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骨の男  作者: 若井狼介
7/10

    三

 昼前の長閑(のどか)な農道には、似つかわしくない光景であった。通りの先のある一軒の前に集まった人垣が、一様に塀の中を覗き込んでいる。幸子の足は自然と早まり、自転車に(また)がったまま様子を(うかが)う野次馬を追い越した。高ぶった自分の息づかいばかりが鼓膜に反響している。彼女は不穏な光景の対岸に目線を移し、田圃に祖父の姿を探している。けれども祖父は見当たらない。荒涼とした枯田と道路の境すれすれを沿うように歩きながら、彼女はもちの(こずえ)がよく見える手前で立ち止まった。ほんの一メートルほど近付いた騒ぎの隙間から、朱色のポストがちろちろと覗いている。浅春の冷気がひやりと首筋をかすめた。「私の家だ」幸子が否が応でも状況を察知したところで、人垣が割れ、白と黒の車体が鼻面を現した。

 サイレンを鳴らさないパトカーが、タイヤの下から砂利の音だけを立て、幸子の家の敷地から出て行く。こわばったまま立ちすくむ彼女の目の前を(かす)めて静かに通過すると、まっすぐな一本道を幻のように消えていった。

「――あれ、さっちゃん帰って来とるがね、さっちゃん!」 

 パトカーを追いかけて出てきた主婦が、つっかけ草履(ぞうり)の底をやかましく鳴らして駆けて来た。先程まではやれ通路をあけろだの何だのとがなっていた、船木家の嫁である。嫁とは言っても、年のころなら五十の峠を越えている。とうの昔に長女を嫁がせ、(しゅうと)(しゅうとめ)を野辺に送り、息子が勤め先の寮に移って以来この嫁は、品の良さそうな夫との二人暮らしを謳歌していた。長年の農作業で焼けた顔の皮の張りつやは良く、生前は厳しかったという姑から習った料理や着付けの腕前も、人に教えられるほどのものであったから、町内の世話を焼くのを生きがいにしていた。

 船木家は、幸子の畑のちょうど裏手にある。家族ぐるみで付き合っている隣人を、幸子は物心ついて以来「船木のおばちゃん」と呼んでいた。船木の嫁は、そんな幸子と綾子を何かと可愛がっている。

「おばちゃん」

「さっちゃんびっくりしたでしょう、まっと、おばちゃんとこおいで、おいで」

 船木の嫁が不憫(ふびん)そうに口角を下げ、幸子の手を引っ張って勝手知ったる向かいの家の門をくぐった。幸子自身は始終うつむき、ばらばらと帰って行く面々が差し伸べる同情の視線を、背中や後頭部に受けている。端から雑草を生やした飛び石を二つまたいだところで、未だ何が起こったのかがわからない幸子が「おばちゃん」と、もう一度強く問いかけた。

 船木の嫁がさらりと答える。

「何でもあれへんて。骨がよ。ちょこっと、出ただけやに。さっちゃん」

 運動靴の外面を縁取ったゴム底が、植え込みとの境に置かれたプランターを擦って不快な悲鳴をあげた。盛り上がった葉牡丹が揺れる。まったく虚を衝かれた幸子は、それでも船木の嫁が「人骨が出た」と言っているのだと気付いた。今見たパトカーの残像が、彼女の頭の中をもう一度よぎる。幸子は家族の姿を目で探した。畑のほうが騒がしい。

「誰か早よ、悦子さんおらんかね、悦っちゃんよ」

 事の経緯なら想像もつかない幸子をよそに、船木はいつもの調子で縁側ごしから母を呼びつけ始めた。開け放したサッシの奥には、机に広げたままの朝刊と祖父の湯のみがある。今朝方、幸子がトーストを食べた時と何ら変わらない光景に思われた。薄青いトタン屋根と木立が日差しを遮るので始終ぬかるんだ辺りは、何人かぶんの靴跡が凸凹と残っており、凸凹は母屋を横切って離れを建てる敷地へと伸びている。だからと言って、幸子はやはり突然の事態が汲み取れない。――「はい、はい今」玄関先から母が駆けて来た。

