二
暗闇に雨雲が厚く垂れ下がった午前三時。住宅街には車の往来も途絶え、夜に隠れた人家が拮抗して立ち並ぶ道沿いには、低い振動音を響かせた自動販売機ばかりが煌々と光り、濡れた路面を照らしている。寝付けない幸子の横でよく眠っている夫の寝息を、さらさらと降り続く小雨がかき消している。布団に横になってみたところで、彼女は襟元に纏わりつく寝間着の感触が気になってならない。しばらくの間はまんじりとも出来ないまま、あれこれと考えを巡らせ、待ちわびてやまない返信メールをタケシが読んだ想像を膨らませては、繰り返しなぞっている。あるいは、朝までには眠りたい多少の焦りを感じ始めていた。
それにしても、静かな夜である。目を開けていても暗闇しか映らないので、幸子は自分が目を瞑っているのかどうかわからなくなる錯覚を覚えた。静寂に慣れた鼓膜に、規則的な間隔で寄せては遠ざかる雨だれのリズムが染み込むにつれ、高揚した気持ちが徐々にやわらぐように思われた。
小止みなく届く滴りがやがてどうどうとうねりをあげ、深い意識の底に流れ落ちた――。
――幸子は結婚をするまで、関ヶ原町の実家で家族と共に過ごした。
日本史に大きく名を残す天下分け目の合戦の地として知られる町は、滋賀県と岐阜県の境に聳える伊吹山の東に位置している。戦国時代より以前には、日本武尊が山の神との戦いによって傷を負った山の裾野として知られていた。幸子が生まれ育った一軒家は、田舎の農村に見られる比較的広い庭を構え、このあたりでは無難な面積の田んぼを所有していた。他の住人同様、一家もまた代々稲作を家業として守り抜いて来たのである。しかし年々加速する減反政策、さらには八十年代後半の記録的な米の凶作に打撃を受けた後、国から保証金を得たい代わりに、全面積の内の少しを豆の生産にあてることとした。やがて衰退の一途を辿る第一次産業とは裏腹に、我が国はバブル景気に沸き立ち、享楽と変化の波は山間部へも押し寄せていた。幸子の祖父母も、一時は野菜を中心とした大幅な転作を考えたものである。そこで手始めに家屋の横手の狭い田圃を畑に変えたものの、幸か不幸か件の凶作以降、米の発育と収穫自体はまずまず安定していた。
野菜畑の手入れは、忙しい頃にはおっくうなものであったが、朝晩の食料をまかない、穫れた野菜を近隣の農家に配れば喜ばれる、無くてはならない一角として家族の間に馴染んでいく。またこの畑は、おしめが取れた時分から幸子の遊び場にもなっっていた。野良仕事を体で覚えるにも良いとしきりに重宝がる祖母の姿は、とうに嫁いだ今でも彼女の脳裏に焼きついて消えない。
がんぜない幸子は朝食をすませると畑に飛び出し、作物の花の匂いに誘われてひらひらと来たもんしろ蝶を追いかけ、粟の粒よりも膨らんだ油虫を食ってくれる、赤い天道虫を手のひらに乗せては楽しんだ。あるいは二軒先の同い年の娘を誘い、暗くなるまでままごとや砂遊びに明け暮れたものである。この頃の幸子は何事にも物怖じせず、笑顔を絶やさない子供であった。
遊ぶだけではなく、祖母に促され、幼なじみと一緒に畑仕事を手伝いもした。枝豆のつるが盛んに伸びた脇、先を尖らせた紫色の葉の茂る一角から、小さな手で奮闘しながらもいだ水茄子を台所で冷やしておく。かぶりつくと、ぴんと張った艶やかな皮が歯と擦れ、たちまち野の薫りが口腔に弾ぜた。白い身をさくさくとはむたびむず痒い心地に身を震わせ、夏の訪れを噛みしめたものである。
水茄子とは、茄子特有の灰汁がなく、身には水分をふんだんに溜め込んだ野菜である。かつては戦に赴く侍が水筒代わりにかじったとも伝えられている。大きさは店頭に並んでいる茄子と変わらない物から小茄子程の物まであり、野菜の生産を営んでいた母方の実家が「美味いから皆さんで」と幾らか分けてくれた苗を、試しに母が植えたのだ。比較的育てやすい品種であったし、もともと土が肥えていたので数を増やしてよく育った。
畑と家の前には二車線の舗装道路が通っており、道路を渡った辺りには、ところどころ建物と道路が寸断してはいるものの、山々の麓までほぼ水田が広がっている。当時すでに地域の主流は、専業農家から兼業農家に移行していた。幸子の家庭では、会社勤めの父をのぞいた働き手が田植えに畑の収穫にと勤しんだものである。
ちょうど立派な水茄子が茎から垂れる夏場は、稲が伸びる時期でもあった。眩しく照りつける日差しを反射した、若々しい伸びやかな緑の景色が一面に溢れている。うだる暑さにも力強く根を張り、しなややかに撓んだ頭を揺らしている。賑やかしい蝉の声、温んだ水田や庭先の蒸れた土から漂うにおい――どれも幸子の心をくすぐる景色であった。
