歩いて行くと途中で人が蹲っていた。
近づいて見ると黒いローブを着た老婆だった。まるでおとぎ話の魔女みたいだと思ったけど困っているなら何か手伝おうと声をかけた。
「どうしたんですか?」
「そこの石に躓いて転んで足を捻ってしまったんだ。こんな道じゃ馬車も通らないし日も暮れてきてどうしようかと考えていたんだ」
「それは大変でしたね。わたしでよければ肩を貸しますね」
「ありがとう。とても優しいお嬢さんだ」
老婆の身体はとても軽く、おぶっても良かったかなと思ったが本人が気にするかもしれないからやめた。
街よりも自宅の方が近い場所だったのでレイチェルは老婆にもし良ければ家に来ないかと誘った。
「何から何まで本当にすまないねぇ。まだ冬ではないにしろあの場所で夜を過ごすのは寒いだろうと思っていたからとても助かるよ。本当に優しいお嬢さんだ」
「あんまり褒めてもお金持ちじゃないので何にも出ませんよ」
レイチェルははにかみながら言った。
家についてからは昨日のあまりのスープに小麦粉で作った団子を入れて出した。丁度パンを切らしていたのだ。
一人暮らしの質素な夕食だったが老婆は美味しい美味しいと喜んで、おかわりもした。
「お嬢さんにはとてもお世話になった。何かをお礼をさせておくれ」
「別に気にしないでください」
「いやいや、それじゃあわたしも申し訳ないからなんでも良いから何か願いは無いかい?」
レイチェルはうーんと考えてからこう言った。
「そしたらわたしを美人にしてください。なんて、冗談ですよ」
「そんな事で良いのかい?」
「えっ?」
老婆は何やらブツブツと唱えてからレイチェルの額に指を当てた。
顔に似合わず美しい指でわたしと似ているな、とレイチェルは思った。
老婆の指が触れた場所から何かあたたかいものが流れ込んできたような気がする。
「あら、不思議。なんだか身体が軽いわ」
「とっても美人になったよ。元のお嬢さんもなかなか味わいがある顔だったけど」
「うふふ、冗談でも嬉しいわ。明日も仕事があるからもう寝るわね。わたしはソファで寝るからおばあさんはベッドを使ってね。今日は絶対にソファで寝たい気分だから譲らないわよ」
「本当に優しいお嬢さんだ。なら、遠慮なく使わせてもらうよ」
翌朝、目を覚ますと老婆の姿は無かった。でも机の上に小さなくしゃくしゃの紙が置いてあり、そこには昨日は本当にありがとう。困ったらいつでも呼んでほしいと独特の癖字で書かれていた。
「夢じゃ、無かったのね。でもまあおばあさんが元気になったなら良かった」
レイチェルが職場に着いて着替えているとエミリーが声をかけてきた。
「あの、どちら様ですか…?もしかして今日から働く方とかですか?」
「何言ってるのよエミリー、からかってるの?」
「えっと、あの、どこかでお会いしましたか?」
「もう、しつこいわねぇ。そういうの面白くないわよ。レイチェルよ、レ・イ・チ・ェ・ル!」
「えっ?レイチェル?!本当に?別人じゃないですか。わたしもしかしてからかわれてます?」
今日のエミリーは冗談が酷いなと思ったらいきなりむんずと手を掴まれて大きな窓の前まで連れてこられた。
ガラスに映るわたしは、本当に別人だった。輝く銀色の髪、大きく澄んだ漆黒の瞳を囲むふさふさとした睫毛。桜色の唇はつややかで、舞台女優と言われてもおかしくないまごう事なき美人だった。
「えっ?これは夢?」
わたしは眩暈がしてその場にへたり込んだ。
エミリーに昨日の経緯を伝えると最初は難しい顔をしていたが途中から考えるのをやめたみたいで黙って聞いていた。
「そんなおとぎ話みたいな事があるなんてねぇ。でもレイチェルすごく美人になったじゃない!恋人の一人や二人なんてすぐ出来ちゃうわよ!」
「うーん、でもなんかそれって騙してるというかズルしてるみたいでちょっとなあ…」