「お母さん」

「幸子、ああ、おばさんすみませんでした、有難うございます」

 玄関から小走りに来た母が娘の肩を抱き寄せる。学校帰りの手荷物をかわりに持ちながら、船木の嫁のほうを見上げ、如才ない笑顔で頭を下げた。母は部屋着のトレーナーにジーンズを履き、ショートの前髪をいらっていない素顔に口紅だけを引いている。船木の嫁は手招きでもするかっこうで腕を振り下ろし、なにを水くさい、困った時はお互いさまでしょうと返した。続けてもう一言(ねぎら)うと、気がいい性分なのか、はたまた(かたわら)の幸子を意識してかどうか、午前中のあらましをつらつらと話し始めた。

 幸子が察したとおり、離れを建てる敷地から確かに人骨が出た。田植えをするには狭く、ほどよく湿り気を含んだ良い土なのにところどころ鍬が食い込まない私有地を、祖母が好きで畑にしてから数年経つ。ところがショベルカーで深く掘り返した今日忽然(こつぜん)と、それは現れた。

 朝の食器の片付けと洗濯をぼちぼち終えた母が、化粧水を並べて身支度を始めた頃。幸子が学年最後の国語の授業を受け、綾子がお遊戯(ゆうぎ)に精を出していた時刻。祖父は、日課にしていた冬場の田地の様子見を兼ねた散歩から帰り、居間に腰掛けて読みかけの新聞紙を広げた。矢先、だぶついた濃紺のズボン姿の若い作業員が、庭先から玄関にかけておろおろと右往左往するのが目に入った。祖父がサッシを開け縁側に出ると、作業員は慌てた様子で、ちょっと来てほしいと言う。乞われるまま軒下に脱いであった草履を履いて表に出ると、畑の跡地にいる作業員の一人が祖父を見つけ、(あぜ)を飛び越え駆けて来た。敷地の中央よりもやや母屋に近づいた辺りには、アームを平仮名の「つ」の字に折り曲げて低く下げたショベルカーが、さながら地べたにひれ伏す形で動きを止めていた。

「ほんでも悦っちゃん、物騒な事件じゃなくて良かったがね。本当だよ? まあ、あんまり気持ちのいいもんじゃないけどよ。いつだったか、新築の工事中にもさあ――あれ、何い、知らんのかね。川向こうのマンションでも、ちょっと下を掘ったらあんた、武器やら骨がごろごろ出てきたって話」

 物知りな主婦が頬肉をこんもりと盛り上げて慰めどころを示唆すると、口元や眉間に皺を寄せてみせた。幸子は常から船木の嫁が、国道沿いの和食チェーンの広告に決まって描いてある、恵比寿か大黒のイラストに似ていると思っている。大人のやりとりに聞き耳をたて、幸子は次第に事の状況を把握していく。

「これも、ここいらの土地柄なんだで。気にしとったらやっていけんわ」

 母は相づちの替わりに笑うばかりでいる。幸子は玄関に入るタイミングに迷って躊躇(ためら)い、祖父が来ていなしてはくれないものかと再度庭を見回した。重なる植木の隙間ごしから、畑の跡地を調べているらしい数人の大人の姿に気付いた。

「ほんなら、さっちゃん。そろそろおばちゃんとこ行こか。先に綾ちゃんもおるでよ。待っとるで」

「まあまあ、本当に有難うございます」

「え、でも」

「幸子、おばちゃんね、今日は遠慮しなくていいんだって。わざわざパトカーまで来ちゃったもんだから、お父さん一応今日は帰るらしいし、お祖父ちゃんも私もまだちょっと忙しいから。ね」

 船木の嫁に対して娘の戸惑いを取り繕った母の言葉尻は、身内にわかる程度に念を押す語気を帯びていた。気を張っているが、娘の心細さを二の次にするつもりもない。そればかりか、家の中では船木の嫁の厚かましさを話のたねにして珈琲をすすり菓子をつまみ、座椅子に腰掛けた父が頼もしく相槌(あいづち)を打つ光景が、一家の団らんにはたびたびつき物であった。けれども今この急な事態を切り抜けなくてはならない母にとって、積極的な懇意(こんい)は文字通り渡りに舟である。まして綾子が先に船木家で待っているとなれば、姉の役まわりは一つだ。幸子は母に漫画か紙と色鉛筆を持って来てと切り出すのをやめて、船木の嫁と母屋を後にした。