日が暮れて宵が過ぎれば、通りの神社やら通い始めたばかりの小学校の校庭から、夜風に運ばれた祭囃子が網戸の目から流れて来たものであった。母と手をつないで出た夜道の横手には、背の高い苗がこすれ合い、月明かりを浴びてさわさわと囁いている。祖母に着せてもらった浴衣の裾を風がつまむ。葉先から下に底知れない闇をこしらえた海原がうねりを帯びている。幸子は母の手を握りしめ、道脇を見ないようにしながら歩いた。
「幸子は、弟か妹、どっちがいい?」
まずまずの豊作に安堵した祖父と父が美味そうに晩酌をすすり、母と祖母が仲睦まじく肴を振る舞う、ある晩秋の晩げの事。開いた間仕切りのカーテンの前で児童書を広げた幸子に、母が下腹をさすりつつ尋ねる。
つい一二週間前まで母の姿は、台所にも団欒の場にもなかった。丈夫な嫁に違いないものの、つわりが重い性分であったためだ。幸子は学校から帰る道すがら野花を摘んで母に渡し、時には自由帳に母と幸子、そして産まれて来る赤ん坊を描いては励ました。そのたびに母は娘を愛おしく思い、幸子は母に誉められた心持ちがして耳たぶを赤くした。
それ以上に、幸子は心細くてならなかった。母親らしからぬやつれ具合は彼女を不安にさせ、生活する上での些細なコミュニケーションの課題や摩擦には延々泣き続けるかたちで訴え、担任と祖父の前ではべそをかいた。ただし自分が悪いと思うしこりがないまぜになった反抗であり、まして仕事から帰った父や祖母から、母を心配させないよう言い聞かされた。つとに祖母は孫の面倒を見て、我がままには極力答えたのである。繰り返し甘える幸子の子供らしい勘は、祖母の情が、まだ見たこともない胎児にも注がれているのを察知していた。
「お母さんね、赤ちゃん産むの、頑張るからね」
頬に弾力と赤みを取り戻した母が、返事に迷ったのか遠慮がちな娘の横に歩み寄るなり笑いとばして抱きしめた。太い腕と丸みをおびた乳房や、ふくよかな腹の感触から体温が伝って来るにつれ、幸子は母が無事に赤ん坊を産んでほしいと願う気持ちを実感した。
「じきに、サチはお姉ちゃんになるわ。ねえ悦子さん」
祖母は嫁の名を呼んで上の孫の仕草に目尻の皺を深くさせ、しんみりと呟く。
「今どき、男子がええとは言わんでよ」
祖父があぐらをかいた膝小僧を掌で威勢良く叩いて付け加えたので、幸子は「私は弟かお兄ちゃんがほしい」とおどけてみせた。家族に笑みがこぼれ、父は手前の皿から蒲鉾を箸でつまんで幸子に食べさせてくれた。口に染みる旨味を転がしながら、彼女は片足を軸にして一回転してみた。祖母に買ってもらったパステルカラーのスカートが軽やかに広がる。すかさず「おちゃんこなさい」と祖母が叱ると、幸子はぺろりと舌を出した。
さて、いかにも無邪気な「兄が欲しい」と言う発想は、彼女がほんのり抱いていた情から来る連想でもあった。
関ヶ原町は、古の合戦や、名だたる武将にまつわる貴重な史跡をふんだんに留めている。県境にそそり立つ伊吹山は、先述した神代の物語の舞台である他、名だたる武将にまつわる逸話も残している反面、春夏には高山植物のメッカとして親しまれ、寒くなれば近隣からスキー客が押し寄せる観光地でもある。農業の保護と発展に加え、観光を地場産業として営んでいくには交通の便を確保しなくてはならない。おあつらえ向きに関所のごとくゲートを開いた名神北陸両インター、伊吹山ドライブウェイを初めとする道筋が用意されており、町内の主要道路はインターへと繋がっている。長い休みが続く季節になると、文字通り血で血を洗う陰惨な歴史にわざわざ惹かれる夢見がちな客が、帰省客やその縁者に混じってここを訪れる。
幸子が「お兄ちゃん」と呼び慕う誠二も、高速に乗ってやって来た。
幸子の父には、弟が一人いる。父を身篭る前に子を一人流して失った祖母は、その後に授かった息子達を大切に育てた。父と同じく一般企業に勤めた弟は、跡取りに先立たれた家の入り婿になり、しばらくしたのち関東の支社へ転属する運びとなった。転属先の土地で生まれた息子が誠二である。