「一生その顔のままかも知れないんだから楽しんじゃえば良いのよ。次の休みの日に一緒に新しい服を買いましょう、今のあなたに似合うものを見つけてあげるわ」
レイチェルの姿がすっかり変わったことに周りは驚いたが1ヶ月もすれば落ち着いてきた。そのかわり隣の隣の街にまで評判の美人として噂されることになった。
「今日、一緒に食事にでも行かない?」
「ごめんなさい、今日は先約があるの」
「君は本当に美しい。是非、僕とお付き合いしてくれないか?世界で一番幸せにすると約束するよ」
「ごめんなさい。わたし、まだあなたのことを全然知らないわ」
以前はエミリーがモテているのを見て羨ましく思ってたけど、実際自分がその立場になってみると思った以上に面倒だった。よく知らない男性からの好意は結構怖かった。
プレゼントを貰うのも、見返りを求められているようで嫌だなと思った。
「モテるのも大変なのね。今までモテた事がなかったから知らなかったわ」
「わたしの苦労がわかったかしら?やっぱり何でも程々が一番よね。」
次の休みの日にエミリーと街の洋服屋に来た。かなり賑わっており、同世代の女性がたくさんいた。
「こんな可愛らしいお店で服を買うのなんて初めてよ。大丈夫かしら?」
「今のレイチェルならきっと何を着ても似合うわよ」
レイチェルはたくさん悩んでからエミリーに見立ててもらった濃紺のワンピースを購入した。銀色の髪にとても良く映えてさすがエミリー、センスが良いなと思った。
「次はカフェで休憩しようか。たまには贅沢しましょ」
「賛成。普段頑張って働いてるからご褒美ご褒美」
カフェに向かう道でザワザワと声が聞こえた。何か催し物をやっているのだろう。
「人が集まってるわね。何かあったのかしら?」
「見に行こうか。あっ、背伸びするとちょっとだけ見える!」
背が高いレイチェルが背伸びをするとそこにはとても豪華な馬車が止まっていた。普段使う馬車とは違う、明らかに貴族が乗るような馬車だ。
「街では見かけない貴族様が乗るような馬車が止まっているわ。見るだけでも楽しいって人たちが群がってるのかも」
「なるほどね。あんまり娯楽のない街だしねぇ」
「あら、馬車の中から人が降りてくるわ。きっと偉い人なんでしょう」
「もうちょっと近づいて見てみましょうよ」
レイチェルとエミリーが馬車に近づいて行くと身なりの良い美しい男性が丁度降りてきたところだった。
さらさらの黒髪は後ろで結われ、遠目にも仕立てが良さそうな黒い礼服を来たその人はレイチェルが今まで見たことのないような洗練された美しい男性だった。
意思の強そうな青い瞳があたりを見回すと、近くにいた女性たちは皆うっとりと見つめていた。
「あんなに美しい男の人がいるのね。世の中はまだまだ知らない事がいっぱいね」
「お金持ちで見た目も良いなんて、天は二物を与えるのねぇ。でもあそこまで綺麗だと別次元というか妬ましいとも思わないわね」
レイチェルとエミリーが話しているとその美しい男性がチラリとこちらを見てからカッと目を見開きこちらに向かってずんずんと近づいて来た。
「もしかしてこっちに向かって来てる?」
「まあ、この方向に用があるのかもね。しかし足が長いから歩くのも速いわねぇ」
どう見ても貴族のその男性はレイチェルの目の前で立ち止まり、その手を握りながら言った。
「なんて美しい人なんだ。私の妻になって欲しい」
「えっ、何をいきなり…あの、わたしはあなたに釣り合うような身分ではありません。それにあなたの事を何も知らないのです」
「これから知って欲しい。私は今、あなたと出会えた奇跡に感謝している」
初対面なのに恥ずかしげも無く言う男性にレイチェルは戸惑う。これは一体何の冗談なのだろうか?いくら美しくなったとはいえ初対面の、それも身分が高いであろう男性に求婚されるとは思ってもみなかった。