 屋根から滑った雪があれほど高く積もっていたのが、このところの晴れ間に半分程まで蒸発している。代わりに増築が始まってから二三置かれていた工事用のバリケードが、ブルーシートの前で黄と黒の縞模様を浮き立たせ、原色のコーンが敷地の四隅を囲っている。その西の面に沿って通った歩道の隣の空家から、母屋の東の二軒隣まで、裏庭には自然に任せて伸びた並木が続いていた。並木を縦にくぐり降りると、一本奥の車道に面して船木の家がある。船木は枯れ枝を手で押しのけつつ、幸子に祖父がパトカーに乗っていったことを喋り、何かしたわけでもないからすぐに帰ると付け足した。幸子はこの世話焼きの隣人に抗議するつもりで足を止め、気付かない背中を一瞥(いちべつ)して横を向いた。――彼女から二メートル程行った斜め正面には、ショベルカーが開けた穴を囲んだ背広の数人が、一様に足元を覗き込んでいる。興味をそそられた幸子が目を凝らしたその時、穴ぼこからにわかに人が立ち上がった。

「さっちゃん!」

 びくり、船木に呼び止められて思わず驚いた幸子が「はい」と答え、さっさと先を行く船木の機嫌を今度は気にしながらまた足を早める。ぬかるみを滑り降りると、両端を家屋の塀に挟まれた細い直線の路地に出た。錆みかげを高く積み上げた塀が、船木の家だ。その塀の上を、一昨年前に()き替えた鼠色の瓦屋根がまだ光沢を保って張り出している。西角を折れた敷地の正面にある格子の扉を開けると、綾子が庭先で砂いじりをしていた。すぐに姉に気付くと普段どおりに駆け寄って、抑えた仕草でお帰りと言う。ただいまと答えて手洗いを促しつつ幸子は、いつにも増して妹に情が湧くのと同時に、張り詰めた気持ちが内心ほぐれた。

 船木家は、嫁方の死んだ両親が所有していた里山の一部を業者に売り渡し、庭の横に四枚並んだ田地を夫婦でせっせと耕している。稲作の合間を見ては夫が釣りに将棋(しょうぎ)に、嫁が町内会に料理教室にと出歩く暮らしむきは、家構えや車庫に収まったセルシオからも察しがつくものであった。この日も夫は将棋を差しに出掛けていた。嫁は街の流行りが茶の間にも浸透したイタリア料理のレシピから、ボロネーゼ風のパスタを姉妹の皿に盛っている。昼時ならとうに過ぎている。慌ただしさと他人のキッチンにいる緊張とは裏腹に、すっかり腹を空かせた二人は、さっそく目の前の料理にフォークを刺した。底から持ち上げてかき混ぜると、荒みじんに切った具材が混じる赤黒いソースが、弾力のあるやや黄ばんだ麺に絡まりあっていく。綾子は口の周りをてらてらと汚しながら、音をたてて夢中で麺をすすっている。幸子も喜んで一口ほおばったが、肉の脂の味やふやけた野菜の皮の歯触りから、何も連想すまいと不意に意識した。物心つく前から慣れていたはずの、熟れた土特有のつんと()えた臭いが、自分の部屋の工事現場を通り抜ける間中漂っていたことも、冬に潰した畑で転び、その拍子に迎えた初潮のとろみのある血も連想せずにおこうと努めて咀嚼(そしゃく)する。けれども余計気にしてえずきそうになり、喉をこらえて飲み込んだ――。

