赤 【月夜譚No.84】
砕けた硝子を素足で踏んだ。痛みは感じない。ただ、何かが皮膚を破る感覚が一瞬しただけだ。
ぼんやりと虚ろな瞳をした彼女は、ゆっくりと下を向いた。大きさも形もバラバラな硝子の隙間を、紅の液体がじわじわと流れていく。透明な欠片が、少しずつ赤に染まっていく。
血が嫌いな人間なら顔を覆ってしまいそうなその光景を、彼女は乾いた双眸で見つめ続ける。己の血液が広がっていく様を、ただまじまじと。
涙はもう枯れた。この身体に満ちていた水分という水分は全て流れ出てしまったかと思っていたが、未だにこれだけの水が残っていたとは。――そんなことを、何の感情もなくただ考える。
硝子が、床が、赤に染まっても、どうしてか痛覚は働かない。その部分を削ぎ落されてしまったかのように、何も感じない。
それがどうしてかなど、考えても無駄だ。彼女はそこに立って、血を流している。ただそれだけ。それだけのことなのだ。