毎年盆の頃になると、弟家族が高速に乗って郷里を訪れるのが年中行事であった。一二泊をして墓参りを終えると誠二を幸子の実家に預け、弟夫婦は先に帰る。都会っ子の誠二に牧歌的な暮らしを体験させてやりたい親心なら、幸子の父や母にも汲み取れた。誠二自身も関が原に行くのが楽しみで、着くやいなや決まって幸子を抱き上げたものである。「大きくなったなあ」――くっきりとした目鼻立ちが印象的な面差しが、人懐こい笑顔でくずれている。間近に近付いた従兄の声がくすぐったい幸子は、口をとがらせながら下を向いた。この時誠二はまだ少年であったものの、当時の彼女にとっては大人びた従兄に違いなかった。やがて彼は大学を卒業し、就職の知らせを寄越したのを境に顔を見せなくなる。それからまた十年近く経ち、幸子が秀行に連れられて式場を探している最中に、誠二から結婚の報告を兼ねた年賀状が届いた。ただ葉書に添えられていたのは挙式のワンショットではなかったし、やにわに刺した胸の痛みを自覚したところで、幸子は秀行に夢中になっていた。それでも必要に迫られて過去をなぞるたび、彼女の記憶の澄んだ部分にはいつも誠二が立っていた。陸上部らしく小麦色をしたと肌と綺麗な歯の対比の残像が、胸の湿った部分に焼きついている。闊達な農夫であった祖父も、皺を刻んではいるが弛みのない焼けた体をしていた。ただし歯は煙草の脂の色をしていた。
――遠くで無遠慮なクラクションが騒いでいる。いいや、単調な一節が機械的に繰り返されている。
幸子の意識がはっきりすると同時に、けたたましい騒音が耳をつんざいた。腫れた目をして携帯電話の目覚まし機能を止める。そのまま台所に行くと、夫の朝飯に昨日の残りの味噌汁を温め、冷蔵庫から小鉢を何品か取り出して米をよそう。頭が働いていなくても身についた朝の習慣である。遅れて部屋から出て来た秀行は、簡単に身支度を整えるとテーブルにつき、早速箸を動かす。夫の正面に座り、寝起きの雄熊を連想している彼女の首は居間のテレビに向いている。寝る前の夫の態度がまだ腹立たしい幸子をよそに、夫は味噌汁をすすって飲み干した。それから今日も少し遅くなるからよろしくと言い残すと、夫はむしろ普段よりも機嫌よく会社に出掛けた。
口答えするでもなく見送った彼女は、浅漬けの小鉢もそのままにパソコン台の前に座った。メーラーを立ち上げながら、夜中に書いた記事をひとつ削除する。本文の最初に記事に関する一切の返信を断る注釈を入れておいたからか、コメント欄は汚されていない。
急に、画面の中から弾んだ音が鳴った。どきりとする幸子の目の前に、新着メールを知らせる表示が飛び込む。高まる期待に急かされながら受信メールの欄をクリックする。鷹の英単語が入ったメールアドレスを、いかにもタケシらしいと誉めた思い出が動悸とともによぎる。しかし一度見て、もう一度見直しても、毎日届く下品なダイレクトメールが数件と友人から届いた一件の他には何もなかった。友人からのメールの件名には「大丈夫?」とある。幸子にブログの楽しさを教えた同窓なのだから、携帯電話のメールアドレスもパソコン用とあわせて教えあい、趣味の話題を中心に通信を交わしあっている。もっぱら文字での会話ばかりとは言え、休み時間のたび同級生が、香水がわりに腋にふきつける制汗スプレーの充満した教室で、ポジショニングという用語を知らないのに収まっていた日々よりも、二人は親しい。しかし幸子は、タケシに関わる話題を友人にも打ち明けてはいない。
メールの本文に目を通すと、まず軽い挨拶から始まり、次に友人がしでかした失敗談が何行か続いた後に本題が書き添えてあった。
「夫婦ゲンカは犬も食わないって言うけど(笑)ま、なんかあったらいつでも相談しなよ」
句点のかわりに顔文字を付けた文面は別段不備もなければ長くもない。緩いカーブのゴシック体を追いながら幸子は、あくまでぶ然としている。一瞬でも期待に湧いて紅潮しかかった頬ごと表情を歪めると、下がった口角の片方だけ吊り上げて短く罵った。それから肘をついた拳に横面をもたれさせてだるいため息を吐き、彼女はゆるゆると窓の外を眺めた。
縦長に四枚並んだサッシの硝子は、どれも曇天に塞がれている。彼女は眠気がぶり返した重い頭を少しうなだれ、希望が叶うのに適した天候でもないからなのかと、とりとめのない思考を浮かべては途中で止める。
「――私は、こんなはずじゃなかった」
言葉にすると涙が滲んだ。メーラーだけ閉じて立ち上がり、突き当たりの壁に置いたソファにごろりと横になる。柔らかなクッションに体が埋もれて馴染んでいく。うつらうつらしながら、満たされない感情のしこりをなぶる。
「こんなはずじゃなかったのに」
最初に嫌な思いをしたのは妹が産まれてからだ。次にこんな目に遭わされたのは――思い返している途中で意識が途切れ、彼女はまた深く眠り込んだ。自動的に表示が切れたディスプレイと同じ暗色をした雲が、じくじくとした湿気を連れていっそう垂れ込めている。