「ほれさっちゃん、綾ちゃんよ、お母さん、まあじき迎えに来ると」

 廊下で受話器を置きざま船木の嫁が呼びかけて、居間を入ったところの壁のスイッチを弾いた。明かりが点くより先にソファーから跳ねた綾子が、早速正面のサッシのカーテンをかき分ける。幸子は、編み物を教えようかと言う舟木の手ほどきを受けつつ時間を潰している。綾子が鼻の先を硝子にくっつけ、それから唇を小鳥のくちばしのように尖らせて息を吹きかけて、曇ったところに指で絵を描いては手で拭う間に、表の呼び鈴が鳴った。姉妹が上がり口まで駆けて行くと、玄関先で母が、口紅の剥げた顔にいつもの笑顔を作って立っていた。上がり口へと抜けていく宵風をふくよかな体で遮りながら、明るい調子で船木に会釈をする。すぐに幸子は妹に靴を履くようたしなめ、靴箱側の端から降りて出口に回った。綾子は船木のエプロンを巻いた腰の横をすり抜け、母を正面から抱きしめたので、綾子を話題に和やかな談笑が漏れた。船木が「綾ちゃんも、お姉ちゃんがおったで寂しくなかったわ。ええ子にしとったね」と締めくくり、母はほっとした心持で隣人の家を後にした。ただ幸子は、母と母の手を繋いだ妹の後を歩きながら、自分が不当な扱いを受けた不満を感じている。雑木林の坂を上がる時、歩みの小さい綾子が姉を振り返っておどけたものの、幸子はわざとそっぽを向いた。ちょうど木々を抜けて目に入った山の谷間に、まばゆく揺れる(わず)かな西日を、山裾や谷底から侵食を始めた影の塊が攻め滅ぼそうとしている。建築業者が置いていった立て看板の、これより立ち入るべからずの太字も、すっかり暗がりの幕に呑まれて読めない。幸子は、怖いもの見たさで買ったホラー漫画の一場面をついつい連想し、離れの敷地から母を挟んで少しでも遠ざかろうと足を早める。夜気がふきさらしの地面をなで、柔らかい皮膚を刺す。横風が唸りを上げ、(かす)かに高い音を鳴らして母屋を斜めに抜けた。

 縁側から居間の(かまち)(また)ぐと、雪見障子の床から膝下辺りまで(はま)った硝子窓から、明明と灯りが溢れている。

「おお、お帰り」

 座椅子に浅く腰掛けた祖父が、新聞を読みつつひょいと手を挙げた。春先にはまだ欠かせないストーブが部屋を温め、その上には大きなやかんがいつもの様に乗っている。ただまだ湯気を噴いていない。突き当たりのドアから、電話帳を片手にワイシャツ姿の父が入ってきた。いつになく帰りが早い父に、綾子が早速船木家のミートソースの美味さを話し始めた。けれどもすぐに口ごもり、母に手を引かれて祖母の待つ離れについて行く。幸子は妹の相手にされない様子にすっとするどころか、父の心ここにあらずといった態度が(しゃく)に障った。それでも疲れていたし、床の間の隣の冷えた部屋に入るのも嫌なので、湯のみの相手をする祖父の横にしゃがみ込んだ。そうして大きな溜め息をつき、更に身をかがめて膝を抱えると、祖父が「お前は心配せんでもええ」と呟いた。毛足が短く肌触りのいい絨毯が、靴下を履いた足の裏を程よくこする。彼女は改めてほっと息をついた。

 しかし次に幸子ははたとして、血色の良くなった頬をにわかに凍りつかせた。残雪に、赤い花びらが散っている。――学校帰りに友人と、昼をすませたら公園で会う約束をしたことを、幸子はすっかり忘れていたのだ。

「お母さん、お母さん!」

 夜の廊下が怖いのも忘れて電話口に飛びつき、責めるように母を呼ぶ。慌てる娘の説明を気持ちごと察した母が、まず代わりに事情を話すからと言い、娘の心配をいなして電話を掛け始めた。幸子はいよいよ落ち着かず、約束をすっぽかしたのを怒っていないか、お別れ会の準備は、それよりもし自分が公園に行けなかった理由まで知られていたらと、短い時間に煩悶しては、どう話を切り出せばいいものか考えている。こともなげに談笑していた母が、幸子に受話器を差し出した。先に「もしもし」を言った友人の声は、受話器を通すからか、普段とは違う印象で聞こえる。少女達は電話で話すのにまだ慣れておらず、用件のみの会話をたどたどしく交わした後、大丈夫だで気にせんでねと友人が言った。次いで掛けた友人宅では、まず電話を受けた相手方の祖母が、家族ぐるみの付き合いはないのに幸子の様子や、晩飯の用意までを気遣った。娘同士が話す番になると、今度は幸子の友人が、何がどうとは言わないまま同情の言葉を投げてくる。彼女は優しい言葉を貰えて素直に安堵(あんど)した。