何処の馬の骨とも分からない人間にいきなり求婚するなんてやっぱりおかしい。目の前の手を握り続ける美しい人が何を考えているのかレイチェルにはさっぱりわからなかった。
レイチェルの困惑をよそに男性は手を繋いだまま馬車へと歩き出す。
「そういえばまだ名乗っていなかったね。私の名前はジョセフ・グリフィン・コーヴィントンだ。君の名前をおしえてくれるかい?美しい人」
「レイチェルです。苗字はありません。ただのレイチェルです」
「レイチェル…!!なんて美しい響き…美しい君にぴったりだ。世界で一番素晴らしい名前だね」
「えっとぉ、わたし明日は仕事なのでもう少ししたら家に帰らなきゃいけないんですが…」
「レイチェル、君は私よりも仕事を優先するのかい?」
レイチェルはこの人には何を言っても通じないということをこの時理解した。
ほとんど誘拐のようにジョセフの家に連れてこられたレイチェルは、その邸宅の大きさに目をまんまるにして驚いた。
「これはお城…?玄関だけで私の部屋が何部屋入るのかしら?」
「今日からここが君の家だよ。君の職場にはしばらく休みをもらうと連絡をしておいた。今日は疲れただろうから湯浴みをしてから食事をして、すぐに眠ろう。まだ寝室は別で構わないよ」
ジョセフはレイチェルの指先にキスを落とすと小さなベルで侍女を呼んだ。
「どうも初めまして。侍女のマーサと申します。旦那様が女性を連れてくるのは初めてですので誠心誠意お世話させていただきますね」と大柄で人の良さそうな中年の女性が言った。
マーサはレイチェルの頭のてっぺんから爪先までを何度も観察するようにじっと見つめた。
「ああ、なるほどなるほど。見れば見るほど旦那様の好みにドンピシャのお嬢様ですね!」
あれよあれよという間にレイチェルは着ていた服をすべて脱がされ大きな湯船に浸かり髪の毛を丁寧に洗われていた。
「本当に綺麗な髪ですね。まるで銀糸のように美しい。お嬢様は普段どういうお手入れをされていますか?」
「お嬢様なんてよしてください。わたしはただの平民です。こんなに広いお風呂に入るのだって初めてだし、そもそも人に洗ってもらうのも初めてなんです。ジョセフ様に会ってから困惑することばかりで…」
レイチェルはちょっと泣きそうになりながらマーサに告げる。マーサはにっこりと笑ってから無言でレイチェルの身体を洗い始めた。
湯浴みが終わるとマーサと他の侍女により髪にも身体にも香油をたっぷりと塗られ整えられた。今まで着たこともないような光沢のある美しい黒いドレスが用意されていて、ここは何でも出てくるのだなとレイチェルは思った。繊細なレースの縫い込まれたドレスはどう考えても高級品だった。
侍女たちの手によりめったにしない薄化粧まで終えたレイチェルはマーサに連れられジョセフの執務室までやって来た。とにかく広い家で家具もすべて上等なのでうっかりぶつかって壊したらどうしようとヒヤヒヤした。
「やあ、私の女神。思った通りとても美しいね。あの後大急ぎでドレスを取り寄せて良かったよ」
この屋敷に他にも女性がいるのかなと思っていたレイチェルは驚いた。まさか今日用意されたものだったとは思わなかった。
「こんなに何から何までしていただいてもわたし、何も返せません」
「レイチェル、君は勘違いをしているよ。わたしは君に何でもしてあげたいんだ。君が喜んでくれるならそれが何よりのお返しなんだけど、嬉しいと言ってくれないかな?」
「あの、はい…嬉しいです…」
目の前の美しい人はにっこりと微笑み、レイチェルの手にキスをした。貴族というのはこんなに簡単に人に触れる文化があるのかなとレイチェルは思ったのだった。
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