Unhappy Valentine
今年のバレンタインは、最悪だった。
五年生になって、同じクラスになったゆうくん。席替えで隣の席になってから、たくさんしゃべって笑わせてもらって、いつの間にか彼のことが大好きになっていた。
これからも、ずっと一緒にいたい。もっと仲良くなりたい。そう思ったから、生まれて初めてチョコレートを作った。
そして、二月十四日。先生に見つかったら没収されちゃうから、放課後まで待って、一足先に教室を出たゆうくんを探した。
その姿はすぐに見つかった。校門を出てすぐの曲がり角、電柱の陰。
でも、ゆうくんは違うクラスの女の子と一緒だった。
嬉しそうに顔を赤らめる彼の手には、かわいいラッピングがなされたチョコレート。それを見たとき、目の前が真っ暗になって、自然と私は踵を返していた。
何も考えずに、自分の家とは反対方向へ足を動かし続ける。だからだろう、空の端にあった小さな雲が、いつの間にか頭上に広がっていたことにも気づかなかった。
低く立ち込めた雲から、雨粒が一つ落ちてくる。ぽつりと落ちたそれはぽつぽつぽつと速さを変え、そのうちざあざあという大雨になった。
「いやーっ、もう、傘持ってないのに!」
小高い丘の上の公園にあった東屋に、慌てて飛び込む。ランドセルとチョコの入ったてさげを放り出し、ハンカチで顔とジャンパーの水滴を払う。でも、小さいハンカチではすぐに水を吸いきってしまって、全然役に立たなかった。
拭いても拭いても冷たさは消えなくて、逆にどんどん濡れていく。その時やっと、私は自分が泣いていることに気がついた。
止まらない涙が視界をゆがめ、屋根を強く叩く雨音は世界から私を切り離す。
皆が幸せに肩を寄せ合っているのに、私は独りだ。
「なんでっ……。もう……っ、最悪……っ」
「おやおや、そんなに濡れては風邪をひいてしまいますよ」
低い声と共に、私の頭上に大きなタオルが被せられた。大きな手が、私の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「えっ、なっ……」
「急に降ってきましたからね。あーあ、可愛い顔も台無しだ」
目を白黒させて視界を覆う布地を除けると、赤いコートの間からすらりとした足が伸びているのが見えた。そのまま目線を上にずらせば、お父さんより少し若い男の人の顔がのぞく。
「……おじさん、誰?」
「ん? おじさんは、サンタクロース。今はクリスマスも終わってお休み中ですけれど」
そう言うと、おじさんはいたずらっぽく笑った。
でも、サンタクロースって。
「……小太りのおじいさんでもないし、ひげも生えていないのに?」
「サンタクロースにも色々いるんですよ」
簡単にごまかし、おじさんはタオルをずらして私の顔面に押し当てた。雨と涙と鼻水が優しくぬぐわれて、やわらかな布地が心地いい。
「しかし、また随分とひどい顔ですね。今日はバレンタインでしょう? プレゼントも用意して、幸せな日になるはずだったのでは」
おじさんが、手さげから飛び出したチョコに視線をやった。ラッピングは濡れてシミがつき、乱暴に放り出したせいで箱の四隅はひしゃげている。みじめな様子はまるで今の私を見ているようで、再び涙がにじんだ。
「……バレンタインなんて、なかったのっ。チョコだって知らない」
「でも、折角きれいにできているのに……」
「じゃあ、おじさんにあげる!」
私はチョコを掴んで、コートの胸に乱暴に押しつける。おじさんは困ったように私とそれとを見比べて、
「……じゃあ、遠慮なく」
と包みを受け取った。
「今、食べてもいいですか?」
下を向いたまま小さくうなずく。すると、遠慮なくラッピングがかさかさとほどかれた。
今回作ったのはハート形にアラザンやペンでデコレーションしたもので、正直他の人に見られるのは少し恥ずかしかった。でも、もうどうでもいいや。
うつむいてじっと身をすくめていると、パキリとハートが割れる音がした。
「うん、おいしい。上手に作りましたね」
優しい声音に、顔を上げる。私の隣でおじさんが半分になったチョコを手に、目を細めてこちらを見ていた。
「少し食べますか?」
「……いらない」
「そうですか。じゃあ独り占めしちゃいましょう」
そして、残りのチョコもぺろりとたいらげてしまった。
「さて、ごちそうになってしまいましたし、何かお礼をしなければなりませんね」
包装紙を畳んでコートのポケットに入れると、おじさんは膝を叩いた。どうせあげる人もいなくなったのだから、別にいいのに。
「とはいえ、プレゼントはクリスマスで配り切ってしまったんです。なので、気持ちばかりですが」
おじさんは立ち上がり、東屋の外に出る。気づけば、屋根を叩く雨音は聞こえなくなっていた。
赤いコートが、くるりとひるがえる。黒光りする革靴が水たまりを踏んで、ぱしゃりと波紋が立った。
「涙にぬれた女の子を笑顔に戻す魔法しか、今のおじさんにはあげられなくて」
そしておじさんは腕を伸ばして、自分の足元から大きな半円を宙に描いた。
私も軒下から首を伸ばし、誘われるがままに空を見上げる。
そこには七色の巨大な橋が、私達を大きくまたぐようにして天にかかっていた。
「わぁっ、虹……!」
西日に照らされ薄桃に色づく空を背景に、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫のグラデーションが濃くはっきりと輝いている。眼下の住宅地を望めるフェンス際に駆け寄れば、虹の根元の家々も、雲を切り裂き飛ぶ飛行機も、美しい光に染まっていた。
「すごい、こんなに大きい虹、見たことない!」
「ささやかなおくりもので、すみません」
「そんなことないよ! とっても嬉しい!」
大きく首を横に振ると、おじさんがにっこりと微笑んだ。
「よかった。あなたは笑っている方が似合いますよ」
虹はしばらくの間くっきりと表れていたが、やがて端からさらさらと色を崩していく。そして、最後の色が無くなると、後にはキラキラとした太陽の粒だけが残った。
「ありがとう、今日は最高のバレンタインだよ!」
私は振り返り、おじさんのいた方を見やる。しかし、そこには誰もいない。
赤いコートの残像が、ひらりと視界の端でまたたいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
というわけで、チョコのお返しの「おくりもの」は「笑顔にする魔法」でした!
……おくりものと言っていいのかよくわからないですが、何かをもらった返礼は気持ちでもいいのでは?という広い心で見ていただければありがたいです。
昨年も「冬の童話祭」に参加させていただき、読むのも書くのもとても楽しかったので、今年も出させていただきました。
運営の皆様、ありがとうございます。次回も楽しみにしておりますので、どうぞよろしくお願いします。
それでは、またどこかでお目にかかる機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。