「おい、いつまで掛かる」

 二人のお喋りが早々と友人の恋わずらいの話に替わり、盛り上がったところで遮ったのは幸子の父である。

「連絡を入れたい所があるで、早くな。畑から出たあれが、白いんだと。色が。新しいあれだと困るだろう」

 居間のドアから肩までを覗かせて、すぐ斜め前の幸子に言いかけるものだから、幸子は相手方に聞こえないよう話を切り上げて電話を切った。間髪入れずに父が来て、早速ダイヤルのプッシュボタンを鳴らしている。その一部始終が幸子には腹立たしくてならない。父の言う「あれ」が、離れから見つかった骨を指すことはわかっている。けれども幸子には、骨が古かろうが新しかろうが、たとえ白かろうとも、ドアを開け放したまま受話器片手に頭を下げ、身振りをつけながら淀みなく話す父のほうが不快でならない。

 ――発掘されたのは、若い男の骨であった。

 土壌を剥がしたショベルカーの動作を止めたのは、真下に積み重なった岩であった。大人が二三人がかりで運べる大きさをしている。いくつか掬い出し、運転席から降りて念の為確認しに来た若い作業員の眼にも、似た大きさの岩石が組まれている様子から人為的な造作であることが飲み込めた。あらわになった石組みのちょうど中央、天井にあたる部分を除かれて空いた隙間に、浅春(せんしゅん)の朝間が底まで差し込んでいる。ぼんやりと、黒い箱が転がっているのが見えた。工事の衝撃であろうか、箱の上部はひしゃげており、中にしまい込まれた物が半分顔を出している。いったい何が隠れているものか、岩の裂け目に近寄って膝を折り、しゃがみ込んでさらに目を凝らした作業員を、(くぼ)んだ眼窩(がんか)が覗き返した。

 かつて隆盛をはせた時代の遺物が出土する条件は、何も古い軍場(いくさば)の一帯や、失われた城址とその近辺に限られているのではない。湖沼の跡地やら、河に面した周辺で見つかる例も折々なくはない。例えば人骨が水涯(すいがい)で発見された時に、現代の骨ではないなら水葬を可能性の範疇(はんちゅう)において推理を組み立てる。戦で数多くの死人を出した際に、身分の低い者は必ずしも埋葬されるものとは限らず、林の中に置き去りにされるか、(むくろ)に重石を縛り付けて河川や湖に沈められた。船木の嫁が聞きつけた川向こうのマンションでの一件も、これの名残に相違ない物であった。ところが幸子の家から発掘された骨は、あきらかに異なる様相を示していた。

 この地区一帯の変遷をまとめた資料と照らし合わせてみると、現在は家屋が建ち、農道が広く整備された場所を含め、戦前までは小山が点在していたことがわかっている。幸子の家の敷地もそれに船木やのんちゃんの家も、歴史を遡れば雑木林の中にすっぽりと隠れてしまう。周辺のそこかしこに立て看板付きで塚や陣跡が祀られているものの、この地区をかつて兵士の長い隊列が通ったという記録はない。豊富に残った古文書を数引っ張り出してみたところで、激しい攻防の末に圧された軍が、この場に流れて仮の陣を取った形跡も見当たらない。ただ風土記の類に、鞍が外れた斑の軍馬が泡を吹いて駆けて行ったという記述があった。一文でごく短く書かれており、何がどうといったことには触れられていない。第一、水葬の場に適しているとは言いがたい。――何より男の骨は、雑兵であったとは考えにくい遺品とともに現れたのだ。

 警察が事件性はないと判断した翌日から、町の教育委員会の要請を受けて研究員がやって来た。石組みとその周囲の土を取り除きつつ、現場の状況を写真に収めている。(びつ)から転がった骸骨にもフラッシュが浴びせられる。様子を見に来た父と祖父に、調査の責任者が、目ぼしい遺物は掘り出してから、場所を移して再調査を行うむねを説明していた。祖父はストロボの音に舌打ちをすると田圃に向かい、父は事前に教育委員会の担当と直接話をしたことを前置きして、近所迷惑にもなるから大袈裟にしないでいただきたいと念押しした。初めに地ならしの作業を止めさせた石組みは、六つの岩から成り立っていた。まず大振りの岩を縦横あわせて四つ並べ、その上に幅広い形状の岩を二つ積み上げてある。一つ一つの色や大きさは均等に揃っておらず、小山から見繕った物でこしらえたのだと推測される。巨石で出来た遺跡というよりは、(ほこら)を想像していただきたい。組み合わせた際に出来た隙間には、手頃な石を詰めて塞いであった。

 石組みの内部、ショベルが落とした土塊(つちくれ)に倒されて見つかった箱はと言えば、自身の上部を壊しても中に仕舞った(あるじ)を守る強固な塗箱であった。塗箱の上は蓋になっており、蓋の口の下の真ん中に、T字型の鉄板が取り付けてある。鉄板には錠前の跡が見つかった。またT字の横線の両端に一つずつある留め具は、(かん)を下げていたことを物語っている。蓋の部分をあわせた全体の寸法は、縦が約三十八センチ、横は三十九センチ程あり、背負って運搬するつくりになっている点からも、これが鎧櫃(よろいびつ)であるとすぐに知れた。しかし、なにしろ毎年雪解けの水をどっさり吸い込む土壌である。鎧櫃(よろいびつ)自体の保存状態は極めて悪く、正面か後ろ側に描かれていたであろう家紋ごと、表面を腐らせていた。

 果たして「彼」は、何者であったろうか。

 発見された状態からして、重い(びつ)を背負った、少なくとも数人が人里離れた雑木林に分け入り、急ごしらえであれ念入りに頭蓋骨(ずがいこつ)を弔ったことは想像に難くない。

 特筆すべき点はこればかりではない。動乱の中世から長い長い年月を経て、豊かな景気に湧いた放漫(ほうまん)の時代の終わりに再び見つかるまでの間、岩の(とりで)の内側の頑丈な(びつ)の中で、骨は布にしっかりと覆われ、安置されていた。同時に、黄ばんだ紙に包まれた焦げ茶色の(くず)も見つかった。無論、調査は(くず)とそして布にも及ぶ。

 まず(くず)を仕舞いこんだ紙は、中世の美濃紙と安価な紙を糊で張り合わせた物であった。中身は大人が両手で二三度程(すく)った程度の量がある。成分を調べたところ、これは(さいかち)の葉であることがわかった。生木から葉をもいで火にくべたのであろうか、燃えかすが混じっていたことが、木の種類を判別しうる決め手となったのだ。(さいかち)とは、九州から東北地方まで広く自生または栽培されている樹木である。この木の実は天然の石鹸成分を含んでおり、古くから生薬として用いられている他、武士が馬の手入れに実を用いた記述も存在する。しかし、和紙は焼いた葉をうやうやしく保管していた。

 次に骨を直に包んでいた布であるが、同じ柄、同じ形状の物が二枚使用されていた。広げてみるとどちらも人の腕の長さ程あり、ちょうど二の腕のあたりを頂点にたっぷりとした幅を取って、片方の端に縫われた袖口まで曲線を帯びている。もう片方の端からは縫い糸がずるずるとほつれ、布地にも裂けた跡が覗いている。骨を包んでいたのは、袖付から切断したか引きちぎった、小袖の着物の袖であった。

 発見時、外壁の天井部分にあたる岩が崩された拍子に、なだれ込んだ土砂にはじかれたものか、ともかく鎧櫃(よろいびつ)は横に倒れて上部の(ふた)のみ破損した。その際に骨も転がったが、骨に巻かれた袖は多少乱れた程度でほどけなかった。研究員が一枚目の袖をつまむ。毛羽立った生地や細い糸を、骨に密着した二枚目の生地が噛んでいる。そこで二枚を一度に剥がしにかかるも、びたりとくっ付いて容易に骨から剥がれない。手早くするのはやめて細心の注意を払い、少しずつ引き離していくたびにぴり、ぴりと音を立てる。この女物の紗綾(さや)の小袖は、かつて桃山の辻が花とうたわれた光沢と、鮮やかな色柄を湛えていたに違いない。けれども現代の一般的な地方の研究室の、薄い唇を()めつつ鼻端を近づける中年の研究員の前では、色素を(まだら)に沈殿させ、金糸や銀糸の一本一本までどす黒く変えていた。

 県内の文化財の保護と遺物の調査を管轄する施設は、岐阜市の郊外にある。窓の向こうにはところどころに固い花芽(かが)を尖らせた枝が折り重なり、冷たい風に枝も窓枠も揺れている。木々の隙間から覗く湿った雲が、高い処から輝いていた小さな太陽を疎外し、にわかにたれこめた霧が建物の輪郭をぼかしている。骸骨を包み隠した着物が実務的に剥かれていく。最後に前頭骨を掴み、後頭骨底部にしがみついたぼろを引きはがした。途端、猛然と飛散した(かび)(ちり)の粒子が目の前の空気中を襲い、激しく窓硝子を叩いて隙間から入った風が(ちり)を乗せて廊下を抜ける。甲高いもがり笛が尾を引きながら町中に吹き荒れると、低く空一面を覆ったいびつな雲から霧雨が降り始めた。急に暗くなったため研究員は電気をつけ、軽く背伸びをしてまた作業に取り掛かる。

 小袖と頭蓋(とうがい)を分けるのに随分時間を食わされたが、そのぶんどちらも状態を損ねることなく手に入った。二枚の袖が重なった内側を(めく)ってみると、生地の艶が未だ生きている。袖は頭蓋(とうがい)眉弓(びきゅう)の上から下顎の歯までを除いた全体に巻かれていた。頭部に走る冠状縫合、矢状縫合、ラムダ状縫合と呼ばれる骨の継ぎ目や、側頭部の側頭窩(そくとうか)、外耳孔、下顎窩(かがくか)と下顎頭の間、後頭骨に回って大後頭孔とその周辺の窪みに、布の繊維がしつこく付着している。埋葬された当初から目と鼻と口は覆わずに安置したのであろう。長さが余った部分はそのまま、座布団を模したか、あるいは頸部をいたわりでもするかのように、後頭骨の底部に折りたたんで敷いてあった。脊椎が通っていた大後頭孔に首の骨は残っていなかったが、側頭部下面と外頭骨底に、刃物によって付けられたと思われる傷痕が見つかった。

 女物の小袖にくるまれていたからといって、前述したとおり遺骸の性別なら、骨格の形態を肉眼で観察すれば大方察しがついた。頭蓋(とうがい)自体は小ぶりであるにせよ、額の部分にあたる前頭鱗(ぜんとうりん)の傾斜の角度と隆起した眉弓(びきゅう)、頬骨や(あご)の形が、極めて男らしい特徴をあらわにしている。手袋をはめた掌に乗せ間近に眺めると、重くも軽くもない感触と同時に、やや肌色を帯びた乳白色の表面の、滑らかそうでいて厚く硬い彼の質感がありありと迫った。横に傾ければ、顔面頭蓋の凹凸や、頭頂骨から後頭骨にかけての整った円形がより映え、輪郭が浮き彫りになる。頭部に刻まれた縫合線や口蓋(こうがい)の状態は、彼の成長の過程と証をいじらしくも物語っている。縫合線の結合の具合から答えを出すとすれば、この頭蓋(とうがい)は、青年の生首であった。研究員はさらに観察を進めていく。青年は鼻の付け根が高く眉間に位置していて、そこからまた高い鼻骨が長く伸びている。鼻骨の下、梨状口(りじょうこう)と呼ばれる鼻腔は小さくない。眼球が収まっていた眼窩(がんか)は、シンメトリーを描いて大きく開いている。張り出した頬骨や下顎角(かがくかく)は意志の強さを偲ばせ、幅は狭いがくっきりとしたオトガイ隆起が口元全体を引き締めている。研いだ玉石を、ひと粒ひと粒行儀良く植え込んだような歯からは、雄雄しい風貌に端正な印象を与えるのである。


 青年は今、部屋の照明に自身の陰影を濃くしながら、ただ静かに正面を見据えている。彼はいっそ肉も皮もそぎ落とし、汚れのない精巧な造形を保ち続けたまま、今ここに目を覚ました。



 

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